61 悲惨にも夜は明けぬ
ナイフを握る。
オルザやレンドリュー、そしてシェルトの前で彼らを守る。もう決めた、決心した。
目の前にいるのは、裏切り者のマズルカ。
片腕を切られたオルザは、もう生きられないだろう。出血多量で死んでしまう。確実に。
でも、一秒でも長く生かしてあげなきゃいけない。
レンドリューとシェルトには、もっと生きて世界を見てもらわなきゃいけない。俺の半分しか生きていないんだ。
そして最後。マズルカを止めて、みんなで暮らす。
「……マズルカ」
「なんですか、ロッゾさん?」
彼女も俺と同じナイフ。オルザを一撃で仕留めた腕前を見た。
どうして、不器用な彼女がこんな技を扱えるのだろうか不思議でならなかった。
それとも、全部嘘だったのか。
「俺、マズルカのこと……好きだったよ」
「ええ、その卑猥な眼差しを見ればすぐにわかります」
全部。
「髪が好き、目が好き、声が好き」
「ええ、知っています」
全部……
「笑い顔が好き、悩んでいるときの顔が好き」
「この日のために、観察してきましたから」
全部……!
「今の顔は、嫌い」
「嫌う時間は、あとどれくらい欲しいですか?」
全部嘘だ。
「いらない」
「あら、ロッゾさん。すぐに死ぬから必要ないと?」
もう一度、ナイフを握りしめる。
「ううん、違う──」
「なら、私が死ぬから顔は見ないと?」
「そうだ、よ」
目の前の敵を殺すために。
「好きだったはずのマズルカの顔だけが、マズルカという俺が好きな女の子の顔だ」
「へぇ……随分と傲慢なんですねっ!」
喉元をナイフが掠める。全力で反り返りながら避けて、そのナイフを持った腕を蹴る。
「下がってて、三人」
「あら、自分の心配をしたら?」
もう一度マズルカは襲いかかってくる。ナイフを持った手を弾き、ナイフの軌道を逸らす。やはりまた空を切る。
「うぐっ!」
腕を切られ、血が出る。ザクッと行かなかっただけマシだが、それでも日常では味わえない不快感だった。
「でも……ッ!」
二回目のナイフの軌跡を見切り、同じくナイフをぶち当てて相殺する。
「ッ……! なかなかに!」
だが猛攻は止まらない。防戦一方、いやただの防戦だった。だけれど、俺は絶対に守る。
オルザもレンドリューもシェルトも。
「絶対に守るッ!」
マズルカのナイフが俺の命を狙う。
「見切っ──────た!」
「なっ!?」
カキン、と甲高い音が礼拝堂に響く。
刃物のかち合う音が鳴る。弱々しい音だったが、その音は本当に綺麗だった。
ナイフが、飛んだ。
もちろん、マズルカのナイフが。
「もらった──!」
渾身の蹴りが炸裂する。マズルカの脇腹に、俺の左足がめり込むように刺さる。
このまま蹴り飛ばす!
「無、駄!」
だけど、そう簡単にはいかない。
空いた体に左手でボディーブローをかまされる。そして彼女の右手は右手は飛んだナイフの方向に伸ばされていた。そんな、ナイフを取りながら殴ったのに、俺は飛ばされる。
「……何がもらった? ロッゾさん何をもらったんですか? もしかして、死ぬ場所をもらったということですか? よかったですねぇ、神聖な場所で死ねて。あなたはきっと神様が祝福してくれますよ?」
動けない。利き手でも何でもない左腕で殴られたのに、女の子に殴られたのに、吹っ飛ばされて情けない。
「情けないなぁ、俺」
ナイフが、彼女が迫る。
もう無理だった。何も味方してくれない。神様に祈ることもできない。目を閉じて、死にゆく自分を嘲笑う。
「……ごめん」
グチュ。ダラダラ。ゴポリ。ドブッ。ベトベト。
「え……?」
マズルカの奇妙な声に、俺は閉ざしていた目を開ける。
「お、オル、ザ……?」
「かはっ! んぐぐぐあ!! 痛い痛い痛いっ!」
目の前に、人が立って守っていた。その人は腕を無くし、口と腹からドボドボと血を垂れ流していた。
「オルザ!」
片腕のない少年が、命を賭して守ってくれた。
「オルザッ!」
「ロッゾ兄さん。僕は、もうすぐ死んじゃうけど──」
少年は最後、男になって死んでいく。
「──みんなで、くらせる日が来ると……いいね」
彼は目を瞑った。最後の役目を終えたかのように。微笑みながら、いつも静かだった彼は、最後まで優しく息を止めた。
ここまでしなきゃ、覚悟は決まらないか。
「情けないなぁ、俺ッ!」
もう迷いはしない。一直線でマズルカを切りに行く。
「チッ……はっ!」
ナイフが刺さったままのオルザを投げ、自分の身を守ろうとするマズルカ。
俺はそれに、とてもクソみたいに不快な感情が湧き出てきた。
「その思いは、俺が繋ぐ!」
投げられたオルザの亡骸を避けて、勢いよくナイフを振り上げる。
「いっ……!!」
頬をジャキっと斬りつける。その感触は、本当に汚らしくて、そして悲しかった。
「たいなあッ!!!!」
「マズルカ──ッ!!!!」
バコンッ!!!! 大きな音と共にナイフが宙を切る。今度は俺のナイフ。腕を殴打されて吹き飛んでしまった。
だけど、取っている余裕がない。
だから構わず左で殴りつける。
「うぐっ!」
「がっ!」
相手も顔面に拳を刺す。
そっからは、拳と蹴りの応酬だった。殴っては殴られ、殴られては殴り。
マズルカは鍛えられていたらしく、的確に急所を突いてくる。でも俺だって、男だしここにくる前は強盗をしたり逃げたりしてたんだ。
でも、体力でも負ける。力でも負ける。しぶとさ、速さ、的確さでも負けている。
こんなことをしていたら負けるのは俺ってことは明白だ。
だけど、もう決めたんだ。ここで、彼女を殺すと。
だから、想いだけは。心だけは負けられない!
悔いはなかった。最後の一発を入れ、相手の拳がくる。
だから、その前に。彼女の息の根を止める。
「『穿て【閃光】』」
ヒュン、という簡単な音だった。簡単な音で、至近距離で、マズルカの心臓を撃ち抜いた。
「あ……あ……!」
「ごめんな、マズルカ」
ばたりと仰向けに倒れ、生きようと必死にもがいていた。だけどもう無理だった。
「もう、何も言わなくていいから」
「ロッ……ゾ!」
もういいよと、言葉を終わらせる。
だって。だってだって、だって!
言葉なんて、聞きたくない。
マズルカは二十秒たたずに、完全に動きを止めた。
「…… 神の加護によって、彼女の魂と、全ての身まかりし信徒の魂が、安らかな眠りにつきますように」
決まり文句。俺たちが隠れていた場所に置いてあった、一冊の本の一文。
これを、オルザとマズルカに。
……必ず、みんなで暮らせる日は来るよ。
きっと、必ず。
そこで初めて、自分のしたことに気づく。
俺は二人殺して、二人に恐怖を与えた。
音は静かだった。嵐は過ぎていた。
オルビスの声が聞こえた。それは、俺には眩しすぎる声だった。
だから、
「オルビスはやってくる。だから、レンドリューとシェルトはそれまで少し待ってて」
だから、
「ろ、ロッゾは? ロッゾはどうするの!」
だから、
「あー、水汲んでくるよ。それまで少し、お別れな」
「ロッゾ……」
「なに、シェルト」
「……いっしょに、くらそうね」
だから、逃げる。
「ああ、約束だ」
だから、俺は嘘をつく。
走った、走った、走った。街を横切って盗みを働き、村を歩いて金を奪って、町で飯だけ泥棒して。
クソ汚い日々だった。なにも楽しくなかった。
そもそもあの日々のどこが楽しかっただろうか。
裏切り者に誑かされてきた、あんなクソみたいな場所に。
……でももう、そんなふうに思えない。
目の前に、男が立っていた。
「誰だ、お前!」
返事はなかった。鋭い眼光をぎらつかせた人の手には、首があった。生首が。
それはとても綺麗だった。
「……君、怪盗に興味はあるかい?」
それが、元団長との出会いだった。
それからというもの、殺しに盗みを働きに働き、陣魔法を覚えた。
もう二度と、人を殺めた詠唱魔法を使わないようにと。
☆
全部過去の話だ。もう、目の前に迫っているものはマズルカではない。
「ああ…………ここで死ぬのか、私は」
あの時、オルザが繋いで、マズルカの命を奪って、沢山の人の物と命を奪って、結果がこれか。
情けない。
情けない情けない情けない!
でも、足掻こうと、逃げないでいようと思った。
何故だろう、何故なんだろう。でも、死にたくなかった。
きっとそうだ。
認められたかった。自分はよくやったと。沢山の命を奪ってきて、それでも……マズルカは認めてくれると。
そんなはず、ないだろ。
『そんなことないですよ、私は認めます。ロッゾさん』
自分の心の中に、騒ぐものがあった。
『ロッゾさん、おかえり』
「……マズ、ルカ?」
呼ぶものがあった、帰る場所があった。そして。
『ねえロッゾさん。また一緒に暮らしましょう? 今度は、二人だけで。私を……マズルカを独り占めにして』
心はもう、彼女を許していた。逆に、自分に救いがあるとは思ってもいなかった。
──俺は、許されたのかな。
「なんだよマズルカ。私はまだ、君に囚われていたんだね」
笑えた、呆れるほど笑えた。なんて簡単だったんだ。
理解なんて元からなかったのかもしれない。だってもう、大好きだった人のところへ行こうとしている。
朝日も見ずに、夜も明けないうちに。
それでもいいかな?
「また逃げるよ、また殺すよ。私はそうやって生きてきたんだ。マズルカを殺した後も、何度も殺した。マズルカが目指してた魔法使いになるために、何度も何度も失敗して小さな世界を作る術式を組み上げられるまでになったんだよ」
『うん。私はね──』
「本だって沢山読んだ。怪盗の中でも頭はいい方だった。花も育てた、自分でご飯を作ってみた、洗濯だって掃除だって、もちろん小さな奴らの世話だってした! 全部、全部!」
『私は──』
「レンドリューが生きてるって、怪盗になっちゃったオルビスが言ってた。シェルトも生きてるらしい。……だから、俺だけそっちに行ったら、もう何もできないんだ!」
『──ここにくるのは、あなたと私。二人だけ』
「でも! マズルカは、みんなのマズルカなんだ!」
『これからは、違うよ』
少女の口が、心臓を優しく抉り取っていく。
『私は、ロッゾが好きなマズルカじゃないんだよ』
「あ。………………ぁ、やめろっ」
『誰にでも優しく接さない』
「やめろ」
『でもあなたのことはちゃんと見てる』
「やめろ──っ」
『あなたのこと守ってあげられる』
「やめろ……やめろ!」
『あなたのこと認めてあげられる』
「やめてくれ!」
『あなただけを見て、認めて、あなただけに笑う』
──そんなの、俺の嫌いなマズルカじゃない。
『私ね、ロッゾのこと』
『────好きだよ』
ああ、ああ!
もう無理だ。もう私は……俺はマズルカのことが。
嫌いじゃ、なくなっちゃうじゃないか──。
☆
悲鳴はならなかった。最期は、満足したような顔だった。
花の匂いと共に。
──────肉の散る音が、消えた。




