主人公
三話連続投稿の三話目になります
「やはり少々遠いな……」
「まあそう言うな」
気を失ったダニエルを連行する五人の聖職者は、冒険者ギルドと自分達の船の距離にぼやく。
撃滅船と呼ばれる黒船は、王城の資料を押収するため敷地内に着陸しているが、冒険者ギルドは街の入り口付近で最も遠い位置関係にある。
これは外の怪物を殺した冒険者達が死体を持って帰ったり、血の匂いを纏わせることが多いための配慮だが、そのせいで聖職者達は中々の距離を往復する必要があった。
「しかし英雄伝説継承の恩寵か。名前のインパクトが凄かったからよく覚えている」
「ああ。だがもうずっと前だ。六年……七年前?」
「それくらいの筈だ。音沙汰がなかったから、上手くいかなかったのだろうとは思った」
暇つぶしなのだろう。聖職者達はダニエルが叫んだ英雄伝説継承について言及した。
この衝撃的な恩寵名は、世界中の情報を収集している対悪魔部署にも容易く届き、当時はかなりの興味を持っていた。
しかしそれからの情報は殆どなく、どうやら名前だけだったかと判断されて、テオへの接触やなにかの契約もなかった。
代わりに……今は悪魔がダニエルの魂に潜り込んで接触し、契約を持ち掛け……悪魔が驚く程、あっさり承諾された。
「っ⁉」
パンッ。と、なにかが弾ける音が響いた。
服だったか。それとも最後の理性の音だったか。
はっきりしているのは、左右からダニエルを拘束していた者達の腕がそれぞれ。そしてなにより、ダニエルの体そのものが弾けていた。
「アアアアアアアアアアアアアアア!」
奇妙奇天烈な存在が叫ぶ。
全身に高熱を発している金貨、銀貨、銅貨が張り付き、その下の肉体は熱に負けて肉が焼ける匂いと煙が立ち上る。
異様の一言だが、ダニエルの望みでもある。
尽きない富。金、金、金。全てを解決できる魔法の道具が常に自分の身にある願望。その願いは体から剥がれない通貨で構成された存在を作ったが、同時に金を使えない立場にもなり果てた。
「我らは?」
「神の剣。人の盾。白き教えの殉教者なり」
「ならば本懐である」
ほぼ同時に五人の聖職者達が宣誓を終える。
残念ながら戦闘に特化した、重厚な鎧を着ている者は王城に集っている。そしてここにいる五人は補助的な役割が主で、上位の悪魔に対する決定打を持たない。
それがどうしたと言うのだ。
本当に極々僅かな例外を除き、在籍中に戦死が確定している対悪魔部署の人間は、生きながら殉教者として扱われる。
ならば死ぬまで足止めして、後は純粋な戦闘員に託すだけの話だ。
「気色悪いんだよオオオオオオオオオオ!」
自分がどんな存在になっているか自覚のないダニエルが叫ぶ。
この悪魔にとって聖職者の宣誓は、理解不可能な嫌悪を齎したようだ。
「きゃああああ⁉」
「あ、悪魔か⁉」
「悪魔だああああああああ!」
「逃げろおおおおお!」
勿論、周囲にいた人間も反応して、突然現れた異形に悲鳴を上げ逃げまどう。
これこそまさに蛇悪魔が望んだ光景で、街を潰し多くの人間が殺されるのを見届けるつもりだった。
更に都合がいいことに、王都の入り口に近いということは、聖女一団を乗せている飛行船にも近く、そちらにもちょっかいを掛けることが出来た。
「逃げるかなあ。逃げたら面白いなあ。笑えるなあ」
蛇悪魔の笑みが強くなる。
もし権力闘争に明け暮れている聖女達なら、悪魔から逃げれば命は助かるだろうが、市民を見捨てたとみなされ、政治的に完全な死を迎える。
そして権力闘争とは無縁な聖女だった場合、信仰を捨て去るに等しくこれもまた死だ。
「ま、そうだよなあ」
蛇悪魔はどことなく面白くなさそうにしながらも、これはこれで見ものだと言いたげな感情を込める。
その視線の先には、飛行船から降りてくる人影達がいた。
「立ち止まらない! 避難を早く!」
すぐ傍の異変を感じ取った聖女一行が街に入り、エマの鋭い声が周囲に響く。
ダニエルの体は聖職者達が生み出した光の縄が絡みつき自由を奪っているが、その聖職者達の顔は必死の一言で、すぐ均衡が崩れてもおかしくなかった。
「狙い目は⁉」
「分からん!」
「いや、首に隙間がある!」
そこへテオが短刀を取り出して駆け、通貨が鎧の様になっている悪魔に対処するべく、専門家達にどこを狙えばいいかを問う。
すると一人が、可動域を確保するため通貨の密度が薄い首に気が付き、テオもそこへ狙いを定めた。
テオも白貴教の使命に起因する政治的リスクを理解しており、安全と役目を両立するため、悪魔を始末する。もしくは対悪魔部署の戦闘員が到着するまでの時間を稼ぐつもりだった。
「詐欺師があああああアアアアアアア!」
(はあっ⁉ ひょっとして支部長か⁉)
ただ予想外だったのは、通貨で人相が分からなくなっている悪魔の叫び声が、聞き覚えのあるものだったことだ。
「死ねエエエエエエ!」
「っ⁉」
明確な目標を見つけたダニエルは光の縄を握り締めると、引っ張っていた聖職者を逆に利用して、鞭の先端の様な即席武器にした。
「構うなよ!」
「おう!」
その鞭の先端になってしまった聖職者は、短い言葉でテオに構うなと告げ、テオの方も心得ている。
ここで最も危険な事態は、中途半端な情けを優先してテオが聖職者を受け止め、二人とも身動きが出来なくなることだ。
それよりは聖職者の頭が地面に叩きつけられようと、テオが悪魔に攻撃するの方が優先されるため、安全など二の次だ。
「がはっ⁉」
(俺の剣か! いい判断! 対悪魔用だ!)
投げ飛ばされた聖職者は、途中で自分の腰から落ちた愛用の剣をテオが拾ったことに称賛を送りながら、地面に叩きつけられて苦悶する。
対悪魔部署の装備なら、必ず悪魔に効果があると判断したテオは、長剣を構えてダニエルに近づき、ギリギリ拘束が維持されている悪魔の首へ狙いを定めた。
「合わせろ!」
「おお!」
これに呼応して、拘束を維持している聖職者達が渾身の力を込めてダニエルを引っ張り、少しでもテオの狙いが正確になるよう補助する。
(殺ったか⁉)
聖職者達が希望を抱く。
テオは常人の殻を破れていなくとも、きちんと鍛えられた限界値の常人だ。
超人達の集団である対悪魔部署の正面戦闘要員に比べると大きく劣ろうが、それでも十分に及第点の突きが、ダニエルの首に吸い込まれた。
パキンと音が響いた。
通貨が割れた音ではなく、長剣の切っ先が折れた音だ。
(本当に元人間か⁉)
テオと聖職者達の悪態が同調する。
長剣は通貨の隙間を搔い潜り、焼け爛れたような皮膚に直撃した。しかし鎧の様に覆われている通貨とは関係なく皮膚は頑強で、対悪魔用の武器すら通じなかった。
代わりに別の武器は若干ながら効果的だった。
「はあっ!」
鈍い音と共に何かが叩きつけられた。
それはテオの後ろにいた戦闘修道女、カレンの武器であるフレイルが、悪魔の頭に叩きつけられた音だ。
棒に鎖で連結された鉄球は、鎧の上からダメージを与える目的の武器だ。今回もその想定通り、硬い皮膚の上から衝撃を与え、ほんの少しダニエルを仰け反らせる。
しかし命を奪うには程遠い。
「お前らのせいでお前らのせいでお前らのせいでエエエエエエエエエエエ!」
現実を勘違いした、逆恨みも甚だしいダニエルの絶叫が迸る。
テオが完成しなかったから。
聖女が訪れて騒動が起こったから。
対悪魔部署が自分を捕らえたから。
他責思考の極み。これ以上ない自分本位。
そんなものに付き合っていられるか。
「っ!」
テオは自分の短剣を握り締め、ちゃんとあるくせに今現在を見ていない悪魔の瞳に突き刺そうとした。
「澄ました顔してんじゃねえぞ詐欺師ィ! てめえの欲を見せつけてやるよオオオオオ!」
「欲求を見せるつもりだ! 惑わされるなよ!」
流石は対悪魔部署。ダニエルの言葉で即座に意図を察した聖職者は警告を発する。
心配ご無用。
「ああァ?」
ダニエルの体を纏う通貨が色を失い、まるで映像機器の様にテオの願望を移しだすものの、困惑の声が漏れた。
これはダニエルに手を貸した蛇の悪魔が、それこそ映像中継器の役割を担っていることに由来する力で、周囲の人間に本心を見せつける悪趣味なものだ。
しかし、面白おかしい喜劇を期待している者が、大自然の雄大さを映して何になる。
テオは見たかった。
夢の酒場で聞いたどこまでも続く砂漠を。命を拒む氷河を。溢れる命の密林を。世界の過半数を占める水の塊、海を。
なによりそこで暮らす人々を!
「世界を! 人を見たいんだよ! 欲が言えないものだと思うな!」
「いい子ぶってんじゃねえエエエエエエエエエエエ!」
直接見たことがないためあやふやな世界、暮らす人間。それをはっきりさせたい青年は、自分の醜さを見せつけられた気分になって叫ぶ悪魔の、濁ったものしか見えない目に届き……かけた。
またしてもパキンと音が響いた。
かろうじて間に合った黒い障壁が短剣を防ぎ、刀身に細かい罅が走ってしまう。
「まだだ!」
テオではなくカレンの声が響く。
戦闘修道女として敵を打倒する術を身に着けている彼女は、防御したということは目は脆いのだと判断し、聖なる力を全開にして障壁の中和を試みる。
「余力は⁉」
「無理だ!」
「なら今以上に引っ張れ!」
「応!」
これに同調しようとした聖職者達だが、精根尽き果てる勢いで光の縄を編み出しており余力がない。だがそれならば肉体だと言わんばかりに、ダニエルの手足に絡みついている縄を引っ張り身動きを封じた。
足りなかった。
確かにカレンの力は障壁の中和に成功しつつあったが、それは微々たるものだ。
その勢いが増した。
祈る。
ぼやけてあやふやな世界への祈りではなく、はっきりと明確に。
全ての人間に対するような曖昧なものではなく、きちんと知っている者への助力を願う。
膝をつき真摯に祈るアナスタシアとゼナイドから何かが解き放たれた。
「ふ、ふ、ふざけるアアアアアアアアアアア!」
ダニエルは見た。
テオとカレンの背を押すような温かい太陽と、冷たい月の神聖さが黒い障壁を剥がし、それと同時に短剣までもが奇妙な力を宿し始めている光景を。
「ギ⁉ ギヤアアアアアアアアアアアアアアアアアアア⁉」
ダニエルの口から獣のような悲鳴が迸る。
神聖さに耐えられなくなった。のではなく、面白くない劇に観客が怒り、テコ入れを図ったのだ。
そのお陰で障壁は強固になったものの、代わりに耐えきれない力を注がれたダニエルの体はあちこちが膨れ上がってしまう。
「んぐぐぐぐぐっ!」
至近距離で発生する聖なる力と闇の障壁の衝突に、歯を食いしばっているテオはなんとか耐える。
障壁を突破するにはあと一歩。ほんの少しだけ足りない。
だから足された。
「神よ……」
およそ十年は神への真摯な祈りなど行っていなかった枢機卿が膝をつき、かつて行っていた、己が勝手に解釈し、築き、信じ込んだ神を信じる行為から脱却した。
「おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!」
戦闘修道女、聖女二人、そして聖女に戻った枢機卿の助力を受けたテオが。
いつか。
【追放】
として本棚に収まる若者が吠えた。
それと同時に、異様な力を宿した短剣は障壁を突破し、そこから伸びた輝く刀身が悪魔の瞳どころか頭を貫通した。
「神なら俺も助けろよオオオオオオオオオ!
冒険者ギルド副支部長、ダニエルの最後の言葉は愚か極まるものだった。
自分本位で祈る者を誰が救うと言うのだ。
パチパチパチパチ。
どこかの酒場で拍手の音が溢れる。
それと同時にニヤける老人の笑顔を受け肩を竦めたスキンヘッドが一人立ち上がり、酒場から出て行った。
「面白くない! 面白くない! 面白くない! 面白くないいいいいいいいいいいいいいいいいいいいい!」
瞳に凶悪な光を宿す蛇悪魔が子供のよう癇癪を起こす。
惨劇などどこにもない。悲劇など起きなかった。
ただ人間達が一致団結して、愚かにも悪魔と化した者を討った英雄譚と化した。
「却下だ! 却下! 今すぐ脚本を書き直してやる! 皆殺しだ!」
そして観客を気取っていた悪魔は、つまらない劇を修正することにした。
その発想の前に、だ。
舞台に上がるのなら踊る覚悟はあるのか?
「……なんだ?」
いきなり現れた本に悪魔は疑問を感じた。
古ぼけた、カビすら生えている本。
いつか【追放】として本棚に収まる本だ。
だが【追放】とは。
単なる身の上話の追放だけではない。
流行が廃れた時。人々から忘れられた時。必要ないと思われた時。
それは記憶からの、文化からの、世界からの追放と言えるのではないか。
追放された者達の本が開かれる。
パチリと力が世界に填め込まれた。
人生。
【正気か怪しい道化が世界の悲劇を見間違い、聞き間違えて笑顔を齎すようです】
力の名。
【勘違い】
「紳士淑女の皆様! 道化の喜劇にお付き合いあれ!」
本から飛び出してきた。
スキンヘッドの頭皮。ひらひらとしたカラフルな服。真っ白な仮面。
誰がどう見ても道化師。
テオの夢にいる老人をして、自分でも完全に殺し切るのは無理かもしれないと思っている例外。
正気の線を反復横跳びしながら、世界に喜劇をまき散らしてしまった異常存在。
笑顔を。笑顔を。笑顔を。世界の全てに笑顔を!
そうあるべきなのだ! そうであるべきなのだ!
悲しんで悲しんで悲しみ続ける世界など間違っている! 滅びの間際など蹴飛ばしてしまえ!
ならばこそ現実を! 今起こっている悲劇を否定する!
どんな方法でも。
「死ね!」
蛇が石化の魔眼を行使する。
言葉通り、人間程度は一瞬で死ぬだろう。
「え? ににんがし?」
ならばなぜ道化は平然としている?
「今、何か言った?」
なぜならば真の勘違いとは……。
「あ、もう夜だし寝言かな?」
現実改変能力に他ならない
世界が一変する。
まだ朝の筈だ。それなのに夜空を背負い、道化の仮面が三日月の如き目と口を形作り笑っていた。
廃れた者が。
存在してはならないモノの一人が。
こういう解釈(【ここ】の流行り廃れ)での追放を書きたかった……!
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