73 沈む野に咲く赤いバラ
記憶。過去。幸せ。
私が5歳の頃……つまり7年前、私は捨てられた。そして孤児院に拾われた。
子供はざっと10人程度、大人は3人。小さな教会……だったと思う。別に怪しい新興宗教でもなく、地域に根付いた由緒正しき信仰だったと思う。まあ、よくある慈善事業の一つなのだろう。
ボロボロの顔に、ぐちゃぐちゃになった赤い髪。剥き出しの肌と嬲られた痕。布一つかけられないまま、睫毛が凍るほどの寒い冬に、どこか知らない場所の道端に捨てられた。
そんな私を拾ってくれたのが、この孤児院だった。
最初に話しかけてくれたのは、マズルカという女の人だった。どこか闇を孕んだ目をしていて怖かったことを覚えている。
……今もあの時の、ロッゾが逃げた後に残った亡骸たちを鮮明に思い出すことができる。
レンドリューとは、最後まで一緒にいた。文字通りの家族だった。血は繋がってはいなかったが、心は繋がっていたのだろう。
だけど、そんなの、全部。そう、すべては過去の話だ。
「お前だって……ッ」
「……シェ、ルト?」
きっと、私のまぶたは腫れているだろう。
きっと、私の心は曇っているだろう。
きっと、私の目からは雨が降っているのだろう。
それなのに、現れたのは怒りのみ。“彼”がいるにもかかわらず、「そんなものは知らない」と心が叫んで止まない。
「レンドリュー! お前だって私を捨てたくせに!」
レンドリューは狼狽えていた。独りよがりの言い分が、私の図星の言葉でで瓦解したのだろうか。
「お前は私を置いて一人で逃げた! そのせいで私はまた、また今までの道に戻らなければならなかった! 私は!」
「俺だって! シェルト、俺だって捨てたくて捨てたわけじゃない。捨てようとしたわけじゃない!」
「黙れ! 【ダインハギル】!!」
どす黒い血液が、レンドリューを中心として飛び散る。放たれた光弾は、遂に頭──まぶたの上を貫通していた。
「俺は……あの日、確かに帰りが遅かった。俺が仕事、うまくいかなくて居残りしてたから、そのせいでシェルトが攫われた。……自分の弱さを嘆いたよ。もうたくさん」
生命活動に関わる所を穿たれてなお、彼は狼狽えない。それどころか、気づいたら私の方が息を切らしていた。
「……なら、なんで、どうして怪盗なんかに!」
「『怪盗なんか』って……まあこの際それはいいや。確かにやってることはクソだから、わからなくもない。現に今日のこの騒ぎも指示だしね」
レンドリューは、怪盗は大きく息を吸って、勢いよく吐き出した。そのまま額の血を拭い、目線を合わせてきた。
「弱かったから、だよ」
「……は?」
「強くなりたい、守りたい、もう一度シェルトに会いたい」
その気持ちを叶えることができたのが、『怪盗』だったのだと、彼は言う。
「じゃあ逆に、シェルトはなんで、マーキュリアル家の子になってるわけ?」
息を呑む、それでも応える。全身で殴り合う。
「なりたくてなったわけじゃない。私は、孤児院のみんなと一緒にいたかった。……だけどそれはもう叶わない」
ゆっくりと、今の自分をぶつける。感情的でなく、それでいてとても大きな感情を。
「でも今は、お父さんがいて、お母さんがいて、使用人さんたちがいて……学園にも友達がいる。だからもう、過去なんかいらないんだ」
レンドリューに穴が開く。血が垂れ、まぶたが落ちてくる。
何回も放たれた【ダインハギル】が、レンドリューとの距離を作る。
「……そんなはずない、シェルトは! シェルトは俺たちを忘れたりしてない! ……だって! ッ、シェルトは!」
私の魔法が、彼を、殺している。
「シェルトは……俺たちの、妹なんだ」
……私に声は届かない。
だから私は、最後の一発を────────
「離して」
「離さない……!」
エルヒスタの手が、私の腕を掴んだ。それだけで、その一瞬で、今の私を理解する。
涙と汗と鼻水でぐちゃぐちゃになった顔と、魔法を撃ち続けて焼けた右手の人差し指と、力を込めすぎて血だらけになった左の手のひら。
そして今にも息が枯れそうな、死にそうなレンドリュー。何もしないで、何もできないで静かなエルヒスタ。
「あ……っ、私何やってたんだろ、ごめんねエルヒスタ。ちょっと変になってたかも」
青ざめた顔のエルヒスタ。必死に取り繕わないといけない。彼には私の幸せを知られてしまっている。どうにかして、笑顔にさせないと……。
動揺を隠しきれない。動悸が治らない。私の手が、私の力が、私の兄の命を────。
「だから、大丈夫。うん、大丈夫だから。私は──」
レンドリューを見る。息はまだあった、まだ生きていた。まだ話せる、まだ触れる。
────まだ、助かる。
「レンドリュー!!」
私は走っていた。
彼の手を振り解いて。
「レンドリュー、しっかりしろ!! ……まだ息はある、おい! 聞こえてるんだろ!」
兄を、血だらけの兄を膝をついて支えた。
「シェルト……どうして」
「私だって、私だって一緒に暮らしたかった! 当たり前だ! レンドリューも、ロッゾもマズルカもオルザもオルビスもレイドローも! みんな私の──」
冷たい。触っているものが人間とは思えない。それくらい、彼は冷たい。
「──家族、なんだ……!!」
言った。──言わなきゃいけないことだった。
どれだけ綺麗な今があっても、私はあの綺麗だった過去を忘れることはできない。忘れて、新しい幸せを手に入れるために嘘をついても。
呪い? 傷? それとも、この忌々しい背中の絵?
そう。私は全部、背負わなければいけなかったんだ。どんな過去でも、どれだけ綺麗な過去であっても。その綺麗な過去のせいで、どれだけ今が汚くなったとしても。
「家族……か、あっ」
虚な目で、彼は笑った。
「じゃあみんなで一緒に暮らそうよ、マズルカもロッゾも、きっとそこにいるはずさ!!」
「ッ……!!!!」
怖かった。彼の目が、彼の声が、彼の顔が、彼の心が。血の気がひいた。動悸が消えた。頭が冴えた。
私のしなければならないことが、一瞬で見えてきた。
「【ダインハギル】」
頭蓋が石畳に叩きつけられ、噴き出していた血が飛び散った。
私の魔法が、彼の心臓を一直線に貫いていた。
いや、そんなものではない。
そんなに甘いものではない。
そもそも彼を穿った魔法は、【ダインハギル】などではない。
私には『魔女の力』がある。魔力を無限に生成し、魔法に通常より多くの魔力を込めることができる【神の炎】。アスチルベと言う魔法使いが求めた、そして私に与えた、文字通り最強の能力。
それが暴発した。私に残っている全魔力──成人男性の魔力量平均のおよそ30倍──が、極太の【ダインハギル】となってレンドリューを消し去った。
跡形も残さず、血肉全てを蒸発させて。
☆
見ていることしかできなかった。俺はシェルトも、レンドリューも助けられなかった。
レンドリューを消し飛ばし倒れたシェルトを抱き上げ、石畳に叩きつけられていた頭を、俺の膝に乗せる。魔力切れからか、少しだけ軽く感じる。
フェーセントの街でデルシャと初めて戦った時、彼女は身を挺して俺を庇ってくれた。まだ繋がりも薄くて、多分俺のことなんて何も知らなかった彼女がだ。
だが俺はどうだ? 彼女のことを、シェルトのことをどこまで知っていた? 俺は何も知らなかった。何も知れなかった? 違う。知ろうとしなかったからだ。
孤児院、レンドリュー、家族、兄、奴隷、ベリエヌスク。全部が全部、嘘であり、本当だった。……ということで、いいのだろうか。
しかしまあ、シェルトも考えすぎだと思うけどなぁ。そんな、幸せなんて後からいくらでも作れるっていうのに。
「────エル、ヒスタ?」
彼女の目が開いた。どうやら魔力が回復してきたようだ。それにしても回復が早いな。これも詠唱棄却速攻魔法の影響なのか?
「見ないで……離して」
「ごめん、無理だよ。──って動いちゃダメ! 今立ったら余計に辛くなっちゃうから!」
「だから、辛くなるの。だから、離れて」
「だめ、離れない。大丈夫になるまでずっと見てるから」
「見てるだけだよね。エルヒスタは──手、掴んだだけなのに……偉そうにしないでよ」
俺たちの間に、数秒以上の大きな間が生じた。
お読みいただき、ありがとうございます。
続きが気になると思っていただけましたら、ブックマークや評価をぜひお願いします。
評価はこのページの下側にある【☆☆☆☆☆】をタップすればできます




