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食堂の事情。  作者: ぐも
14/14

最終話 〆にはお茶を。

最終話。

 ナノハナが気付くより早く、リョクは気付いていたようだった。ナノハナは慣れない雪道で慎重にスクーターを走らせ、官舎から最奥部の第八部局までやって来たのだ。


 顎の白いガーゼが美貌を損ね、物憂げな表情がそれを相殺していた。美形は何をやっても様になる。だがそれを口にすることも、逃げなかったことを僥倖だと言うこともしなかった。ナノハナは巫山戯た挨拶をし、気の緩んだリョクにあれこれと指示を出して、幾つかの荷物を軒先に運ばせた。ナノハナは背負っていたリュックから荷物を出す。シャッターを閉じた倉庫の軒先は乾いており、風も建物のために弱まっている。陽光が燦々と差しているので、釣りの時ほどは寒くなかったが、ナノハナは手の指を摺り合わせた。


「『ミズサダ式燻製キット』……何ですか、これ」

 リョクが組み立てた物の文字をそのまま読み上げて首を傾げた。ふふん、とナノハナはやや得意げに鼻を鳴らす。なるべく明るい声で言う。


「弟子よ!」

「うわぁ」

「素でドン引きはやめてくれませんか?」

「普通に話して下さい、師匠」


 言いながら、リョクはキットの手順を読んで、その通りに組み立てている。ナノハナが続く言葉に窮していると、段ボール製のキットはあっという間に完成した。


「で、これココでやるんですね? 隊長の許可も出たと」

「そうです」


 ナノハナはリュックサックから魚を取り出す。手分けして箱の上からつり下げると、後はチップで燻すだけになる。手袋のナノハナが燐寸に手こずると、無言でリョクが手を出した。華奢な掌に箱を落とすと、細い指先が燐寸を擦って火を付けた。箱の下から入れれば、あとはできあがりを待つだけだ。

 魚は、休日にリョクが捌いたものだ。その時のことを思い出したのか、リョクの表情は沈んでいる。ナノハナは大きく息を吸い込むと、頭を下げた。


「この前はごめんなさい。八つ当たりでした。准尉は何も悪くありません」

 喉に詰まること無く、言葉は出てきた。


「わざわざそれを言うために?」

「謝罪が本題です。それと、お祝いと感謝で燻製キットです」

 ナノハナはトンとリョクの肩を叩く。


「魚、部局でもちゃんと捌けたそうですね。弟子と認めましょう」


 リョクの頬がパッと明るくなる。何かを言おうと口を開くが、うまく言葉が出てこないようで、すぐに俯いてしまった。顔を上げた時にも頬は赤いままだが、得意満面、傲岸そうに笑う。


「自分が失敗するはずがないでしょう」

「味付けは?」


 リョクが沈黙する。こういう感情の上下も子供っぽいのだと思う。だからナノハナは面白くて言葉を続けてしまう。


「焼くだけでも美味しいけど、煮付けに出来ますか? つくねも良いんじゃないですか?」

 はは、とナノハナは笑ってリュックサックから包装した包みを出してリョクに手渡した。リョクが包みを開けて目を丸くする。


「弟子認定代わりに差し上げます。良い本ですよ」

「料理本?」

「味付けも練習して下さい」

 ナノハナはちょっと目を逸らした。


「解らなければ、聞きに来ても構いませんよ。勤務時間でなければ、ですけど」

 え、とリョクが声を上げた。


「一応師匠ですしね、責任は取りますよ。ああ、解れば来ないで下さい。面倒くさい」

「面倒くさいときましたか」

「外に出るの、寒いんです」

「行くの、こっちですよね?」

「そうですよ」

「師匠は理不尽です」


 リョクが口を尖らせる。俯いていて表情は解らない。呟く声は暗かった。


「……自分が行っても、迷惑になりませんか」

「ならないよ」


 即答すると、リョクが顔を上げた。金の瞳が明るくなる。


「まあ、厨房の皆さんにはもう一回謝りなさいね」


 ナノハナは自分の顎をちょいと指で指す。リョクはそこに特大のガーゼを貼っている。


「痛くない? 酷かったって聞いてますけど」

「あれはコンが!」


 眉をつり上げ、顔を真っ赤にしてリョクが立ち上がった。


「呼んだ?」


 医務室でのシュタンたちと言いこの若者と言い、第八部局は本当にコント集団なのかもしれない。


 ナノハナは呆然と、リョクの背後、倉庫のシャッターを持ち上げて出てきたコンを見ていた。左頬が見事に腫れ上がっている。上着を羽織らずに小脇に抱えているせいで、半袖のインナーからゴツい二の腕を寒気に晒していることも、ナノハナを驚かせた。

 更にナノハナを呆れさせ、青ざめさせたことに、リョクはコンに掴みかかり、数秒後には綺麗に背負い投げられた。そこから寝技なのか関節技なのか、とにかくコンがリョクの華奢な身体をぐいぐいと締め上げる。

 あははは、とコンは楽しそうに笑っている。


「准尉! いけません准尉、火の側ですよ!」

「それはいけない」


 コンが手を離すと、怒りに燃え上がるリョクがその太い首筋に噛みついた。流石にナノハナが悲鳴を上げるが、コンは落ち着いたもので、ぽんぽんと金色の頭を宥めるように叩く。


「えろいなあ、首筋噛むとかえろい」


 リョクがコンから離れた。顔は真っ赤で肩が震えている。金の瞳は激怒で泣きそうだ。


「毎度毎度、この手の冗談苦手だよなぁ」


 毎度なのか。冗談なのか。

 ナノハナはシュタンを思いだし、あの隊長は酷い胃痛持ちに違いないと一人で納得した。リョクの上着の裾を引いて、二人を引き離す。あの、とコンの前に出ようとすると、リョクが背を向けたまま立ちふさがった。戸惑いもせず、ナノハナは首を傾げてコンを見上げる。


「謹慎中にお呼びだてして申し訳ありません、准尉」

「いえ、こちらこそ雪降ろしを切り上げられたので御礼を言わないといけないくらいです、兵長……農兵科は辞めたと聞きましたが」


 ナノハナは曖昧に笑って頷いた。話をどう切り出したものかとナノハナが悩んでいると、リョクがナノハナの荷物に目を留めた。


「師匠、お茶にはしないんですか?」

「そうだった。どうですか? 寒いと思って熱いものなんですが、ええと」


 コンは寒さを感じてはいないのではなかろうかと反応を伺うと、コンは笑って「いただきましょう」と答えた。ナノハナは安堵する。


 ひょっとしたらリョクが気を遣ってくれたのか、とそちらを伺うも、後頭部が見えるばかりで表情は解らなかった。胸中で感謝し、てきぱきとお茶の仕度をする。用意したのは煎った豆に熱湯を注いだ豆茶で、これは帝国では南部でも北部でも良く呑むものだ。お茶請けも、これまた帝国においては各家庭に一つはあると言われる帝国兎の抜き型で拵えた焼き菓子である。南部では小麦粉で作るが、北部では蕎麦粉の方が安価であるため、そちらで作ることが多い。甘くない方が良いかと、蕎麦粉で作ってあった。


 とはいえ可愛らしい兎の焼き菓子を、精悍なコンがちまちまと囓る様子も、高貴な外見のリョクが珍しそうに眺める様も、ナノハナには妙におかしく見えた。


「これは手作りなのですか?」

 一口食べたリョクが首を傾げる。

「そうですよ。口に合うかは解らないけど」

「美味しいですよ」

 笑って答えたのはコンだ。。


「北の味がする」

「南部のは甘いでしょう? 向こうの方が砂糖でもなんでも安いから」

「さあ、どうだったかな。西部は馬芹が入ってたけど」

 コンの返答にナノハナは首を傾げた。


「スズシロには南部で会ったのでは?」

 コンが首を横に振った。

「西部です。スズシロが研修派遣で来ていて、それが最初でした」


 自分もその頃は野戦隊ではなかったので、とコンが肩を竦めた。ナノハナは少し驚いてコンを見る。コンもまだ若い。


「失礼ですが、准尉のご年齢は」

「スズシロよりは上ですよ。自分も早期徴兵されたクチなので、先輩ではありますが」

「西部で?」


 はは、とコンが笑う。


「ありゃア酷かった」


 軽口のようにコンが言うので、余計にその悲惨な境遇が察せられた。ナノハナは俯く。


「隊長――マトウ少尉ですが、あの人が一つ上で、やっぱり早期徴兵だった。散々手を焼かせましたし、焼いたし。あの人も大概クソでしたけど、まだマシなクソで、嫌いじゃ無かったな。人間のクズだったけど」


 顔を上げたコンは北を眺めていた。西部では、死者が北天に旅立つと言う。ナノハナはそんなことを思い出す。


「スズシロは、良い奴でしたよ」

「ありがとうございます」


 ナノハナはコンの言葉に相槌を打つ。俯いて拳を握る。南部では、死者は土に還るのだ。


「頭の良い子でもないし、品も無いし、見掛けもそんなに良くなかったし、野生児だけど」


 それでも、とナノハナはリョクの裾にちょっとだけ触れた。


「私にはたった一人の弟でした」

「俺にも大事な後輩でした」


 ナノハナはコンの顔が見れなかった。


「俺も十八辺境鎮にいるべきだったんだ。誰か一人は、もしかしたら救えたかもしれない」

「そもそも兵站が整っていれば、辺境鎮は落ちなかった」


 はは、とコンが笑った。


「貴女は俺と同じだ」


 ナノハナはようやく顔を上げてコンの横顔を見た。コンは笑っている。どこか虚ろな笑顔と、ナノハナよりもコンを知っているであろうリョクが不安げに眉をしかめる様子に、今のコンは普段の様子とは違うのだろうと察した。嬉々としてリョクを揶揄するのが素顔なのだろう。そうして一度だけリョクが見せた激情を思い出す。日頃の冷めた顔でも、あの激情でもなく、少し幼いくらいに表情を変える姿の方が、リョクの素顔なのではないかとナノハナは思う。そうであって欲しかった。

 悪童のようにじゃれあう姿の方が、二人の准尉には好ましいように思えたのだ。


 それでも、コンの虚ろな笑顔に、ナノハナは深く同意していた。


「誰にどう言われても、コン准尉は准尉自身を許すつもりがないのでしょ?」


 はは、とコンが笑う。ナノハナも笑う。同じような顔で。


「兵長、貴女もだ」


 南部では良く見ていた類いの黒い瞳が、今はナノハナに向けられていた。ナノハナはその視線から逃げることも、喉を詰まらせることも無く、微笑を浮かべる。


「法の裁きも他人の評価も関係ないことですから」


 コンの笑いが少し変わった。僅かに安堵が混じるのが解った。少なくとも、自分と同じ理由で自分自身を罰しようとする仲間がいることだけは通じたのだろう。後ろ向きな連帯感に、暗い安堵を共有する。


 と、リョクがわざとらしく音を立てて焼き菓子を齧った。


「師匠、これ、とても美味しいです」

「ん、ありがとう」

「……また、作っていただけますか」

「良いよ。簡単だし、准尉に教えましょうか」


 リョクが俯く。続く声は酷くか細い。


「……その、出来るようになるまで……いてくれますか?」

「転属にならなければね」


 何も考えずに答え、ナノハナは「あ」と声を上げる。真意を問いただそうと口を開ける。


「何お前、中尉差し置いて口説いてんの?」


 だがコンの揶揄と、激昂したリョクがその横っ面を殴る方が早かった。ナノハナにはコンがさして何かをしたようには思えないのだが、いつの間にかコンの膝がリョクの背中を踏んでいた。リョクがコンに拳で勝つことは無かったのだろと察した。憤怒で顔を真っ赤にするリョクに、ナノハナは冷静さを取り戻す。自分よりも混乱する相手を見ていると、頭も冷えるのだ。


 コンは声を上げて笑い、リョクを見下ろしながら口を開いた。


「俺ね、もうすぐ子供が生まれるんです」

「おめでとうございます。

 きっと、幸せになって下さいね」


 ナノハナはコンとリョクの言葉の意味を悟る。


「きっと、家族みんなで幸せになって下さいね、コン准尉。

 ……それで、中尉ってアカガネ中尉ですか?」

「割と解りやすかったです。こいつ全然気付かなかったみたいで、中尉がもらってきた林檎を勝手に剥いて凹ませてましたけど」


 可愛く兎に剥けてから許して貰えたんだ、とコンが揶揄してリョクが激昂した。


「中尉も食べたんですよね? っていうか准尉はちゃんと剥けたんですか?」

「でっ、出来ましたよ!」

「幾つか、耳が無かったですけどね。アカガネ中尉は一番上手な兎を貰って食べてましたよ。

 見掛けと年齢はちょっとネックかもしれませんが、何せ好人物ですからね。

 隊内で数少ない良識派ですし、開発職だから給料も良いし」

「食べっぷりも良いですよ。中尉の食べっぷりを見ていると、とても安心するんです」


 ナノハナはちょっとリョクを見て、それから二人の視線を避けるように己の両手で顔を覆った。


「北部に来てから、人が食べているのを見ると安心して。

 細いし、成長期でも無いのに良く食べるから、覚えてしまったんです」


 コンが口笛を吹いた。どうにも回りくどい告白は、同じ罪悪感を持つコンには通じやすかったようだ。


「えっ。ええ?」

「おまえが遅すぎた!」


 ナノハナが顔を挙げた時、リョクはコンに金色の頭を撫で回され、激昂し、その耳を引っ張っている所だった。あまり効果は無いようで、コンはケラケラと笑っていた。


「可哀想に。しょうがないけど、生まれるのが娘なら、嫁にやってもいい。きっとソラさんに似て美人だし、ソラさんもおまえが気に入ってるから」

「五月蠅い黙れ!」

「まあ、嫁にやる前に半殺しにするけどな」

「誰も貰うとは言っていない! 幾つ年下だ!」


 良いからお義父さんと呼べ、巫山戯るな、と若い二人は不毛な言い合いを始めた。ナノハナはそれを笑って見ていた。

 ナノハナもコンも、己を永遠に赦すことが出来ない。

 それでも、生きていく。笑う。話す。食べる。そうして誰かを好きになる。それを躊躇しない。

 ナノハナは心の底から、家庭を持つことになったコンを祝福した。スズシロが果たせないことを、ナノハナには遠い幸福を、コンに叶えて欲しかったのだ。


「料理を教えるのも、結構楽しかったですよ。

 ええと、気を遣ってくれてありがとう、かな?

 准尉が料理を習いに来なくなっても、ちゃんと居ますよ、私」

「別にそういう意味じゃありませんから!」


 リョクが顔を真っ赤にして叫ぶ。可愛い子だ、尻を揉まれるのもむべない、とナノハナは大分生暖かい目でリョクを見る。アカガネに持つのとは違う好意をリョクに向けていても、スズシロを思い出しても、今はそう辛くなかった。ナノハナはコンを見る。コンもそうだったのではないかと思った。


「准尉達もきっと幸せになりますよ」

 そう言って、ナノハナは燻蒸箱を開けた。

 大分時間も経って、燻製も出来上がる頃合いだった。時間を掛けて味を染みこませた鱒は、美味しい燻製に仕上がっていることだろう。


ここまでお読み頂きまして、心から感謝します。

ご意見・ご感想、読みにくい文章や誤字脱字などありましたらお知らせいただけると幸いです。

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