第49話 切り裂く流星
早朝の冷たい空気を、青白い光が切り裂いていく。
まるで流星のような閃きが幾重にも放たれた。その速度、まさしく神話の如く。しかし、漆黒の獣は傷を負いながらも、その固き爪でいくつかははじき返してくる。
その度に、体格に劣るアゼルは大きく飛ばされる。なんとか踏みとどまり、再び星の刀を握りしめ、前を向いた。
「いやー、ここまで手こずるとはな」
アゼルはどこかで余裕を感じていた少し前の自分を叱りつけたくなった。
母の形見である、流星刀アステリオン。これを抜くと決意した。ここまで温存したものだから、もっと劇的な効果が現れると、安直な想像をしていた幼稚な自分にアゼルは腹が立つ。
実際、星の刀の効果は凄まじい。あの鋼を思わせる煌眼獣の皮膚を断ち、骨まで達した手応えがある。しかし、そこまでだ。いまだに決定打を与えていない。
たとえ神器であっても、振るうのは人の手。そして、自分は母とは違う。アゼルの胸中に、あの雨の日の光景が思い浮かぶ。血の臭いまで蘇ってくるような、鮮明な悪夢。
(あ、まずい)
そんな風に弱気になったからだろうか。アステリオンの輝きが、少し薄まった気がした。
「いやいや、ちょっと待ってくれって」
一つ息を吐く。アゼルは強い意志をもって、刀を握りしめた。それは、再び輝きを増した。
流星刀アステリオン。持ち主の意志に呼応して、その真価を発揮する。主の願いを叶えるために、アステリオンは切れ味を増し、振るう者の能力すら底上げする。
ただ、心の力を使う性質故か、自分の闘志のようなものが吸われていく感覚がアゼルにはあった。ただでさえ、アゼルの強靱な精神力はこれまでの死闘で削られていった。弱気になるのも、仕方の無いことだ。
幼い頃から慣らしていったら違う結果となったろう。心の傷が、その行為を躊躇させた。試しに使ってみるような余裕をアゼルは持てなかった。ちょっとした悔いが、アゼルの心に響く。
しかし、後悔はしても意味が無い。今は、ただ前を向くのみ。
「さーて。そろそろ、決着をつけさせてもらうからな。デカブツ!」
アゼルは瞳の輝きを増して、待ち構える獣の懐へと飛び込んだ。
煌眼獣の爪がアゼルを襲う。直接受け止めてはいけない。必要最低限の動きで、それを受け流す。風圧だけで、アゼルのまとう衣が少し切れた。
視界のすみに、屍兵の姿が見える。一つ、二つ。その存在だけで、集中力が途切れそうになる。
ヒュン、と煌眼獣の爪とは違う鋭い風裂き音。後方にいるリデロの矢だ。的確に打ち抜くそれが、屍兵を昏倒させていく。
(そうだ、俺は一人じゃない)
援護の存在に奮い立った。自分のやるべきことを全うする。アゼルは一点を狙い、刀を突く。ついにそれが、巨獣の脚に深く突き刺さった。
うなり声と共に、煌眼獣は初めて膝をついた。勝機。
「おおおおっ!」
一歩下がったアゼルは雄叫びと共に高く跳ねた。空中で無防備にはなる。もし、煌眼獣が見せた弱った姿が演技で何事もなく立ち上がられたら、アゼルの腹は無残にも貫かれるだろう。
しかし、アゼルに恐れはなかった。ただ狙うは、神話の怪物の首一つ。
手応えはとても軽く、己の剣が空を切ったかとアゼルが焦るほど。しかし、閃きは獣の首をとらえ、叫びも無くその命を絶った。
崩れ落ちる巨体に地が震えた。着地したアゼルは、前に倒れそうになり踏みとどまろうとして、できなかった。
膝をつく。体が重い。一瞬の安堵の後に、とてつもない疲労が彼を襲う。張り詰めていた糸が切れてしまったようだ。手にしたアステリオンは、すっかり輝きを失ってしまった。
「まったく、すこしは休ませてくれてもいいのにな」
アゼルは小さく息を吐き、口角を歪めて笑う。精一杯の強がり。この表情を維持する力すら、アゼルには残されていない。
そんなアゼルを見下ろす、魂無き土塊の瞳。
「ちっ」
舌打ちをした。立ち上がろうとするも、膝が言うことを聞いてくれない。
アゼルの目の前に、屍兵が一体立っていた。リデロの矢を受けながらも、倒れなかった幸運の個体。アゼルにとっての不運が襲いかかる。
万事休す。その刃が振り下ろされるまで、一瞬もない。それでも、欠片でも残った体力を集め、動かなければ。生き残る道を探すために、アゼルは致命傷だけは避けようと屍兵を強くにらみ付けた。
しかし、アゼルの瞳には絶望では無く希望が映った。
その眼がとらえたのは銀の閃き。斬り伏せられた屍兵の影が消え、現れたのは風に揺れる銀の髪と、まっすぐにアゼルを見つめる紫の瞳。
「すまない、遅くなった」
シルクがその剣を鞘に納め、アゼルの方へ手を差し出した。
いつも、戦場では涼しい顔を崩さないシルク。そんな彼が、息を切らしていた。アゼルを襲おうとしていた屍兵を視認した瞬間、決死の思いで駆けてきたのだ。
そんな崩れた彼の顔を見て、アゼルはにやりと笑った。
「そうだな、一番の見せ場を逃したぞ、おまえは」
その手をとって、アゼルは立ち上がろうとする。しかし、ふらついて倒れそうになってしまう。そんな彼を、シルクは抱き留め、アゼルの腕を自分の肩にまわした。
「ああ、見たかったよ。記録でしか読んだことのない、流星の刀の輝きとやらをね」
アゼルはシルクに体重を預け、なんとか立ち上がることができた。
「……俺、お袋のこと、そんなに話してないよな」
一度、酔っ払ってベラベラと自分の過去をシルクに話してしまったことをアゼルは覚えていない。まさか、星の刀についてまで話してしまっていただろうか。
さすがに、『星の流剣』に関する話までしてしまっていたとしたら、問題だ。それこそ、アゼルの母はその肩書きすら利用されていたのだから。
そんなアゼルの懸念を、シルクは小さく首を振って否定した。
「僕が察した」
「あー、さすがだな、大将」
「とはいえ、確信を持ったのは君へのマリアの態度、だけどね。何というか、その、恭しすぎて。他の者に示しがつかないから、どうにかならないかと思っていた」
「……ああ、しかたないな、あれは」
そこでアゼルも、シルクが『星の流剣』のことを把握している理由に思い当たった。
マリアはアゼルの育ての親であるシスター・ルトルの教会を訪れ、そして、アゼルの母が眠る墓へ祈りを捧げていた。そこで、『星の流剣』のことを聞いたのだ。
――アゼル様、あなたが……。
アゼルは初めてマリアに会ったときのことを思いだした。星神教会に所属する者が、いわゆる神の使いとして伝承されている『星の流剣』のことを神格化しないのは難しい。
アゼルの出生地、先代『星の流剣』の最期をシルクは知っていた。それに加え、星神教会の僧侶であるマリアの態度。
シルクなら、それだけで確信するには十分すぎる材料であった。
「それでも、子細は君の口から聞きたかった。本当に必要なら、君から言ってくれるだろうと待っていた」
気づいてしまったことを、後悔するくらいにはシルクは悩んだ。それでも、黙っていた。その領域への踏み込みを、アゼル本人が望んでいなかったから。
「あのとき、君が『一体、一人で相手にする』と言ってくれた。正直に言おう。嬉しかったんだ、僕は」
アゼルを友として信頼しつつも、彼が一歩引いた場所で線を引いていることをシルクは気づいていた。それでいい、と思っていた。誰だって隠しているものがある。シルクにも、アゼルに伝えられない言葉もある。
だからこそ、だ。アゼルが一歩、シルクに寄ってくれたこと。こんな非常事態だというのに、その事実がシルクには嬉しかった。
「もうちょっと、かっこいい感じで披露できたら良かったんだけどなぁ」
アゼルのぼやきに、シルクは十分だよ、と笑った。
足下に横たわる煌眼獣の死骸。
「生き残ったな」
しみじみと言うアゼルに、シルクは笑いかける。
「ああ、君の勝ちだ」
「いや……」
アゼルは顔をあげた。屋根の上にいたリデロが地上に降りて、こちらに駆け寄ってくる。彼も緊張の糸が切れたのか、まだ遠い場所で盛大に転んでいた。
その姿に、思わず笑みがこぼれる。ああ、自分一人ではない。母とは、きっと違う道を行ける。
「俺達の、勝ちだ」
アゼルは、その拳を力強く握りしめ、天へと突き上げた。




