呪珠つなぎ~怨念よさらば~
今回長くなったので2編に分割。
剛岩、決着。
月が隠れた暗い夜、地を揺らすような轟音と震動を感じて、瑞文は一時会議を中断して、中庭に向かうよう一同に呼びかけた。
会議では仙術振興会の霊閥加盟や、剛岩の無礼や長老たちの契約違反への責任追及が取りざたされていた。功妙寺側の責任を追及されて、土下座までして言い逃れようとしていた長老たちは、この事態にほっとしたように部屋を抜け出す。仙術振興会代表の裁人は加盟の手続きが済むと、「西廟様に霊閥入りした挨拶がてら様子を見てきます」と言って中座していた。仙術振興会は、裁人の方に何かあったのではないかと心配になってついていく。瑞文は礼紗の身に何かあったのではないかと心配になっていた。会議から抜けられない代わりにまともそうな裁人を向かわせたし、やけを起こすような子ではないと思うが…。
そして現場につくと、無残な死体の横で自身を責める礼紗を見つけたのである。こんな残酷な殺し方をしたのは、人間か怪異か。このつぶれた死体は誰のものか。加害者はまだこの夜闇の中に潜んでいるのか。当事者の礼紗が錯乱してまだ事情を聴き出せないために、瑞文は考えをめぐらせながら、手帳に様子を書き込み、周囲を警戒する。瑞文以外も、こんな死体を作ったのは誰かと警戒する者もいれば、死体を憐れんで十字を切ったり手を合わせたり、経を読む者もいる。惨い死体だが、彼らは職業柄、第三者の死体を見て、冷静さを失うことはない。死体の関係者を除いては。
「この服、神使さんじゃないの…?」
「そんな、神使さんが…?」
「嘘つけよ、あの人がこんな…」
「殺されたってのか、信じらんねえ」
仙術振興会の面々は、自分たちと同じ仙人服を死体が着ていると気付いた。それなら、死体はここにいない裁人しかありえない。彼らは動揺と怒りをあらわにして、礼紗を問い詰める。
「どういうことよ、あんたさっき、自分のせいだって言ってたけど?」
「教えろよ、神使さんに、一体何があったんだ!」
「つうか、お前強いんじゃねえの?神使さんが殺されるまで何やってたんだ?」
「あんた、神使さんを見殺しにしたんじゃないの?」
「ごめん…ごめん、なさい」
裁人が死んだ真相がわからないために、彼らの怒りは現場に居合わせた礼紗に向けられる。憶測でなじられても、礼紗は反論しようとしない。反論する気力も感じられない。
「お黙りなさい!」
そんな被害者たちにしびれを切らし、瑞文が一喝する。
「あんた、被害者のあたしたちに黙れっていうの?」
「俺たちはなんで神使さんが死ななきゃならなかったか、知る権利があんだよ!」
「なぜ死んだ?この状況を見てわかろうとしないのでは、神使さんも報われないわね。礼紗を守って死んだに決まっているじゃない」
「それが納得いかないって言ってんのよ!」
「なんで傘下入りで保護してもらった神使さんが、こいつのために死ななきゃならないんだよ!」
「神使さんは霊閥に傘下入りする時に、私たち組織は一蓮托生だと認めたはず。それは強い方が弱い方を守るのではなく、助け合ってお互いを生かすということよ。その覚悟を無視するというの?」
瑞文はそう問いかけながら、手帳を開き、記録してある裁人の言葉を指し示す。一字一句たがわず残っている、生前の裁人の言葉。それを見せられると、仙術振興会は黙り込む。裁人のために怒りを見せるなら、彼の生前の誓いまで無視できない。
「霊閥は単に宗派をまとめてるだけじゃない。力ある者が怪異に立ち向かうために、力を集約させたのが、そもそもの目的よ。神使さんが目の前の礼紗を守るために殉じた、彼の遺志から目をそむけちゃダメ。そうよね?」
仙術振興会は、裁人が守ろうとした礼紗を、自分たちが傷つけていたと気付かされ、口々に謝罪する。
「その、悪かった…」
「ごめん、ただ、私たちは事情を知りたくて…」
「…話します。何があったのか」
瑞文の言葉は、礼紗の心も打っていた。今は、悲しみと罪悪感に浸っている場合ではない。瑞文は仙術振興会と礼紗の双方に、檄を飛ばすのが狙いだったのだ。
礼紗から剛岩の報復行為を聞いたその場の全員は絶句する。しかも、剛岩は夕刻の決闘の時より、さらに強力な気功拳法を見せたという。
「ただ執念だけで生霊になったというなら、いきなり気功拳法まで強くなるのは妙ね。恐らく何らかの怪異が、力を与えているわね。霊能力者の本拠地ともいえる、ここを潰すために」
礼紗の話を記録し、更に情報を整理し始める瑞文。本陣強襲を狙えるほどの怪異が相手となると厄介だ。この屋敷の霊的な防御を突破し、既に屋敷のどこかに潜んでいるかもしれない。
仙術振興会は裁人の弔い合戦として、怪異と戦う気を見せている。彼らにとっても惜しむべき指導者だったところが大きい。
一方の功妙寺はというと、戦うのに尻込みする空気が漂っている。若い僧たちは、旗頭の剛岩を敵に回す事実を受け入れ切れていない。話を聞いただけでは、剛岩と霊閥のどちらに味方していいかわからないのだ。
長老たちは、これ以上関わりたくないのか、そそくさと逃げようとしている。
「わしらと剛岩はもう関係ないんで、帰らせてもらいますわ」
「そうじゃ、関係ない奴に巻き添えで命を狙われちゃたまらん」
「この非常時に逃げるんですか?霊閥に加盟したいと言い出したのは、あなたたちでは?」
「わしらは老い先短いから、なわばりを守って戦うのがしんどい。老後の保障が欲しかっただけじゃよ」
「こりゃ内乱でしょう。関わっておれんわ」
「わしらは寺に戻って剛岩を破門する準備をせんとな」
会議では、剛岩を筆頭とした反乱分子を切り捨ててまで、霊閥入りを懇願していた長老たち。今度は霊閥を見限って、責任追及や剛岩の復讐から逃れるつもりらしい。
「どうやらあなたたちは、下につこうとした時点でとっくに誇りを捨てていたようね。さっさと消えなさい!」
瑞文の最後通牒を聞いて、長老たちは門まで足を速める。その時、礼紗は悪寒を感じる。何かが外から狙っている。
「…危ない!門から出ないで!」
「はっ、そんな脅しには乗りませんぞ!」
「逃げればこっちのもん。後は野となれ山となれ」
「出口を抜ければ、しがらみとはおさらばじゃ」
礼紗の警告をせせら笑った長老たちは、門から出た途端に突然火だるまになる。
「ぎゃっ、ギィアアアアッ!」
「熱っ、アジイイイ!」
「ガアアアアッ!」
断末魔を上げて彼らは転げまわり、やがて叫びもがく力も失い、黒く炭化して地に伏す。炎は彼らの死を見計らったように、自然とかき消えた。
屋敷を出ようとする者にも罠が張ってある。屋敷に潜む怪異を倒さなければ、生き残れないということだ。
「門の外にいるの?そいつが長老たちを?」
「門の外にいるっていうより、屋敷全体を見えない炎で覆っている感じ。多分本体が屋敷のどこかにいる…」
礼紗は霊感で気づいたが、瑞文はこういう霊感が全く働かない。
「戦意がない人は厄介払いしておけば安全だと思っていたのに、そう上手くは行かなかったわね…」
「また、死なせてしまった…」
悔しそうに顔をしかめる瑞文。そこへ、剛岩を探しに行かせていた使いが戻ってくる。剛岩は意識を失って眠っていたはずが、いつの間にかどこかへ消えてしまったらしい。生霊となって体を離れる以上、自分の体は隠してあるのだろう。
瑞文「話を聞く限りでは、剛岩の生霊は霊を含めても二人の殺害が限度で燃費が悪い。となると、4人以上で組んで、手分けして剛岩の本体を探して抑えた方が確実ね」
(最大戦力の礼紗が持ち直すまでは、力量で劣る私たちがフォローするしかない。これがおそらく最善策)
瑞文はこの提案で、この場の全員をまとめようとしたが、異論を唱える者がいた。
「それでは遅いって…その声は、神使君?」
目が覚めたように礼紗の顔に生気が戻る。
「神使さんが生きている?いや、私には聞こえない。ということは、霊の声…」
この中庭で殺された裁人が霊となり、礼紗に語りかけているようなのだ。霊感に覚えのある高位の聖職者たちにも、その声や姿が届いている。逆に仙術振興会の面々は霊感が足りず、闇雲に周囲を見回している。
「理解が速くて助かります、西廟様。剛岩がああなった以上、私も心残りで現世を離れられなかったと言いますか」
「ごめんなさい、神使君がそうなったのは、私の…」
「私は思い通りに行動したまでのこと。これでいいのです。私の弟子たちにもそうお伝え願えますか?」
礼紗が身も世もなく謝ろうとするのを、裁人は静かに止める。その態度には、死の苦しみなど感じられない。
「うん、あの、みんな、ううっ…神使君は…グスッ、思い通りにって…」
礼紗は再会の感激と、申し訳なさで嗚咽して、言葉にならない。
「神使君は、自分の死に悔いはない。そう言いたいんでしょう?」
瑞文がその言葉をくみ取り、礼紗がうなずく。礼紗は裁人に責められて泣いているのではない、そう察することはできた。その通訳には、仙術振興会も納得した。礼紗の感激した様子は、今の自分たちの気持ちにも似ていると思えたからだ。
「私よりも、皆様の命が危険にさらされています。剛岩の生霊は、呪い殺した相手の力を奪い取っています」
「それじゃ、さらに強くなってるってこと?」
礼紗が愕然とする。ただでさえ、力ではとても敵わなかったのに、殺すたびに強くなっていくとは。屋敷の周りが包囲されたのもそのせいか。
「私は力の大部分を奪われつつも何とか魂をとどめましたが、壱功様は“気”のエネルギーに変換されてしまいました。次は4人相手でも厳しいでしょう」
裁人の話から作戦変更、全員が屋敷内の大部屋に集まり、半数が見張りにあたることになった。剛岩の本体を探すために、数を割くのは危険だ。
大部屋の中で先に休ませてもらうことになった礼紗だが、周囲が寝静まってもまたしても眼が冴えて眠れないでいた。
「本当に寝なくて大丈夫?朝になったらあたしたちが見張る番だっていうのに」
「どの道眠れる気分じゃないし…こんなに色々あって眠れないって」
「僭越ながら、私のことはお気になさらず…」
「神使君に気にするなって言われても、気にしちゃうよ…」
「幽霊になって出てきたら、気にするに決まってるわよ。礼紗もいい加減割り切りなさい。あんたが引きずってるから、彼も現世に引きずられているのよ」
瑞文は裁人の声は全く聞こえないのだが、礼紗の反応を見て会話に入ってきている。
「割り切るなんてそんな酷いこと!だって私にとっては、神使君は、そのぉ…」
瑞文に食って掛かったかと思うと、恥ずかしそうに口ごもる礼紗。
「えっ、もうそこまで想ってたの?あなたのタイプに近いとは思ってたけど…」
「西廟様、その先は軽々しく口に出さない方がよろしいかと存じます。それはつり橋効果というもので」
瑞文と裁人は礼紗の想いに気づかされて面食らう。しかし一度口に出した礼紗は、その程度では止まらない。
「恋に時間はいらない!…って誰かさんも言ってるから!それに私は相談に乗ってもらった時から、神使君はいいなって思ってたし、神使君が私をかばってくれたからいいなんて絶対思わないよ」
「あのねえ、それは恋に恋してるだけでしょ。いくら出会いがないからって、焦り過ぎ」
「私は既に死んだ身でありますが故、西廟様のためにはならないかと…」
「そういう神使君は、私のこと、どう思ってるの?好き?嫌い?」
礼紗は裁人自身の気持ちを聞こうとする。しかし目線はいつものように、伏し目がちで泳いでいる。
「私は西廟様をお慕い申し上げております。まだ多感な年頃と控えめな性格でありながら、霊の気持ちを汲み取り、争いに心を痛めておられる。あらゆる霊を受け入れる霊媒にふさわしき器量の持ち主であると」
裁人は真剣なまなざしを礼紗の視線に合わせて答える。あくまで人格を尊重しているような真面目な口ぶりだ。
「…やだ、ちょっと、褒めすぎ…私、そこまでじゃ…」
照れて紅潮した頬を、冷ますように手で覆って、足をもじもじさせる礼紗。
「自分で切り込んでおいて、褒め殺されてちゃ世話無いわね」
「私は西廟様に敬意と好意はありますが、それが愛に結びつくかどうかは…心を整理し、この戦いが終わってから回答してもよろしいでしょうか?」
「うん、私、待ってるからね」
「いい返事が来そうな予感ってテンションね」
「ふふっ、何ていうか後が楽しみ」
礼紗のテンションが持ち直した翌朝。
「出て来んか、リベンジ戦じゃあ!」
再び中庭に現れた剛岩の生霊。礼紗が出て来るよりも先に他の霊能力者たちが取り囲むが。
「散れ、雑魚ども!気炎弾!」
剛岩が炎をまとった気弾を放ち周囲を爆破、囲っていた霊能力者たちは、軽く吹き飛ばされる。仇討合戦に来た仙術振興会も、なすすべなく地に伏す。
「くっそ、あの野郎…」
「神使さんもこんな風に、許せない…」
礼紗たちも縁側にすぐさま駆けつける。
「神使君の言った通り、強くなってる!」
「ええ。しかも、霊体を構成する“気”を惜しげもなく使えるように、溜めこんできた様子です」
「朝っぱらから酷い大声。あの破戒僧に呪われてるせいか、あたしにもはっきりと生霊とやらが見えるわね。礼紗、ここはあなたが行くしかないわね。神使君は、憑依すれば援護できるはず」
「それは危険ではありませんか!?私程度で礼紗様の身を守るのは…」
「あの石頭は怪異に魂を売り渡しても、何度も中庭で戦いを挑んで、決闘の雪辱を晴らそうとしてるのよ。あなたたちと戦えないと、かえって無茶をしかねないわ」
剛岩が礼紗たち霊閥を呪うそもそもの因縁は、この中庭での敗北。だから誰もこの屋敷から逃がさずに、霊閥全員に戦いで逆襲しようとしている。
「任せて。私もあの人を助けるって、もう決めてるから」
礼紗はそれでも、人間相手に力ずくで止めようとは考えない。昨晩のような凄惨な戦いを見たからこそ、彼女自身に同じ所業はできない。
「しかし昨晩のようなことは…」
「あたしはその間に、剛岩の本体を抑えるわ。場所の見当はつけておいたから。剛岩の生霊を目の前で抑えてもらえば、あたしも捜索に専念できる」
「簡単に言いますね…私は時間稼ぎしか保証できませんよ?」
「それでも十分、後はあたしたちの作戦次第よ」
「行くよ。仙術操りし英霊よ、再び私とともに!憑依!」
礼紗は縁側から中庭に降り、瑞文は屋敷の中へ取って返す。
「来おったか。時間稼ぎなんて舐めた相談をしとったようじゃが、そんなものは皮算用。ワシの要求をはねつけたあの女も、己も、すぐに地獄に送ってやるわ」
「私がそうはさせません。神雷!」
礼紗に憑依して力の回復した裁人の雷が落ちるが、剛岩の生霊には全く応えない。
「そんなもんか?気功金剛丸!」
空中へ飛びあがり、再び必殺奥義を繰り出そうとする剛岩。
「またあの技が…今度は中庭で倒れている人たちが避けきれません!」
「私、今ならあの技を破れるかもしれない。こういう方法で…」
「なるほど、それならば確かに、可能性はあります。狙いは定められますね?」
「任せて。あれからどうすればいいか…必死で考えたんだから。集中して、絶対にはずさない!」
礼紗は、過去のトラウマから思わずあふれた涙をぬぐい、頭上の剛岩を見据える。滞空する剛岩の周囲に何条もの雷が撃ち込まれる。周囲に雷が帯電する。
「どこを狙っている?こんなものでワシの奥義は止められん!」
回転力と燃え上がる“気”のエネルギーがさらに高まる。すると、炎のように燃え上がった“気”のエネルギーが周囲に火花を散らし始める。周囲に帯電した雷と熱が反応してスパークし始めているのだ。
「何じゃ、このバチバチは?」
線香花火のような火花が広がり、剛岩自身に燃え移る、そして、剛岩自身が線香花火になったように、小爆発を起こし始める。
「こりゃたまらん!」
慌てて回転を解除し、自ら地上に降りてくる剛岩。空はかなり帯電し、爆発を起こしやすくなっている。空で燃えやすい炎の“気”を使うわけにはいかない。
「やりおる。じゃが、周りを帯電させるなんてのは、タメの隙があるからこそ。ワシの最強奥義、気功転神錐で次こそは…」
剛岩は気功転神錐を繰り出すべく倒立する。この技ならば、タメもなしで敵を殲滅できる。
その時、剛岩の気炎弾にふっとばされていた功妙寺の若者たちがヨロヨロになりながら立ち上がる。
「もうやめてくれ、剛岩殿!…功妙寺を売り渡そうとした長老たちも、もう死んだじゃないか!」
「アンタはならず者からやり直して大僧正になって、俺たちも拾ってくれた立派な人じゃないか!」
「寺が居場所だったアンタが、他の宗派を脅かす弾圧者になってどうすんだよ!」
剛岩はかつて力に物を言わせたゴロツキだったが、功妙寺に入山させられてからは、本気で寺を守ろうとするように構成し、大僧正にまでなっていた。自分と同じように行き場のない功妙寺の若者たちも、剛岩が拾ってやっていたのだ。
しかし、今の剛岩は昔以上に凶悪な所業を行っている。
「黙れ!ワシは功妙寺以外に何もなかったから、守るには戦うしかなかったんじゃ!だが功妙寺の強さも、誇りも、歴史も、すべて否定された!だから憎くてしょうがないんじゃ!」
功妙寺を思う同胞の言葉にも怒鳴り返す剛岩。しかし、彼は倒立の構えを中断して、相手を正視している。かつての同胞の言葉は、正面から聞こうとしたのだろうか。
「どうして?私はあなたを否定したくなんてない。なんでそんな悲しいこと言うの?」
「ふざけんな!神使や壱功と組んで、ワシをさらし者にしようと試合を提案したんじゃろうが?それに今の己は、神使を殺したワシが憎いんと違うか?」
「─っ!それは…」
礼紗の言葉も剛岩には通じない。それどころか、今の礼紗にも同じ憎しみがあると揺さぶってくる。
「己がワシを憎んですらいない、取るに足らんと思っとるんなら、ワシの一人相撲かもしれん。だが、今は違うはずじゃ。ワシを憎め。そうして土俵に引きずり込んだうえで、潰してやるわ」
「私…私は、どうしよう…」
礼紗が裁人を気にするが、憑依している裁人は心中で穏やかに応える。
「西廟様、私のことはどうか気になさらず、ご自分で決めてください。私は仇を取ってくれなどと、出過ぎたことは申しません」
「それでも、私は…」
本気の礼紗を待ち望む剛岩と、自分の気持ちに迷い続ける礼紗が、暫し立ち尽くす。その礼紗の心の中に、呪いの元凶が語りかける。
「新たなる呪いが生まれようとしているな。汝も望むか?我が呪いの力を」
その声は、礼紗にしか聞こえててない。憑依している裁人すら飛び越え、礼紗の精神に直接語りかけている。
「違う、私は呪いなんて…」
「偽るでない。仇と戦っている汝は、呪うために戦っているのと変わらない。教えてやろう。奴は汝と神使が会っていたから、共謀者として殺めた。つまり、汝の恋路を邪魔しようと殺めたのだ」
「そんな…私は神使君と、剛岩さんと分かり合えるようにって…」
剛岩と本当に争いたくなくて、裁人と話し合っていたことが、怨念のフィルターで逆に見られてしまったのだ。その理不尽に、礼紗は絶句する。
「呪いに理由など通用せず。呪われた者の事情など、呪う者は知ったことではない。なれば、その前に殺めてしまうのだ。今まで敵を払ってきたように、殺めるための力を望むのだ!」
「私の、答えは…」
礼紗は、憑依している裁人の霊を、自分の中から切り離す。
「西廟様、何を?」
「私は、これ以上戦わないってこと」
「何じゃと!」
「汝の心には、確かに呪いの心があるはず。全てから目を背ければ、汝も神使の後を追うのみ」
「私は力が足りなくても、呪いの力には頼れない。私も普段は書記ちゃんが怖いとか思う時あるけど、怖いだけだって思わない。私にも弱ってるときや、強がってるときがある。剛岩さんだってそう。みんな知らない顔を持ってるんだから、だから見た目だけで呪う気にはどうしてもなれない!」
それが礼紗の答え。誰でも知らない顔を持っているからこそ、憎い一面だけを見て呪うわけにはいかない。
「それで恋を邪魔した剛岩も、呪いから救いたいっていうの?随分大きく出たじゃない?」
そう口を挟んだのは、いつの間にか中庭に戻ってきていた瑞文だった。なぜかそのチャイナドレスは土に汚れている。
「その土…己は、まさか!」
剛岩が焦りを見せる。
「やっと気付いたようね、脳筋君。あなたの本体はもう抑えたから」
「剛岩さんの本体を屋敷で抑えたってこと?」
「屋敷に探しに行ったのは、剛岩を油断させるフェイント。この中庭に隠していることはわかっていたのよ」
瑞文は屋敷の中に戻ったふりをして、迂回して中庭に戻り、剛岩が敵に気を取られている隙に中庭に隠された剛岩の本体を見つけておいたという。
「なんでそんな回りくどいことしたの?」
「場所はわかっても、掘り出すのに手間がかかったのよ。その間に剛岩に狙われたくなかったから」
「つまりは地中に埋めていた、というわけですか」
質問した礼紗や、話を聞いていた裁人は話を飲み込んだが、納得できないのは隠し場所を暴かれた剛岩。
「クソ、何でわかったんじゃ?」
「昨日この屋敷に来たばかりのあなたは、どこに体を隠せば見つからないかなんて知る由もない。昨夜生霊から元の体に戻った時は、さぞ悩んだでしょうね~。体を離れて生霊として離れている間、どこに自分の肉体を隠して逃げ遂せばいいのか」
「うっさい、余計なお世話じゃ!」
瑞文に畳み掛けられ、狼狽する剛岩。
「そして、自分が使えそうな隠し場所は、この中庭。屋敷を抜け出しても、他の誰かに見つかるまで時間がない以上、手の込んだ隠し方もできない。それで、夕方に自分の技で空けた、この穴に埋めて、庭石と土でふたをしたのよね?」
瑞文がチャイナドレスのスリットから小麦色の足を伸ばし、不自然に土の新しい地面をトントンと指し示す。確かに、その地点には夕刻の試合で剛岩の技で空いた穴があったはずだ。
「こんだけ乱戦が起こっている中、穴や庭石が消えたことや、土の違いに気づいたんか?」
「見ればわかるわよ。あたしは一度メモしていれば、二度と忘れない。そして、急造トリックを種明かししている間に、時間も十分稼げた。そろそろ効いてくる頃よ」
瑞文は一枚の札を取り出す。和紙に墨の達筆で「頂遠山」と書かれたものだ。
「これは屋敷のすぐ裏にある霊峰・霊遠山の木々から作った護符。その名前を借りることで力が吹き込まれ、貼られた怪異の体に、霊遠山の重みのほんの一部が加わる。もう身動きもとれないはずよ」
剛岩の生霊は、その文字を見た途端に、恐ろしい重圧感に襲われる。実体のない生霊であるはずなのに、何かにのしかかられているような感覚で、しびれて動けない。その場にへたり込む。
瑞文は本人に霊感が一切ない一方で、強力な護符を作ることができる。彼女の出身である
旧家はそれを専門としてきている。
「う、動けん、このアマよくも!」
「さ、礼紗。このハゲ、煮るなり焼くなり好きにしたら?」
「ごめん、書記ちゃん。今は剛岩さんを責めてる場合じゃない。もっと邪悪な黒幕が近くにいる」
すると、剛岩から炎のような“気”が燃え上がり始める。今までの技と違って、剛岩本人を燃料としているような勢いだ。
「ぐおおおっ!どういうことじゃ呪祖!?」
これは剛岩本人の意思ではないのか、炎の“気”を与えた呪祖に怒号をぶつける剛岩。
「人を呪わば穴二つ。呪いを求めし者は、自爆してでも仇を殺めよ。この場の全員を吹き飛ばせば、汝の呪いは成就する」
「ふざけんな!ワシに戦う力をくれたんじゃなかったんか!?」
「カッカッカ、滑稽なり。我は呪いを成就するのみ。呪いながら死ぬがいい」
叫び這いずりながら、燃え上がる剛岩。このままでは、“気”の暴発で屋敷ごと巻き込まれることは、その場の全員に想像がついた。しかし、爆発寸前の剛岩には、迂闊に手が出せない。
「このままじゃ、剛岩殿が!」
「ダメだ、近づいたら燃え移っちまう!」
剛岩の戦いをとめたがっていた功妙寺の若者たちにも、突然の事態に動揺が走る。
「気功の伝承者よ、生ける魂を預け給へ。生霊、憑依!」
燃える剛岩の魂を、礼紗が自ら憑依させる。剛岩の生霊が護符や、“気”の燃焼で弱っていた今のタイミングだから、強制的に憑依させられた。爆発しそうな剛岩の魂が礼紗の内に移ったが、礼紗本人は玉の汗をかき、熱に耐えている状態だ。
「何してるの礼紗!そいつを取り込んだりしたらあなたまで…」
「大丈夫、私が、心の中で、剛岩さんの魂に、呼びかければ…!」
礼紗は目を閉じ、自分の脳裏に浮かんだ精神世界にいる剛岩の魂に呼びかける。
「剛岩さん、もう呪うなんてやめよう?このままじゃ、あなたの命が…」
「ワシには分かっていても、呪いが抑えられんのじゃ…。今ここで自爆すれば、憎い己の精神世界だけでも道連れにできるかもしれんと、往生際も悪くそう考えてしまうんじゃ。ハハハ…呪いで自ら破滅に陥る奴の心境なんて、皆こんな物かもしれんの…」
剛岩は自爆する呪いのせいで自棄になっているのか、礼紗の言葉も、自らの境遇も自嘲する。彼から発する炎が、礼紗の心象風景を炎に染めてゆく。そんな焦熱地獄の中でも、礼紗は何とか剛岩に手を差し伸べる。
「あなただって、呪いたくて生まれて来たんじゃないはず。あなたには功妙寺や仲間が…」
「ワシはそれよりも復讐を選んだんじゃ!ワシは荒くれ者だった頃と何も変わっとらん。気に入らんものを叩きのめしたい、それがワシの本性だったんじゃ!」
「…でも、その荒れた心を鎮めたいと思ったから、功妙寺に入山したんだよね?」
「……。」
虚を突かれたのか、始めて黙る剛岩。
「荒れているだけじゃない、やり直せるのが本当のあなた。功妙寺の仲間だって、あなたの本心から救おうとした。ねえ、そうでしょ?」
その瞬間、剛岩には手を差し伸べてくる礼紗の姿が、かつて荒れていた自分に手を差し伸べてくれた功妙寺の僧と重なって見えた。剛岩の身を包む炎がくすぶり、火の手を弱めていく。
「そのあなたなら、呪いからも抜け出せる。あなたさえ、自分の本心から望めば…」
「…たわけたことを言いおる。自分の周りを滅茶苦茶にされおいて、呪った相手には助かれなんて…本気か?」
「私は救える命があるなら、助けたい。死んでよかったと言える人なんて、滅多にいないんだよ?」
「ワシの…完敗、というか、勝負にすらなってなかったな。ワシも、残してきたもののために、死にたくなくなったんじゃ…おかしいじゃろう?」
剛岩の魂を、彼本来の“気”が包み込み、彼を覆う業火が離れていく。
「その気持ちがあれば、きっとやり直せる。…魂は元の器へ、呪いは主の元へ返り給へ。解放!」
礼紗の精神世界から剛岩の魂が解放され、元の肉体に戻る。それと同時に、剛岩に憑いていた炎も、礼紗の精神世界から追い出される。
礼紗が目を開くと、そこには元の肉体に戻って、土の中から顔を出す剛岩の姿が。護符を貼られて這う這うの体になりながらも、ニヤッと笑いながら礼紗に語りかける。
「お節介で生き残っちまった。ワシも己に諭されるとは、文字通りヤキが回ったようじゃ…」
「元気そうでよかった。さ、行こう。待っている仲間の所に」
一件落着で、周囲も一安心する。礼紗が手を貸そうとしたその時。
「…っ!離れろォ!」
剛岩が礼紗を突き飛ばす。剛岩に吹き込む生暖かい湿気を含む不吉な風、それを浴びた全身が火ぶくれのように赤く腫れ上がる。喉まで腫れ上がり、彼はそれ以上の言葉も発せない。全身を掻き毟るように悶え、そして事切れた。