女王陛下と前々夜 2
「失礼いたします、陛下。
つい先ほど、グラン・ライゼルト様がお見えになられました」
「ありがとう、
どちらに?」
「はっ!!
公用執務室にご案内しております!」
「わかりました。
手間をかけさせますが、私の執務室に案内してもらえますか?」
「かしこまりました!」
イルミナ達が丁度四阿を出たところで、小走りでその近衛兵はやってきた。
そして冒頭のことをイルミナに伝える。
ヘンリーの言っていたことは本当のようで、既にグランは城に来ていた。
信じていないわけではなかったが。
「ヴェルナー、ヘンリー、先に行っていてください。
執務室に寄ってから行きます。
アーサー」
「はっ!」
「わかりました。
ではお先に失礼いたします」
ヴェルナーがそう言い、ヘンリーは一礼をしてその場を去る。
アーサーベルトはイルミナの護衛なので、一緒に執務室へと足を運んだ。
「陛下、何をされに?」
「いえ、念のため何か来ていないか確認するだけです。
緊急のものであれば、鷹などを使って書状が送られてくるでしょうから」
イルミナを個人的に知るものであれば、イルミナの執務室に送るように手配するが、公的なものは全てそちらに送られる。
食事会まで日数もないため、緊急を要したものが送られてくるとは考えにくいが、それでも念のためだ。
ヘンリーが来なければ、このまま執務室で色々とする予定だったのだが、これからまた話し合いとなると、念のためそのことを文官たちにも伝えておいたほうがいいだろう。
イルミナの公的な執務室は、歴代の王が使用していたものでとても広く作られている。
そして、何が送られてもいいように鷹などの鳥類が入れるようにも設計されている。
同様に、有事の際の脱出口もある。
隣接されている部屋は、応接室と文官たちの仕事場でもある大部屋、そしてメイドたちが控える部屋だ。
イルミナの私的なものにはメイドたちが控える部屋はあっても他のものはない。
「かしこまりました。
では直ぐに確認致しましょう」
そうして執務室に入ると。
「あ!!陛下!!」
丁度書類を届けに来ていたらしいリヒトが、大きな鳥となぜか格闘していた。
何度も頭を突かれているのか、ぼさぼさになった髪が目に付く。
リヒトは涙目でどうにかしようと必死になっているが、それを嘲笑うかのようにその鳥はリヒトの頭を突いた。
「・・・リヒト?
何をしているのですか?」
「た、助けて下さい!!
コイツなんか知らないんですけどいきなり襲い掛かってきたんです!!」
「・・・アーサー」
「はっ!!」
イルミナの目には、襲われているというより遊ばれているようにしか見えなかったが、それでもアーサーベルトに指示を出した。
「ん?
・・・大人しいぞ?」
アーサーベルトが捕獲すると、その鳥はアーサーベルトの腕に止まり動かなくなった。
先程までの暴れ具合がまるで嘘のようですらある。
「そんな!!
俺のときは髪の毛引っ張ったりしたのに・・・!」
酷くショックを受けたリヒトは、膝から崩れ落ちながら嘆いた。
「・・・リヒト、執務室です。
何か用ですか」
「!!
申し訳ございません!!
いくつか確認して頂きたい書類をお持ちしたのですが、入室してその鳥と目が合った瞬間にあのような事態になりました!!
これが確認して頂きたい書類です!」
リヒトは一瞬で立ち直ると、キビキビとした動きでイルミナの問いに答える。
「そうでしたか。
書類は急ぎですか?」
「いえ、可能であればなので、
明日でも構わないとのことです!」
「わかりました、ではそこに置いてもらえますか?
時間が出来次第確認しておきます」
「はい!」
リヒトは目の下に隈を作りながらも元気よく返事をした。
体育会系のそのノリに、イルミナは淡々と返す。
・・・仕事のし過ぎである種の興奮状態になっているのかもしれない。
「リヒト、貴方も今日は休んでください。
疲れた顔をしていますよ」
イルミナの優しい一言に、リヒトは一瞬呆けるとうるりと瞳を潤ませた。
上司たちも働き詰めなのは知っているが、彼らが休んでくれないと下っ端のリヒトたちは休めない。
しかし上司たちは、宰相殿を筆頭に仕事大好き病でも発症しているのだろうか、休もうとはしない。
だが、更に上の人に言われればいくら仕事の鬼の上司とて、休んでくれるだろう。
「ありがとうございます、陛下。
キリが良いところまで進めたら、今日は休ませてもらいます」
「他の人たちにも伝えて下さいね。
明日の朝食には料理長に頼んで栄養価の高いものをお願いしておきましょう。
それと、私はこれから別件の話し合いがあるのでここを外します。
戻るつもりはありませんが、万が一緊急事態が起こった場合は私の執務室にいますので」
「かしこまりました、陛下。
他の人たちにも伝えておきます!
陛下もあまり無理をされませんよう」
「ありがとう」
そしてリヒトは大きな鳥を気にしながら、執務室を去った。
その後ろ姿を見届けたイルミナは、いまだにアーサーベルトの腕に大人しく止まっている鳥を見る。
猛禽類であることは直ぐにわかるのだが、それにしては大きい。
イルミナがよく飛ばす鷹の一回りは大きそうだ。
「・・・とても大きいですね」
「はい、
ヴェルムンドではまず見ない大きさでしょうな」
「鷹・・・でしょうか?
見ない大きさから考えて、他の国からのものの可能性が高いですね。
アーサー、足に何かありますか?」
「今確認してみます・・・、あぁ、ありました。
開けても?」
「お願いします」
毒が仕込まれていたりする可能性があるため、届いた書状をイルミナが一番に開ける事はしない。
アーサーベルトは一通り確認し、不審な箇所が無いことを確認してから書状をゆっくりと開いた。
そして。
「・・・これ、は!?」
「どうかしたのですか、アーサー」
「陛下、これを」
アーサーベルトは持っていた紙を、イルミナにすぐさま手渡した。
そしてイルミナが滑るようにその紙面を読み、驚きに目を見開かせた。
「・・・なるほど。
そういうことですか。
アーサー、執務室に行きますが、このことはまだ言わないように」
「よろしいのですか?」
紙に書かれている内容はもちろん、送り主ですら想像もしなかった人物だ。
しかし、これが本物であれば、今抱えている問題を打破できるものだろう。
「ですが、恐れながら陛下、
それが本物である確証は・・・」
アーサーベルトの疑問ももちろんだ。
送り主は、はっきり言って面識がないにも等しい相手。
いきなりイルミナに書状を送ってくる理由が分からない。
「本物です。
この印、以前に見たことがあります」
文末に押されたその印は、イルミナが講義を受けているときに見たものだ。
当時の講師が、本物のそれと偽物の見分け方を丁寧に教えてくれたので、よく覚えている。
「とりあえず、ヘンリーが持ってきた情報を確認しましょう。
それによっては、これの信頼度も上がります。
ですが、むやみやたらに話していい内容ではないので私が許可するまでは言わないように」
「かしこまりました、女王陛下」
そしてイルミナはその書状を小さく折りたたみ、懐へとしまった。
届けてくれた大きな鷹を、するりと一度撫でる。
気持ちよさそうに目を細めるそれに、イルミナの心が少しだけ癒された。
先程のリヒトに対する攻撃はきっと何かあってのことなのだろう。
「とてもいい子ね・・・。
今日は休むといいわ。
アーサー、何か餌をこの子に」
「は、
手配しておきます」
そして二人は、少しだけ急ぎ足で執務室を後にした。
****************
「お待たせしました」
イルミナは到着すると、既にそこには三人の男たちが椅子に腰かけていた。
「夜分遅くにすまない」
グランがそう言いながら立ち上がる。
それに倣って、他の二人も腰を上げた。
「いえ、大事な要件だと伺っていますから。
どうぞ座って下さい」
テーブルの上には、メイドが用意してくれたらしい紅茶のカップが置いてある。
一人がけの椅子にイルミナは座り、アーサーベルトはその背後に立った。
その様子を不思議そうに見ていたグランだが、その理由を思い出し苦笑を浮かべる。
「そういえば、アーサーベルトはイルミナに騎士の誓を誓ったのだな」
「は。
事後報告になりましたが、すでに」
「構わない。
私がいない時に、お前の存在程頼りになる人物もいない」
「ありがとうございます」
「グランは騎士の誓のことを知っていたのですか?」
当然のように知っているグランに、イルミナは騎士の誓とは有名なものなのかと考える。
「あぁ。私の場合、自領からそれを夢見て騎士団に入りたいと推薦を願う者が多いからな。
話だけなら知っている」
「そうでしたか」
そこで一旦、話しは途切れた。
そしてイルミナが口を開く。
「・・・それで、ヘンリー。
貴方が報告したいことがあると聞いたのですが。
そもそも貴方が何を調べていたのかから話して下さい」
「は。
俺・・・自分は、今回ラグゼン公の侍従の一人を探っていました」
「侍従とは・・・今、姿が見えない?」
ヴェルナーの言葉に、ヘンリーは頷いた。
「自分は、彼のことを個人的に知っていました」
「・・・知っていた?
なぜだ?
ラグゼンファードのものだろう?」
アーサーベルトの質問に、ヘンリーはグランを見ながら答える。
「・・・グラン様にも言っていませんでしたが・・・、自分はラグゼンファード出身なんです」
「!!」
「ラグゼンファードが、今のサイモン王になるまで国内が荒れていたのはご存知ですよね?」
ヘンリーの言葉に、誰もが静かに頷いた。
形式的な同盟が結ばれていたあの頃、同盟自体がいつ破棄されるのかと先王は悩んでいた。
それほどまでに、かの国は混とんとしていたのだ。
使者を送って内部状況を確認しようにも、それを憚られるほどの泥沼と化したあの国を、ヴェルムンドは結果として静観する形をとった。
下手に突いていらぬ面倒を起こしたくなかったのだろうと誰もが見ている。
「自分は、ラグゼンファードの弱小貴族の一人息子でした。
しかし政治機能の腐敗化、民の暴動化によって自分の家もなくなったんです。
貴族でなくなった自分は、クーデターに参加しました。
その時に、サイモン王の右腕として行動していたあの人のことを、見たのです」
「あの人とは?」
「サイモン王の腹心の部下であり、竹馬の友でもある、アルマという男です」
ヘンリーは見たとしか言わなかったが、実際はもっと深く付き合いがあった。
まだ十代であったヘンリーは、サイモン側の密偵として参加していたのだ。
その技術を教えたのが、アルマだ。
しかしアルマも表舞台に立つつもりはほとんどなかったようで、ヘンリーに教えたのも一、二回でしかない。
ではなぜヘンリーが覚えられたのか。
それは、アルマが異常なまでに影が薄かったからだ。
自分もそうなれと教えられ、そして彼の影の薄さを学ぶように言われた。
そしてアルマの異常さを知った故に、ヘンリーはアルマのことを覚えられたのだ。
誰もその名を聞いたことがなかったのか、いまいちピンと来ない様子でヘンリーを見た。
そのみんなの視線に、ヘンリーはそれも仕方ないとばかりに頷いた。
「あの当時、あの人は偽名でしたからね。
”イアン”と言えばわかるかと」
「!!
イアンですって!?
クーデターで行方不明になったのではないのですか?」
ヴェルナーはその名に聞き覚えがあるのか、凄い剣幕でヘンリーに詰め寄った。
「まぁ、自分も分かったのなんてたまたまでしたけどね。
生きてますよ、あの人は。
サイモン王の為に、裏方に回るためにそう偽装したみたいです」
「申し訳ありません・・・、
イアンという人物のことをよく知らないのですが・・・」
イルミナは話を中断させて悪いと思ったが、そう発言する。
それに答えたのはヴェルナーだ。
「―――イアンとは、当時のラグゼンファードの最高の間諜と呼ばれてた人物です。
彼の逸話はたくさんあり、眉唾物と言われるものもあります。
実在した人物と言うことは公的に認識されていたのですが、彼もクーデターの際に、行方が分からなくなっていました。
暗殺された、亡命した、色々な憶測が飛び交ったのですが・・・。
ヘンリー、本当に本人なのか?」
ヴェルナーの懐疑的な視線に、ヘンリーが答えようとしたところ。
「・・・残念ながら、見つかってしまったからな。
しかしよく俺のことを覚えていたものだ。
あのころと違ってだいぶ様相も変わったと思ったのだがな」
「!?」
アーサーベルトは瞬時に臨戦態勢を取る。
グランも立ち上がり、すぐにイルミナの傍へと近寄る。
ヴェルナーも腰を浮かした状態で周りを警戒する。
そんななかで、唯一体制を変えていないのはヘンリーだけだった。
「驚かさないで下さいと言ったじゃないですか・・・」
「すまない、どうも自分のことを話されるのは苦手でな」
そうして部屋の隅の暗闇から生まれるようにして姿を現したのは。
「・・・ラグゼン公の・・・」
話しは聞いていたが、本当にハーヴェイ侍従だということを理解していなかったらしいイルミナは、ぽつりとそう零した。
イルミナの言葉に、アルマはにこりと人好きのする笑みを浮かべた。