第七話 希望の街・後編
失敗した。油断して、深い傷を負った。
どうにか逃げて、たどり着いたこの街の外れ。噴水の前。
ああ、ここまでかな。もう死ぬのかな。そう諦めようとした時だ。
「大丈夫ですか?」
鈴の鳴るような声が、心配そうな響きで降った。
顔を上げた先に、差し出された白い手があった。
シスターの服装をした若い娘は、真っ直ぐに自分を見つめて、自分の血まみれの手を恐れず握ったのだ。
「お願いがあるんだ」
朱雀と蒼山が教会の世話になって二日目の夕方、アマランが部屋を訪ねてきてそう言った。
「頼みってなんだい?」
魔族ということからアマランを警戒する蒼山に対し、朱雀はまるで気にせずゆったり微笑んでいる。
「一日、留守にする。その間、シャロンを守って欲しい」
「そんなこと言って、逃げる気じゃないだろうな」
「逃げない。絶対戻って来る。……信用出来ないだろうけど」
糾弾したのは蒼山で、朱雀はやや意外に思った。
自分を殺そうとした東聖国の人間すら助けたいと思ったのに、魔族には強い敵愾心を見せる。それは魔王を倒すために人並みの人生すら捨てて生きた勇者故か。
「君が殺した人間は、つまりシャロンさんに対する追っ手だということ?」
静かに問いかけた朱雀に、蒼山が小さく息を呑んだ。
アマランはこくりと頷く。
「シャロンは、元々この国の伯爵家の娘なんだ。
でも家が財政難になって、援助の見返りに二十も離れた侯爵に嫁ぐことを親が決めた。
ただその侯爵っていうのが、とんでもない好色爺でね、シャロンみたいな若い娘を大勢の男で弄んで躾けることを楽しむ男なんだ。
シャロンは当然嫌がって、家を飛び出して逃げてきて、この街でシスターになった。
でもその侯爵はシャロンを諦める気がないらしくて、シャロンを連れ戻しに何度も刺客を放ってきてる。
そのたびに殺してるけど、大元を絶たないと意味がないんだ。
わかってたけど、シャロンから離れた隙に手を出されたらまずいから、今まで実行に移せなかった」
アマランが語った内容に、蒼山は呼吸を失って硬直している。
まさかそんな事情があると思わなかったのか、アマランが本気でシャロンを守ろうとしていると思わなかったのか。
「でも今はあんたたちがいる。
一日でいい。シャロンを守って欲しい。
その間に俺は侯爵を始末する。そうしたら」
「──俺たちに、殺されても構わない?」
ゆるやかな微笑を浮かべたまま尋ねた朱雀に、アマランは覚悟を決めたように泣き笑いの顔で頷いた。
「……どうして、そこまで」
擦れた声で蒼山が疑問を呈する。
魔族が、なぜそこまでして人間を守るのか。
魔族は人間の敵。滅ぼすべき存在のはずなのに。
「死にそうな時に、彼女だけが手を差し伸べてくれた」
アマランは崩れかけの笑顔のまま、そう答える。
「それだけで、俺には充分な理由」
そう言って笑う姿が、確かに恐怖に震えていて、なのにそれを押し隠すように振る舞うから。
わからなくなった。
魔族は、倒すべき存在のはずなのに。
夕食の後、朱雀と蒼山が教会に戻ると庭の四阿の近くでシャロンに会った。
何食も教会で食べさせてもらうのは悪いと、外の店に食べに行っていたのだ。
「あの、今少しいいですか?」
「なにかな?」
「アマラン、知りませんか?」
シャロンの言葉に朱雀と蒼山は顔を見合わせた。
「今日、誰もアマランを見ていないって聞いて。
その、」
「君は、アマランがいなくなったら困る?」
ゆったりした笑みのまま聞いた朱雀に、シャロンは一瞬言葉に詰まった後、小さく頷く。
「君は、アマランのことをどこまで知っているの?」
「なにも、知りません。ある日、行き倒れていたくらいしか。
そのときから、教会にいるようになって。
わたしのそばにいるようになって、本当に、名前以外なにもわからないけど」
シャロンはそこで言葉を切って、胸に手を当てる。
「大切、なんです」
「……そう」
朱雀がわかりきっていたように相づちを打った時だ。
シャロンの背後から伸びた手が、彼女に触れようとした、瞬間、
「はい、飛んで火に入る夏の虫」
一瞬で接近した朱雀がその手の主を振り上げた足で思い切り蹴り飛ばしていた。
吹っ飛ばされた男は地面に倒れてそのまま気を失う。
「朱雀さん、囲まれてます」
「だと思った。アマランの考えは当たってたね。
じゃあちゃっちゃと片付けようか。
蒼クン、露払いよろしく」
「承知しました!」
朱雀が杖を構える。
「六芒の南」
詠唱を始めた朱雀に接近した刺客が銃の狙いを定める前に、一歩で距離を詰めた蒼山がその顔面に拳を叩き込んだ。
そのまま一瞬で離れた場所に飛ぶと、シャロンに近づいていた男を蹴り飛ばす。
「星辰の要。目指す彼方は我が手の中に。
来たれ満天の兆し。祖は我が願いを叶えるもの!
アガルタ・レイン!」
朱雀の持つ杖の魔石が目映く発光する。
その魔石から放たれた閃光が真っ直ぐ空に向かって、弾けた光がそのまま地上に降り注ぐ。
あちこちで悲鳴が響いて、やがて静かになった。
「あれ、朱雀さん。ノーコン克服した?」
「蒼クン狙ってみた。どうも俺のノーコン、俺の思わぬところに当たるみたいだから」
「なるほど」
薫の呟きに朱雀がなんとも言えない顔で答える。
「今のは……」
「君を狙う侯爵の刺客。アマランに君を守って欲しいって頼まれたんだ」
「……アマランが」
朱雀の返答にシャロンは泣き出しそうな顔をして胸に手を当てる。
「さて、俺たちはもう行こうか。宿ももう空いてるしね」
「朱雀さん」
歩き出した朱雀に、なにか言いたげに蒼山がついてくる。
進行方向に、戻って来たアマランが佇んでいた。
覚悟を決めた顔をしたアマランの側を通り過ぎて、朱雀はその肩をぽんと叩く。
「じゃあ、彼女と仲良くね。
正体を知らせるかどうかは自由にしなよ」
「え……」
朱雀の言葉にアマランは息を止め、こちらを振り返る。
「俺を殺さないの?
だって、俺、魔族で……」
「生憎と、俺は正義の勇者サマじゃないからさ。
君が彼女を守って生きて来たことが全て。
ほかの理由は必要?」
「……っ」
笑みを浮かべた朱雀に、アマランが目を見開く。
「っていうのが俺の意見なんだけど、蒼クンはどうする?」
「…………俺は、魔族は殺すべきだと思います。
だって沢山の人々を殺して来た。そいつだって」
蒼山はそう言って、ぎゅうっと堪えるように拳を握る。
「でも、」
それは、自分の価値観を覆す決定だ。
だけど、知っていた。いつだって自分は朱雀に敵わない。
「お前のことは、見逃す。
お前が今のまま、シャロンさんを守ろうとする限りは」
「……っ、ありがとう…」
アマランは大きく二人に頭を下げると、急いでシャロンの元に走って行く。
そのまま何事もなかったようにシャロンに抱きつくアマランの笑顔と、少し頬を赤らめて文句を言うシャロンの姿を見つめた後、朱雀と蒼山は歩き出した。
「意外だった。君が魔族を見逃すとは」
「俺自身意外だと思ってます。でも、……俺たちももう人ではないから」
朱雀の背中を見つめて、蒼山は言葉を紡ぐ。
「人外に成り果てても、誰かを守りたい気持ちは、わかるから」
「……そっか。君は、そうなんだろうね」
その言葉はどこか突き放すように聞こえて。
でも肩越しに振り返った朱雀の微笑はいつものものだったから、蒼山はなにも聞かなかったのだ。
そして朱雀は思っていた。
あれ、魔族を見逃すなんてって俺に失望して見限らないんだ、と。
薫は後日、「あんた見通し甘過ぎ」とツッコんだという。




