第一話 勇者と賢者
閑散とした広場。そこに置かれた処刑台に、拘束された男がいた。
立っていれば見上げるほどの長身。鍛え上げられた体躯。短い黒髪に藍色の瞳。
断頭台に固定され、動きを封じられたまま生気を失った瞳で人気のない広場を見ている。
本来ならば一大イベントとして民衆が詰めかけただろう処刑は、処刑人すら不在のままだ。
一体いつまでこうして生きているのか。
そう死にかけの心で思った青年は、不意に聞こえた場違いな声に目を瞠った。
「うわあ、びっくりした。悪趣味なオブジェかと思ったら生きた人間だよ」
少し高めの男の声だ。市民ではないだろう。
不自由な身体で視線を向けると、見知らぬ男が傍らに佇んでいた。
「君、なんで断頭台に固定されたまま逃げようともしないの?」
「…………………あんた、誰?」
美しい男だ、と思った。
鴉の濡れ羽根色の髪は顔のラインに沿って切りそろえられ、真紅の瞳が輝いている。
漆黒の魔術師のローブを纏った男は手に、赤い魔石の嵌まった杖を持っていた。
「聞いてるのは俺。なんで逃げようともしないの?」
「この状態で、どうやって逃げられます?」
「君ならこの程度の拘束、物ともしないはずだけど」
男は「なに言ってるんだろうこの人」と言いたげな顔で、
「ねえ、魔王を倒して世界を救った勇者・蒼山クン」
となにもかも見透かした瞳で自分を呼んだ。
勇者。勇者か。その呼び名は、ずいぶん薄っぺらく聞こえた。
蒼山は拘束されたままうなだれると、覇気のない声で、
「俺は世界を救っていませんよ……」
と答える。
「魔王を倒したのに?」
「魔王を倒すのが遅すぎました」
不思議そうに首をかしげた男に、蒼山はうなだれたまま告げる。
「魔王や魔王軍が引き起こした異常現象、異常気象が世界各地を襲っている。
世界の人々は生きるのに困窮しているんです。
俺が、俺がもっと早く魔王を倒せなかったばかりに」
全て自分が悪い。自分がもっと早くに魔王を倒せていたなら。
そう悔やんで息を吐いた自分を見下ろして、男は興味もなさそうに、
「ふう~ん?」
と棒読みの相づちを打った。
「……なんですか、そのやる気のない反応は」
「だって、馬鹿馬鹿しいんだもの。
命がけで魔王を倒した勇者をそんな理由で処刑しようとする国王も市民も、それが当然だって顔してる勇者も。
なにそれ。くだらない」
男は杖を肩に乗せて、カチンときた様子で見上げてくる蒼山を睥睨する。
「異常気象を起こしたのは魔王でしょう?
君がそんなことまで責任を取る必要なくない?
たった一人で魔王軍を相手にして、魔王を倒すのがどれだけの困難か理解してないの?
それを成した君がどうしてそんなに自信喪失してるの?」
とんとん、と杖で肩を叩きながら、苛々した口調で男は説いた。
「君はもっと君自身のために生きるべきだ」
蒼山は驚いた。そんな風に言ってくれる人は、今までいなかったからだ。
勇者として世界の全てを背負わされ、世界を救うことだけが存在意義だった。
こんな自分に。
「君の願いのために、君は生きるべきなんだよ」
自分の願いのために生きろなんて、言ってくれる人はいなかった。
「あーあ、らしくない親切しちゃって。
あんたの目的わかってます?」
不意にその場に響いたのは第三の男の声だ。
だが声はすれども姿は見えない。
「わかってるよ。薫。
らしくないのはよーくわかってる。
でも、こんな将来有望な若者がこんな風にただ死を待ってるの、なんか腹立つんだよね」
「だからって、勇者たきつけてどうするんすか。朱雀さん。
自分の目的に反する人助けちゃ駄目でしょ」
「あーあー、聞こえないー!」
どうやらこの魔術師の装束を纏った男の名は朱雀と言うらしい。
ただ「薫」と呼ばれた男の姿が見えない。
やれやれと言いたげな、仕方なさそうな様子で朱雀をたしなめているが。
「ほら、あんた変な目で見られてますよ?」
「いや、十中八九君のせい………、ごめんねびっくりさせて。
今の、こいつ」
そう朱雀は言って、手に持った杖を見せた。
「……は? この杖が、なに?」
「さっき喋ってたやつ。名前は『薫』」
「……つ、使い魔?」
信じられない心地で目の前にかざされた杖を見る。
いや、使い魔ですらこんな風に人語を解するものはいなかった。
この杖は一体。
茫然とした蒼山に、朱雀は「ともかく」と咳払いする。
「君はここで死ぬべきじゃない。
生きたい理由を見つけてからにしなさい」
そう言って朱雀がこん、と杖で断頭台を叩くと、それだけで断頭台が消滅した。
その場に座り込んだ蒼山は、拘束されていたせいでややしびれている手を振って、立ち上がる。
「で、なんで君を処刑しようとしていたのに広場がもぬけの殻で処刑人すら不在なの?」
「この街に来たばかりですか?」
「うん、ついさっき」
「さっき、蛮族がこの街に攻め込んできたんです」
この国の南、海に面した土地に蛮族が住んでいる。
その蛮族たちが攻め込んできたのだ。
蒼山の処刑を物見遊山に来ていた民たちも、蛮族に襲われ散り散りに逃げ出した。
蛮族が蒼山を襲わなかったのは、あとでも殺せると思ったからなのかどうか。
「ああ、道理であちこちで悲鳴が聞こえると思った」
「のんきっすね。朱雀さん」
「俺、自分事じゃないことにはのんきだよ」
「知ってます」
のんびりした口調で呟いた朱雀に、薫がやはりのんきにツッコんでいる。
不意に背後から雄叫びが聞こえた。
ゆったりと振り返った朱雀の胸を、剣が刺し貫いた。
「朱雀さん!」
蒼山は息を呑んで叫ぶ。いつの間にか、朱雀の背後に蛮族が立っていた。
真っ赤な血があたりに落ちる。
蛮族はにたりと笑って剣を振るう。朱雀の胸が斬り裂かれ、胸から上と下で身体が切断された。
「すざ、く、さ」
どしゃ、と音を立てて地面に倒れた二つに分かれた肉塊を見下ろして、蒼山は擦れた声を漏らす。
生きていない。どう見ても。
この状態で生きていられる人間などいない。
また、救えなかった。自分に「自分のために生きろ」と言ってくれた始めての人だったのに。
茫然と立ち尽くす蒼山に、剣を構えた蛮族が近寄る。
にやりと笑った蛮族が剣を振り上げた瞬間に、一気に接近した蒼山の手のひらが、蛮族の首に押し当てられた。そのまま、めきゃ、と音を立てて蛮族の首をへし折る。
一瞬で絶命して倒れた蛮族から、剣を奪って蒼山は立ち尽くす。
だが、
「さっすが勇者サマ。強いね。伊達じゃない」
聞こえた軽妙な声は朱雀のものだ。
信じられない心地で蒼山は視線を動かす。そこには朱雀の亡骸が転がっている、はずだったのに、地面に倒れていた真っ二つになった身体が勝手に起き上がって、切断された身体が元通りになる。
「やれやれ、油断したよ。俺じゃなかったら死んでたね」
「全くですよ。油断するのやめてくれます?
自分が不老不死だからって」
「……不老不死?」
明るく笑った朱雀に薫が嘆息混じりに注意する。その声を反芻して、蒼山は安堵したように笑った。
「俺と同じだ……」
心底安心したような、泣き笑いの顔だった。
「あれ、勇者って確か……」
「石人の封印を解いたとかで、刃物では決して切れない肉体を持ってるとか聞いたっすけど」
「ああ、なるほど。そっちの不死ね」
薫の言葉に朱雀は納得したように呟く。
つまりいくら切っても死なないから「不死」か。
処刑人が逃げ出したのもそれが理由だったかもしれない。
蒼山が蛮族に襲われなかったのは、単純に殺せなかったからか。
また悲鳴が聞こえた。街のあちこちに火の手が昇っている。
朱雀はふと、隣に立つ蒼山の顔を見た。
蒼山はじっと街を眺めている。ここは高台だから、街の様子が一望出来た。
人々が襲われている。このままでは皆死んでしまう。
それが? それがなんだって言うんだ?
命がけで魔王を倒した自分を、殺そうとした人たちじゃないか。
なのにどうして、
「ああ、君はつくづく優しいね」
どうしてこんなに胸が痛い。
「君は、君を殺そうとした市民が死ぬのが嫌なんだ」
そう、ぐちゃぐちゃになった蒼山の心をかき集めて、優しくすくい上げて朱雀は言った。
嫌? 嫌なのか。そうか。俺は、この期に及んで、みんなを救いたいのか。
「勇者には勇者に相応しい心が宿る。
まさに、だね。
でも俺は生憎勇者ではないから」
朱雀は不敵な笑みを浮かべて、杖を持ち上げる。
「世界のために尽力した勇者を殺そうとする愚民は、一瞬で楽にしてしまおうか」
「ちょ、待って朱雀さ──…」
なぜか咄嗟に薫が制止しようとしたが、朱雀は構わず呪文の詠唱を始める。
その鴉の濡れ羽根色の髪が淡い光で浮かび上がり、色が変化していく。
「六芒の南、終焉の西、我が名に従う者に告ぐ。
我ら異体同心たりて、ことごとく敵を滅ぼさん」
その髪が完全に真紅に染まった瞬間だ。
「──サンダー・スピリッツ!」
掲げられた杖の先端、魔石から膨大な魔力が発せられ、空を貫くと一瞬で暗雲が立ちこめ、雷が轟き始める。
降り注いだ雷が、人々を襲う蛮族の身体を撃って燃やし、焼き尽くす。
あちこちに降り注いだ雷が、たちどころに蛮族たちを焼け焦げにして殺していく。
気づいた時には、街中の蛮族が消滅していた。
「あれ……」
「だから言ったじゃないっすか。
あんた、魔力は凄まじいけどノーコンなんだからって」
こんなはずでは、と呟く(すっかり髪の色が元に戻った)朱雀に、呆れ声で薫がツッコむ。
だが不意に隣で唐突に笑い出した蒼山に、朱雀は目を瞠る。
「蒼山、クン?」
「おい、こいつも雷で撃ったんじゃ」
「いや、そんなはずは」
ぼそぼそと小声で話す二人(?)を余所にひとしきり蒼山は笑うと、安堵のにじんだ顔で朱雀を見下ろした。
「ありがとうございます。朱雀さん」
「え……?」
ああ、本当は俺は救いたかったんだ。民を、この国を。
殺されそうになっても、それでも救いたかった。
そんな自分の心を読んで朱雀が救ってくれた。この人には敵わない。
「改めて自己紹介します。勇者・蒼山です」
「……俺は南の賢者・朱雀」
「朱雀さんはなにをしにここへ?」
「そんなの決まってるだろう?」
今更聞くのかい?と言いたげに朱雀は杖を手に微笑んだ。
「この世界を、終わらせるためさ」
その言葉に蒼山は目を見開き、呼吸を止めてそれから息を吐く。
ああ、そうか。そうだったのか。
それは、泣きたいほどの歓喜だった。
その後、国を救った恩人として王宮に招かれた朱雀と蒼山は、謁見の間にて国王から謝罪を受けた。
謁見の間には貴族たちや官僚、市民たちも詰めかけている。
「本当に、申し訳ない。勇者・蒼山。
殺されそうになっても国を救ってくれる勇者に対し、我々はなんということを」
全くだよ、と言いたげな顔をした朱雀を余所に、蒼山は顔を上げ、凜々しく答える。
「いいえ、俺は気にしておりません」
「…勇者よ。なんと心の広い」
「それより、俺の旅立ちをお許しください」
「……旅立ち? 倒すべき魔王はいないのにか?」
不思議そうに尋ねた国王に、蒼山はやる気に燃えた表情で告げる。
「こちらにおわす賢者・朱雀様は魔王が引き起こした異常現象・異常気象を正し、世界を救うために旅をしている御方。
俺は朱雀様を手助けし、今度こそ世界に本当の平和を取り戻したいのです。
どうか、わたしが朱雀様と共に旅立つお許しを」
「えっ」
「えっ」
びっくりした頓狂な声は、朱雀と薫の二人分だったが、それは蒼山の声に上がった市民たちの歓喜の声にかき消された。
「なんと! どこまで民のために尽くしてくれるのか!
勇者・蒼山よ。そなたは紛れもなくこの世界の救世主だ!」
「勇者様!」
「素晴らしい! さすがは世界を救う勇者だ!」
「それになにより世界を救うために旅をしている賢者様よ。
なんて素敵なの」
「本当。あの凜々しいお姿」
「南の賢者と仰ったわ。南の賢者と言えば聖人と評判の」
「その通りだわ」
国王の言葉に続き、市民や貴族からも歓声が上がる。
「ではせめてもの餞別に、金貨百枚を渡そう。
世界各地の異常はここまで届いておる。
頼んだぞ。勇者・蒼山。そして賢者・朱雀よ」
「はっ!」
「…………はい」
国王の格別な対応に異を唱える市民はいない。
蒼山は生気の宿った、力強い瞳で。朱雀は「なんでこうなったかなあ」と言いたげな投げやりな目で。
それぞれ返事をした二人に、薫がただの杖の振りをしながら「あーあ、俺しらね」と他人事を決め込んでいた。
「やれやれ、金貨百枚って結構重たいよねえ」
「そうですか?」
「そりゃあ蒼山クンにとってはそうじゃないかもだけど」
俺は非力なただの賢者だよ、と王都の入り口に立って朱雀は言う。
「それより、本当に俺と一緒に来る気?
俺は……」
「はい! 嫌だと言ってもついて行きますよ!
あなたは、真実世界を救う御方なんですから!」
きらきらと輝いた眩しいまなざしに、朱雀は苦虫を百匹噛みつぶしたような顔になる。
どうやら蒼山は朱雀の「世界を終わらせる」という発言を、「この(異常に襲われた)世界を終わらせて救う」と解釈したらしい。
「その前に朱雀さんが楽にしてあげるとか言って蛮族を倒しちゃったから」
「言わないでよ薫……」
全てはノーコンのせいである。多分。
まあここまで意思が固まってしまったら、撤回させるのも難しい。
「まあいいや。蒼山クンって呼びにくいから、蒼クンでいい?」
「はい! よろしくお願いします。朱雀さん!」
「じゃ、よろしく。蒼クン」
そんなわけで勇者と賢者の旅は始まる。
目指すは、ひとまず西。




