女王陛下と前々夜 3
「このようにお目にかかるのは初めてですね、
イルミナ・ヴェルムンド女王陛下。
貴女様の御高名はかねがね」
「・・・そうですね。
アルマ殿、とお呼びしても?」
「えぇ、もちろんです」
イルミナは、いきなり現れた男を観察するように見た。
金茶の髪、褐色の肌。
中肉中背で、顔立ちもそこそこ整っているが普通だ。
笑みを浮かべているその人は、害が無さそうな人柄に見える。
しかし、ヘンリーの話を聞いた以上、彼のそれは擬態なのだろうと思う。
「アルマ殿、よろしければそちらにおかけください」
ヴェルナーは、アルマにイルミナから一番遠い一人席を進めた。
それの意味するところを理解しながらも、アルマは優し気ともいえる笑みを浮かべた。
「かたじけない、宰相殿。
では失礼して」
そしてイルミナの執務室には六人が顔を突き合わせる状態となった。
「・・・それで、この度は何用でしょうか。
貴方がラグゼンファードの最高と間諜と謳われていたのは聞いています。
なぜ、侍従を?」
口火を切ったのはヴェルナーだ。
「・・・それも仕事の内なのです」
苦笑を浮かべながら話すアルマに、イルミナはやはりそうかと考える。
「私の名はラグゼンファードには広く広まり過ぎていましてね。
いくら影が薄いといっても、覚えている人はいますから。
ですが、国からすれば私の存在というものは外に出したくないものでしょう?
ですから、ハーヴェイ様の侍従を引き受けたのです。
人相を、名を変えて」
「そのラグゼン公は知っているのですか?
貴方がここにいることを」
「いえ、知りません。
私は単独で動くことが多いので、少し調べものしてくるとだけ伝えてあります」
「何を調べようと?」
「まぁ、偵察のようなものです。
今、ヴェルムンドには多数の貴族、そして近隣諸国の外務官殿がいらしていますからね。
調査みたいなものです。
まぁ、正直ヘンリーと再会するとは夢にも思いませんでしたが」
「その調査の結果はどうしようと?」
「もちろん、ラグゼンファードの為に・・・あぁ、安心して下さい。
ヴェルムンドに迷惑を掛けようだなんて思っていませんから」
アルマのその言葉を、一体誰が信用するというのだろうか。
しかし、ヴェルナーとの会話を聞くに、喰えない人だというのだけはわかった。
「・・・そうですか。
でしたら構いませんよ」
「陛下!?」
「イルミナ?」
あっさりとしたイルミナの言葉に、今度はアルマの方が不審げにイルミナを見やる。
「・・・今代の女王陛下は随分と・・・。
ですがありがとうございます。
もうほぼ終えておりますので、これ以上動き回ることはありませんが」
アルマの少しだけ警戒を含んだ声音に、イルミナは笑みを浮かべる。
「もちろん、対価は頂きます。
あぁ、安心して下さい。
貴方個人に出来ることしか頼みませんから」
「―――なんでしょうか」
ヴェルナーたちは、イルミナが何を要求するのかハラハラしながら事の成り行きを見る。
イルミナとて女王だ。
ヴェルムンドに不利になる事はしないだろうと信じて。
「ハーヴェイ殿は、これからどうされるおつもりなのでしょうか」
「申し訳ありませんが、私はハーヴェイ様から離れておりましたので、これから何をされるおつもりなのかは把握しておりません」
イルミナは、アルマの言葉に笑みを深くする。
「―――ハーヴェイ殿との婚約を、双方の国の為に良いものだと考えたことがあります」
「・・・」
イルミナの話の変え方に、一体何を話すつもりなのだと男たちは体に緊張を走らせながらイルミナの言葉を待つ。
「でも、公は―――お兄様であるサイモン殿を敬愛されているでしょう?
一番になれない結婚なんて、私としても考えることがあります。
折角女性として生まれたのですから、添い遂げる相手と想いあっていたいと願うのは、不思議でもないことでしょう?
残念ながら、ハーヴェイ殿の一番は決まってしまっているようですから、私は私を一番に見てくれるグランを選んでしまうのも、仕方のない事だとは思われませんか?」
イルミナの言葉は、オブラートに包んでいるが結局のところ”ブラコンはごめん”ということだ。
やんわりとした拒絶に、アルマはつい笑い声をあげてしまった。
「―――ははっ!
それをこの場で言いますか。
私に望むのは何ですか?
ハーヴェイ様に女王陛下を諦めるよう進言することでしょうか?」
アルマは口元を歪ませながら言った。
その表情には、女王と言ってもやはり若い小娘だなと嘲る感情が浮かんでいる。
自身で出来なかったから、ハーヴェイの部下であるアルマに頼ろうなど、やはり考える事は甘いなとその表情が言っている。
それを見たイルミナは、更に微笑んだ。
「―――悪くないでしょう?
貴方の本当の主だって、望んでいることでしょうから」
「・・・」
「陛下、何を・・・?」
ヴェルナーはイルミナの言っていることが理解できずに、困惑した表情を浮かべながらイルミナとアルマを交互に見る。
アルマは、一瞬だけ顔を強張らせたが、直ぐに持ち直して笑みを浮かべている。
しかし、先ほどまでの嘲笑を含んだ空気は霧散していた。
ヘンリーは、驚きからか目を大きく見開いてイルミナを見ている。
「・・・ヘンリー、駄目ですよ」
アルマはちらりとヘンリーを見たが、それがイルミナに確証を持たせるだろうと理解してもどうしようもなかった。
「・・・何を仰られているのか、理解できません」
ヴェルナーとグランは、話の流れがいまいち理解出来ずに成り行きを黙って見守る。
アーサーベルトは、イルミナの背後に待機しながらアルマの一挙一動を見逃さないように神経を尖らせていた。
「そういえば、ヘンリー。
貴方はラグゼンファードでクーデターに参加していたといいましたね?」
「え、あ、はい」
「気になっていたのですが、どうやってヴェルムンドに?
過去の記録を見た限りでは、当時の検問はとても厳しいものだったはずですが」
ラグゼンファードとヴェルムンドの国境は、山が境目となっておりライゼルト領があるのだ。
しかし当時のラグゼンファードの内情を知った結果、ヴェルムンドに難民が流れ込まないように厳しく検閲したと記載されている。
どうして、ヘンリーは入り込めたのか。
「そ・・・それは・・・」
口籠るヘンリーを、アルマは苦虫をかみつぶしたかのような表情で見ている。
その視線だけで、答えを言っているような気すらするのはイルミナの気のせいだろうか。
「・・・ベナンたちの手引きですよね?」
静まり返った部屋に、イルミナの淡々とした言葉が響く。
温度感の無いそれは、ただ事実を話しているだけだ。
「そもそも、なぜベナンたちがラグゼンファードの貴族と繋がりを持っていたのか。
それを不思議に思うのもあまり時間はかかりませんでした。
ベナンたちの領地はラグゼンファードから離れています。
いったいどうやって、伝手を作っていたのか。
そんなときに、不意にアリバルの奥様のことを思い出したのですよ」
アリバルの奥方は、ハルバート出身だ。
しかし、それを一切表に出さずに婚姻にこぎつけている。
―――だが、いったいどうやって?
イルミナはそれを不思議に思い、歴史に詳しい人を呼んで話を聞いたのだ。
彼は、公にはできぬことですが、と前置いた。
「他国の貴族と、何かしらの取引を行うことで亡命をしていたのですね。
そしてアルマ殿、貴方がそのパイプ役だった
なるほど、最高の間諜である貴方であれば、それも出来ましょう」
取引といっても、多方面にある。
金銭だったり、婚姻だったり。
―――ベナンたちの場合は、あの麻薬だったのだろう。
「さて、なぜ私がこの話を話したか。
いえ、そもそもなぜ知っていたか」
アルマは冷えた視線でイルミナを見た。
何かしら予想はついているだろうが、さっさと言えと言っているようなその視線に、イルミナは苦笑を零した。
「先ほどヘンリーが言っていましたが、貴方はサイモン王の右腕と呼ばれるほどの才能を、信頼を得ていました。
だというのに、どうしてハーヴェイ殿の侍従をしているか。
どうして、右腕と呼ばれる貴方を傍に置かないのか」
アルマは、それに返さない。
ただ、無表情とも呼べる笑みを浮かべてイルミナを見ていた。
「サイモン王は、弟であるハーヴェイ殿をとても、とても大切に思っていらっしゃるのですね。
そして弟が、何か取り返しのつかないことをするだろうことを想像していた」
「へ、陛下、なぜそんなラグゼンファードのことを・・・」
ヴェルナーは耐えきれなくなり、口を挟んだ。
確かに講義の際、イルミナには他国の情報を山のように叩きこんだ。
しかしあくまでもそれは情勢や風土の話であって、王と王弟の話まではしていない。
「・・・サイモンか・・・」
アルマが、低く唸るように零した。
「ラグゼンファード王だと?」
グランは怪訝そうな声音で言い、そしてはっとした。
「先ほど、貴方の本当の主、ラグゼンファード王から書状が届きました。
アルマ殿、貴方のことも」
「・・・」
アルマはどうしてサイモン王がそうしたのか思い当たるのか、笑みすらも消えた無表情でイルミナを見る。
そんな彼に、イルミナは続けて話をした。
「サイモン王に、逐一報告されていたようですね。
今回の件に関しても。
そして貴方は本当の主の意向を優先していますね?」
それは、質問しているようで断定した色を持っていた。
「・・・なぜ、アイツは貴女に」
アルマのその言い方は、明らかに深い仲だということを示唆していた。
「聞いていませんでしたか?
私のせいでハーヴェイ殿が負傷したのです。
その件に関してこちらから正式な文章にて謝罪をするのは当然でしょう。
それに関しての返答が無かったのですが、先ほどそれを含めた書状が届いたのです」
イルミナはようやくそこで息を吐いた。
やはり並大抵ではない経験を持つ人との駆け引きは疲れる。
気を張っても張っても、それでも足りないと思わされるのだ。
でも、気は一瞬として抜けない。
「貴方がサイモン王の直属の部下であること、そして大切な弟を見張るという名目で守っていること。
その為だけに、貴方は国政から外れているが、パイプを活かしてここでも暗躍しているだろうこと。
・・・サイモン王は面白い方ですね。
私に知られても痛くもかゆくもないのでしょうが、ここまで教えてくれるとは思ってもみませんでした。
そしてハーヴェイ殿の負傷に関しても、他国の女王を守った名誉の負傷であるから、そこまで気にされずとも構わない、とも。
ただ公的には慰謝料はある程度頂こう、とも」
「・・・」
だんまりを決め込むアルマに、イルミナは笑みを浮かべた。
「最後に、こう書かれていました。
あの方は、ハーヴェイ殿に普通の幸せを手に入れて欲しいのだと。
自分や国の為に全てを使う幸せではなく、彼個人の幸せを願っているとも。
・・・私との結婚が、彼個人の幸せとは考えられなかったようですね」
「―――当たり前だろう。
貴女はこの国の女王陛下、ハーヴィー一人を見るわけではない」
口調すらも変わったアルマは、低い声で話し始めた。
それを、イルミナは咎めることなく静かに聞いた。
「ハーヴィーは、とても哀れな子どもだった。
父親は最低な王、母親は寵愛と自身の立場を守ることだけを考え・・・ハーヴィーには、頼れる人なんて誰もいなかった。
第二王子として、ただの予備としてだけ見られる毎日。
友も、信頼できるものも、愛されることもなく孤独に育った哀れな子どもだ。
サイモンには俺がいた。
だが、ハーヴィーには何もなかった。
―――そう、女王陛下、貴女のように」
「・・・」
「クーデターを起こしたとき、サイモンは父親を殺さない方法を模索していた。
だが、そんなんで民衆が納得するはずがない。
そんなとき、あの子は言った、自分がやろうと。
・・・あの時のサイモンの苦悩は、酷いものだったよ。
自分の弟が、そこまで壊れていることに気付いていなかったんだからな。
すべてが終わった時、サイモンは決めた。
ハーヴィーを王族という呪いから解放すると。
一貴族として他者と触れ合い、そしていろんなことを知って欲しいと。
・・・だが、ハーヴィーがそれを望まなかった」
アルマはそこで一度言葉を切ると、深くため息を吐きながら目を閉じた。
「ハーヴィーは、サイモンを助けようと何度も危ない橋を渡った。
それに危惧したサイモンが、俺をアイツに付けたんだ。
そうしなければ、いつ駄目になってもおかしくないほど、ハーヴィーは人としての感情が欠落していた。
俺の第一優先はサイモンだが、同じようにハーヴィーも優先している。
今回の婚姻の件に関しては、サイモンから却下が出ている。
だからそれを防ぐために色々と調べていたんだがな・・・ヘンリーに見つかった」
「結構、
では問いましょう。
あの文官を薬漬けにしたのは、誰ですか?」
「・・・」
黙り込むアルマに、イルミナはそれが答えだろうと知り、別の問いを口にした。
「言いたくないのであれば結構です。
ただ、彼を回復に向かわせる方法はありますね?」
「・・・どうしてそれを?」
アルマの言葉にイルミナは失笑した。
ラグゼンファード国内でそこまで問題視されている麻薬だというのに、国を挙げての排除を表立ってしていない。
つまり、薬漬けになったとしても何かしらの方法で回復をさせられているのだろうと思ったのだ。
そうでなければ、相当数が廃人となって国が駄目になっているはずだろう。
そうなっていないというだけで、何かあると言っているようなものだ。
「交換条件でも構いませんよ。
その代わり、彼が回復する為の治療法をこちらに渡して下さい」
本当であれば、赦したくなんかない。
話でしか聞いていないが、今回の加害者とも呼べる彼は、とても勤勉で国のことを愛していたと聞いている。
そんな人を、廃人にしておきながら赦すなんて行為はしたくない、それこそ出来ることであれば、実行者をこちらに引き渡してほしいくらいだ。
しかし、それをすれば今後のラグゼンファードとの付き合いの仕方も考えなくてはならない。
もし、目の前の男が治療法を知り、こちらに明け渡すというのであれば。
イルミナの凄みのある笑みを見たアルマは、本当に見誤ったと感じた。
どうして最初から、彼女が見た目通りのか弱い女性ではないと見抜けなかったのか。
アルマは諦めたように、一つため息を吐いた。