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虹色居酒屋  作者: 大山秀樹
14/15

第14話:爺躍動す(後編)

一週間開きましたので、明日もスレッジの話を投稿します。


「後何人じゃ?」

「ジジ様、本当にすみません」

「そういうのは良いから、後何人じゃ?」

 赤ら顔の爺が陽気に聞く。ニホン酒をたらふく呑んだ後とあって爺は上機嫌だった。

「はい。後30人です」

 その答えを聞くや爺はすぐさま転移し虹色居酒屋へと戻る。

「後30人じゃ」

「30人……。良し、もう少しだな」

 ケンがぐっしょりと汗で濡れた顔を拭う。

「良しじゃないわよ」

 ケンの空元気にイラっとしたシズクがケンの背中を肩で叩く。

「すまん」

「こんなにおにぎり握ったの初めてよ」

「俺もだよ」

 くすっと2人は笑う。

 爺はそれを気にもせず自分の席に座る。

「ねっ、ねっ、タイムマシンってーー」

「じゃからワシは『たいむましん』というのは知らん」

「ワープだよ。ワープ」

「『わーぷ』も知らん」

「さっき説明したよ」

「忘れたわい」

「む〜。もう1回説明する!」

 爺はマリーの話を肴に旨そうに日本酒を呑んだ。



「終わった」

「終わったわね」

 ヘトヘトになったケンとシズクが背を合わせて床に座る。

「お疲れ様!」

 マリーが2人へ水の入ったコップが載ったお盆を差し出す。

「「ありがとう」」

 2人はなみなみと注がれた水をゴクゴクと飲み干す。冷たい水が火照った身体を癒やす。しかし大量の汗で水分が失われた身体にはコップ1杯の水では足りなかった。

「お代わり持ってくるね」

「ありがとう」

 そんな両親の心情を察しマリーがお盆を差し出す。2人はコップをお盆の上に置いた。気の利く娘をシズクがなでる。

「エヘヘ」褒められて嬉しいマリーはいそいそと水を注ぎに行った。

「ふむ、これじゃな」

 おにぎり2個入りの竹皮が30個、袋に入れてあった。

 竹皮の中には具なしと具ありのおにぎりが1個ずつ。加えて漬物を2切れ程添えてあった。具はツナマヨ、おかか、梅干し、しゃけの4種類であった。

 当初は具なしだけを握っていたのだが、ケンのサービス精神とブルーへの贖罪に加え、単純に米を炊いている間に時間があったせいもあり(爺の相手はマリーに任せた)、具を入れることに決めた。シズクは少々不満顔を見せたが、「仕方ないわね」と言って了承した。

 235人に2個ずつのおにぎり、計470個と、マリーと爺へのおにぎりを合わせると今日だけで472個のおにぎりをケンとシズクで握った。「おにぎり屋ってこんなにキツイんだな」とケンはぼやいた。

 袋を抱えて爺が転移する。これで8回目であった。

「持ってきたぞい」

「毎度毎度すみません」

「ヒョホホ。気にするな。ワシもお主らのおかげで時間も気にせずニホン酒を呑んでられるからのう」

 爺はブルーを気遣ってこんなことを言っているわけではない。爺は本心からそう思っていた。

 ーーまるであの若造がこの店に来る回数を制限する前に戻ったかのようじゃわい。

 爺は昔を思い出しながら、時の移ろいに思いを馳せニホン酒を呑んでいた。久方ぶりのゆっくりとした時間に幸福を感じていた。

「そう言っていただけると助かります。さあオニギリが届きましたよ」

 ブルーが爺へと頭を下げて、おにぎりを老人や中年に配る。

「待ちわびたぜ。やっと食えるぜ」逞しい男が荒々しく紐を取り、握り飯を持つ。

「さあて本当に旨いのやら。私も味見がしたくてしたくて、たまりませんでした」半信半疑の男が品定めするかのようにおにぎりを見据える。

「お父さん、半分ちょうだい」5歳くらいの男の子が父親にねだる。

「お前はさっき食っただろう」

「お腹減ったの」食べ盛りである。

「……ほらよ」優しい父親は具ありの方を半分こにして息子に渡す。

「やったー」男の子はまるで宝物を見つけたかのように、おにぎりを掲げ誇らしげな顔を浮かべる。

 彼らは思い思いにおにぎりにかぶりついた。

「「「旨い!!」」」

 大人たちの声が合わさる。

 おにぎりは子供、老人、女性の順で渡され、働き盛りである大人たちが最後であった。彼らは自分たちより美味しい米があることを聞きながらも農作業を続けた。中にはおにぎりが気にかかり、農作業が中途半端になった者もいた。日が落ちた今になってやっと意中のおにぎりが手元にやってきた。

 農作業中にもおにぎりの評判は村を巡った。批判する者は誰もいなかった。彼らは口々に「僕たちの米より美味しい」と言った。屈託のない笑顔で言う村人も、苦虫を噛み潰したかのような表情で言う村人も、男たちを気遣い控えめな言葉使いの村人もいたが、ただの1人として、おにぎりを悪しざまに言う村人はいなかった。

 我が子が、両親が、妻がみなおにぎりを持ち上げた。舌足らずな子供の言葉に頷き、両親の絶賛で口中に唾が沸き、妻の詳細な味の描写で唾が溢れた。大人たちは一日千秋の思いでおにぎりを待っていた。

「旨い、というか甘いぜ。なんだこれは!」逞しい男が驚く。

「水気もすごい。握りたてなんだしょうが、こんなにもみずみずしい米があるとは。こっちを食べると私たちが育てた米がボソボソと味気ない米に感じてしまいますね」半信半疑の男が自分たちの米を卑下する。

「モチモチと食感も良い。簡単な料理だから尚更米の味がわかる。これは俺達の米より数段上だな」むしゃむしゃと貪り食う我が子をなでながら男が断言する。

「このパリパリと食感の良いノリ。旨いぜ」

「真っ黒な食品なんて良い思い出ありませんが、これは旨いです」

「それにこの具。米に合う。米とノリだけを楽しむのも良いが、この具も旨い」

「うん。ぼくもこのしょっぱいお魚大好き」

 ややくすんだピンク色の物体が顔を覗かせた。

「具入りも食いてぇぜ」逞しい男がまたたく間に1個目のおにぎりを完食し次のおにぎりに手を伸ばす。

 ガブッ、豪快に1口かぶりつく。

「ん? さっきのと変わらないような気がするぜ。旨い米とノリだが……」

「具は真ん中にあるんだよ」

「おおっ、そうかい。……確かに何か色づいた物が見えるぜ」

 赤い色の物体が真っ白の米の中に挟まっていた。男はおにぎりにかぶりついた。

「!!! すっぱ! ペッ!」

 男は酸味を感じおにぎりを吐き出した。唾液まみれの米が地面にぶつかり、ビチャっと嫌な音をたてる。

 酸味は腐っている証拠であり、現代人並に食の安全に気を使っている彼の行動は必然であった。

「あー、それウメボシだよ。美味しいのに」

 父親におにぎりをわけてもらった子供がもったいなことをした逞しい男に抗議する。

「ウメボシ?」

「うん、真っ赤で酸っぱいものはウメボシ。これがまた美味しいんだ」

「お前のはしゃけ、とか言ってなかったか?」

「そうだよ。お父さんとおんなじ。でもスーちゃんと半分こにしたから、ウメボシも食べた」

「ああ、お隣の」

「そうそう」

 活発なお隣の男の子を思い浮かべる。

「この酸っぱいのが食えるって。冗談言うんじゃないぜ」

「食べれるよ。僕も食ったもん。それに米に良く合うんだ。スーちゃんは毎日でも食べたいって言ってた」

「スーはお腹こわしてないのか?」

「うん。さっきまで僕と一緒に遊んでたよ」

「……そうか。……」

 赤い物体の安全は確認できたが、やはり逞しい男は躊躇した。見も知らぬ食品かつ酸っぱい食品を食べるのには相当な抵抗がある。

「恐いなら俺がもらおうか」

 息子が疑われるのが心外だ、とばかりに父親が手を伸ばす。

「食わないなんて言ってないぜ。……良し、良し、食うぜ」

 2度3度唾を飲み込み気合を入れた逞しい男がおにぎりにかぶりつく。

 海苔のパリッとした音が響く。前歯が海苔を裂き、米を断ち、赤い物体へと接近する。

 梅干しの表面の皮を破ると一気に果肉が口中に広がる。あまりの酸っぱさに口をすぼめるが、確かに腐っているような嫌な味はしない。男は徐々に果肉を噛んでいく。

 酸っぱさの中に旨味があり、それが甘い米と交じり合う。酸っぱみと甘みが合わさり丁度いい塩梅になる。

 ああ、2つで1つなんだな、と男は納得する。

 米を飲み込むとおにぎりの間にあった、黄色い漬物が目に入る。

 男はおもむろにそれを口にもっていく。

 ーー大根か。それを甘じょっぱく漬けてあるな。

 農作業をしているだけあって、男は即座になんの植物なのかを言い当てた。ポリポリといい音をたてるタクアンはおにぎりに欠けている歯ごたえを補い、更にその甘じょっぱさはおにぎりを進ませる原因になった。

 男は無心になって漬物とおにぎりにかぶりつき完食した。

 逞しい男が満足気な表情を浮かべ一息をついた。

「このウメボシってやつは旨いぜ」

「でしょう?」

 男の子がしたり顔になる。

「ウメを漬けているようだぜ。俺達にも作れる気がするぜ」

「早速明日にでも実験してみましょう」

 半信半疑だった男もすっかりとおにぎりに魅了されており、早速米の改良と具の実験にとりかかるつもりであった。

「それにこの容器。持ち運びやすく、食べやすい。これが筍の皮だとはにわかには信じられません」半信半疑な男はおにぎりがのっていた竹皮をまじまじと見る。

「このひももチクヒという筍の皮でできているらしいぞ」

 男たちがおにぎりの入った容器を思い思いに眺める。

 焦げ茶色と黄土色のまだら模様のそれは一見すると不気味に見えるが、その上におにぎりを置くと嘘のように米の白が映える。凛と立つ米粒の宝玉のような輝きは彼らを魅了した。男たちの輪の中央にあるその容器はまるで天から下賜されたものであるかのようだった。

「どうやって作るのか。俺も作りたいぜ」逞しい男が太い腕を組み考える。

「なんでも水で洗って干して、その繰り返しらしい」

「随分と手間がかかりますね」

「だが何回でも使えるそうだ。これがあればいちいち村に帰って飯を食う必要がなくなる」

「村と畑、結構距離ありますからね」

 男たちは笑いあった。


 ガヤガヤと至る所で同じような議論が起こっていた。

 彼らは試行錯誤しながら未知なる食物である米を改良してきた。元々米を作っていた者たちやブルーがその音頭を取っていたが、個々人も日々試行錯誤を重ね、水やりの頻度から肥料の量、栽培地域、雑草の除去などなど逐一記録をとっていた。彼らは週一回全員で集まり、改良点を話し合う。当初は元々米を作っていた者たちの意見が支配的だったが、後発組である彼らも会議を重ねるに連れて徐々に発言権を増していった。後発組の方が土地に精通しているという点もあり、意見が軽視されることはなかった。彼らは時に意見を違えながらもグループとしてまとまり、そのパワーの全てを米作りに注いだ。

 そんな膨大な努力で皇都で出回るほどの米ができたのである。

 決して知識人とは言えない彼らだが米作りにプライドを持ち、米をダッカ皇国に広げるためにこの容器の製造が必須であることを理解していた。

 米作り前に猟師や林業を生業にしていた者たちが集まり明朝山に入ることが決定した。

「ブルーさん、俺達は明朝山に入ろうかと思います」そのグループのリーダー的存在がブルーへと報告にいく。

「お願いします」ブルーは丁寧に頭を下げる。彼は誰に対しても低姿勢で接する。商会の丁稚だった頃に学んだ処世術である。

「チクヒにはサッキン効果もあるらしいです」

「サッキン効果?」

「ええ。キンを殺す効果です。キンというのは傷口などがただれる原因になる物体です。見えないほど小さいのですが、このチクヒがそのキンを殺してくれるそうです」

 ブルーはケンの手紙でわからなかった言葉を爺に聞いた。爺もわからなかったが、おにぎりを届ける際にケンの回答をブルーへ伝えた。

 ブルーがわからなかったのは「サッキン」と「ノリを作る原料になる海藻」である。

 ケンは自分の思慮不足を詫び、それらを説明するために2階へ行きパソコンと向きあった。「殺菌」については自分の言葉でも表現できるかもしれないが、「海苔の原料になる海藻」については門外漢である。慣れた手つきでキーボードを叩き、3分後には海苔の元となる海藻が描かれたページをプリントアウトしていた。

「良し、後はこれを持っていけば……」と下に降りようとした時、ケンははたと足を止めた。そして自分の不出来な頭を小突いた。

 そのページは日本語で描かれており、ブルーが読めるはずないことに気付いたからである。おまけにそのページは現代の海苔の養殖方法であり、とてもじゃないが海苔の存在しないこの世界にはそぐわない。

 ケンは即座に「海苔」「江戸時代」とパソコンに入力した。「江戸時代」と指定したのは特に知識があったわけではない。文化レベルを鑑みると大体そのくらいかなーと当たりをつけたにすぎない。

 だがケンの予想は的中した。海苔の養殖が始まったのは江戸時代からであり、それ以前は流木や岩に張り付いていた海苔を剥がして食べていたという衝撃の事実が画面には映しだされていた。

「もっと前からあるかと思っていた」ケンは呟き、しばし呆然としていた。だが「あんたー、何してんのよー」と階下からのシズクの声でハッと我に返り、「もう少しかかる」と叫んでから作業に戻った。

 プリントアウトしたページを紙とペンを用意し翻訳した。流木や岩に張り付いていることがあること、海に支柱を立てれば海苔が付着する可能性があることも書き加えた。更に「殺菌」についてもパソコンで調べ書き込む。5分程で完成し爺へ渡した。シズクに謝ったケンはおにぎり作りを再開した。その紙は爺からブルーへと渡った。

 ブルーはその不可思議な文字とまるで実物としか思えない鮮やかに色付けされた絵の描かれた紙に目を落としている。

「へぇ〜、そいつは便利ですね」

「なんでも腐るスピードを抑える働きがあるらしいです」

「そりゃあますます作らないといけませんね」

 リーダー的存在が仲間に発破をかける。仲間も明朝の筍の皮狩りに気合を入れた。


 その先では海辺に近い所で暮らしていた男たちが集まっていた。

「お前らノリ旨かったよな?」

「はいっ」

「なら作らねーとな」

「はいっ!」

 男たちの返事が徐々に大きくなる。

「あんまり農作業に貢献していない俺たちの出番だよな」

「はいっ!!」

「今までブルーさんたちに散々お世話になってきたんだから、そろそろ恩返ししねーとな」

「はいっ!!!」

「よっしゃ! 明日は海へ行くぞ!」男が腕を天に掲げる。

「はいっ!!!!」つられて男たちも腕を天に掲げた。全員の意志は海苔作りで一致した。

「気合が入ってますね」そこにブルーが来た。

「あっ、ブルーさん。今ノリの材料について聞きに行こうと思ってたところで」

 これ幸いにと男がブルーに尋ねる。

「ええ、私もそれを言いにきました。まずはこれを見て下さい」

 ブルーは爺から受け取った紙を差し出す。

「紙ですか? !!! これ、これをみつければ良いのですか?」

 リーダー的存在が実物としか思えない精巧な絵をみて驚嘆する。

「これは養殖された海苔のようです。実物は海に生えていないようで、まずは海に支柱を立て海苔のタネがつくのを待ち、それが成長したのを乾燥させるしかないようです。何分運任せ、勘任せなので安定的に生産できるのは難しいです。養殖するには繁殖方法などを解明しなければなりません。カキ殻というのを見つければ繁殖が可能なようですが……」

「カキ殻って何ですか?」

 ブルーは紙をめくる。そこには色鮮やかな牡蠣殻があった。

「これです。私は見たことも聞いたこともありません」

「こいつぁ……確か……あっ、知ってます。子供の頃海に潜った時に見ました。食おうとしたんですが、親から腹を壊して死んじまう、って止められたのを覚えてます」

 腹を空かせた子供が海へと潜り牡蠣を生で食べ食中毒で死亡した事件があった。それ以来この地方の人々は決して牡蠣を食おうとしなかった。それどころか「腐り貝」と呼び避けてきた。そのためこの男も牡蠣の存在を今の今まで忘れていた。

「えっ、本当ですか?」

「ええ、間違いありません。場所も覚えてます」

「それでしたら海苔の養殖もスムーズに進むかもしれません。シキさんにご迷惑をかけずに済むかもしれません」思いも掛けずにトントンと進む、竹皮作りと海苔作りにブルーの頬が緩む。

「俺たち明日にはその場所に行ってきます。ついでにその支柱ってやつも立てときます。どんな素材が良いんですかね?」

「試行錯誤しかありません。流木に張り付くこともあるようですから、人まずは木を切り倒して海に立てて見て下さい」

「わかりました」

 男は頭を下げて仲間たちにブルーの言葉を伝える。

 仲間たちは気勢を上げて明日の計画を練った。


 ブルーは元いた場所に戻り爺へお礼を言おうとしたが、爺はすでにいなくなっていた。ブルーへおにぎりを届けた後で即座に爺は転移した。用がない地にいる必要はなく、虹色居酒屋で大好きな日本酒が待っているとすれば、爺にとっては当然の行動であった。

「ケンさん、ジジ様、ありがとうございます。私たちは今以上に精進し、ケンさんへ米を届けられるようになります」

 ブルーが皇都の方角へと頭を下げた。

 その夜ブルーのホワイト商会代表への着任が承認された。竹皮や海苔など新しい産業をエンデンへと持ち込んだ功績で満場一致であった。

 ーー全部ケンさんのおかげだな。いやはや私があの方に恩を返せる日が来るのやら。

 ケンの贖罪の気持ちを知らないブルーはそんなことを思った。

 翌年彼らは大量の米とともに、未成熟な海苔と竹皮を皇都へと持ち込んだ。シキは高値で買い取ってくれた。ブルーはその利益を周囲の村々の救済に使い子供を保護した。

 その子供はブルーに恩を感じ、以後米、海苔、竹皮の発展へと貢献していくことになる。

 全ての歯車が合わさりダッカ皇国での米分野は飛躍的に発展していった。


 ホワイト商会の米が皇都を席巻し、携帯食としてまだら模様の容器に入れられたおにぎりがごく普通の家庭で持たされるようになるのはそう遠くない未来である。

 それらはチクヒ(・・・)弁当として都民に愛されることになる。

 そのチクヒ(・・・)弁当を見て、ケンが微妙な顔をしたのをシキが不審に思い、シズクに事情を聞き笑い転げるのもそう遠くない未来である。



 ブルーへとおにぎりを届けた日から1週間が経った。

「海苔と竹皮の生産は順潮かな―。米ももっと旨くなってるかねー。……気が早いな。そう簡単に旨くはなんねーな。また会うの楽しみだな」

 ケンはうららかな日差しを浴びながら横になり、そんな言葉を呟いた。今日は月曜であり虹色居酒屋の定休日である。月曜は出歩かず気ままに時間を使う。ケン流の息抜きである。

 虹色居酒屋は連日満員御礼であり、最愛の娘に十分に愛情を注げてないことを自覚しているケンは、月曜は家族サービスに当てることにしていた。学校へ行った愛娘が帰ってくるまではシズクと2人でのんびりと過ごす。

 バタバタバタ。

 うたた寝をしていたケンは足音で起きた。時刻は4時過ぎ。

 ガラッと扉が開き「ただいまー」と大声を出してマリーが帰ってきた。弾けるような愛娘の笑顔でケンも満面の笑顔を浮かべる。

「お帰り、マリー」

 ケンが愛娘を抱きしめる。

「お父さん、教えて欲しいことがあるの」

 マリーがケンの抱擁もそこそこに両肩を押し離れる。ケンは物足りなさを覚えるが、愛娘に嫌われたくない一心で不満を押し留めた。

「学校の授業かい?」

「うん」

 マリーが何回も首を縦に振る。

「科目は?」

「国語」

「国語か。お父さんの苦手科目だな」

「得意科目なんてあるの?」

 隣に座っていたシズクがニヤニヤと笑いながらケンをからかう。

「……体育?」ひねり出すようにケンが言った。

「「…………」」ケンのトンチンカンな答えで微妙な空気が流れる。

「それでね」空気をよみマリーが話し始める。

「今日授業で漢字を習ったんだけど、ほらっ、先週、お父さんおにぎりをたくさん作った時に使った……」

「竹皮、チクヒのことかい?」

「そう、それ。植物の竹に、この」マリーが自分の手の甲を掴む。

「皮でチクヒって読むんだよね」

「そうだよ」

 自信満々にケンが言う。

「でもタケちゃんが違うって」

「タケちゃん?」

「マリーの同級生で、いっつもマリーと勉強で張り合っている子」

 シズクがケンをフォローする。

「男か?」

 ケンがシズクに真顔を向ける。

「男の子よ。って男と話しちゃいけない、なんて言うつもりじゃないだろうね」

「いやっ、だがな、マリーは可愛いから。ほらっ、その、間違いがあったら……」

「小学生で何もありゃしないよ」

 シズクが子煩悩なケンを突き飛ばす。

「いやっ、しかしな、最近は物騒なニュースがーー」

「それで、マリー。何があったんだい?」埒が明かないケンを無視してシズクが話を続ける。

「うん、竹っていう漢字を使って単語を作りなさいって授業があって」

「あら、そんな授業があるの? 創造性を育てるとかいうやつね」

「うん。それで私が竹に皮って書いて『チクヒ』って発表したんだ。でもタケチャンが『それはタケカワ(・・・・)って読むんだよ』って言ってきて……」

「えっ?」ケンが素っ頓狂な声をだす。

「でも私はお父さんはチクヒって言ってたって反論したんだ。それから口論になって先生に怒られちゃった」

「喧嘩しちゃダメよ」

「うん、喧嘩にはならなかった。それで先生が調べてくれたんだけど、『タケカワが正解みたいだね。すごい、先生もチクヒだと思ってた。竹本くんはすごいね』だって」

 マリーとシズクの顔がケンを向く。

「えっ? だって『タケカワ』って打っても『竹皮』って漢字がでてこなくて、『チクヒ』って打ったら『竹皮』って漢字が出てきたから、そうだと思って……」

「確認しなかったと」

「……はい、そうです。すみません」

 ケンが縮こまる。

「良い、マリー」シズクがマリーの目線まで腰を下ろす。

「うん、お母さん」

「あなたのお父さんは高校も出ていないのよ。だからこんなに物事を知らないの。こんな大人にならないようにマリーもちゃんと高校は出なさいよ」少々偏見があるが、シズクはケンを馬鹿にするためにわざわざこんな言い方を選んだ。

「わかった、お母さん」

 マリーが頷く。

「お前、その言い方はーー」

 キッ。

 ケンの負け犬の遠吠えはシズクのひと睨みで収まった。

「って、やばっ、ブルーさんに訂正しないと」

 ケンはハッとブルーに嘘を教えたことに気づいた。

「良いんじゃない。別にチクヒでもタケカワでも」

 そんなケンをシズクが止める。

「しかし……」

「ブルーさんにとってはどっちでも変わらないわよ。漢字が読めないんだし。気にするだけ損よ」

「……そんなもんか?」

「そんなもんよ」


 かくしてダッカ皇国では間違った読み方であるチクヒが筍の皮の名称として定着することになった。

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