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梔子のなみだ  作者: 水無月
女王時代
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女王陛下と前々夜 1




その日の城は、薄い霧と小雨に包まれていた。

白亜の建物は、ぼんやりとした輪郭だけを見せている。

要所要所にある松明が、白亜の壁を橙色に染めている。

暗闇に浮かび上がるようにあるその姿は、美しいながらもどこかしら不安を掻き立てているようにも見えた。



冬も本格的に近づいており、窓の外に見える近衛兵たちの服装はとても温かそうだが、夜ということもあって、実際の気温よりも更に寒く感じられるのだろう。

時折足踏みをしているのが見えた。


室内は暖炉に火がくべられているので温度は丁度いい感じに保たれているが、窓辺に寄れば僅かながらに冷気を感じる。


イルミナは、こんな日にはジョアンナの淹れてくれるブランデー入りのホットミルクが合うのだろうかとぼんやりと考えた。







「・・・ついに、明後日ですか」


イルミナは、感慨深げに零した。


「今は雨が降っていますが、小雨になっています。

 じきに止むでしょう」


ヴェルナーは窓辺で外を眺めているイルミナにそう声をかけた。


「先程見てきましたが、雲が薄くなっています。

 今夜中には晴れますね」


そう言ったのはアーサーベルトだ。

キリクと話し合ったあの日から、アーサーベルトはイルミナの傍にずっといた。

騎士団員は、どうしてそうなっているかの理由を知っているが、知らない文官や貴族はイルミナに何かあったのかと聞いてくるほどに、アーサーベルトは常にはべった。

それに対しての返答は、今の時期は敏感なため、アーサーベルトが専属の騎士となっていると答えている。


「そうであれば良かったです。

 ・・・少し寒いですが、ちょっと四阿に行っても構いませんか?」


イルミナはしとしとと窓に当たる雨粒を見ながら静かな声音で言った。

そんなイルミナの様子に、二人は持っていた書類をまとめるとベルを鳴らしてメイドを呼ぶ。


「お待たせいたしました、

 何か御用でしょうか?」


メリルローズが隣の控室からすぐさま用件を聞きにやってくる。


「夜遅くにすまないな。

 少し四阿に行く。

 熱い紅茶と・・・そうだな、温めた葡萄酒と簡単なつまみを頼めるか?」


「かしこまりました。

 陛下には直ぐに温かい上着を用意致しますので、少々お待ちくださいませ。

 ご所望のものは、後程お持ち致しますので」


「頼む」


そうしてメリルローズは、少しの時間でイルミナの衣裳部屋から暖かそうな上着を持ってくる。

本来であれば、寒い時期に遅い時間、更に雨も降っている外に行くことを止めるのが、正しい臣下というものだろう。

しかし、アーサーベルトもヴェルナーも、あまり我儘を言わないイルミナの願いは出来るだけ聞き届けたいと思ったのだ。


「付き合わせてしまって、ごめんなさい」


眉尻を下げながら申し訳なさそうに言うが、それでもイルミナは行くことをやめようとは言いださなかった。


「構いませんよ、陛下。

 少しは休憩も取った方が良いのです。

 ・・・ちなみに私は飲まないぞ、アーサー」


「なぜだ?

 少しくらいならいいだろう」


予め酒を飲まないと釘を刺すヴェルナーだが、きっと飲まされるのだろうとイルミナは思った。








「・・・やはり、少し寒いですね」


イルミナは、吐く息が少しだけ白くなるのを見ながら零した。

まだまだ本格的な冬とは程遠いが、それでも早朝と夜は大分冷え込むようになってきた。

パラパラとした雨は、昼間よりかは雨脚が弱まっている。


「大丈夫ですか?

 何かお持ちしましょうか?」


そんなイルミナを甲斐甲斐しく面倒を見ようとするアーサーベルトに、ヴェルナーは既に持ってきていた膝掛を渡した。

予めメリルローズに渡されていたのだが、それを知らなかったアーサーベルトは失敗したと言わんばかりに眉間に皺を寄せた。

そして三人が四阿に着いてから数分もしないうちに、ナンシーが台車を押しながらやってきた。


「お待たせいたしました、陛下。

 ご所望のものをお持ち致しました」


「ありがとう、ナンシー」


次々とテーブルに乗せられていくそれらからは、湯気が立っている。


「団長様、葡萄酒ですが料理長からとっておきものを用意した、心して飲むように、と言付かっています」


アーサーベルトはナンシーの言葉に少しだけ驚き、くつりと低く笑った。


「わかったと料理長に伝えてくれ」


「かしこまりました。

 では、近くに一人付かせておりますので何かありましたらお声掛けくださいませ」


ナンシーはそう言い、一度礼をしてからその場から去った。

三人はそれを見届けると、用意してもらったものに手を付け始める。


「・・・美味しいですね」


一口紅茶を口にしたイルミナは、思わずそう口にする。


「えぇ、陛下、よろしければ葡萄酒も味見をなさってみませんか?

 料理長が良い物を用意してくれたようなので」


アーサーベルトは、持っていたボトルを左右に揺らしながら問う。

イルミナはあまり酒を好んで飲むほうではないが、こんな日は飲むのも悪くない。


「そうですね、折角ですから少し頂きます」


あまり飲まないことを知っているヴェルナーは、イルミナの珍しい言葉に驚く。


「陛下?

 アーサーの言うことに付き合う必要なんてありませんよ?」


「いいえ、ヴェルナー。

 私が飲んでみたいのです。

 よければ貴方もどうですか?」


「・・・」


飲まないと宣言していたが、イルミナからの折角の誘い。

アーサーベルトはヴェルナーの葛藤をわかっているのかにやにやと笑っている。

どうするか逡巡したが、結果ヴェルナーは。


「・・・い、ただきます」


その言葉を聞いたアーサーベルトは、勝ったと言わんばかりに笑みを深めグラスを用意した。



「・・・ヴェルムンドに」


三人にカップが行き渡ると、イルミナは小さな声で言いながらそれを目線のあたりまで持ち上げる。


「ヴェルムンドに」


「イルミナ陛下に」


そして三人はコップを合わせることなく静かに乾杯すると葡萄酒を口にした。


「・・・美味しいですね。

 さすが料理長・・・今まで飲んだ、どの葡萄酒よりも飲みやすいです」


イルミナはこくりと一口飲むと、思わずそう口にした。

ヴェルナーも何も言わないし眉間に皺が寄っているが、何も言わないことから同じ思いなのだろう。

そうして三人は、言葉少なに葡萄酒を楽しんだ。


「・・・こうして三人でここに来るのは、久しぶりですね」


イルミナはぽつりと零した。

四阿は、イルミナにとって始まりだった。

それはヴェルナーやアーサーベルトにとってもそうだ。


「そうですな・・・」


アーサーベルトも感慨深げに頷く。

最後に三人でお茶会と称した話し合いをしたのは、いったい何時だっただろうか。

そんなに遠くない記憶のはずなのに、なぜか記憶はおぼろげだ。


「・・・正直、驚くほどに時間が過ぎるのが早い気がしますよ」


ヴェルナーは、持っていたカップを手の中で玩ぶようにしながら言う。


「・・・私も、です」


三人は、懐古に浸るように目を閉じた。



初めてアーサーベルトに話しかけた日。

初めてヴェルナーと言葉を交わした日。

出会って、共に過ごした日は十年も経過していない。

だか、三人は濃密な時間を過ごした。


「・・・今でこそ言えますが、ヴェルナーの講義はとても怖かったんですよ?」


イルミナは当時のことを思い出しながら言う。


「それはそうでしょうなぁ。

 ヴェルナーは、気に入ったものにはなぜか厳しくする傾向がありまして」


「・・・アーサー」


「そうだったんですか?」


聞いた瞬間は疑問に思ったが、考えてみればヴェルナーは一度としてできない自分を怒鳴ることはなかった。

ただ、淡々と説教はしてくれたが。


「陛下、ヴェルナーの好意は非常に分かりづらいのですよ」


アーサーベルトはにやにやとしながら言った。


「黙れ」


「や、やめ・・・!!」


顔を真っ赤にしたヴェルナーは低い声でそう言いながらアーサーベルトに詰め寄り、襟元を掴むと首をガクガクと揺らす。


「・・・ヴェルナー」


イルミナがヴェルナーを呼ぶと、ヴェルナーは渋々アーサーベルトの襟元を放した。


「・・・ヴェルナー、あの時の貴方は確かに怖かったですが、それでも貴方のお蔭で今の私があることには変わりはありませんし、感謝しかしていません」


ヴェルナーはイルミナのその言葉に、頬を朱に染めながら無言で顔を反らした。


「それは、有難きお言葉です・・・。

 ・・・それはそうと陛下、ライゼルト殿との婚約の発表のことなのですが」


ヴェルナーは二杯目の葡萄酒を口にしながら話し始めた。

明らかに話を反らした感は否めないが、イルミナはそれに乗った。


食事会の日に、イルミナはグランと婚約することを発表する。

ハーヴェイの件もあるが、彼はあれからぱたりとイルミナに婚姻を迫ることをしなくなったのだ。

不気味ではあるが、食事会の時に発表しておきたいという考えから、むやみに突かないようにしている。


「とりあえず、当初の予定通りでいきます。

 アーサー、警護体制は?」


「既に各隊長と話は付けてあります。

 ライゼルト殿も一緒に確認しております」


「わかりました。

 ヴェルナーはどうですか?」


「こちらも滞りなく進んでおります。

 リストに記載ある方々は既に確認が取れていますので、予定通りに進むでしょう」


「わかりました。

 ・・・グランに関してですが、一度打ち合わせをしていますが、明日にはもう一度最終確認を行なう予定です」


グランとイルミナは、一度執務室で会って以来、なかなか時間が取れずに私的な時間を共有することがなかった。

食事会のこともありイルミナが多忙を極めているため、会ったとしても公的なものだけだ。

色んな人が城を出入りしている中、婚約前ということもあるので、勘繰られるような会い方は避けていた。


「承知いたしました。

 ・・・それと、ラグゼン公に関してなのですが」


ヴェルナーは気づけば三杯目を口にしている。

アーサーベルトはまだ二杯目だというのに。


「やはり何も見つかりませんでした。

 これ以上は難しいでしょう。

 ですが、公の侍従の一人、姿が見えなくなった者がいます。

 念の為、他のものから公に確認をしたのですが、仕事の関係で今は外しているとはぐらかされています」


「そうですか」


「ただ、どうやら公も詳細が分かっていないようです。

 メイドが見かけただけにすぎませんが、どうやら苛立っている様子を何度か。

 その侍従がどこで何をしているのかは、全く掴めていませんが・・・」


他国の侍従といえども、自分の国で好き勝手に動かれるのははっきり言って不快だ。

しかしハーヴェイですら知らないとなれば、その侍従はいったいどこで何をしているのだろうか。

他国で動けるということは、その侍従はヴェルムンドにある程度詳しいのだろう。

可能性として、その侍従が間諜の場合もある。

全ては、憶測でしかないが。


「そういえば、グランも独自で調べていると・・・。

 ただ、グランも詳細は分かっていないようです」


「ライゼルト殿も?

 それは非常に不思議な状況ですね」


ヴェルナーの言葉に、イルミナは頷いた。


「とりあえず、グランには詳細を急いで確認するように言っておきます」


そうして締めくくろうとしたその瞬間。


「・・・陛下」


木々の間からイルミナを呼ぶ声が聞こえた。

アーサーベルトは一瞬で警戒を高め、声がしたほうへ低く構える。

ビリビリと肌を刺しそうな威圧の中、その声はまたも聞こえてきた。


「団長・・・俺です・・・」


そう言って暗がりから出てきたのは。


「・・・ヘンリー!?」


そこには、最近顔を見ていなかった騎士団の一人がいた。

彼は第五騎士団の隊員で、影が薄いながらも能力がそこそこあったのをアーサーベルトは覚えていた。


「さすが団長ですね・・・。

 ほとんどの奴らは、俺のことを覚えられないのに・・・」


ヘンリーは少しだけ疲れた表情を見せながらも、はにかむように微笑んだ。


「いきなりどうした?

 なぜお前がここにいる?」


アーサーベルトは警戒を一切緩めずに問う。


「すみません、団長・・・。

 俺、グラン様の指示で動いていまして・・・」


「ライゼルト殿の?」


予想もしない名が出てきたことで、緊張していたイルミナの経過が一瞬だけ緩む。


「俺、ライゼルト領の出身なんです。

 ・・・少し覚えがありまして、自分からグラン様にお願いして調べ物をさせていただいていたんです」


「グランの・・・?」


「はい。

 ・・・ある人を調べておりまして」


「何かわかったのか!?」


アーサーベルトは眉間にしわを寄せながら低く問うた。

ヘンリーは頷くが、答えようとはしない。


「申し訳ありません、団長。

 グラン様にまだお伝えしていないので・・・」


ヘンリーのその言葉に、イルミナは疑問に思った。


「では、なぜここに?」


「陛下と、グラン様にお伝えしようと考えまして。

 団長と宰相殿もいらっしゃるのであれば都合がいいです」


「私たちもか?」


「はい。

 出来れば、御三方には聞いてもらいたいと思いまして。

 グラン様にも連絡はすでにしているので、直にいらっしゃるかと思います」


イルミナは考えた。

できることであれば、自分はハーヴェイ関係を下手に知らないほうがいいと考えていた。

しかし、今のヘンリーを見るからに何かしら得たのだろう、そうであれば、自分が知らないわけにはいかない。

イルミナは、この国の女王なのだから。


「―――わかりました。

 では、私の執務室に行きましょう」





自分の部下が、守るべき民が。

自分(イルミナ)の為にしてくれたことを、知らないでいるわけにはいかないのだから。


――――彼らとて、イルミナにとっては守るべき対象だということを、イルミナは忘れるはずもなかった。






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