十九、私が嘘をつくと?
怪我をしたメイドは、私が想像していた人と違った。
寮生誰もに愛されている、リリーであったとは!
私はマルクの台詞から知らされたその真実に、溌溂と働くリリーの姿を思い浮かべながら呆然としてしまった。
どうして彼女が、と、そんな疑問ばかりである。
そしてマルクはそんな私に構わずに、彼が知りたいことをユーフォニアにさらに尋ねる。
「寮の厨房で彼女が倒れていたならば、そこで彼女で何が起きたのか知らないメイドがいないはずはないと思うんだ。そうだろう?メイドの待機室は厨房の横にある。君の部屋に運ぶ必要があるならば、一声かければ待機室のメイドか、厨房にいるはずの料理人達が手を貸すだろう。君が一人で運んだという状況こそ不可思議なんだよ」
「え、ええ。そうよ。その通りよ!!彼女が倒れていたのは私の部屋。でも、彼女が私に訴えたことは本当のことよ。ミンツ伯爵令嬢にやられたって。それにこの子達だけじゃない。駆け付けたメイドだって聞いている。メイドが仲間を裏切るはず無いでしょう」
「そうよ!!メイドのレニーがリリーの言葉を私達に伝えてくれたのよ」
「そうよ。私達はリリーの訴えをちゃんと聞いたのよ。だから、この女の仕業に違いないの」
アッシュブラウンの髪の子が私こそ魔女だという風に指さした。
しかし私は、彼女に指さされた事よりも、あのメイドこそユーフォニアの味方だったことこそに衝撃を受けていた。
私を気遣うような素振りをしていたのにと。
あの銀貨が彼女のプライドを傷つけてしまったのかしら。
「ほら、言葉に詰まっている。この女がリリーを傷つけたからよ!!」
「ユーフォニアの部屋を漁った所を見咎められたからって、なんて酷い事をリリーにしたのよ!!」
「私がユーフォニアの部屋を訪ねたことなどないわ。だって、あなた方の部屋は三階。私がその階に向かうはずないのよ」
私は言いながら、この世界が階級社会であって良かったなんて、初めて思った。
上流階級でも階級があり、付き合いは同じ階級となるので、部屋割りで下級貴族の人間と上流貴族を同じ部屋どころか同じフロアにしないものなのだ。
さらに言えば、上の階級の者が下の階級に降りることはしてはいけない。
この世界に生まれ、この世界の母や親族に上流階級の教えを受けて、くそが、と思ったが、今の私の助けとなってくれるとは皮肉な話である。
そしてこの学園は上流階級の子弟ばかりという設定だ。
上流階級のルールを知らない者はいない。
ちなみに校内では誰しも平等な設定なのは、そもそも貴族が子弟を寄宿学校に送る目的が、同世代と触れ合えるパブリック(公共)を体験するため、だからである。
私の言葉の意味を理解した多くが、ユーフォニアへと答えを望む目を向けた。
どうしてリリーが怪我をしたの?
ユーフォニアの部屋で?
ユーフォニアは助けを求めて周囲を見回し、それで得たものが自分への疑惑の目線ばかりであると気付き、見るからに動揺した。
だからか、彼女はここにいない誰かに助けを求めたのだ。
ヴェルナーとこれ見よがしに呟くなんて。
「ああ、私は嵌められてしまったのね。奴隷のように貴族に忠誠を誓う使用人がいることを忘れていたわ。ああ、私は目の前の困った人を助けただけなのに」
「もう我慢が出来ないわ!!」
「うわ、姐さん。ここは見守るだけだって約束が――」
「そんなことはいいのよ!!それよりも、よくも!!私の大事なリリーに酷い事をしてくれたわね!!」
急に飛び込んで来た美しい女性は、美し過ぎるその顔を恐ろしいばかりに歪めた般若顔で、まさに悪鬼のごとくユーフォニアへと襲い掛かった。
「ま、まて、待って。姐さん!!」
しかしべルティーナがユーフォニアに拳を振るう前に、ベルンハルトがべルティーナを抱きしめるようにして、自分の懐にべルティーナを庇う。
しかし、べルティーナはベルンハルトを押しのけ飛び出そうと暴れるだけだ。
それ程にリリーはべルティーナには大事なメイドであったのか。
ベルンハルトという拘束が外れない彼女は、忌々しさを込めて淑女にあるまじき慟哭の大声をあげた。
「盗まれた手紙を探すようにリリーに頼むんじゃ無かった。私がお願いしたせいでリリーが酷い目に遭ったんだわ!!この聖女の振りをした女のせいで!!」
「ちょっと、姐さん。そこは俺達が責めちゃいけないって」
「じゃあ、誰が責めるの!!リリーの辛さを誰が代弁するの!!この女が盗んだせいで届かなかったヴェルナーの気持を誰が代弁してあげるの!!あれは、彼が愛したアダリーシアが受け取るものだったのに!!」
周囲はざわついた。
私が何を言っても聞く気が無くとも、誰もが愛して尊敬しているべルティーナの心からの叫びであるのだ。
全ての目は聖女へと向かう。
まさか、まさか、と、疑惑の囁きをも波紋のように広めながら。
「ち、違うわ。盗んだりなんて。だって、愛されているのは私なのよ」
私はこれこそ否定しなけば、と思った。
彼は間違えるな、と私に念押ししたのだ。
俺が好きなのはお前だ、と。
私こそヴェルナーの気持を代弁しなければと、私はユーフォニアを見据えた。
「ユーフォニア。ヴェルナーが愛しているのは私だわ。彼が愛しているのは私なの。あなたでは決してないわ」
しかし、ユーフォニアは簡単に否定した。
「そんなはずないじゃない」
ユーフォニアのその声は、今までの柔らかく鈴を転がすようだったものと違い、ひしゃげたベタっとしたものに変質していた。
それは、ユーフォニアが聖女の仮面を捨て、自分の為に人を貶める事を何とも思わない彼女自身に戻ったからであろうか。
美しい森の中の湖のようだった瞳は血走った単なる憎しみが籠った目玉となって私を睨み、春の歌を歌うべき口元は呪詛しか吐けないぐらいに歪んでいる。
私は彼女にもう一度繰り返す。
いいえ何度だって繰り返す。
「彼が愛しているのは私だわ」