第88話 紅い眼鏡(の女)
内匠櫂。12歳。
32歳の冴えないサラリーマンであった彼は、異世界に転生した際に何故か12歳の美少女に生まれ変わっていた。
何処からどう見ても現代日本の民家にしか思えない場所で、神竜フウカと邂逅した櫂たち。見た目とは裏腹に気さくな神竜はベルタの遠い先祖がここにいると明かし、しかもその人物は櫂の「創造主」ではないかと告げるのだった。
「――櫂を、造った?」
神竜フウカの言葉に真っ先に反応したのは、当の本人ではなく近くでそれを聞いていた猫耳の少女——ミカゲであった。
彼女は言葉の意味自体がよく分からないと反芻した後、「つまり……櫂の、お母さん?」と極めて常識的な解釈を下した。
「いえミカゲさん、神竜様が仰ったのは恐らく私の産みの親ではなく、文字通り“創造”した人なのでしょう。要するに私は人間から生まれた存在ではない、と言う事です。多分」
そして、誤解を真っ先に解こうとしたのは外ならぬ櫂本人であった。
「——え? 人間から生まれていないって、ど、どういう意味なの? エルナは知ってたの?」
ミカゲの驚きは極めて常識的な反応と言える。自身が自然の摂理に反した存在であると自認して平然といられる櫂の方が、ある意味では異常であった。
「うん、何かそんなこと聞いた気がする」
一方でエルナの返答も至極あっさりしたもので、櫂ほどではないが事の異常性を自覚してはいないようだった。
数か月前、櫂と共にその疑惑を調査したベルタはバツが悪そうに笑うだけで、ロイに至っては事態そのものが呑み込めていない様子で、首を傾げながら成り行きを見守っていた。
「ミカゲさん、実を言うと私もそうした疑念を抱いていただけで、これと言った確証はありません。だから——この話の続きはベルタさんのご先祖様の到着を待つとしましょう」
ミカゲへの言葉には偽りこそなかったが、自分が何かしらの目的の為に創造された存在である事を櫂はほぼ確信していた。
少女の肉体に「転生」して以来、ずっと付きまとっていた違和感。自分の体が自分のものではないような余所余所しさ。それらが天然自然の理から外れた生い立ちのせいだと仮定すれば、納得は行かないまでも筋は通る。
問題は自分がどのように産まれたかではなく、何のために生み出されたのかという”理由”にこそある。だからその理由を知るかもしれない人物の到着を、今はただ待つしかなかった。
「時に神竜様、ベルタさんのご先祖様が来るまでの間、一つ……いや本当はもっと沢山伺いたいことがあるのですが」
「ええ、何でも聞いて。ただ——質問に答えるばかりでは不誠実だから、先ずは私から説明させてちょうだい。内匠櫂さん、あなたをここに招いた理由を——」
神竜は人間一人を容易に丸呑みできるほど大きな口を器用に動かし、流れるような統一言語で語りかける。
その声色はどこまでも穏やかで優しかった。
「あなたの事をサピアちゃん達から聞いたのは、多分夏の時季だったかしら。
くろ……いえ『死の影』ちゃんの超能を使う女の子が帝国にいると聞いたのよ」
「夏と言うと……建国祭の時でしょうか。まさかサピアさんも武闘大会の場にいたのですか?」
銀鷲帝国の建国を祝う帝国最大の祭事「建国祭」。
櫂はそこで赤狼公国公女マリアリガルが企画した武闘大会に参加し、そこで自身が持つ超常の力——超能を行使した。
櫂には全く心当たりがなかったが、サピアはその時の自分を目撃したのだろうか。それを問うとサピアは首を横に振った。
「いえ、御子が『死の影』様と同じ超能を使ったと報告を寄こしたのは、別の我です。ただ実際にこの目で見届けなくとも、その二刀を見れば誰しもが納得するでしょう。貴女が——『死の影』様の《《御子》》であると」
誇るような口ぶりで語るサピア。その暗い紫の瞳は櫂が腰の後ろに備え付けた革製の鞘に注がれていた。
櫂が自身の得物として振るう、二本の黒鋼の蛮刀。それは諸国連合のとある商人から購入した物であった。
「ええ、恐らくは店の主人も知らなかったのでしょう。
黒鋼とは本来、罪人を処断する処刑人の斧に用いる鋼鉄。そんなものを得物として振るうのは我ら蛇帝の使徒のみ。しかも番いの二刀となれば我が祖『死の影』様の愛刀に他なりません」
「なるほど……本当に曰く付きの逸品だったのですね。
しかしその——『死の影』さん、ですか? 私が聞いた話では、彼女は‟御柱の遣い”とか言う伝説の存在だったとか」
「は、はい~‟御柱の遣い”第十四柱――『死の影』様は~数百年前に勇者様と共に戦った~大英雄の一人と伝え聞いております~。
もちろん彼の英雄が~蛇帝の使徒の始祖でもあった事も記憶しています~」
ベルタは今この時も肌身離さず持っていた鞄の中から、革張りの分厚い書物を取り出した。慣れた手つきで開いた頁には顔の半分以外が黒い布で覆われた人物の絵と、その人物像が記述されている。確かにそこには『蛇帝に遣えし凶刃のひとつ』との一節が確認できた。
「…………“大”英雄ねぇ。あの子が聞いたら有頂天になっていただろうけど、でも——違うのね、あなたはあの子の血を分けた子孫ではない」
伝説に謳われる古の英雄を、在りし日の記憶として懐かしむように神竜は呟く。だがその声が語ったのは大英雄と櫂の血縁を否定する言葉であった。
「どうやら神竜様には面識があるようですが、私がその人物の血縁でないと断言するのは——ああ、私が造られた存在だからですね?」
「ええ、そう。もっと詳しく言うとあなたは人間ではなく“人繰形”。そうね……ベルタちゃんの子孫に分かるように言うと、この子はね、御柱の遣いである蒼奈と刹奈と同じ、錬金術師が創り出した人造人体。
もっともその魂は——間違いなく人のそれだろうけど」
「は、はい~!? ま、まままま、待ってください~、情報が多すぎます~」
英雄について記された大典を慌ててめくりながら、告げられた情報を処理しようとするベルタ。だが驚きと興奮のあまり指も目も先走って滑るばかりであった。
「すごいですね。神竜様ともなれば、そんな事まで見ただけで判別できるのですか?」
「ええ、私の目はただの光学器官じゃないの。でもまぁその理屈は門外漢の私ではなく、あなたが説明した方が良いと思うわ、ベルタ——」
神竜がその名を告げたことにより、初めて櫂たちは彼女の到着に気付く。
斜めに切りそろえられた黒髪を揺らし、ペタペタという足音と共に歩み寄る細身の女性。年の頃は二十歳を超えているだろうか、若々しいがさりとてその足取りには溌溂さは感じられない。
切れ長の瞳を彩るのは金縁の眼鏡。
そして首から下は奇抜で真っ赤な衣に覆われていた。
これまでに見たこともない奇抜な装束に驚く一行。
ただし櫂だけは「納得がいかない」と眉根に皴を寄せてしまう。
櫂だけはその衣装をよく知っていた。絞めつけない程度に全身を覆い、通気性と防寒性を兼ね備えた、装飾ではなく実用性を重んじたデザイン。前方に膨らんだ胸の間をまっすぐ走る金属製の器具は、この衣服が着脱も容易であることを物語っている。
「ジャージじゃないですか、あとサンダル!」
「ん、そう」
櫂の指摘に頷く眼鏡の女性。彼女はその細く長い体を真っ赤なジャージに包んでいたのである。そして素足にひっかけたサンダルが、歩くたびにペタペタと気の抜けるような音を奏でていた。
「あ……あなたがベルタさんの、ご先祖様なのですか?」
櫂の問いかけには答えず、赤いジャージの女性は真っすぐ自分の子孫に歩み寄る。
驚きと混乱で声を震わせるベルタに対し、赤いジャージの女性は僅かに腰を屈めて問う。
「名前」
「は、はひぃ! な、ナナコです~! ナナコ=シドウ! しょ、初代様におかれましては~ご機嫌うるわしう~」
「何してる?」
「い、今は第五元素の蒸着と~不死の秘薬の精製に取り組んでいまして~」
「健康長生き飲料? そう……じゃあ来て、霊脈計の調整できる?」
「わ、わわわわ、分かりました~」
淡々と問い詰めるようなやり取りの後、赤いジャージの女性——便宜上、大ベルタと呼ぶ——はベルタを連れて、すぐにこの場を離れようとする。
それを呼び止めたのは彼女をここに連れてきた、赤銅色の肌をした割烹着の女性だった。彼女は名をトモエといい、その額には二本の角が屹立している。
「ま、待ってくださいなベルタさん、ここで部屋に戻られても困ります」
「どうして?」
「どうしても何もさっき説明したじゃないですか……ベルタさんに合わせたい人がいると」
「これ?」
「自分の子孫を“これ”呼ばわりしないでください。そうじゃなくて、あちらの——もっと小さい女の子のほうです」
トモエに促され、大ベルタはようやく櫂にその目を——眼鏡越しにぼんやりと光る血紅の瞳を向けた。
「——は、初めまして偉大なる錬金術ベルタさん、私は内匠櫂と言います」
「…………」
櫂の名乗りに対し返答はなかった。しかしその代わりにと大ベルタは櫂を凝視する。全身を嘗め回すかのように執拗に、偏執的に。
美人ではあるが凡そ愛想とは無縁な顔つきに、櫂も視線を向けられるだけで緊張を覚えてしまう。
「…………知らない」
だがそう断ずると、再び背を向けてこの場を後にしようとする。見かねた神竜に名を呼ばれ、もう一度大ベルタは櫂に視線を向けた。
「知らないはずはないでしょう。この世界で人繰形を製造できる存在が他にいるものですか。この子は稼働して12年は経つと言ってたわ。何か心当たりはない?」
「ある」
即答だった。そして悪びれた様子すらない。
「——ベルタ? 折角こんな僻地まで来てくれたお客様に失礼のないようにしなさいね。分かる範囲でいいからこの子に教えてあげなさい」
「うん」
そう頷くと、大ベルタはペタペタとサンダルを鳴らして櫂に歩み寄り——
「いだだだだだだだだだだッ!?」
唐突にその頬を抓んだ。いや抓んだというよりは抓って引っ張っる。
「——反応良し。神経、霊脈、精神波形《アストラ―ル》、異常なし。器質器官恒常性は基準以内。至って健康」
櫂の頬を抓りながら何かを測定し始めた大ベルタは、「健康である」と結論を下すとようやく指を離すと、真っ赤に染まった頬を庇うように労わる櫂に対し——
「何も異常はない、エルフリン」
「いえ私は櫂です。内匠櫂」
堂々と名前を間違えるのであった。




