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梔子のなみだ  作者: 水無月
女王時代
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アーサーベルトの決意




微笑みを浮かべて言うイルミナに、アーサーベルトは柄もなく胸がぎゅっとしまった。



思えば、ここまで来るのにどれだけの月日が流れただろうか。

どれだけ、目の前の彼女が傷ついただろうか。

何度、自分の無力さに打ちひしがれただろうか。


それでも、彼女の努力が実を結ぼうとするその瞬間が訪れて、本当に良かったと思う。

自分たちが間違えていないとは言わないし、言えない。

彼女が望んだにしても、彼女から少女らしさを奪ったとアーサーベルトは考えている。

それはきっと、ヴェルナーも同じ思いだろう。


「そんな、殿下の頑張りがあったからこそで・・・」


つい、そう零す。

そう、自分たちは手伝いしかできなかった。

辛いときに立ちあがったのは彼女の努力なのだ。

しかしイルミナは頭を横に振った。


「いいえ、私が頑張れたのは、貴方たちがいたからです。

 いつだって辛いとき、心が折れそうなときには貴方たちがいてくれました。

 そのことにどれだけ私が救われたか・・・。

 今更ですが、本当にありがとう、アーサー」


イルミナは、目元を緩めながら言う。

控えめな笑みだが、夜露を零す花のように微笑むイルミナにアーサーベルト一瞬息を詰まらせる。

彼女がこう笑えるようになったことが本当に嬉しいと、心の底からそう思った。


あの、笑うことを知らなかった少女が。

ぎこちない笑みを浮かべるようになった彼女が。

一時は、人形のような笑みを浮かべていた、大切な彼女が。


「・・・身に余る光栄です、陛下。

 もう、貴女は独りじゃありません。

 きっと全てが上手くいくようになります」


アーサーベルトの言葉に、イルミナは苦笑を浮かべた。


「まだまだ、これからですよ。

 アーサー、これからも手伝って下さいね」


そうだ、自分は、なぜ、あの時少女に力を貸そうと思ったのか。

アーサーベルトはその瞬間を、色鮮やかに思い出した。








「・・・女王陛下」


「?どうかしましたか?」


いきなり改まったアーサーベルトに、イルミナは訝しげな声を出した。

目の前のアーサーベルトの表情は、いつになく真剣だ。

何かあったのだろうかと考える、そんなイルミナの足元にアーサーベルトは片膝をついた。


「あ、アーサー・・・?」


「・・・イルミナ女王陛下。

 我、アーサーベルトは、生涯貴女様の剣となりて、御身を御守りすることを、永久に誓わせて頂きたく」


「・・・それは?」


不思議そうに問うイルミナに、知らないのも仕方ないとアーサーベルトは思う。

もう、これをしようとする騎士はほとんどいないのだから。


「これは、騎士の誓、というものです」


「騎士の誓・・・?」


「はい。

 今ではほとんど聞くことのない言葉でしょう。

 ”騎士の誓”とは、我々騎士団が夢見るものです」


「騎士団が?」


「はい。

 騎士の誓とは、騎士が、生涯をかけてたった一人の人に尽くすというものです。

 決めたその人のために、我が身をすこと」


「生涯をかけて?」


「はい。

 誓った騎士は、結婚することなくその一人を守ります。

 自分の人生をかけてでも、守りたい人に命を捧げるのです」


その言葉に、イルミナはアーサーベルトが言っているその重さにようやく気付いた。


「だ、駄目です!

 私に人生をかけるなんて、そんなこと!」


ガタリと慌てたように立ち上がるイルミナに、アーサーベルトは苦笑を浮かべた。


「あ、あなたはこれから先、結婚をされると思っています!

 ですから、私に生涯をかけるなんて、そんな、そんなことしては!!」


慌てたイルミナは縋りつくようにアーサーベルトに近寄る。

それがはしたないことだというのは、完全に頭から飛んでしまっているのだろう。


「陛下、イルミナ陛下」


アーサーベルトは慌てた様子のイルミナとは打って変わって、落ち着いた様子でイルミナに語り掛けた。


「陛下、確かに私は恋が素晴らしいと言いました。

 しかし、それよりも大切なものを見つけたのです。

 ―――それが、貴女です」


目を見開いたイルミナに、アーサーベルトは続けた。


「陛下、私は貴女を、誰よりも一番長く、近くで見てきました。

 私は、貴女ほど尊敬して、守りたいと思う方は今まで一人もいませんでした。

 ・・・イルミナ陛下。

 今では、これをするものはいない、そして騎士団の夢だとお伝えしましたね?」


「・・・はい」


「もう、今では誰も誓おうなどと思わないのですよ。

 時代錯誤もいいところだと笑うものもおります。

 それでも、騎士団は夢見ているものが大勢います。

 なぜかお分かりですか?」


「・・・いいえ」


「騎士団に所属するものは、一度は夢見ます。

 絵本のような、魅力ある王に全身全霊でお仕えしたいと。

 美しい姫を守りたいと。

 そして、その命を守って果てたいと」


「そんなこと!」


イルミナは首を横に振りながらしてはならないと必死に訴える。


「ですが、今や誓を立てるものはゼロです。

 なぜか。

 ・・・誓いたいと思う相手がいないのですよ。

 絵本で見るような賢君も、お姫さまも。

 現実に見つけられるはずもない相手を、我々は探してしまうのです」


「そ、れは・・・」


驚きに言葉を失っていると、アーサーベルトは笑みを零した。


「わかっております。

 夢の見すぎだというのは。

 それでも、抗えない魅力があるのです。

 ・・・それでも、やはり自身の命を差し出したいと思うほどの相手には会えないのが現実です。

 昔は、今よりももっと夢見る騎士が多かったのでしょう。

 だから、今なお廃れずに語り継がれているのです」


「・・・!

 だからといって、私はアーサーの命を捧げられるのは嫌です!

 一緒に、ずっと頑張ろうと言ってくれるほうが、何倍もいいっ・・・!」


イルミナの言葉に、アーサーベルトは顔を綻ばせた。


「陛下、

 そんな貴女だから私は誓いたいのです。

 貴女の傍で、貴女が幸せになる手伝いを、その姿を見届けたい。

 一度は諦めていましたが、貴女という存在を知ってしまった以上、誓わないというのは出来ません」


「でもっ・・・!」


なおも言いつのろうとしたイルミナに、アーサーベルトはシィ、と口元に人差し指を当てた。


「陛下、何も死ぬわけではありません。

 ただ、貴女の傍で生涯を終えたいのです。

 ・・・イルミナ女王陛下、私の夢を聞いてはくださいませんか?」


「!

 その言い方は、ずるいですよ、アーサー・・・」


イルミナは少しだけ茶目っ気を見せながら言うアーサーベルトに、言いたくないと思いながらも問うた。


「・・・アーサーベルト、貴方の夢は、何でしょうか」


その言葉に、アーサーベルトはこの上なく嬉しそうに微笑む。

くしゃりと寄った顔が、イルミナの問いが間違えていなかったと語った。


「女王陛下、私に騎士の誓いを。

 貴女を守る生涯の剣たれと、仰ってください」


「・・・それが、貴方の望みなのですか?

 誓わないで、傍にいるというのも、選べますよ・・・?」


イルミナはどうしてもその誓いという言葉にいい印象を受けなかった。

確かに、おとぎ話であれば美談になるだろう。

しかし、それはあくまでも空想の話だ。

現実で、命を懸けて守るなんてことは、イルミナにとっては恐ろしいものだった。


自分にそんな価値があるのかもわからない。

これから彼の期待に応えられるのかもわからない。

アーサーベルトにはアーサーベルトの人生があるのだから。

それを、自分の為に使う?

そんな恐ろしいこと、今すぐに聞かなかったことにしてしまいたいほどだ。


「いいえ、陛下。

 私の望みは、貴女の剣となって御守りすることです。

 どうか、誓わせてください」


イルミナはじっとアーサーベルトを見つめる。

どうか、どうか思い直してくれないかと思いを込めて。

しかし、アーサーベルトは沈黙を保ったまま、同じようにイルミナを見つめた。

どれくらい、見つめ合ったのだろうか。

そしてついに、イルミナが折れた。


「・・・騎士、アーサーベルト」


「はっ」


イルミナの声に、アーサーベルトはすぐさまその足元に跪く。


「・・・もし、貴方が添い遂げたい方ができたら、」


「陛下」


被せるように言うアーサーベルトに、彼が本気なのだとイルミナは悟る。

ぐっと唇を噛みしめると、そのまま震えた声で続けた。


「・・・騎士アーサーベルト。

 その生涯を、私を守る剣となれ」


その瞬間、見上げるアーサーベルトの瞳が喜色にとろりと溶けた。

これ以上ないくらいの喜びに満ちた笑みに、イルミナは少しの喜びと、悲しさを覚えた。


アーサーベルトは、自分を一生裏切らない。

それは、彼の人生を自分に縛ったから。

―――本当であれば、そんなことをしたくは、なかった。




「・・・これ以上ない、喜びにございます。

 イルミナ女王陛下、我が人生は、貴女の為だけに」






そうして、歴史に名を遺した女王に一人の騎士が誓いを立てた。

国一番と謳われる剣技を持った彼は、その生涯を女王の元で終える。







****************






「ヴェルナー」



「なんだ、アーサーか。

 こんな夜更けにどうした」


夜も深まり、虫すらも眠ったであろうその時間帯に、アーサーベルトは朋であるヴェルナーの私室を訪れた。

普通の人であれば寝ているだろうが、食事会が近いこともあってヴェルナーなら起きているだろうと思ったのだ。


「少しだけいいか」


問うアーサーベルトに、ヴェルナーは訝し気にしながらも招き入れた。


「酒なんてないぞ」


「大丈夫だ。

 持ってきている」


そう言ってアーサーベルトは持参したボトルをヴェルナーに見せる。


「!?

 お前、これは年代物の!?

 いいことがあった時に開けるって言っただろう!?」


アーサーベルトが持参したのは、彼が持つ酒の中で最上級の代物だった。

以前にその話をし、自分が結婚する時にでも開けようかと話しをしていたのである。


「いいから」


そう言ってアーサーベルトはするりとヴェルナーの私室に入る。

そんなアーサーベルトを、ヴェルナーは疑問が晴れない表情で見ているのに気づいたが、アーサーベルトは気付かぬふりをした。


「で、何かあったのか?」


ヴェルナーはアーサーベルトの持ってきた酒をちびちびと舐めるように口にしながら聞いた。

中々話そうとしないので、痺れを切らしたようだ。


「・・・ヴェルナー、騎士の誓って、知っているか?」


「騎士の誓?

 いや、知らないが・・・」


「騎士の誓っていうのは、騎士が唯一の主を決めた時にする誓いのことだ」


アーサーベルトは、グラスの中にある液体をゆらゆらと揺らしながら言った。


「誓ったとでもいうのか?

 それがいったいどうした」


「・・・誓った騎士は、生涯伴侶を持つことなく主に仕える」


「それを誓ったのか、陛下に?」


「あぁ・・・陛下は望まれていなかったが・・・私はこれ以上なく嬉しいんだ」


アーサーベルトは、苦笑いを浮かべながらも瞳を潤ませた。

それくらい、嬉しいことだった。

騎士の誓なんて、物語の世界の話となりつつある今、自分がそれをしようと思えるなんて思ってもみなかった。


「何で望まれていないんだ?

 ・・・あぁそうか、お前は生涯を陛下の傍で・・・」


最初は不思議そうにしていたヴェルナーも、アーサーベルトの言葉を思い出して納得したようにため息を吐いた。

大分昔に、アーサーベルトは恋が良いものだと語ったことを思い出したのだろう。

だから、きっと結婚するのだろうと思っていたのだ。


「まぁ、陛下は誓いを立てなくても傍で一緒に頑張ってくれればいいと仰ってくれたんだがな。

 だが、私はあの方に自分の総てを捧げたくなったんだ」



ヴェルナーは、落ち着いた様子で話すアーサーベルトが少しだけ羨ましいと思った自分に驚いた。

アーサーベルトは、これから一生をイルミナの傍で過ごす。

例え、イルミナが結婚しようが、何をしようが。

それを選べるアーサーベルトに、ヴェルナーは確かに嫉妬を覚えたのだ。


「・・・なら、これからは身を粉にして働くんだな。

 あの方が、もう二度と、一人で絶望されないように」


「わかっているさ。

 ただ、お前にも報告はしておこうと思っただけだ。

 ・・・ヴェルナー、私は、あの方の傍で一生を終える。

 絶対に、何が何でもだ。

 あのお方を、一人になんかしたりしない」


それはきっと、宣誓にも似たものだった。

そうヴェルナーには感じ取れた。


「・・・アーサー一人に任せようなどと思わん。

 私だって、陛下の傍でずっと見ていたいのだからな」


ヴェルナーは辛うじてそれだけを口にした。

その言葉に、アーサーベルトは苦笑を浮かべる。


「なぁ、ヴェルナー」


「何だ」


「俺たちは、あの時から強くなれたんだろうか・・・」


アーサーベルトのその一言に、ヴェルナーは思い出す。

あの月明かりの下、誓い合ったことを。


「知らん。

 そもそもまだ何も成し遂げられていないだろう」


ヴェルナーのはっきりとした言葉に、アーサーベルトはそれもそうだと頷く。



あの時の記録書は、いまだにヴェルナーが大切に保管している。

あれは、二人にとって一種の戒めなのだ。


「・・・ヴェルナー、

 私は、あのお方の元で、果てる」


「・・・そうか」


その短い一言には、色々な意味が込められていた。

それを理解できるのは、きっとお互いだけだろう。




だからこそ、二人はずっとイルミナの傍で彼女を見てきたのだから―――。




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