59 全てを呑み込む大顎
そして戦いは巻き戻る。男と男の、想いを懸けた戦いに。
☆
「うぐっ! 『魔力の糸』!!」
攻撃は止まない。世界の方が、俺を拒絶する。
「どうした……そんなものか? デルシャを退け、ガーメスを亡き者にした人間とは思えないなあ……鈍間よ!」
目が、開く。全方位からの攻撃を見切ることはできない。セタには頼ることはできない。
できることは、この攻撃を逃げ続けて避け続けて、術者本人にダメージを与えなければならない。
はっきり言って厳しいし、賭けになる。
魔法で道を切り開き、魔闘真流奥義でロッゾを打ち倒す。
魔闘真流奥義、発動には時間がいる。それを手にするためにも、道を開いて戦わなければいけない。
「いや、随分としぶとい。でも、逃げ続けられると思っているのか? ──随分と舐められているんだな、私はッ!」
【閃光】は効果がない。それは理解している。が、魔力の糸を張り巡らせている関係で、無闇やたらに魔法を使用することはできない。【光芒轟雷】を使えれば、どうにかしてこの状況を打破し得るかもしれない。しかし大地の方から攻撃してくるこの状況じゃ、詠唱のために意識を向けるなんてことは厳しい。何せ4節の詠唱魔法なんだ、それにまだ扱うのには十分な神経が必要。ここで頼れる魔法じゃない。
少しの傷は考慮しなければならない。傷つかなければ怪盗の場所にはたどり着けない。
「はーっ。──んっ!」
息を吐いた。
ため息だ。呆れたわけじゃない、勝負を諦めているわけでもない。
今は俺一人。生きていられるなら、少しくらい無茶してもいい。どの道こいつを倒さないと、この世界から抜け出せないんだ。
拳は握らない。だってもう、覚悟は決まったから。
「『雷一閃・稲妻よ走れ──』」
身体の横に、電撃が生み出される。それは目の前の男に向けられており、まるで全てを貫く矛のようだった。
「『貫け電撃、【雷闢】』ッ!」
走り出す、二本の雷柱と共に。
突き出してくる壁。捻って、転んで、跳んで避けて、前は前へと足は止まない。雷柱が隆起した壁ごと貫き、進行する。
一本目の雷柱が威力を失って墜ちる。足はまだ止めない。前に、前にと動いていく。
二本目の雷柱は、避けきれない攻撃と相殺させる。今の俺は紛れもない丸腰。だが【雷闢】はここまでにおいて、十二分の働きをした。
目の前に、怪盗。
「ロッゾ──ッ!!」
俺は、最後の一歩を──踏み出すことはなかった。
「陣魔法って流行らないんだよね、この国では」
金縛り、だろうか? 身体は何もできない。
言葉が、最後の武器なのだろう。生憎、俺にそんな力はない。だけど、素朴な疑問が一つ。
「あー理由ね。この状況なら君なんて脅威でもなんでもないから、ただ話をしようと思ったんでね」
そう言って、怪盗ならざる無垢な心で問いに返す。
無垢な心、というものは訂正しておこう。やはり、目の前の怪盗にあったのは、一筋の光を超える、俺の精神を削る悪意だった。
「陣魔法は流行らない。私の見解として、この国の気質が帝国時代から変わってないから、だと思うんだよ」
見下すような目を俺に向けられる。下を見ると、魔法陣が展開されていた。多分これで、これ以上の進行を拒否されているのだと理解する。
「だってそうだろ。この国は国を守るより、国を攻めるために強くなっていった。どこかで待ったりしないんだよ、自分から殺しに行くんだ。だから、その場で使える詠唱魔法になったんだよ……スタンダードになったんだよ、殺しの魔法がッ!」
ゼルルド帝国。今は昔、マキアなどの今の隣国を、その強大な武力で蹂躙して自分たちの地にした、極悪の侵略国家だ。
「魔法は……カッコいいから使うんだよ!」
魔法というものは、最初は神への問いかけだった。神託と呼ばれたり、雨乞いと呼ばれたり。時代と土地によってさまざまな活用方法があった。
それをゼルルド帝国屈指の『魔女』である、『リリィ』と呼ばれる少女は見つけ、兵器にした。それが『詠唱魔法』。手軽に使いやすく、対象を絶命させやすい力だった。単純な破壊力は他の魔法に劣るが、比較的誰にでも扱えるその魔法は、瞬く間に世界を蹂躙する軍隊を作り上げた。
そんな歴史。
小学生でも分かるほどの、原初の魔女の功績。
それを目の前の男は、否定する。
「私はそれが嫌いだ。どうしてそんなに死にたがる? こうやって陣を敷いて、敵を待ち構え、一網打尽とする方がよっぽど効率的だ。どうしてだ、なあ少年」
彼は問う。想いのあり方を。
「──どうしてそんなに死にたがる?」
確かに、詠唱魔法というものは非効率的で、戦いには向いていないのかもしれない。でも、待てないじゃないか。陣を敷いて、時を待つ。そんなことをしていたら、もっと大切なことまで奪われてしまう。
「死にたいわけ、ないだろ!」
何かを手に入れるために魔法を唱える。欲深き鬣狗の所業だ。自分の欲だけで、神への問いかけを行うなど、本物の冒涜なのかもしれない。
「この力は、何かを取り戻すための力だ! 何かを掴んで、離さないための、力だ!」
独りよがりかもしれない。正論なんて言ったないのかもしれない。論理的でもなんでもない。ただ本能だけで、言葉が生み出されていく。
「ロッゾ、お前には分からねーよ!」
啖呵を、切った。力を込めて、一歩前に進む。踏み締めた!
「う……ッ──!」
そして、放つ。俺の本気の信念を。
魔闘真流拳闘術、奥義──
「幕雷ッ!!!!」
ゴウオウと大きな雷鳴が轟いた。怪盗の咄嗟の地形防御をも打ち砕き、その衝撃波は目の前のものを全て飛ばした。
「ガハッ!」
それは怪盗も例外でない。俺は陣魔法が解除されていると気づくと、すぐに目の前の男目掛けて走った。
もちろん、闘いを終わらせるために。
「これで……終わりっ、だ──ッ!!」
俺の拳が、肩のはずれていない左の拳が怪盗の顔に突き刺さる。
俺の拳が、まるでロケットパンチのように体から離れていく。
肩口から、バッサリと。
喰われた。
「──あ」
ああああああああああああああああああああ!!!!!!
「複合陣魔法『大海原の大顎門』。召喚獣の力を使った、ちょっとしたマジックだよ少年」
「ああああああ!! ぐっ────────だああああ!」
男は、腕を持っていた。体から離れた、生々しい腕の残骸を、美しく観察しているように思える。見えてはいない。頭で視覚も悪くなる。
だけど、彼が俺の腕を持っていると、そう感じた。
「お──おま、え!」
拳は握らない。だってもう、左拳が無いので握れない。恐怖で右腕さえも力を失って宙ぶらりんの状態になってしまう。
声が裏返る。頭と恐怖と、こんがらがって。
痛かった。こんなになっているのも、何か自分が悲しく感じられる。
痛い、痛い、耐えられない。
「魔導書は二の次さ。私は最初から君狙いだよ? ──まあ欲しいものは君ではなく、君の魔女の力とそれを溜め込むための君の肉片……だけどな!」
何の躊躇いもなかった。
「いやこんなにも簡単に奪えるとは……いささか不思議でならない。デルシャならこんな小僧一人などとうに消しているはずだが──まあ、考えるだけ無駄だということか」
「お、ま、え──ッ!」
いやはやと、怪訝な光悦を浮かべる怪盗。その顔が、殺したくて殺したくてたまらなかった。俺の感情じゃない、何かが俺の中でそう叫ぶ。
まるで、自分の操作を、他人に委ねたかのように。
「おっといけない。魔力が残るように切り落としたせいで、新鮮さが保っていられないんだった。分かるよね、君にも」
「に、げ、る、な」
立ち上がって、歩いていた。それだけで、周りの壁がエルヒスタ・レプラコーンを潰していく。抵抗出来ずにただ潰されていくだけ。
「と、ま、れ……!!」
「うるさいよ、肉塊。13歳にもなって、自分一人も守れやしないんだ。……悲しいな」
ベチャ。
「逃げる、な……ッ!!!!」
首は折れ、脱臼だけだった右肩は擦り潰され、関節が砕け足が曲がる。
「だからさ、もう君の役目は終わったんだよ。大人しく潰されて……死んで」
ドロドロ。
「まて……」
ドロドロ、グチャグチャ、ベトリ。
「────うるさい、うるさいんだよ! 私を怒らせないでくれるかな! この手が、魔力が、魔女の力が! 夢をより強固にする。必要なことだ、君にもチャンスはやって来る。だって……これがあれば、君も生き返るんだ。大いなる術式が完成したら、世界の法則なんて泡になる! 私はそれが見たい! だからと理由は付けたくはないが……それでも! この死は……! 君の死は、必要な死なんだよッ!」
ピキ、バキバキ──────ぐたり。
「むしろ喜ぶべきだ、金目の少年! 君の命は、意思を持って私が預かる。君の死には夢が懸かっている。君の死には思いが懸かっている。君の死に、人は祝福さえしよう! ……それまでの辛抱だ。世界のために死ぬなんて、とても素晴らしいことじゃないか! ……これが良いこと、最善なんだよ分かれっ!!」
「ああ……俺、は──ッ!」
エルヒスタ・レプラコーンが、俺でなくなる。
「君の魔女の力は、私が預かる。いつか完璧な世界でもう一度、君と魔法について語らうことを楽しみにしているよ」
俺は……、あ。あああああああああ────────
そして、俺はぐたりと────
────落とした腕を────理解せ────
プリムラ────出て────離せ────止ま────
倒れ────止まらない────夢────掴む────
──────────────────────!
────────────。──────。──エル──
──。──────! ──────。────!
分からない。────あなた。────憶の欠如。
もう一度、────できるなら。────する。
──は必ず────で分かり合え──。
まだ、会えないから。だから、こうやって。
私が、あなたを守らなきゃ。
☆
──────────その少年は起き上がった。
「──な、に……?」
バキバキと体を鳴らし、不規則に目玉を動かし、壁の中から這い出て来る。
「深刻な破損を確認。『神の癒薬』による肉体の完全再生可能。目の前の脅威の排除を優先。これより、敵性因子の排除を開始します」
無機質な声で、でもどこか愛に満ちていて、美しい声。
少年の喉から、その声は発せられた。




