プロローグ
――崩れていく。
空が、世界が、音を立てて砕け散っていく。
俺は瓦礫の上に膝をつき、剣を地面に突き立てたまま、ただ呆然とそれを見ていた。
「何で、だよ……」
声が、震える。
視界の向こうでは、大地がひび割れ、街が沈み、山々が粉のように崩壊していく。空を覆っていた結界は意味をなさず、精霊の光は次々と消え、空気そのものが死んでいくのが分かった。
終わりだ。この世界は、もう――。
「フェアリナ……‼」」
叫びながら振り返る。
瓦礫と光の奔流の中、白いローブを纏った一人の女性が立っていた。
聖女フェアリナ。この滅びゆく世界で、最後まで祈り続けた、俺たちの――仲間だ。
「……どうしてなんだ」
俺は立ち上がり、彼女へと駆け寄ろうとする。
だが、足が動かない。世界が、拒絶している。
「この世界は救えたんだ。救うための条件もクリアしたのに、なんで、何で‼」
俺は、この現状を認めたくないとばかりに、喉が裂けるほど叫ぶ。
「七つの地獄迷宮を攻略した、核だって全部壊した、ダンジョンは、もう生まれない‼ これで……これで終わりだったはずだろ‼」
返事はない。代わりに、遠くで城が崩れ落ちた。
王都だ。最後まで持ちこたえていた国が、音もなく沈んでいく。
仲間たちの顔が、脳裏に浮かぶ。剣士のラグナ。最後まで前線に立ち続け、崩壊に呑まれた。
弓手のミレイユ。瓦礫の下敷きになりながらも、避難民を逃がした。
魔導士のセイン。限界を超えて魔力を振り絞り、大地を支えようとして――消えた。
物理的に死んだ人もいれば、粒子のように分解され消えた人もいた……消滅、もうこの世界は存在できないほど、何もかもが枯渇してしまった。
「……間に合わなかった」
膝から力が抜ける。
救ったつもりだった。勝ったと思った……でも、違った。
世界はすでに食い尽くされていた。命が芽吹くための力は、もうどこにも残っていなかった。
「遅かったんだ……」
十年。この世界で過ごした十年。
数えきれないダンジョンを攻略し、数えきれない血を流し、それでも――判断を誤った。
もっと早く気付かなくてはいけなかった。この世界を救う条件を知るのに、時間を掛け過ぎた。その間にも、この世界は苦しんで、弱っていたのに。
この世界を救うことができると知った時にはもう……手遅れだったのだ。
「……逢魔」
フェアリナが、俺の名を呼んだ。
その声は、驚くほど穏やかで、優しかった。
顔を上げる……彼女は、微笑んでいた。
世界が滅びる中で、ありえないほど穏やかな微笑みだった。
「ごめん……」
謝ったのは、どちらだっただろう。
俺か、彼女か。
「キミは充分、戦ったよ」
フェアリナは一歩、こちらへ踏み出す。
彼女の背後で、空が完全に砕けた。星々が粒子となり、闇へと溶けていく。
「キミがこの世界、デッラルテのために、十年も頑張ってくれた。それだけで」
「やめてくれ……‼」
聞きたくなかった。
分かっている……分かっているからこそ、否定したかった。
「俺は、この世界に召喚された救世主だろ……? まだ……まだ、何かあるはずだ……」
この世界を救うために、俺は十八歳の頃に召喚された。
それから十年……この世界を救うために、俺はこの世界を巡り、様々な知識を付け、戦い方を学び、装備を整えた。
仲間もたくさん増えた。みんな、頼りになる連中ばかりだ。
剣の師もいた、飲み友達もいた、歴史の先生もいた。そして……ずっとそばにいてくれた聖女がいた。
聖女……フェアリナは、首を横に振った。
「……もう、充分」
静かな断言だった。その言葉が、胸を貫く。
「だから……これが、最後」
彼女は、両手を胸の前で組み、祈るように目を閉じた。
聖女としての、最後の奇跡。
「フェアリナ……?」
「逢魔。あなたを……元の世界へ送ります」
「……は?」
一瞬、意味が分からなかった。
「あなたが来る前の世界へ。……あなたが、十八歳だった頃へ」
「待て、それは……」
「私に残された最後の力で、あなたを元の世界へ逆召還する。肉体年齢も戻るけど……この世界で培った力は消えない。ふふ、チキュウにはない力だけど、悪いことしちゃダメだよ?」
「ふざけるな‼ 俺も、俺も……この世界で」
「ダメ。逢魔は、生きるの。キミは……この世界の人間じゃないから」
生きるだと……そんなものは、逃げだ。
「俺だけ……生き残れっていうのか……」
フェアリナは、涙を浮かべながら、それでも微笑んだ。
光が、彼女の足元から広がる。世界の残滓が、祈りに応えるように集まっていく。
「フェアリナ、やめろ……‼ 一緒に――‼」
「逢魔」
彼女は、俺を見つめた。初めて会った日のように。
あの日、俺を救世主として迎え入れた時と同じ、優しい目で。
「あなたのこと、愛してます」
涙が、零れ落ちる。それでも、彼女は微笑んでいた。
世界が、白く染まる。光に包まれながら、俺は叫んだ。
「フェアリナ、俺も――」
その声は、崩壊する世界と共に、かき消えた。
◇◇◇◇◇
「……っ‼」
跳ね起きた。
荒い呼吸。心臓が、喉元まで飛び出しそうだった。
「……ここは」
木目の天井。狭い部屋。机。ベッド。カーテン越しの朝の光。
「……はぁぁ」
ゆっくりと身体を起こし、伸びをする。
「……くそ」
ここは日本。俺の実家。
「……俺は、仲間じゃなかったのかよ。あの世界が、俺の世界だった……そうじゃ、ないのかよ」
そう呟いて、深く息を吐く。
胸の奥に、まだ痛みが残っている。
涙の跡が頬に残っているのを感じながら、俺は両手を見つめた。
「……フェアリナ」
夢じゃない……あれは、現実だった。
滅びた世界デッラルテ。救えなかった仲間たち。そして――フェアリナ。
俺は、ゆっくりと拳を握り締めた。
「……トイレ」
俺はベッドから起き、トイレへ行く。
洗面所で顔を洗い、自分の顔を見た。
「若いなあ……」
今の状況が、頭の中にスルリと滑り込んでくるような、そんな感覚がした。
◇◇◇◇◇
俺の名前は久世逢魔。年齢十八歳。高校を卒業したばかり、大学の入学式を数日後に控えている。
今、いるのは実家。両親は事故で亡くなった。なので今は一人暮らし。
生きるのに不自由しない金は残してくれたおかげで、生活に困ってはいない。これから大学生活が始まるが……俺は、どうしてもウキウキできるような気がしなかった。
「……フェアリナ」
俺は、高校を卒業してすぐ、異世界転移した。
さっきの夢は、夢じゃない。
俺が経験した、異世界の崩壊……その瞬間だ。
「……ッ‼」
俺は、洗面台の鏡を素手で殴る。
すると、鏡だけでなく背面のコンクリートまで砕け、壁に亀裂が入った。
「馬鹿野郎が……ッ‼」
逆召還。フェリアナは、俺をこの世界に送り返した……俺が召喚される前、十八歳のころに。
俺は異世界召喚され、十八歳のころから十年、異世界で過ごした。
異世界デッラルテ。滅びかかった世界を救うために、救世主として。
「……何の意味も、なかった」
俺は、異世界を、デッラルテを、救えなかった。
滅びゆく世界を救うために召喚され、十年かけてデッラルテを巡り、滅びを止める手段を見つけ、ようやく救うことができると思った。だが……すでに手遅れだった。
異世界では二十八歳だったが、今は十八歳。
若い。肌の張りが違うし、身体も軽い。さらに……デッラルテで得た技能は全て、受け継がれている。
「あ、やべ……」
洗面台が壊れてしまった。
俺は後で修理業者を呼ぶことに決め、朝食を取るためにダイニングへ。
「……懐かしいなあ」
俺の実家。
テレビがあり、冷蔵庫があり、エアコンもある。十年ぶりだっていうのに、懐かしさはあるがはしゃぐ気になれない。
テーブルの上にスマホを置き、テレビをつけ、召喚される前に買った菓子パンをテーブルに並べ、テレビから流れてくるセリフに耳を傾ける。
『さあ、本日のダイバー特集は、日本トップクラスのダイバーチーム、ドレッドノートについてです』
ダイバー、そう聞こえた。
潜水士か? トップクラスってなんだ? そう思い、テレビに視線を向け……俺は、目を見開いた。
「……え?」
そこに映っていた内容が信じられず、菓子パンを取り落とす。
テレビのチャンネルを変える。
『さあ、新たに発見された新規ダンジョン……』
『今日の特集、今最も人気なダンジョン配信者について……』
『あなたも属性判定を受けて、ダイバーを目指そう‼』
俺はテレビを消し、リモコンを投げる。
まだ、夢なのか。違う……これは、現実だった。
そして、頭を抱えた。
「なんで、日本にダンジョンが存在してるんだよ……‼」
信じられなかった。
この世界……地球全土に『ダンジョン』が発生しており、誰もがその存在を受け入れていることに。




