安寧の日々
「陛下、宿舎に関してのことですが」
「レネットですか?
なんでしょう」
「定期的に点検が必要かと思われます。
そのための人材派遣の件と冬に向けての防寒対策についてなのですが」
イルミナは食事会まで二週間を切った段階で、輪に掛けて忙しくしていた。
以前に比べて連絡体系などが整ってきたおかげで、無駄な動きというものは減ってきている。
それでも、報告の数や決裁書類が減るというわけではなく、むしろ効率が良くなったことでどんどん仕事が舞い込むようになっていた。
タジールとグイードは、既にアウベールへの帰路を辿っていた。
さすがに食事会まではいるわけにもいかず、戻ってから本格的な学び舎を始動する予定だ。
宿舎に関してはほぼ完成しているので、あとは他の足りない分を補いながら完成させる見通しだ。
一気に完成させても、きっと足りないものは出てくる。
なら初めから完成を目指さず、長期的に改善していこうと方針はなった。
食事会後には教える人、教員を派遣し予定では食事会の二か月後には学び舎の試行を始める。
時期的に冬だから、農業などが比較的に落ち着く時期をイルミナは狙った。
冬の間に学ぶことの楽しさを知り、そこから勉強というのを定着させようとしているのだ。
もちろんその間の暖房に関するものや食料に関しても勘定方のドルイッドと話し合い、ある程度の見積もりは出している。
エルムストへの送金分を入れてもまだ余裕はある。
ベナンなどの一部の貴族の貯め込んだ金を一度国が預かり、それを領地に分配し、そこから余ったものはそのまま教育に充てる運びだ。
もちろん、イルミナ一人の案ではない。
ここまで決められたのはヴェルナーたち政務官が色々と調べ回ってくれたおかげだ。
そして、イルミナは報告書でしか見ていないが、アリバルの指導のもと二人は貴族相手に治水の技術を発表したらしい。
イルミナの名のもとで行われたそれには、沢山の貴族がやってきた。
食事会があるというのもあって、地方から来ている貴族も参加していたようだ。
まだはっきりとは分からないが、好感触であったとアリバルの報告書には記載されている。
これである一定数の貴族の需要が得られるようであれば、治水技術も価値が生まれ商売としてやっていけるだろう。
そのことにもイルミナは安堵の息を吐く。
治水の技術がヴェルムンドで平均的に使用されるようになれば、きっと今よりももっと生産性は上がるだろう。
確かに、今すぐというわけにはいかなくても未来には必ず芽吹くものだとイルミナは確信しているのだから。
「陛下、失礼してもよろしいでしょうか」
レネットと話し込んでいると、ジョアンナの声がドアの向こうから聞こえた。
「どうぞ」
「失礼いたします」
ジョアンナは、メリルローズも連れてやってきていた。
そしてその手には何枚もの紙が握られている。
入室した二人は、レネットの姿を見つけると中断させたことに少しだけ申し訳なさを感じた様で頭を下げる。
「・・・どうしたのですか、ジョアンナ」
イルミナの不思議そうな声音に、ジョアンナは信じられないとでもいうように目を見開いた。
「陛下!
何を仰っているのですか?
お食事会のドレスです!
いつまでもお話しが来ないと、お針子たちが気を揉んでいましたよ?」
「・・・あぁ」
ジョアンナの言葉に、イルミナの目は一気に生気を失った。
―――また、あれをしなければならないのだろうか。
そう如実に語るイルミナの瞳に、レネットは訝しげな表情を浮かべていた。
正直、イルミナにとってドレスを仕立てるということはいつも以上の気力を必要とする。
前回でそれを思い知った。
だから、出来るだけしたくないというのが本音だ。
採寸されている時間を、出来るだけ執務に充てたい。
言うだけ言ってみようとしたイルミナは、恐る恐る口を開いた。
「・・・あの、その、
貴女方が選んでくれるものに似合わないものなんてないと・・・」
しかし、その考えを見抜いていたらしいジョアンナは、即座に否定する。
「駄目ですよ、陛下。
もちろん、お似合いにならないものを選ぶつもりなんてございません。
でも、折角の晴れ舞台の一つなのですから、ちゃんと仕立てたものをお召しくださいね」
「そうですよ、陛下。
全部任せるなんて、そんな酷いこと仰らないで下さい。
私たちの一番の楽しみでもあるのですから」
メリルローズもジョアンナを援護するように続ける。
イルミナがそんな二人に勝てるはずもなく、最終的には項垂れるようにして採寸を受け入れた。
もちろん、以前やったのでは駄目かと頑張ったものの、成長しているイルミナに合うものを作るのが仕事だと言われてしまえば撃沈するほかなかった。
この情景を一部始終空気のように見ていたレネットは―――。
「・・・陛下が子供らしいところを初めてみました。
少しだけ可哀想だとは思いますが、とても新鮮でしたよ」
そう微笑んでいた。
****************
「・・・・・・・・・・・・では、それで・・・」
イルミナは心持げっそりしながらその言葉を口にした。
「お任せください陛下!
腕によりをかけて最高のものを縫いますから!」
キラキラとした目を向けてくるお針子に、イルミナは苦笑を浮かべる。
「ありがとう。
でも無理はしないで下さいね」
そう言って部屋を出るイルミナに、お針子たちは何て優しい陛下なのだろうと瞳を潤ませながら感動に打ち震えていた。
採寸、及びデザイン決めはイルミナの想像を絶する時間を要した。
ジョアンナが持っていた紙は、全てデザイン画でそのなかから一つに絞るだけでもイルミナの精神力はがりがりと削られていった。
それはもう、恐ろしい勢いで。
だいぶ前だが、ヴェルナーの講義を辛いと評したが、それを上回るものがあるとは・・・。
そうして始まった採寸は、以前より少しだけ身長が伸びているとか腰回りが細くなったとかで、巻き尺を巻かれていないところはないのではないかというくらいに測られた。
デザインもいくつか絞ったあとには、色決めが待っていた。
―――この時点でイルミナは半分泣きそうになった。
もうこれ以上は無理だと悟ったイルミナは、大きな声で言ってしまった。
「デザイン別でカラーを二つ、白系を一つにしましょう。
色は私に似合いそうなものをいくつかあげてください。
確認しますから!!」
そうして先延ばしにすることが、イルミナの唯一出来たことだった。
「・・・世の女性というのはああいったことを好んで行っているなんて・・・。
私の知らないことなんて星の数ほどあるのね・・・」
イルミナはふらふらとしながら執務室に足を向けていた。
後ろで護衛をしている騎士の視線が、痛ましいものを見る目なのは気づかないふりをする。
そうしていると。
「陛下」
後ろから声をかけられたので振り向くと、そこにはアーサーベルトが苦笑を浮かべていた。
「アーサー?
どうかしましたか?」
「いえ、お疲れの様子でしたのでつい。
せっかくですから、一休みされませんか?
城下で人気の焼き菓子を買ってきたのです」
「とても魅力的なお誘いですが、まだ執務が残っていますので・・・」
執務の最中に連れ出されたこともあって、出来るのであれば今日中に終えてしまいたい分がまだ残っているのだ。
ヴェルナーに確認してもらわないとならない件もある。
休憩も大事だと知っているが、できることであれば、切りのいいところで終えたい。
「先ほど執務室に伺ったのですが、今日はもういいとヴェルナーが言ってましたよ」
「ヴェルナーが?」
アーサーベルトによると、ヴェルナーはレネットからイルミナがどこに連れ出されたのかを聞いたらしい。
そして前回のこともあったので、きっと疲れ果てているだろうと予測してそう言ってくれたようだ。
ヴェルナーの目には、それほどまでに前回のイルミナが疲労困憊に見えたらしい。
「それは・・・気を遣わせてしまいましたね。
ですがとてもありがたいです。
では、せっかくなのでお茶にしましょうか」
イルミナがそう言うと、アーサーベルトが破顔して頷く。
「今日はここまででいいぞ。
あとは私が付く」
「はっ!
ではこちらで失礼させていただきます、陛下」
「ありがとう、ゆっくり休んでください」
アーサーベルトに声をかけられた騎士はきびきびとした動きでイルミナに一礼し、アーサーベルトには敬礼をしてそのままその場を去った。
「では、四阿では寒いので私の執務室でいいですか?」
「構いません」
そう言って二人はイルミナ個人用の執務室へと足を向けた。
「どうぞ」
イルミナはナンシーに用意させた紅茶を淹れる。
淹れましょうかと声をかけてくれたが、なんだかんだでイルミナも紅茶を淹れるのが好きになっていたので断った。
「ありがとうございます。
これを買ってきたのです」
アーサーベルトはいそいそと持っていた袋からお菓子を取り出した。
ふわりと、甘い焼き菓子の香りが香る。
「それは?」
「いや、私も人づてに聞いて買ってきたのですが、とても美味しいと評判なのです。
あぁ・・・やはり少し冷めてしまいましたが・・・それでも美味しいそうですよ」
そういってアーサーベルトが出したのはふんわりとしたパン生地のようなものに白い衣がかかっている小さな焼き菓子だった。
上には、ナッツのようなものやシナモンの香りがするものもある。
見るだけで数種類はあるようだ。
「焼き菓子、というよりかは甘い軽食になりそうですな」
アーサーベルトはうきうきとした空気を醸し出しながらそれらを皿に移す。
小さなそれらは、城で用意される菓子のように繊細なつくりではない。
それでも、なかなか見ない種類の菓子に、イルミナの目も輝いた。
「では先に失礼しますね」
アーサーベルトが毒見も兼ねて先に一つつまんだ。
「・・・ふむ、結構甘いですな。
砂糖衣が美味しい・・・、ナッツがいい味を出しています。
疲れた体にはいいですよ、陛下」
予想外にしっかりとした感想を言うアーサーベルトに、イルミナも一つつまんでみる。
「!
美味しいですね・・・」
イルミナはシナモンのものを選んで食べたが、想像以上に自分好みだった。
城で出される繊細な味というのも嫌いではないが、こういったものも美味しいのだと知る。
そもそもイルミナはあまり菓子を食べない。
間食という考えがあまりないのだ。
それは、もちろんイルミナの幼少期に関係してくる。
幼いころから孤独に過ごしていたイルミナは、誰かに茶を用意させる、あるいは菓子を持ってきてもらうという発想がなかった。
リリアナとのお茶会では専属メイドたちが持ってきてくれていたのでそれらをつまんでいたが、リリアナ好みのそれらはイルミナの口には合わず、好んで食べるようなものではなかったのだ。
二人で色々な味を少しずつ楽しみながら、時間は穏やかに過ぎていく。
「そういえばアーサー、いきなりどうしたのですか?」
不意にイルミナは気になってそう聞いた。
確かに、アーサーベルトがこうしてお茶に誘ってくることは少なくない。
しかし、大体が何かしら話があることの方が多いのだ。
「あぁ、いえ。
最近ヴェルナーから陛下がお忙しくしていると聞きましてね。
お食事も簡単なものばかりでしょう?
ですから息抜きがてらこうしたものでもどうかと」
「そうでしたか・・・。
皆には心配をかけてしまいましたね」
「いえ、それが家臣のあるべき姿ですよ。
・・・それはそうと、グラン殿はどうされているのですか?」
「グランですか?
色々とやることがあるといって城にはあまり来ていないようです」
グランは、食事会で発表する方向で話を進めているが、そのために確認したいことがあるとのことで王都郊外の屋敷に戻っている。
それと同時期に、護衛のヘンリーも休暇をとった。
彼と一緒に行動しているのかどうかまでは分からないが、きっと何かあるのだろう。
イルミナは、それを信じることしかできない。
「そうでしたか。
それとアウベールの件、ようやく始動すると伺いました。
おめでとうございます」
「ありがとう、アーサー」
イルミナは微笑みを浮かべる。
「でも、これからです。
私はまだまだ未熟で、皆の助けがなければ決定一つ下すことができません・・・。
でも、これでも前よりかは少しだけ自信が付いたように思えるのです」
「そうですか、それはよろしゅうございましたな」
アーサーベルトの言葉に、イルミナは首を横に振る。
「アーサーと、ヴェルナーのおかげですよ?」
「我々の?」
首をかしげるアーサーベルトに、イルミナは頷いた。
「貴方たちが、私に自信をくれたのです。
幼き頃より色々と鍛えてくださいました。
それらが、今の私の自信へと繋がっているのです」
ご指摘がありましたので修正いたしました。




