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ソラリスの星典~狼少女と旅をする異世界冒険譚~  作者: 夕火
第一章 祝福と呪詛
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一話 焦土邂逅

「……こんな所があったんだな」


 午後――講義のない空き時間、私はキャンパス内の植物園兼自然公園を訪れていた。

 最近は夜勤のバイトが続き、ここ数日は寝不足気味だ。

 どこかで仮眠を取れないか、と広いキャンパスを歩き回っているうちに、人通りの少ない一角で、この植物園を偶然見つけたのだった。


「――新しく農学部ができるからか……?」


 来年度から、私の在籍する大学に農学部が新設される――そう大学側が発表していたことを思い出す。それに伴い、この植物園や生物科学棟も新たに建てられたのだろう。


 私は植物園の入口を抜け、園内を歩き始めた。道はきれいに舗装されており、ところどころにベンチも設置されている。


 眠気に抗うように、ふらつく足取りのまま、園内で仮眠できそうな場所を探して歩く。


 ――そのとき、ひとつの看板が目に留まった。


「“静かな丘”……」


 「静かな丘」と記された看板を見つけた。


 しかし、どこからどこまでが「静かな丘」なのかは明記されておらず、どの方角へ進めば辿り着けるのかも示されていない。


 私はしばらくのあいだ、その看板の周囲を、当てもなく――渦を描くように歩き回った。


 やがて、木々に囲まれた一角に辿り着く。


 そこには、なだらかに隆起した地面と、一面に広がる芝生があった。


 まるで世界から切り離されたかのように静かで――ひとつの空間として、そこだけが独立しているように感じられた。


「眠い……。よし、ここで一眠りしよう……」


 私は携帯に一時間のアラームを設定し、芝生の上に仰向けになった。それから、眩しい陽光を遮るように右腕で目元を覆った。


 今日の空は、梅雨入りしたとは思えないほど――雲ひとつない快晴だった。




***



 


――一体、どれほど眠っていたのだろう……。

何やら外が騒がしい――祭りでもやっているのだろうか。


 朦朧とした意識の中、僕は目を開けぬまま、耳に届く音だけを頼りに周囲の状況を探っていた。


 耳に届いたのは――ボォォ……という低い唸り声。

 パチッ! パチパチッ!と、何かが弾ける乾いた音。

 そして時折、ドォォォンッ!!と、巨大な物が地面に叩きつけられたような、内臓まで震えるほどの衝撃音。


 ただ、異変は音だけではない。

 身体そのものが、ゆらり、ゆらりと揺さぶられているような感覚があった。


――地震か?


 そう思った瞬間、嫌な予感が頭をよぎり、胸の奥がざわついた。

この揺れは、いつもと何か違う……。

――もしかしたらこの地震……かなり大きいのかもしれない。


耳から流れ込んでくる情報を、必死に頭の中で整理し、組み立てる。

それに呼応するように、朦朧としていた意識も、少しずつ輪郭を取り戻していった。

 

――そもそも今何時だ?


 眠る前は、目を閉じた状態でも分かるくらい、外は明るかったはずだが……。


 僕は目を瞑ったまま外の様子を窺っていたら、急に頭部に激痛が走った。


「――痛ったっ!!!」


 僕はその痛みとともに飛び起きた。


「何だ……コレは……」


 目の前の光景に、目を疑った。

 僕は瓦礫に囲まれた、小さな空間の中で目を覚ました。

 既に日が落ちているのか、瓦礫の隙間から見える外の景色は暗闇に包まれていて、今が夜だと分かった。けれど、その隙間から電灯の明かりとも違う赤々とした光が時折差し込んでくる。

 耳を澄ますと、少し離れた場所からパチパチという何かが弾けたような破裂音が聞こえる。

 更に、辺りは熱気に満ちていて、何かが焦げているような匂いもした。

 

 そうこうして、周囲の状況を必死に把握し、分析しようとしていた、その最中だった。


瓦礫に囲まれた空間の隅で、赤く光る二つの目が、じっとこちらを見つめていることに気がついた。


――何だ、あの目は……。


 僕はその赤く光る双眸を凝視した。

 すると、赤い瞳がパチリ、パチリと二度瞬いたかと思うと、暗闇に浮かんでいた二つの光は、ふっと掻き消えるように見えなくなった。


 次の瞬間――暗闇の中から何かが飛び出し、僕に飛びついてきた。


「うわっ!? な、何だ!?!!?」


目線を下にやると、僕の腹に、見知らぬ子どもがしがみついていた。


「え!? え、え……」


 僕は激しく動揺し、同時に困惑していた。


「―――!!! ――――――!!!!」


 その子どもは僕に抱きついたまま、声の限りに泣いている。何かを訴えているようだが、嗚咽にかき消されて、うまく聞き取れない。


 この子は迷子だろうか――こんな日暮れの時刻に、一人でいるのだから、恐らくそうなのだろう。そうであれば、交番へ連れて行くか、この子の親を探さなければならない。


 ひとまず近くの交番を携帯で調べようとした、その時――僕は重大なことに気が付いた。


「スマホが無い……それに、何だこの服……」


 かつてポケットのあった辺りをまさぐっても、指先に触れるのは、麻でできたような粗い布地だけだった。


 僕は、ぼろ切れのような服とハーフパンツを身に着けているだけで、それ以外は何も身につけていなかった。


「何が、どうなってるんだ...」


 僕は、これまでの人生で経験したことのない激しい混乱と恐怖に襲われていた。

 それは、幼い頃、理由も告げられぬまま突然施設に預けられた時の混乱や、一人暮らしの時に泥棒と鉢合わせた時に覚えた恐怖とも、比べものにならない。

 あまりにも理不尽で、あまりにも理解不能な状況だった。


 脳をフル回転させ、どうにか自分の置かれた状況を整理しようとしていた、その時、不意に腰のあたりに、湿り気を感じた。

 一瞬、疑問に思ったが、すぐに抱きついてきた子どもの涙で服が濡れたのだと気づいた。


 この子は今もなお、僕の腰にしがみついたまま、決して離れまいとするように、細い腕へ力を込めている。


 最初は暗闇に目が慣れず、子どもの姿もろくに見えなかったが、徐々に視界が開け、周囲の様子が鮮明になってきた。


 とはいえ、子どもにしがみつかれたままでは身動きが取れない。

 そうして僕は、泣きじゃくる子どもを宥めようと、その子の頭へそっと手を伸ばした。


 だが、触れた瞬間――そこには、普通の子どもの頭とは違う感触があった。

 

「これは……?」


 それは、まるでオオカミの耳のようにも見えた。

目の前のそれが何なのか確かめようと、私はもう一度、獣の耳らしきものに触れた。


その瞬間、これは本物の耳だと確信した。


なぜなら、その耳も、腰に感じる子どもの体温と同様に――温かかったからだ。


 僕はその子どもの不思議な姿の正体を確かめようと、そっと肩に手をかけ、自分から引き離した。

 その子は、驚いたようにきょとんとした目で僕を見上げていたが、抵抗はしなかった。

 

 子どもを引き剥がすと、腰に感じていた圧迫感は消えたが、お腹辺りの湿り気だけはまだ残っていた。

 改めて目の前の子どもを見ると、体格や雰囲気からして、どうやら女の子のようだ。

 

 そして驚くことに、頭には狼を思わせる耳がぴんと立ち、長い髪は炎のかすかな明かりに照らされて、まるで宝石のように煌めいていた。

 肌は褐色に焼け、腰のあたりからは髪と同じ色の尻尾が、ゆらゆらと風に靡くように揺れている。

  身長は僕より十センチほど低く、身体つきも細く華奢だった。けれど、その容姿にはどこか野性味を感じさせるものがあった。


――僕より身長が十センチ低い……?

 

 ふと僕は、自分が何か重大なことを見落としている――そんな感覚に襲われた。

 

「――いや、おかしい…」


 狼少女の身長が私より十センチ低いのだとすれば、少女の背丈はちょうど百六十センチほどになる。

 だが、この子はどう見ても幼い。

 せいぜい小学校低学年ほどの背丈にしか見えない。

 その瞬間、荒唐無稽だと思っていた仮説が、急速に現実味を帯び始めた。


「俺の背が低くなったのか……!?」


 ずっと、自分の身体には違和感があった。

 まるでサイズの合わない服を無理やり着せられているかのような感覚。

 覚醒直後という事もあって、思考もうまくまとまらず、自分が幼児退行してしまったのではとさえ思っていた。


 だが答えは単純だった。

 世界が極端に広がり、巨大化したのではない。

 自分の身体が縮んだのだ。


 それだけじゃない。さっきから頭痛もする。

外傷によるものか、それとも別の要因なのかは分からないが――とにかく痛い。

それに、考えるべきことが多すぎる……。


 この状況を夢だと思いたかった。

 だが、夢というには、この現実は余りにも生々しい。


 どこからとなく血と灰の匂いが漂い、一帯は炎の熱気に包まれている。

 生ぬるい空気が肌にまとわりつき、次第に不快感を増幅させていった。


 僕は原因不明の頭痛に体力を削られ、全身には重く倦怠感がのしかかっている。

 暑さのせいか、喉もひどく乾いていた。


 誰がどう見ても、この状況は異常だ。

 だから僕は、今すぐこの場から離れ、安全な場所へ向かわなければならないと思った。

 それに、この迷子の少女も無事に親元へ帰さなければならない。


 その使命感が、かろうじて僕に冷静さを取り戻させた。


「――取り敢えず、ここを離れよう!!」


 僕は少女の手を取り、今にも崩れそうな瓦礫の隙間を抜け、その場を後にした。


 瓦礫の外へ出ると、目の前に広がっていたのは火の海だった。

 炎は轟音を上げて燃え盛り、道端には焼け焦げた人の死体が転がっている。


「人が……死んでる……」


 生まれて初めて死体を見た。

その遺体は黒く炭化し、手足の先端はわずかに欠けていた。――その光景だけで、この場所の凄惨さを十全に物語っていた。

少女は私の腕にしがみつき、小刻みに震えていた。


この地域は、爆撃にでも遭ったのだろうか。

ほとんどの建物は倒壊し、炎上し、内と外の境界さえ、すでに失われてしまったようだった。

僕たちは火柱を遠ざけるように、瓦礫の少ない場所を目指して歩いた。

二人とも裸足だったため、少し歩いただけで足の裏には小さな擦り傷がいくつもできた。


 そこで僕達は、そこかしこに横たわる死体から、使えそうな靴を拝借することにした。


――グゴアアアアアアアアアアアア!!!!!


 突然、雷鳴と聞き違えるほどの咆哮が轟き、僕の耳を劈いた。

その咆哮に共鳴するように、大気そのものが震え、手の甲にはビリビリとした振動が伝わってくる。


 見上げると、遥か上空を巨大な鳥が悠然と飛翔していた。

その巨体が月光を遮りながら頭上を通過した瞬間、辺りはさらに深い闇に包まれる。


 藍色に染まった天を仰ぎながら、その時僕は、ようやく悟った。


 僕はいつの間にか――元いた世界とは、まったく異なる世界へ来てしまったのだと。

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