第8話:売れない画家
現代編と過去編を相互に投稿していますが、読みにくくないですかね?
もし読みにくかったら感想頂けると嬉しいです。
違う作品に分けるか、現代編と過去編の章を設けるか、など改善を検討しています。
「本当?」
「あぁ、だから最後のチャンスをくれないか? これでダメだったら、僕はサンの家を継ぐ」
「わかった。良い絵描きなさいよ」サンが疲れきった目で僕を見つめる。
「最高傑作を描く」
「その意気よ。私はワードの才能を疑っている訳じゃない。凄い絵が描ける、将来は大画家になるってずっと思ってきた。でもーー」
「わかってる。サンが材木店の一人娘で、早く婿養子をとって跡取りを産んで欲しい、と親からつつかれていることも、それを何とかごまかしていることも、俺の絵が売れることを一番願ってくれていることも」
「ごめんなさい」
「謝らなくていい。ずっとお茶を濁していた、逃げていた僕が悪いんだ。でも決心がついたよ。次でダメだったら、画家の夢を諦めて、サンの家を継ぐ」
そう誓う。
「フフッ。ワードのこんなに力強い言葉は初めて聞いたわ。私を待っている間に何があったの? 何がワードを変えたの?」
「それは……絵を見ればわかるよ。今までの価値観が根底から覆ったんだ。僕がどんなにちっぽけで、取るに足らない存在だったのか思い知らされた。その衝撃を、感動を、想いを絵にぶつける。そして最高傑作を描く。それまで待っていて欲しい」
「わかった。父には私から話すわ」
「頼む」
「期待して待ってるわ。私だって材木店の女将より、大画家の奥さんの方が良いんだから」
「ああ」
僕はワード、売れない画家でヒモをやっている。最低の人間だ。
画家と名乗っているが、僕の絵なんてどこにも流通していない。サンの家で眠っている。
僕の絵は全く世間から評価されなかった。描いては持ち込み、描いては持ち込みを続けていたが、全然ダメだった。
僕は次第に絵を描くのが嫌になり、生活は荒れていった。唯一の収入源である下級貴族の子弟の絵画指導もなぁなぁでやるようになった。
そんな時に出会ったのがサンだ。
明るい笑顔が特徴のサンは、酒に溺れる僕を叱り、再度絵への情熱を取り戻させてくれた恩人だ。一生頭が上がらない。
サンとは虹色居酒屋で出会った。
金が無く、湯ドウフとエールでチビチビやっていた僕の側にサンはやってきた。
「絵描きなんですよね? 私絵が大好きなんです!」
とびきりの笑顔を見せるサンに僕は一目惚れした。奥手だった僕は「はぁ」と生返事をしただけで、手を出さずにいたがひょんなところからまた再会した。何十回目かの持ち込みがダメで、残念会をやろうと虹色居酒屋に行くとカウンターで物憂げな表情を浮かべるサンの姿が見えた。自暴自棄になっていた僕は、普段では考えられないような積極性を見せ、サンの隣の席に座り話しかけた。サンは驚いたが僕との会話に応じてくれた。サンはちょっとしたことで同僚の不況を買い、仕事が上手くいかなくなっていた。
「大丈夫。何とかなるよ。僕を見てよ。何十回も持ち込みしてるけど、全然だめなんだよ」と笑いかける僕を見て、サンは笑った。「そうね、これくらいでへこたれてちゃいけないわ」僕の適当な励ましでサンは元気を取り戻した。
それから僕達はちょくちょく会う間柄になり、ある時結ばれた。そして同棲が始まった。
同棲しても僕の絵は売れなかった。唯一の収入源だった下級貴族が引っ越すということで、絵画指導の仕事もなくなった。僕は完全にヒモになり、仕事もせず、売れない絵を描き続けた。
もう諦めたほうが良い、と言う画商と殴り合いの喧嘩になって帰ってきた晩、僕はサンと話し合った。「画家の道を諦めようかと思っている」
そう弱音を吐いた僕に対して、サンは「ワードには才能がある。社会が正当な評価を与えてないのよ。私は夢が叶うその日までワードを支え続けるわ」と僕の両手を握り、曇りなき眼で僕の濁りきった眼を直視した。
僕は泣いた。サンの優しさに、愛に涙が止まらなかった。サンはそんな僕を胸に抱き、無言で抱きしめてくれた。自分を変えてくれる女性に出会った、と確信し神に感謝を捧げた。
これで前途が開けるーー何の根拠もないがその当時の僕はそうと信じて疑わなかった。
だが世間はそう甘くはなかった。
絵に没頭する僕をサンは献身的に支えてくれた。生活費の全てをサンに頼り、僕は思うまま、感じるままに筆をとりつづけた。生活は厳しかったが絵を描く道具を切らしたことはなかった。サンが色々な部分を削り、僕に道具を届けてくれた。僕はそれを受け取り描き続けた。
だが全く売れなかった。
そして時間は僕とサンを蝕んだ。
「大丈夫、次があるよ」
サンは毎回励ましてくれた。
「私はワードの才能を信じてる」
サンが背中を押す。
「私が働くから、ワードは思う存分絵を描いて」
僕は良い彼女を持った。
「私も絵を売るよ。明日は休みだし、そこの通りで売ってみる」
…………。
「ごめん、今日は売れなかった。私の声が良くなかったのかも」
……やめてくれ。
「えっ、私のご飯がないって? 大丈夫、ダイエット中だから気にしないで」
もうやめてくれ。
「すみません、支払いはもう少し待って下さい。明日には絵が売れてーー。ワードの絵が売れる訳無い? お前は騙されてるんだ? あんたに何がわかんのよ! ワードがどんなに努力してきたのか。寝る間も惜しんで絵にかけてきたのか。そんなことも知らないあんたにとやかく言われる筋合いはないわよ!」
憎い。サンを苦しめる僕が憎い。サンを束縛している僕が憎い。
「ごめん、お父さんに事情を話してお金を借りたの。すぐに返すから」
僕が働けばーー、喉元まで出かかったその言葉を何とか飲み込む。そんなことを言ったらサンの頑張りさえ無駄になる。
「ごめん、お父さんがこれ以上金を貸すなら条件があるって。婿養子をもらって早く孫を見せろって」
僕の甲斐性がないばっかりに。
「でも私言ったの。ワード以外の男を愛せない。もし勝手に相手を決めたら死んでやるって」
僕のせいでサンの家族関係にまで亀裂がはしっている。
「ワード、最近絵を描いてないようだけど」
もう限界だった。僕が絵を描くことがサンを苦しめる。もうサンの疲れた笑顔は見たくない。きっぱりと絵を捨てて働こう。
ーーそう言いかけた。
だがサンの言葉が一瞬早かった。
「そういう時は気分転換が大事よ。今月は余裕があるし、虹色居酒屋に行きましょう。もう随分行ってないもんね。私とワードの思い出の場所」
「……うん、行こう」
久しぶりに虹色居酒屋の料理を味わってから決断を下そう。
サンを僕のわがままから解放しよう。
虹色居酒屋から少し離れた場所で僕はサンを待っていた。「忘れ物をしたからちょっと待ってて」とサンはどこかへ行ってしまった。
そんな時、何か争う音が聞こえ、怒鳴り声がした。
喧嘩かな、と思っていると虹色居酒屋の前の行列で1人の男と司祭が言い争っていた。
その男は兵士であり司祭に逆らっていた。
この世界では司祭は大きな力を持ち、背教者と断定されたらロクな職にもつけない。そんな相手によく反抗できるな、と僕は感心した。
兵士が形勢不利になった時に、もう1人が参戦した。
僕はあっと仰け反った。その人はまさかまさかのユング陛下だった。肖像画が至る所に飾ってある超超有名人で英雄だ。庶民の憧れの人物である。
陛下は司祭をやりこめ、争いを仲裁した。
流石陛下、僕のような路傍の石とは違いますな。
その後陛下が司祭に説教している様子を遠巻きに眺めていると、ぞろぞろと5人程の客が虹色居酒屋から出てきた。順番的に陛下の番なのだが中々陛下が入らない。「お次のお客様ドーゾ」の声が聞こえているはずなのに、と不思議に思った。
だがスグに疑問は氷塊した。
陛下は先着順という虹色居酒屋のルールを守っていたにすぎない。
陛下の前に灰色の猫がいた。名前は「クロ」でマリーちゃんが可愛がっている猫だ。僕も何度か見たことがある。その猫が行儀よく行列に並んでいたから、入店しなかった。
ただそれだけのことだった。
だが僕は雷が落ちたかのような衝撃を受けた。
陛下はルールを守っただけ。先着順に従っただけである。しかしそれは権威という衣を着た司祭とは全く違い、決して驕ることのない陛下の素晴らしさ、謙虚さが表現されていた。
その対比が僕に天啓をもたらした。
英雄と呼ばれる陛下が猫に順番を譲る。美しくて暖かく優しい風景。降り散る雪や眩い光を放つ虹色居酒屋がそれを色鮮やかに際立たせている。
これだ、と一瞬で絵の完成図が頭の中に浮かんだ。
この陛下が猫の後ろで順番を待つシーンを切り取れば良いんだ。
それは僕のように見る者に感動を与えるに違いない。
ピンっときた僕は遅れてきたサンに事情を話し、虹色居酒屋に行かずに家へと取って返した。
「イキイキとしたワードを見るのは久しぶり」
そう言ってサンは僕のワガママを許してくれた。本当に僕には勿体無い女性だ。
それから冒頭の部分に戻る。
サンに最後の作品だと宣言した僕は絵に熱中した。寝食を忘れ絵に没頭した。描き続けていると、まるで僕が絵の中に入っているような、僕が絵になっているかのような不思議な感覚にとらわれた。こんなことは初めてだった。
そしてまたたく間に1月が過ぎて、絵は完成した。
雪がちらつく中、虹色居酒屋の前で行列に並び粛々と順番を待っているユング陛下の絵だ。勿論先頭にはクロがいる。躍動感を出すため、クロは肩の毛を舐めている。
我ながら良い出来栄えだ。間違いなく最高傑作だ。
「今回のは特に素晴らしいわ。流石ワードね」
サンのいつも以上の賞賛で今回は大丈夫だ、と安堵した。
さあ、売り込みだ。
それから僕は足を棒にするほど歩き回った。
「うちではいらないねぇ」
「残念ながら買い取りできません」
「ユング陛下の絵? いらないよう。人気の絵があるもん」
「いらん」
「諦めた方が……」
…………。
全ての画商に断られた。
だが、まだ諦めない。これは僕の最後の絵で最高傑作だ。諦められるもんか。
それから手売りを開始した。大通りの一画に陣取り、来る日も来る日も通行人に声をかけ売り込んだ。
だが売れなかった。仕事が休みの日、サンも手伝ってくれたが売れなかった。
僕の人生を賭した絵は都民に全く受け入れられなかった。
手売りを開始して1月。誰も僕の絵に興味すら示さなかった。
つまり……僕の夢は……ここで終わりだ。
◇
ワードとサンは虹色居酒屋に来ていた。
人生の転機はいつも虹色居酒屋で起こった。
そのため画家を諦めるという一大決心も虹色居酒屋で下そう、という考えから虹色居酒屋に赴いた。
明くる日、ワードはサンの実家に頭を下げに行く予定である。これまでの経緯を説明し、迷惑をかけたことを謝り、稼業を継ぐ。そう決めてここに来ていた。
「ワード、お酒は?」
「今日は……いいや。明日は大事な日だから」
「そう……ね。そうした方がいいわ。大丈夫よ。お父さんはワードを気に入るわ。私が保証する」
「だと良いけど」
2人はいつも通り湯豆腐をつつきながら語り合った。
湯豆腐はその味もさることながら、コスパの良いつまみである。湯豆腐1欠片をとり、ポン酢に浸し、割って食べる。そうすれば湯豆腐だけで長々と酒が飲める。
貧乏な彼らはいつも湯豆腐を頼んだ。
「ワードさん、元気がないですね」
マリーがワードを気遣う。酒を呑み絵について意気揚々と語るワードも、サンとお酒を酌み交わし優しく笑うワードもそこにはいなかった。ワードは弱々しく笑い終始俯いていた。
「ああ、マリーちゃん。悪いねぇしんみりしちゃって」
「何かあったんですか?」
「ちょっとね。色々と……そうだ、マリーちゃん、これもらってくれないか?」
ワードは持ってきた最高傑作をマリーにプレゼントした。
「わっキレイな絵。これはユンおじいちゃん? クロ? それに、にじい……ケンとシズクの居酒屋?」
「ああ、勝手に描いてすまなかったね」
「いえっ、大丈夫ですけど、もらって良いんですか? こんなに凄い絵なのに」
「ああ、僕は画家をやめるから。最後の絵をお世話になっているマリーちゃんにもらって欲しいんだ」
「やめちゃうんですか? 大画家になる夢はどうするんですか?」
「もうちょっと身の丈にあった夢にするよ。実はサンの家が材木店でね。僕はその後を継ごうと思うんだ」
「そう……ですか。残念です」
「僕の遺作を大事にしてくれよ」
「そう言われると緊張しちゃいます」
マリーは絵を受け取った。
ケンはマリーの頭を下げワードに丁寧にお礼を言った。
湯豆腐を完食したワードは帰っていった。
そしてマリーが食事をする20時頃にユングが来店した。今回は1人である。
「ユンおじいちゃん」
「おっマリーちゃん、今日も可愛いね。賄いかい? なら儂の膝の上でお食べ」
ユング陛下もマリーの笑顔を楽しみにしている1人である。
「うん、ありがとう」
マリーは賄いを持って、ユングの膝にのる。ユングは熱燗と湯豆腐を注文しており、マリーが膝にのった頃には熱燗をお猪口に注ぎ、湯豆腐を口に含んでいた。
「湯豆腐好きなの?」
「好きだよ。これと熱燗があれば冬は何もいらないねぇ」
「ユンおじいちゃんもか。ワードさんと一緒だね」
「ワードって人も湯豆腐が好きなのか?」
「うん、いっつも湯豆腐食べているんだよ。でもーー」
マリーが悲しそうな表情になる。
「どうしたんだい?」
「今日はあまり美味しそうじゃなかった」
「何かあったのかい?」
ユングが熱燗をお猪口に注ぎ口に含む。
「実はワードさんって画家さんなんだけど、やめて違う仕事につくんだって」
「そりゃまたどうして?」
「絵が売れないんだって」
「ふむ、そうか。絵は実力の世界だから、力のない者がいなくなるのは仕方ないことだ」
ユングがポン酢につけた湯豆腐を口に入れる。ホッホッと息を吐く。
「でもね、すっごく上手いんだよ。あれでダメなんだから絵の世界ってすごいね」
「そんなにかね。一度見てみたいもんだ」
「あっ、そういえばワードさんから絵もらったんだ。ユンおじいちゃんの絵」
「儂のか?」
熱燗を口に含む。
「うん。キレイな絵。見てみる?」
「お願いできるかな?」
「勿論」
マリーは2階に駆け上がり、プレゼントされたばかりの絵を持ってくる。
ユングは大した期待もせず待っていた。マリーはまだ幼い。絵の良し悪しがわかる目など育ってないだろう、廃業する人物の絵が上手いはずがない、と高をくくっていた。
マリーが大きな絵を反対向きで持ってきた。
「これよ。私はいい絵だと思うんだけど……」
マリーがその絵の向きを変えた瞬間、ユングの動きが止まった。
呼吸さえも忘れた。
カラン。
手の中から滑り落ちたお猪口が床に落ちた。
「おじいちゃん、落としたよ」
注意するマリーの声はユングの耳に入らなかった。
全神経、全細胞が絵に向かっていた。隅から隅まで絵画を見続けた。忙しなく動き、疲れたから1休みするかのように黒目が止まった時、バンッ、ユングはマリーの肩を叩いた。
「いたっ」
「こ、これを描いた者は?」
ユングが堰を切ったように喋り出した。
「痛いよ。おじいちゃん」
「これを描いた者は誰なのだ?」
「ワードさんのこと?」
「ワードはどこにいるのだ?」
「もう帰っちゃった。家は知らないよ」
「誰か知らぬか?」
ユングは店内にいた客に手当たりしだいに聞きまわったが、誰もワードの住処を知らなかった。
「ケンさん、そなたは?」
「知らんなぁ。ただサンと同居しているはずだ。そんな話をしていたのを覚えている」
「サンとは誰だ?」
「ワードの彼女」
「そのサンの家は?」
「知らんよ。どうしてそんなに気にするんだい?」
前大将ともあろうユングが、一画家であるワードへこれほどまでに興味を持つ意味がケンにはわからなかった。
「儂は、儂はこの男、ワードに会わねばならん。会って言わねばならんことがある」
「なるほど。確か明日サンの実家に行くって言ってたな。ええと材木店の……名前は……」
「名前は?」
「すまん。覚えてない」
「……そうか」ユングは肩を落とした。
「役所ならサンの家も実家も知っているんじゃないか?」
「確かに! 儂は耄碌しておった」
ユングは大急ぎで退店した。
「あっ、お代……」ポツリとケンが言った頃にはユングの姿は影も形もなかった。
◇
僕は今役所の一室で監禁されている。早朝に役人がサンの家に来て僕を連行した。有無を言わさず連行されたが、その理由を知って僕は青ざめた。
「ユング陛下がお怒りだ」
役人からそう聞かされると、絵のことだ、とすぐにピンときた。あの絵を知ったから僕を呼び出したのだろう。勝手にモデルにされたこと、自分を描いた絵が売れなかったことなど怒る理由は多々考えられる。
軽率にマリーちゃんへとプレゼントした昨日の自分を呪いたくなった。
良く考えればユング陛下は虹色居酒屋の客だ。僕の絵にはそれがありありと描かれている。なのに僕はその絵を虹色居酒屋の一人娘にプレゼントした。当然マリーちゃんはお客として来る陛下にそれをみせたことだろう。あの年頃の子供がプレゼントを見せびらかすことは容易に想像できる。そして陛下はその絵を見て怒ったのだ。
筋違いだが僕はマリーちゃんを恨んだ。
本来なら今頃はサンの父親に頭を下げて謝罪している時間だろう。それも緊張するが、今とは比較にならない。僕は今から英雄に罵倒されるのだから。
「おおっ、すまんな呼び出して」15時過ぎに陛下が扉を開けてやってきた。
「はっ、とんでもありません」
瞬時に膝をつく。僕は必死で平静を装ったが震えが止まらなかった。立ち上がって逃げてしまいたかった。陛下の声は穏やかだが、内心は腸が煮えくり返る程怒っているのだろう。6時間待たされたことに抗議する余裕など全く無かった。
「実はそなたの絵のことでな」
やはり、それか。
「はっ。お伺いもたてず陛下をモデルにしたことは深くお詫びをーー」
「儂が怒っているのはそんな所ではない」怒気を含んだ声を陛下が放つ。
「申し訳ありません」ブワッと大量の汗が出た。
「ふむ、ひとまず虹色居酒屋へと向かおう。話はそこで、だ」
「はっ。……しかし時間がーー」
虹色居酒屋の開店時間は17時。まだ1時間以上先だ。
「問題ない。ケンさんに頼み、開店前の店に入れてもらえることになった。付いてまいれ」
「ははっ」
僕は処刑台に登る気分で陛下の後を付いて行った。
◇
「邪魔するよ」
陛下はガラッと扉を開け虹色居酒屋に入店した。僕も後を追う。
店内には仕込みをしているケンさんとシズクさん、拭き掃除をしているマリーちゃん、消耗品の補充をしているシキさんがいた。
シキさんとは知り合いだ。ケシ商会のトップに上り詰める前に虹色居酒屋でアルバイトしていた時から知り合いだ。
「精が出るね」
「あっ、ユンおじいちゃん」
トコトコと駆け寄ってきたマリーちゃんを陛下が抱き上げる。
「シキくんもいたか」
「おおきに。なんかオモロイ事あるって聞いて飛んできたわ。邪魔せんから」
「バイトではないのか?」
「今日は遊びや」
シキの答えに頷いた陛下は腕の中のマリーを見る。
「また来ちゃった。実は絵を見せて欲しくてね」
「うん。持ってきてる。これだよね?」
マリーは厨房から絵を持ってきた。それは間違いなく僕の描いた絵だった。
「そう、これ、これ。ワード、そなたの絵で間違いないか?」
「ははっ」
片膝をつき、頭を下げて答える。何を言われるんだろうか? 死刑宣告でもされるのだろうか?
「そうか。なら儂の不満を伝える。心して聞け」
陛下は絵を僕に向けて話し始める。
「ははっ」
「まずこの紙の材質はなんだ? 街で売られてるような安物ではないか? 何故高級品を使わん?」
?
「次に色。これもまた安物だろう。高級品はもっと鮮やかな色をしている。クロの灰色も扉の茶色も、もっとキレイに表現できるだろう」
?
僕が買える範囲の高級品を使ったが、確かにもっと上の品はある。
「次に儂の表情。何故こんな仏頂面なのだ? ここは虹色居酒屋……もといケンとシズクの居酒屋だぞ。沸き立つような、これからの酒に思いを馳せているかのような顔をしているべきだ」
?
ケンさんから睨まれた陛下が居酒屋名を言い直した。
いったい陛下は何を言おうとしているのだろう?
不満の方向性が想定していたのと全く違う。
僕は少し頭をあげた。
「次に態勢。儂の服には、ほれ、この通り勲章が左胸にある。これは戦場で散った盟友や部下、名もない人々の血と命でできておる。たまたま儂がもらっただけで、戦死者も同等の功がある。だから儂はいつもつけておるのだ。残念ながら歴史に残らない人々の思いを儂が背負っていることを示すために。なのになんだこれは? 勲章が見えないではないか。儂が真正面を見ているせいだ。態勢はこう、膝を開いて半開きになって勲章をきっちりと描かんか」
?
陛下の声がだんだんと大きくなってきた。
「次に勲章そのものだ。形も場所も間違えている。おまけに先日もらった勲章がかかれていない。大方儂の肖像画を参考にして描いたのだろうが、あれからは年月が経っておる。しっかりとリアリティを追求せんか」
?
僕はまた少し頭をあげた。
最初は陛下のつま先に目線があったが、今では陛下の胸元辺りにある。
「次に周囲の人物だ。こやつらは呑み友達じゃ。中には一兵士として退役した奴もいるが、そんなのは関係ない。ちゃんと顔を描写しろ。手抜きをするんじゃない!」
「申し訳ありません」
確かにそこは想像で描いた。陛下のインパクトが強すぎてお連れの人々の顔を確認する余裕がなかった。
「次にクロ。こいつはこんな毛並みじゃないし、尻尾ももう少し長い。いいか、細部を疎かにしては全てがダメになる。猫1匹といえども全身全霊をかけて描くのだ」
「はっ」
陛下はどんな目的で僕の絵にダメ出しをしているのだろうか?
僕はまた頭をあげ、陛下の顔を直視した。
「次に……ケンとシズクの居酒屋の外観。看板の文字や引き戸の形、大きさ。これはそこそこ似てるが完璧とは言えん」
「はっ」
「最後に、これは儂の提案なのだが、この扉をガラッと開けてマリーちゃんが出てくる瞬間を描くのはどうだ? 勿論目線はクロで満面の笑顔をしている瞬間だ。躍動感があってグッと良くなると思うぞ」
「はっ」
最後にアドバイス? 本当に陛下の意図がわからない。
だが陛下は優しい顔をしていた。これまでの言動から考えても、少なくとも死刑になるようなことはなさそうで、ホッと息をつく。
「ユンおじいちゃん」マリーちゃんが陛下の腰の辺りを叩く。
「なんだい?」
「お話難しくてわかんない。おじいちゃんは何の話をしているの」
「儂の遺影を描いてもらおうという話だ。それなのにこんなペラペラの紙に汚い色を使いよって」
!?!?!?
「汚いって私の絵だよ。ユンおじいちゃん」
「はっ? 陛下、まことですか?」
心臓がドクンっと鳴った。陛下の言葉が信じられなかった。マリーちゃんが何か言ったが、僕に耳には全く届いてなかった。
「おやっ、言ってなかったか?」
「存じあげておりません」
陛下の言が事実だとすれば僕の絵を気に入ってくれたことになる。
それは……つまり……画家を続けれるのか?
「それはすまん。気が急いてしまった。儂はなぁ、この絵を見た瞬間に気に入ってしまったのだよ。身体に電流がはしった。素晴らしい作品だ。今の遺影より何十倍も優れておる」
「ま、ま、まことですか?」
ドクン、ドクン。
鼓動が早くなる。息が苦しい。展開に心臓が追いついていない。身体が震える。
「嘘などつかん」
「はっ、これはご無礼を」
遺影を描くとなれば大役。
少なくとも200万アンジュは下らない。一般的な絵の相場は100万アンジュ以下だが、遺影ともなるとその額は跳ね上がる。
しかも陛下に認められたとなれば、今までケンモホロロだった画商も掌を返すだろう。
僕は落ち着くためにフーっと息を吐き、頬をつねる。間違いなく感触があり痛みを感じる。夢ではない。
やったぞ、サン。陛下に認められた。僕はこれで画家を続けられるーーと雲にも登る気持ちだったが、更なる衝撃が僕を襲う。
「遺影って何?」マリーちゃんが首を傾げる。
「儂が死んだ後に残す絵さ」
「……えっ、ユンおじいちゃん……死んぢゃうの? やだよ、やだよ。おじいぢゃん、じんじゃやだよ」マリーちゃんが大粒の涙を流す。
「ええーん、ええーん」
「ああ、ごめん、ごめん。そういう意味じゃないんだ。儂はまだ死なんよ」
陛下が必死でマリーちゃんをなだめようとする。
「ぼんどに?」
「ああ、約束する」
陛下がマリーちゃんを抱きかかる。マリーちゃんが腕の中でワンワンと泣く。
陛下の意識がマリーちゃんへと集中した瞬間に「聞け」とシキさんが僕の肩を叩いた。
「ええか。あんたがユンおっちゃんの絵を描くってなったら、そらエライことやで」
「ええ」
「あんたも金欲しいやろ? サンを楽にさせたいやろ?」
「勿論です」
金の工面に苦労しているサンの姿がまぶたに浮かぶ。
「ほな、こっからの交渉は全部ウチに任しとき。あんたに有利な条件勝ち取ったるわ」
「……お願いします」
豪腕でならしたシキさんに任せた方が良い。僕は絵を描くだけで交渉なんて専門外だ。餅は餅屋だ。
「良い条件勝ち取ったら、ほんの少しお礼貰うで」
「お礼とは?」
「気にせんとき。些細なことや」
「わかりました」
シキさんは嘘をつくような人物ではない。僕はシキさんに全てを任せた。
「任しとき。おっちゃん、ユンおっちゃん」
「なんだね?」
なんとかマリーちゃんを泣きやませた陛下がこちらを向く。
「ワードは新進気鋭の若手画家なんよ。ウチはワードの代理人や。おっちゃんのお願いとあってもおいそれと頷く訳にはいかんなぁ」
「ふむ、知らなんだ。だが儂はワードに遺影を描いて欲しい。どうすれば良い?」
「その前におっちゃん、絵描かせるのになんぼ必要か知っとりまっか?」
「いや知らん。儂の肖像画は叙勲時に渡されたモノで、国費で払われたからいくらかかったかは知らん」
「1枚1000万アンジュでっせ」
!!!
そんな訳ない。相場の5倍、ないし10倍だ。商人特有のふっかけ、というモノだろうが、相手はユング陛下だ。皇族にして英雄。この国の頂点に近いお方だ。
僕はシキさんの度胸に呆れかえった。
「そんなものか」
!!!
陛下はあっさりと了承した。
住む世界が違う。
「でもなぁ、問題があってな」
「なんだ?」
「おっちゃんはマリーちゃんが出てくる絵が欲しいんやろ?」
「そうだ」
「でも遺影にマリーちゃんがいるってどないや? 呑み友達は問題ないとしても、マリーちゃんはまだ子供やで」
「むっ、確かに。マリーちゃんに失礼だな」
「でもマリーちゃんがガラッと扉を開けて顔出す絵もええよな」
「ああ」
陛下の言う通りにマリーちゃんが扉を開けて出てくる絵は躍動感があり、僕が描いた絵よりもずっと良いかもしれない。
「なら2枚描いてもらうのはどうや? 1枚は遺影用のマリーちゃんなし。もう1枚は鑑賞用のマリーちゃんあり」
「素晴らしい。それは良い考えだ。倍の2000万アンジュだそう」
!!!!!!
もう驚きすぎて心臓が持たない。
「毎度あり。……おっちゃん、さっきその絵のこと汚いって言ったの覚えてはる?」
「むっ、そんなこと言ったか?」
「確かに言ったよな。マリーちゃん?」
「うん、聞いた。ヒドイよ、ユンおじいちゃん。私の大切な絵を」
「すまん、すまん。悪気はなかった。許してくれないか?」
「ブー」
マリーちゃんはそっぽを向く。陛下が焦る。陛下はマリーちゃんをなでるが機嫌をなおす様子はない。
「自分が死ぬってマリーちゃんに誤解させたやん。マリーちゃん、めっちゃ怖かったよな?」
「うん。おじいちゃんが死ぬなんてやだ。そんなこと言ったおじいちゃんなんて嫌い」
「おいおい、嫌わないでくれ。マリーちゃんに嫌われるのは困る。どうすれば良い?」
陛下が助けを求めるようにシキさんを見る。
「マリーちゃん、おっちゃんがお詫びにその絵のもっと色鮮やかでマリーちゃんもでるモノをプレゼントしてくれるって」
「ほんと?」
パッとマリーちゃんが笑顔になり、陛下を見る。陛下の笑顔が少し引きつる。
「……ああ、ホントだよ。これで機嫌をなおしてくれたか?」
「うん、ユンおじいちゃん、大好き」マリーちゃんが陛下に抱きつく。
「良かった、良かった。何やらシキくんにハメられた気がするが……」
「おおきに、おっちゃん、3枚の注文ですな。まとめて購入ですのでお安くしときます。画材などは?」
陛下の流し見を無視してシキさんが続ける。
「儂が用意する」
「なら3枚で2500万アンジュにしときますわ」
…………。
もう良くわからない。
僕の頭ごなしに絵を3枚描くことが決まってしまったが、全く嫌な気持ちにはならなかった。
「それでお願いする。ただし儂や呑み仲間の顔や勲章は、はっきりと描くように。勿論取材はいつでも受ける。ワードとシキくんはいつでも我が家を訪れて良い」
「おおきに」シキさんと陛下は握手する。
「ほらっ、ワードさん、握手」
言われるまま僕も手を出し陛下と握手する。大きくてゴツゴツした手だった。幾多の戦場をくぐり抜けた英雄の手。手汗が出ないか心配だった。
「よろしく頼む」陛下はほんの少し頭を下げた。
「は、は、はいっ」僕は返事しかできなかった。
「では儂は失礼する」
「後日正式な書類を持って行きますわ」
「待っている」
「ユングさん」厨房からケンさんが声をかける。
「なんだ、ケンさん?」
「昨日のお代がーー」
「払ってなかったか? ああ、そうだ。一刻も早くワードを探しだしたくて飛び出たんだったな。すまない。おいくらだ?」
「湯豆腐と熱燗でちょうど1000アンジュです」
「湯ドウフ?」
陛下も湯豆腐を食べていたのか?
「おお、そういえばワードも湯ドウフが好きなのだったな。あれは良い。コンブという海藻のダシの出たお湯でトウフを煮るだけの料理だが、付け合せのポン酢につけて食べると最高のつまみになる。熱々のトウフが口に中でほどけていって、大豆の旨味が味わえる。そこに熱燗をクイッと流しこめば、身体の芯から温まる。冬の醍醐味だな。ワードもそうなのだろう?」
「……ええ、陛下の仰る通りです。毎回湯ドウフを注文します」
その理由は味以上にコスパなのだが、ここでは伏せておこう。
「そうか、そうか。儂らは気が合うかもしれん」
ニカッと笑った陛下はケンさんに1000アンジュを払って去っていった。
「毎度あり」
陛下の後ろ姿を見送った僕は再度深く息を吐いた。
僕の人生に転機が訪れた。
虹色居酒屋でサンに出会わなかったら、あの日虹色居酒屋に来なかったら、僕の絵をマリーちゃんにプレゼントしなかったら、こんな事にはならなかった。僕は虹色居酒屋へと深い感謝を捧げた。
「ワードさん」シキさんが僕を呼ぶ。
そうだった。僕が感謝すべき相手がもう1人いた。シキさんがいなければこれほどの報酬を頂けることはなかっただろう。2500万アンジュなんて庶民の10年分の年収より多い。それを口先八寸で獲得した商売人であるシキさんにも感謝しなければならない。
「シキさん、ありがとうございます」僕は頭を下げる。
「ウチは仕事としてやったんやから、感謝せんでもええよ。時にワードさん、ウチが言ったこと覚えてる?」
「勿論です。何かお願い事を聞けば良いんですよね? 何でも言って下さい」
「おおきに。願いというのは他でもない、ウチのケシ商会と専属契約を結んで欲しいんや」
「専属契約?」
それだけで良いのか?
売買代金の2割程度はシキさんの取り分でもおかしくないのだが……。
「ウチもそろそろ他の商売に手を出そうかって時期で、ワードさんの話は渡りに船やった。絵の世界に殴りこみやで」
「はぁ」
「そんで手始めに画家の囲い込みをしようと思っとって。どや? ウチの専属になってくれんか?」
「ええ、ありがたい話です。僕の絵を全く評価してくれなかった既存の画商には恩はありません。僕の方からもお願いします」
「ほな、行こか」
「どこへですか?」
「決まっとるやん。ウチの商会に行って契約書を交わして、サンに見せつけ、サンの親御さんを説き伏せる。こういうのは早い方がええ。ウチも証人として顔だすで」
「確かに。行きましょう。サンが不安になっているかもしれない」
良く考えたら陛下の呼び出しで今朝家を飛び出してきてからサンとは会っていない。サンは僕を心配しているだろう。早く会って安心させてやりたい。
「マリーちゃん、すまないけど昨日あげた絵をちょっと貸してくれないか?」
僕はマリーちゃんにお願いする。サンの親の説得のために実物を持って行きたかった。
「お気に入りだからちゃんと返してね」
マリーちゃんは素直に渡してくれた。
本当にマリーちゃんは良い子だ。恨んですまない、と僕は心中で頭を下げた。
「ほなな」「お邪魔しました」
僕とシキさんは虹色居酒屋を出た。
それから物事はトントン拍子で進んだ。
僕が画家を続けられることを誰よりも喜んでくれたのはサンだった。サンは僕が話し始めると途中で泣き出した。「良かったね〜。良かったね〜」と鼻声で話すサンはとても愛おしく、僕はキツく抱きしめた。
「熱いね〜、熱いね〜」
シキさんが囃し立てた。そんな煽りさえ僕には嬉しかった。
サンの親父さんにも会った。頭を下げて「画家を続けられることになりました」と伝えたら、全く怒らずに「そうか」とだけ言われた。その後シキさんの仲介もあり、僕とサンはめでたく婚約することができた。
「絵が完成したら結婚式をやろう。孫に家を継いでもらえばいい」
「お父さん……」
サンが涙ぐむ。
「サン、お前にヒドイこと言ってすまなかった。お前が悪い男に騙されてるんじゃないかと、気が気じゃなかったんだ。だがお前の目は正しかったようだ。まさかあの陛下の遺影を……こんな素晴らしい絵を描くような男を夫にしようとは。俺も鼻が高いぞ」
「当然よ。私は材木店の娘。どれが良い木材かなんてスグにわかるわ」
「おいおい、僕は木材じゃないぞ」
「木は年月を経る毎に成長し、太く逞しくなっていく。人間も同じじゃない」
「そうだけど……。ありがとう、サン。僕は君の水や肥料のおかげで立派に育ったよ」
「これから恩返ししてもらうんだから。苦労したんだからうんと楽させてね」
「一生かけて恩返しするよ」僕はサンを抱きしめた。
「お2人さん、ラブラブなのはかまへんけど、親父さんいまっせ」
「「はっ!?」」
忘れていた。
親父さんに目を向けると柔らかく笑った。
「ちゃんと若木も育てるんだぞ、サン、ワード君」
「はいっ」
「もう、お父さんたら、気が早いわ」
僕らは笑いあった。
僕の前途を閉ざしていた暗暗たる幕は消えた。
目の前にあるのは虹色居酒屋のようにキラキラしている未来である。
◇
「ユンおっちゃん。絵の題名はどうするんや?」
「それはもう決めてある。この絵の主役は儂ではない。だから儂の名前を題名にしない」
「ふんふん」
「主役を題名にしよう。それがこの素晴らしい絵に相応しい」
◇
運命の転機は虹色居酒屋にあった。
後年大画家となったワードはそう述懐する。その傍らには微笑むサンと材木店の店長に就任した若木がいた。
若木の名前はクロ。
人生を切り開いてくれた恩猫からとった名前である。
「今では至る所にワードさんの絵が飾られていますが、最高傑作はなんですか?」という雑誌の取材にワードはこう答えた。
「勿論『クロとマリー』です」




