天下統一の章~第三話~
今年初めての投稿になります。
もう3月になってしまった・・・orz
「昔より・・・」
彼女はその場にいなかった。『彼』の死は検死役より聞かされただけだ。その辞世の句とともに。
「主を討つ身の・・・野間なれば・・・」
『彼』の死に様は壮絶なものだったそうだ。『彼』の怨恨は、残された辞世の句に遺されている。
彼が―――自分のかつての婚約者だった織田信孝が、自分への憎悪にまみれた表情で、睨み付けてくるのだ。
「報いを待てや・・・羽柴、筑前――――――!!」
「わぁぁぁぁぁぁぁぁっ!?」
羽柴筑前守秀吉は、布団を弾き飛ばすようにして起き上った。荒く息を吐き、寝間着もぐっしょりと寝汗で濡れている。
(夢・・・)
自分の発した大声に驚いて何事かと駆け込んできた夜勤の小姓を「何でもない」と言って追い出し、ついでに身支度を整える係の侍女を呼ぶよう命じた。
「信孝様・・・」
織田信孝。今は亡き主君・織田信長が一族から迎えた養子のひとりで、秀吉の夫となるはずの青年だった。
性格・言動共に爽やかな好青年で、信長が実子の信忠の補佐として期待して養子に迎えた彼は、秀吉率いる中国方面軍と連携して動く四国方面軍の総大将として渡航する予定であった。
しかし、『本能寺の変』がそれをすべて狂わせた。
秀吉と信孝は連合して謀反人・明智光秀を破って後、織田家の四人の宿老である秀吉と池田恒興・丹羽長秀・柴田勝家が尾張国清州城に集って行われた清州会議にて今後の織田家について議題に話し合った。その結果、領土の再分配と本能寺の変で斃れた織田家当主・織田信忠の跡継ぎが決定した。
織田家の新当主は柴田勝家の推した織田信孝と秀吉の推した信忠の子・三法師とで争われた。結果として前当主の子であるという事と、信長の実の孫であることが決め手となって三法師が織田家当主となった。
(信孝様は人間的には素晴らしい人。でも、信長様や信忠様のような器の大きさは無い・・・なら、まだ幼い三法師様を私たちでお守りし、天下人に相応しい方に・・・)
しかし、そこには秀吉の誤算があった。それは自らの許婚・織田信孝の性格を見誤っていたこと・・・
「養母上の跡を継いで織田家当主となるのは私であろう!何故、何故三法師のガキが養母上の血を引いているという理由だけで・・・当主となるのだ!?」
爽やかな好青年というのは、信孝が持つ表の一面でしかなく、本来の彼はとても自尊心が高く、自らより何かが劣っている者を見下す一面があった。さらに彼を苛立たせたのは、自らの許婚であるはずの農民上がりの小娘までもが三法師を推していたという事だ。
「あの小娘には誰が自分の主人なのか、しっかりと教えてやる必要があるな・・・」
―――こうして勃発したのが、羽柴秀吉と柴田勝家が激突した賤ヶ岳の戦いであった。勝家は信孝と、秀吉は信孝と同じく信長の養子であった信雄と連合して戦い、勝利を収めた。勝家は北ノ庄城で自刃し、信孝も降伏後、兄にあたる信雄の命という形で自害して果てた。
(もう、織田家に任せていたらダメなんだ。三法師様のご成長を待っていたら遅すぎる。信長様が、死んだみんなが作り上げていった戦なき世が遠退いて行ってしまう!)
そんなのは御免だ。佞臣と呼ばれようが、不忠者と呼ばれようが構わない。茨の道を歩こう。
―――自らが、織田に代わって天下人となる道を。
羽柴氏居城・大坂城の人気のないとある一室で、大谷吉継こと藤津栄治は一通の書状に目を落としていた。徳川家に放ってある密偵・初芽を監視している者からの報告書である。
「服部半蔵に捕まったか・・・まぁいい」
敵に捕まった隠密の行く末など決まっている。どうせ人質はすでに処分してしまっているし、囚われた以上、あの女の利用価値はもはやない。煮るなり焼くなりご自由に、といったところか。
現在、羽柴陣営では徳川家の臣従工作を進める為に動いている。かの家を味方に付けない以上、羽柴家は東にも西にも動けないからだ。それさえ済めば、四国を平定して淡路国を奪い、畿内を窺う長宗我部氏や能登国末森城を舞台に秀吉の盟友・前田利家と対峙する佐々成政、足元の火種である紀伊国雑賀衆、そして遠く九州の問題まで片づけることが出来る。
「そして関東の北条を片付けて・・・ククク、なぁ聖一。俺はまだ、動くつもりはない。お前を叩きのめし、お前からすべてを奪う最高の舞台は、やっぱり『あそこ』だろう?」
栄治ははるか東にその視線を向けた。
その先には――――
冒頭の「昔より 主を討つ身の野間なれば 報いを待てや 羽柴筑前」は織田信長の三男・織田信孝の辞世の句です。
鎌倉幕府を創設した源頼朝らの父・源義朝が平治の乱で平清盛に敗れ、東国に落ち延びる途中に尾張国野間(現在の愛知県知多郡美浜町)の内海で家臣・長田忠致に討たれた故事があり、自らもこの地で最期を迎えたことからこのような辞世の句を遺したものと思われます。
なお、長田忠致は平清盛から恩賞をもらうものの、それに不満を持って「美濃国か尾張国の国司にしてほしい」と言って清盛から怒りを買い、後に挙兵した義朝の遺児・頼朝に仕え「懸命に働いたら美濃・尾張をやる」と言われ、懸命に働くものの、結局は頼朝から父の敵として殺害されてしまいます。しかし頼朝は嘘はついていなかったのです。
つまり「美濃・尾張をやる」→「みの・おわりをやる」→「身の終わりをやる」




