第95話 謁見
内匠櫂。12歳。
32歳の冴えないサラリーマンであった彼は、異世界に転生した際に何故か12歳の美少女に生まれ変わっていた。
櫂たちが帝都イーグレに迫る頃、皇宮では全ての議員が参加する帝国議会が開かれていた。膠着状態に陥った戦争の行く末について論をぶつけ合う貴族たち。それを視察してた皇帝フリーデン三世の耳にある報告がもたらされる——
銀鷲帝国皇宮アルザーンは、一つの丘陵を無数の建造物や施設で埋め尽くした広大な政治的区画である。
行政施設である皇宮と皇帝とその家族が住む離宮、その狭間には荘厳な庭園が広がっていた。そこに突如として巨大な白い影が舞い降り、四枚の翼を折りたたむと、影は滑らかな統一言語でこう挨拶した。
「人の子らよ、我は神竜——この国の帝に用があって参った」
警備に当たっていた衛兵たちは、遙か頭上より投げかけられる名乗りに言葉を失ってしまう。
その姿を目にしたのは生まれて初めてであるにも関わらず、このあまりに美しい存在は人間の遙か頭上に君臨する絶対的強者であると、その身に流れる血が教えてくれた。
「…………はぁ、何度やっても慣れないわね。どうせなら普通にお話ししたいのに、何で人間ってこんな堅苦しい言い回しを有難がるのかしら」
衛兵たちが大慌てで屯所へと走り去ったあと、神竜フウカは大きく息を吐いた。ついでに愚痴も吐いた。
「いえいえ、実に厳かで良かったと思いますよ。何てったって神様なんですから」
そう軽口で応じたのはフウカが背負っていた輿から飛び降りた櫂であった。
長い菫色の髪をふわりと広げて庭園に降り立った彼(女)に続き、エルナやロイも軽やかに飛び降りては庭園の土を踏む。
その後に垂らした縄梯子を伝ってきたのはベルタで、エルフリードは何時の間にか櫂たちが少し離れた場所に佇んでいた。
櫂と共に帝都にやって来た一行の中で唯一ミカゲだけは姿を見せていなかったが、何せここは彼女にとっては敵国の中心地である。きっと影に身を潜めているのだと誰もが考えていた。
「ここが皇宮——はじめて見た」
いつもは何事にも無関心なエルナが今に限っては興味深そうに周囲を見回し、その所作もどこか落ち着きを書いているように見えた。
「わたしは二度目ですが~やはり緊張しますね~」
エルナに同調したベルタは、その視線を庭園の中央に置かれた銅像に向ける。
一人の男性を囲むようにして三人が並び立つそれは、銀鷲帝国の始祖ディアルス帝と彼を支えた三将——勇将イシュパーン、ソルブライト大師、異邦人モトナガ——を象ったものであり、彼らの生前に彫刻されたものと伝えられていた。
それを確認するとベルタはエルフリードへと視線を動かす。始祖を支えた一人であり様々な史記や伝承に名が残っているのに、一人だけ銅像として残されていない彼女に、ベルタは思い切って理由を聞いてみた。
するとエルフリードは照れくさそうに髪を弄りながら、
「……ああ、それはね? この像を彫った子があたしをえらい美化してくれてさ。もちろんあたしは嬉しかったんだけど、あの人がねぇ……」
エルフリードが言う「あの人」とは始祖ディアルス帝であり、彼女の話によるとディアルス帝は美しく慈愛に満ちた表情をした正妻の像に対し、「いやいや、エルはもっと眦が吊り上がっててさ、こうガ―ッと鬼みたいな形相してるだろいつも」と軽率にケチを付けてしまったらしい。
仕方なく彫刻家がそのように彫りなおしたところ、今度はそれが本人の目に留まってしまい——
「大体ね、あたしや他の夫人たちがいるのに、美人がいると聞けばすぐに粉をかけにいくロクデナシだよ? 女癖の悪さが手に負えなくてあたしに泣きついてきたのは一人や二人じゃないさね」
だから鬼の形相にならざるを得なかったと帝国初代皇后は釈明した。なお彼女の夫は粉々に破壊された銅像の前で全裸で土下座し、何とか妻に許してもらえたらしい。
そんな歴史書には絶対に載せられない真相を知らされたベルタは、この話は一生胸に秘めておこうと決めていた。
それからしばらくして——複数の人の気配がこちらに近づいてきたかと思うと、式典用の装備に身を固めた衛兵が向かい合うようにして整列し、帝国の国旗を掲げる。
その間をゆっくりと歩んでくる二人の姿を目にすると、ベルタと櫂はすっと腰を落として跪き、釣られる形でエルナとロイも膝をいた。
ひょろりとした初老の男性は赤を基調とした上着と白いズボンを穿いており、彼に手を引かれながら歩く柔和そうな女性は落ち着いた色合いのシックなドレスに身を包んでいる。
決して華美ではないが施された意匠を見ればこの人物が一体誰なのか、庶民でしかいないロイにもすぐ見当が付いた。
「お初お目にかかります神竜様、帝国皇帝フリーデン・フォン・ハイデルンと申します。こちらは妻のサラブライトです」
銀鷲帝国の現在の皇帝はフウカに恭しく頭を下げると、隣に立つ皇后を紹介する。
「ようこそお越しくださいました。臣民を代表してあなた様を歓迎いたします」
誰の目にも自然な所作で深々と頭を下げて礼を尽くすフリーデン三世の姿に、櫂は言葉を失っていた。
大国の皇帝と言うからにはもっと尊大で権威を振りがさしながら歩くようなイメージを(勝手に)抱いていたのだが、目の前に立っているのは彼(女)の心象とは真逆でありながら、その身に宿した風格だけは予想を遥かに上回っていたのである。
「こちらこそ感謝する、清廉なる人の番いよ。本日はお前たちに会いたいと望む者のを連れてきたのだ」
フウカの言葉を受けて櫂はゆっくりと顔を上げ、穏やかで人好きのする顔をしたフリーデン三世に名乗り上げる。
「お初お目にかかります皇帝陛下。私は内匠櫂。この国に生きる沢山の人達に助けていただいた者です」
「ええ、私もその名は存じています。貴女が建国祭の折に恐るべき危機を退け、多くの臣民を救っていただいたことを臣民に代わり感謝申し上げます」
「そ、そんな私は……いえ、私はただやるべきことを選択したまでです」
謙遜の言葉を付け加えながらも、櫂はフリーデン三世が自分の名や行いを知っていた事に驚かされていた。
だからこそ——続く言葉は思っていたよりずっと自然に、櫂の舌へと昇ってくる。
「だからこそ受けた恩義に報いるため、どうか私を諸国連合へと遣わしてください。陛下、私はこの戦争を止めたいのです」
言葉にすると何と思い上がった物言いだろうと、櫂は内心で自嘲する。だがその言葉には一片の嘘もホラも含まれてはいない。
「この戦は恐らく、帝国にいる勇者たちを自分の下に呼び寄せるため諸国連合側が企てたものと考えています。故に——第七の勇者たる私が赴けば、必ずや盟主は話を聞いてくださるでしょう」
それこそが戦を終えための交渉の糸口になる筈だと櫂は説明する。フリーデン三世のみならず、その背後に膝を着く帝国の大貴族たちに向けて。
根拠のない空論にしか聞こえないであろう事は最初から覚悟している。だとしてもその空論が貴人の耳に入り、一考に値するとの言質を得られたならばそれだけで話は前に進むはずだ。
「——私はこの国の君主です。しかし使節団の派遣を取り決めるのは我らが臣民の権利であり、私の一存で決められる話ではありません」
「はい――」
「ですから手紙をお渡します。どうかそれを東へと届けてくれませんか?」
使節の派遣に関しては自分ではなく議会が判断を下すのが道理であるとして、フリーデン三世は櫂の求めには応じなかった。
だから、代わりに親書を届けてくれないかと個人的に依頼し、櫂が連合へと赴く理由を作ってくれた。
言うまでもなく一国の君主が書いた親書を届けるのは、それだけで使節団に匹敵——いやもっと重大な任務を任されたとも言える。
「あはは、これは参ったねぇ——もしもの時はあたしが無理を通すつもりでいたが、これなら口をはさむまでもない」
その時、二人の間に割って入ったのはエルフリードだった。櫂のすぐ近くまで移動していた彼女は跪く櫂をよそに初老の皇帝に歩みより——
「あぁ……まさか、国母様なのですか……?」
「そうさね。あの小さな子が、よくもまぁこんなに大きくなったものだ」
エルフリードにとってフリーデン三世は初めて顔を合わせた子孫ではなかった。かつて熱病に侵された病弱な皇子に救いの手を差し伸べたエルフリードは、後にその少年が志尊の冠を戴いた事を風の噂に聞いていたのである。
「あたしの客人に便宜を図ってくれて感謝するよ、遠い遠いあたしたちの子よ」
そう言ってフリーデン三世とその妻をまとめて抱きしめるエルフリード。
櫂と違って彼女の言葉に隠れた意図は存在しなかったが、国母であり生ける守護神から「客人」と呼ばれた櫂は、それだけで帝国国内における強い発言力を得るに至るのであった。
「ありがとうございます陛下。私は必ずや陛下のお言葉を届け、この戦を終わらせるための糸口を見つけてまいります」
櫂は誓う。大任を果たし、自分の目的も適えてみせると。
その為に彼(女)が最初に向かうべき場所。
それは同じ敷地内に立つ行政施設——すなわち、帝国議会の議場であった。




