64 見ず知らずの幼女と既成事実♡作りませんか?
美しい石畳、巨大な城、数多の家、数々の出店、ごった返す人々の群れ。
──ここが、ゼルルドの中心都市“ガリュキン”。
今からもっと、ずっと昔の話だ。
ゼルルド帝国の帝都として栄えたこの街には、街を囲む壁と、中心には元々王城の役割を果たしていた大きな城が構えてある。そして俺が今いるところがガリュザ城の内部である。
今この城は博物館兼、行政組織である『ゼルルド共和22席』の協議の席として利用されている。
まあ、セタの言葉を借りると……この街はゼルルドの首都、そしてこの城は議事堂というところか。トウキョウとかロンドンとかにある奴と同じようなものだ。
まあ、共和22席は全員A級貴族で、司法以外のほぼ全権を担っている。その下部に位置する平民・聖職者たちの議会がある。精力的には五分五分と言ったところか。
この国は他の国に比べて宗教色が薄い国だから、聖職者の地位が小金持ちと大差ない。それは帝国時代のある事件が関係しているのだが……この城の中でこんなこと考えるのは物騒が過ぎるな。
「昼飯を探すといったものの……まだ時間は早いしなぁ」
「ここからはA級貴族としてのプライベートな対話だ。お昼ご飯までには戻れると思う。だからレプラコーンはそこらへんで暇を潰しておいてくれ」、とシェルトに言われて城内の博物館でキルタイムしているところだ。暇つぶしに最適だとシェルトさんに言われちまったんだもん。まあ素直に従うのが吉だと思う。
だけど正直退屈でならない。
こういうところは苦手だ。静かにしていることはできるが、ただ絵とか歴史的な品物を観るだけのためにここに来る人の考えがわからない。
図書館は好きだが、その理由の大半は本にある。それを読むこと、分析することで知識がしっかりと身につくからだ。
しかしここにいても何の知識も使うことはできない。絵画の知識が、武術や魔法に応用できるとは思えない。インスピレーションというものは得られるのだろうが、俺にはまだそこまで発展させる技能もないのだから。
自分で新しい技を作る。それはとても難しい。
魔力の糸も、おじいちゃんの見様見真似だ。今の俺はおじいちゃんより使いこなしているとは思ってるけど。
「暇だ……」
暇だ、暇すぎる。暇すぎて眠くなる。
何もしないで待っているということが苦手だと、自分の欠点を再確認。
絵画は分からない。何が美しいだとか、何が高尚だとか。知るはずないだろ、興味ないんだから。
……そう思うが、それでも今俺の目の前にある絵はなんか、すこし、違って見えた。
その絵には膝の上に儀式で使うナイフが、多分黒曜石のナイフ。それを持った、森の中に佇む物憂げな少女が描かれていた。
薄青色の髪の色にティアラを付けて、森の背景に似合わない豪勢なドレスで着飾ったその豊満な体が、不思議とギャップを生んでいる。
作者の名前は、ゼルフィム・レガウス。
レガウス家はゼルルド帝国時代の帝国貴族の一家で、帝国皇帝と深く繋がっていた。そして革命が起きて共和国化したときに、国王一家ともども排斥されたと歴史では聞いている。ならこの被写体は皇帝の妃か娘だろうか?
それだけこの絵にだけは、どこか惹かれるものがあった。
(セタって絵とかに興味あんの?)
俺は精神の同居人に意識的に話題を振る。俺の頭の中に居るはずの空の色した病衣のエロオヤジは、今日の朝から顔を出していない。
……ゼルルド・マキア国際体育祭の時の騒動では、セタがいない状況という厳しい戦いを強いられた。咄嗟の危機察知装置としてだけでなく、彼がいないとなんか気分上がらないし。いないのは寂しい。
『ふーん、エルくんはそんなこと思ってくれてたんだ。エロオヤジは嬉しいねー』
俺の心の内側、その中の声までだだ漏れなのどうにかならないかな、マジでこいつ嫌い。
『エルくんは、僕のこと好きなの嫌いなの、どっち?』
(まあ、好きだよねそりゃ。嫌いなとこも100個ぐらいあるけど)
『それ嫌いの方勝ってない!? 僕はエルくんのこと好きだよ!』
……照れるな。いやいや、そんなことない。こいつは俺の脳内に居候してるクソニートなんだ。情なんかいちいち湧いていたらこっちがダメになる。
『言い方ァ! てか僕ちゃんと働いてますよね! ほら戦う時とか!』
(ああ、ごめん。えっとさ、それで本題は────)
『好きだよ、絵とか。見ることのできない景色が、手元にあるなんて思えるとね、ワクワクする。知識として摂取できるのが、精神世界の良いところで悪いところだね』
とりあえず興味はあるが知識はないってところか、理解。
そんなもんだよな、まあ。それにこっちの世界の絵とあっちの世界の絵は同じじゃないんだ。当たり前だ。『同じもの』だけど、厳密に『同じ絵画』ではないんだから。
☆
結局めんどくさくなってきたから外に出て祭りでも見てこよう。せっかくの『豊穣祭』だ。楽しまなきゃもったいない。
博物館から出たところで、謎の声が俺を引き留めた。
「おいお前、もしかして…………エルヒスタか?」
「──へ?」
振り向くとそこに、日傘をさした幼女が佇んでいた。
いやまあ、俺だって13歳だし子供っちゃ子供だけど。明らかに保護者同伴義務化されてるレベルのちっちゃい子……とりあえず俺よりも幼いだろう。
「まあ、はい。僕はエルヒスタです、けど?」
「エルヒスタ! やっぱエルヒスタ! 会えなくて寂しかったよ!! もう! どうして何も言ってくれなかったの!」
白っぽい、水色っぽい? そんな感じの、凄く淡い水色の髪の毛がふわりと揺れる。
「心配したんだぞ、急にもう会えないなんて……そんなこと言われて! 誰もエルヒスタのこと教えてくれなくて、会おうと思ってもみんな揃ってダメって言ってきて……自分で色々調べたのに誰も信じてくれなくて!」
「いや、えっと……え、何なんなのこの子」
ぽすっ、と乾いた音がした。瞬間、俺の胸の中にその幼女が飛び込んできた。顔を埋め、グリグリと押し付けてくる。
「ずっと心配していたんだ、ずっとお前のことを想ってたんだ! やっと、やっとエルヒスタに会えた……!」
「あの、その……へ!?」
持っていた傘が音を立てて地面に落ちる。ボディーガード用の青い制服の上からでもわかる。
彼女の目から……涙が溢れていることを。
「久しぶり。2年ぶりだな、エルヒスタ……!」
薄紫色の美しい瞳。
その中に吸い込まれるような感覚を、俺は──俺は。
「え、えっと。あの……どちら様ですか?」
──全く持って知らなかった。脳に一部でも記憶の断片が残っていたら、こんな可愛い子覚えているに決まっている。だけど俺は彼女を知らない。一切合切記憶ゼロ。
「その……でも、会ったことある……かな?」
「え……!? あの、エルヒスタ────えっと、レプラコーン、ですよね?」
「えっと──そう言うことでしたら。……はい。私の名前はエルヒスタ・レプラコーン。ミゼリコル領統括B級貴族レプラコーン家次男。それで……あなたは?」
悪意は無かったけど、少し後ろめたかった。
「俺はこの子を知っている気がする」そんなことを言うことはできない。だって知らなかったから、彼女のことなんて知るわけないんだ。
だって俺に友達も、仲間も、知り合いと呼べる人間さえも居なかったんだ。そんな人間に、こんな可愛い子の知り合いがいてたまるか。
「私は……」
暗く顔を落とす女の子。罪悪感が押し寄せる。
知るわけないじゃないか、どうして知ってなきゃならないんだ。どうして何も分からないのにこんなに辛いんだよ。
女の子は、涙の残る笑顔で声を発した。まるで、吹っ切れたかのように。
「私はネル。……はじめ、まして!」
☆
「ねえエルヒスタ! どこでご飯食べる!?」
「ネルちゃんそんな服引っ張らないでよ……わかった行くからちょっと待って!」
俺は今、博物館の前で初めて会ったネルちゃんと共にお昼ご飯を食べるところを探している。
ネル。その名前しか教えてくれなかったが、身なりからして多分この子はいい家柄の出だ。ロココのような服──セタの世界の言葉で言うなら、ゴシック・アンド・ロリータ。
つまりはゴスロリのような……だけど、どちらかと言うと黒ロリに近いと言う。まあ俺は分からないんだけどね、この目で見たわけじゃないし。
ネルちゃんの服は、動きやすいように簡略化された服であるが、それが逆に幼女としての甘さを表現しているみたいな感じ。ファッションとか全然わからないけど、だけどこれだけはわかる。
何この子、可愛い!
だけど貴族じゃないだろう。だって周りにボディーガードもお目付役も見張りも誰もいないんだもん。
だけど、過去の俺と会ったことがあると言うネルちゃん。謎だ……何が起こっているのかわからない。
俺もこんな服を着て、シェルトのボディーガードの真似事をさせてもらってるけど、れっきとした貴族の出自だ。
この国は貴族制があるがB級以下は形だけでさほど機能していないし、大地主と変わらない影響力しか持たない。
だけどまあ、様式ってのは変わらない。ここはファンタジー。出自と家柄で目上目下が決まる世界だ。
そんな人間と知り合い……特に俺と直接会って話していて、しかも俺を呼び捨てで呼ぶ。彼女が良家の出自であることは確実。それに加えて彼女が貴族であるとしたら? わからんよ、なんせ会ったこともないんだから。
「どうしたのエルヒスタ? ……別に思い出さなくても大丈夫だよ、私のことは。うん、私のことは大丈夫だから」
「いや、思い出したいよ君のこと。だけど……ありがとう、ネルちゃん」
心配してくれる彼女も可愛い。そんなこと考えながら街の中を歩く。沢山の出店を見て、やはりここが祭りの地であることを再確認。
気がつくと、もう博物館を出て1時間ほど経っていた。
「もうそろそろあのお城に戻らなきゃ」
「あのお城……? それって博物館? まあまあ、少しばかり休憩してこっ!」
「うん。連れが待ってると思うか────ちょっとネルちゃん!?」
ネルちゃんは俺の言葉を遮るように、強引に俺を薄暗い裏路地に引っ張る。
俺の力をも上回るくらいの力──きっと魔法で身体を強化しているのだと思う。
って、そんな冷静になってどうした!
(おいセタなんとかしろ!)
『なんとかって……幼女に押し倒されて満更でもないくせにさ、ロリコンエルくん♪』
(っはー! 誰がロリコンじゃボケ! そんなん俺と同年代を好きになってもロリコンじゃねーか! 確かにお前みたいなエロガキおっさんにはそう見えるのかもな! けっ!)
「ねえエルヒスタ。私、エルヒスタのことが好きなの♡ ねえ、エルヒスタは? 覚えてなくてもいいんだよ。少しだけ黙ってくれてればそれでいいの。ちゃんとあの時より大人になったから」
「は、え! ちょっと待っ──」
ネルさんが俺の服に手をかける。強い力で押されてる感じで動くことができない。いや本当にまずいよね、脱がされそうになってるからね、初対面+小さな女の子だよ? ……その前に、誰も入ってこなさそうな暗い裏路地で脱がされそうになっていること自体がやばくて。
「既成事実、作れば……記憶なんて後から思い出すよ♡ だから……ね?」
「ね? じゃないですよ! 離して、その手を!」
ネルちゃんはムッとしながらもズボンから手を離してくれた。だけども彼女の攻撃は止まない。
「ッあー! ダメダメ、チャック開けちゃダメー!」
代わりにズボンのチャックを開けてくる。──いや、開けた。
「私もう、あの時と違って……その、作れるし」
「いけません! ダメ! そんなこと言うのはダメっ──」
もうダメだ、負けちゃう。初対面ロリに負けちゃう〜! ここで終わるのか……俺。もう、終わりかよ──!!
「【ダインハギル】!」
右頬を掠めた電撃の弾。背中を預けていた壁にめり込み跡がくっきりと現れる。
その魔法を俺は知っている。いや、その魔法を使える人を知っている。選ばれた人間にしか使えない無詠唱魔法。それを扱い、己を国内最強魔法使いと信じる乙女。
「──お取り込み中悪いけど、説明してもらえるかしら。お二人さん?」
「シェルト……さん!?」
……どっからどう見たってさ、今の俺やばいよね。女の子は『既成事実♡』作ろうとしてたみたいだから流石に言い逃れできんよね、おわた。
「あら、誰かと思えばマーキュリアルさんではありませんこと? ……私のフィアンセに何か用かしら? ──そういえばこの服に、あなたの家の家紋が刺繍してありましたけど」
え、なんでこの子自分の婚約者とか口走っちゃってんですかね……もしかしてこの子の記憶の2年前に俺とそんな約束したんですかね?
「ふーん。私のフィアンセ……ねぇ? ──レプラコーン」
顔をめっちゃ近づけてくるシェルト。その近さに、女の子独特の香りに、めっちゃ頭が痛くなってくる。
「それは本当なの……?」
「え、いやいやそんなわけないですよそんなわけ! それにネルちゃんはさっき会ったばっかりで……それなのに俺を知ってるみたいな感じで、それで──」
「まあいいわ、とりあえず立ちなさいレプラコーン」
ムッとした顔だったけど、優しさも感じた。腕を組んで俺を見るシェルト。それを見て、土下座した後に立ち上がる。
そしてその後、シェルトはネルちゃんを見てこう言った。
「それで? どうしてあなたがここにいるのかしら」
その言葉を聞いたネルちゃんがニヤリと笑む。邪悪とも、妖艶とも、不穏とも──そして自信とも取れるその笑い顔。
「──ネルール・リュガオン。超名門A級貴族、リュガオン家の三女さん?」




