第116話 錆が落ちる音
街の大通りほどの幅を持つ通路。
その壁に背を預け、ウィスカーは角からそっと顔を覗かせた。
視線の先にはレッサードラゴン。
広いはずの通路の半ばを占拠する巨体。
深紅の鱗を魔導灯が照らし、太い尾がゆっくりと左右へ揺れている。
しなやかに伸びた脚の先では、鋭い鉤爪が石畳をしっかりと掴んでいた。
ウィスカーは息を殺したまま、後続へ手早くハンドサインを送る。
レッサードラゴンの視線が反対側へ流れた、その一瞬。
ウィスカーは音もなく通路を横切り、死角へと滑り込む。そのまま背後を取るように、通路の奥へ駆け抜けた。
ドランが通路の中央へ躍り出ると、メイスで盾を打ち鳴らした。
甲高い音にレッサードラゴンが振り向く。巨体が身を屈めた刹那、その背にウィスカーの風魔法が炸裂した。
不意を突かれたレッサードラゴンが振り返る。
その隙にシリカとノーマンが駆け込んだ。
ドランの脇をすり抜けたシリカが抜刀する。
刃は鱗の隙間へ滑り込み、鮮血を散らした。
続いてノーマンの大剣が大上段から振り下ろされる。
重い一撃が鱗を砕き、破片を弾き飛ばした。
レッサードラゴンが咆哮を上げる。
飛び退いたシリカとノーマンに代わってドランが前へ出る。振り下ろされた鋭い鉤爪を、盾が真正面から受け止めた。
間髪入れず、キースの放った火球がレッサードラゴンの顔面に炸裂した。
闇雲に振り回された尾を、ドランが大きく飛び退いて躱す。
入れ替わるようにシリカとノーマンが踏み込む。
一太刀浴びせては離れ、反撃が来る前に距離を取る。
その合間を縫うように、物陰からウィスカーの風魔法が飛ぶ。
レッサードラゴンの意識が逸れた隙に、キースの火球が容赦なく叩き込まれた。
レッサードラゴンは怒りに任せて鉤爪を振るい、尾を薙ぎ払う。
だが、その猛攻はドランが盾で受け止め、あるいは身をかわして耐え切る。
連携に翻弄され、巨体は少しずつ動きを鈍らせていった。
やがて、レッサードラゴンが力尽きる。
巨体がどうと石畳へ倒れ伏せ、衝撃が通路を震わせた。
「ふぅ……。だいぶ錆が落ちてきたね」
シリカが額の汗を拭う。
遠くから響いていた戦闘音も、いつしか静かになった。
「オルガ達の隊も、やってみてぇだな」
物陰から姿を現したウィスカーが、通路の先に視線を向ける。
「久しぶりだったからな。少し慎重になりすぎたか?」
ノーマンがレッサードラゴンを爪先でつついた。
「せっかく『治癒の宝玉』があるんだ。もう少し攻撃寄りでもよさそうだな」
ドランがつぶやく。
「魔力にゃ限りがあるんだ。ほどほどで頼むぜ」
キースが苦笑する。
「じゃあ、さっさと解体して次へ行くぞ」
すでに周囲の警戒を始めていたウィスカーが皆を促した。
「あっさりノア達に抜かれちまったからね。気合入れていかないとね」
シリカが自分の頬を叩いた。
「焦る必要はないだろ。久しぶりの実戦でレッサードラゴン相手に無傷だったんだ」
ノーマンが倒れた巨体を眺めながら言う。
「そういうノーマンだって、楽しそうだったじゃない」
「……そうか?」
図星を突かれたように、ノーマンが視線を逸らした。
「ったく、二人とも余裕あるな」
ドランが呆れたように言いながら、盾についた傷を確認する。
「でも、悪くなかったぜ。昔みたいに動けてた」
キースが口元を緩める。
ウィスカーは返事をせず、通路の奥へ目を向けていた。
魔導灯に照らされた石壁の向こう。まだ先には、いくつもの分岐が続いている。
「話は歩きながらだ。ここで騒いで、別の魔物を呼ぶ趣味はねぇだろ?」
「相変わらず慎重だね、ウィスカー」
「慎重じゃねぇ。生き残るためだ」
そう言ってウィスカーは歩き出す。
その背中を追うように、シリカたちも続いた。
かつて何度も踏破したはずの階層。
だが、久しぶりに戻ったその場所は、以前とは違う顔を見せていた。
衰えた腕を取り戻すため。
先を行く仲間たちに追いつくため。
そしていつか、この迷宮の最深部へ辿り着くために。




