女王陛下の賭け
サロンには、イルミナとハザだけが残された。
大切に育てられている薔薇の香りが、一気に香ってきているような気がしたのは、先ほどまで緊張していたせいだろうか。
入室した時には気づかなかったが、なるほどリリアナが好きそうな場所だと思う。
綺麗に整えられた花は、まるでリリアナのように美しい。
―――しかし、彼女がそれを見ることは二度とないだろう。
せっかく料理長が用意してくれた軽食は、すでに乾燥し始めている。
パンに色々な食材を挟んだもの、そして甘さを控えめにした焼き菓子は、イルミナの好物だった。
城の中でたった一人の王族となった今、食事をするためにわざわざ時間を取るということをイルミナはしていない。
それならば片手でつまみながら書類を見ているほうが何倍も有意義に感じていたからだ。
しかし、今回軽食を頼んだ際に料理長自ら作ってくれたことを思い、これからは食事に対する考えを改めようと思った。
勿体ないと思ったイルミナは、それらに手を出しはじめた。
「陛下、一体・・・?」
ハーヴェイの姿が見えなくなり、ハザはサロンに自分たち以外の気配がないことを確認してから、イルミナに話しかけた。
用意された軽食をつまんでいるところに声をかけたため、イルミナは咀嚼する口元を抑え飲み込んでから口を開いた。
「良ければハザ、一緒に食べましょう。
せっかく作っていただいたのです。
残すのは勿体ないですから」
「は、はぁ・・・」
ハザは困惑しながらもイルミナの対面の椅子に座り、新しく用意された紅茶を手に取った。
普通の王族であればそのような誘いは絶対にしないが、イルミナは幾度かそのように使用人を誘っているのを知っているハザは、戸惑いながらもイルミナ手ずから淹れた紅茶の味を楽しんだ。
「・・・先ほどのは、牽制したのです」
「牽制?」
いきなり核心を話し始めるイルミナに、ハザは困惑しながらも聞き返した。
「はい。
ラグゼン公が私に求婚した理由、それをいくつか考え、牽制・・・いえ、というよりカマをかけてみたのです」
「カマを?」
「まず、どうして国内でも引く手あまたであろう公が、何故わざわざ他国である私の婿になりたいのか。
はっきり言って、我が国の一番のメリットはミスリルくらいです。
しかし、それとて永遠ではないことくらい、きっとラグゼン公でも知っていることでしょう。
そして彼は、この国以外を選ぶという選択も出来たはず。
なのに、どうしてヴェルムンドなのか」
イルミナの淡々とした言葉に、ハザは困惑しながらもその言葉の意味を考える。
しかし言われてみればそうだ。
ラグゼンファードという大国と繋がりを持ちたい国だってあるだろう。
自国以外と組まれるのは非常に困るが、自分の国のことを考えるのであれば可能性としては、最もあり得る。
ラグゼンファードも、ヴェルムンドと同じように他国と刃を交えた歴史がある。
それに、ヴェルムンドは国としてものすごく裕福というわけではない。
そう、彼がヴェルムンドを―――イルミナを選ぶメリットがないようにすら思えるのだ。
「彼は、初めの頃に私に言いました。
継承権を放棄しても邪推してくるものがいる、と。
それではなおさらです。
なぜ、特出したもののないヴェルムンドを選ぶのか、婚姻による平和というのは永遠ではありません。
ある意味人質でしかないのですから。
ですが、国力的に見てヴェルムンドがラグゼンファードと敵対して勝つことなど奇跡でも起こらない限り不可能でしょう。
では、なぜか」
イルミナはそこで一旦言葉を切ると、紅茶で喉を潤した。
そして椅子にもたれかかり、天井を仰ぐように見た。
「・・・前々から、不思議に思っていたことがあります」
「・・・なんですか?」
「・・・公は、あまりにもこちらの事情に詳しい、と」
「!!」
それは、ハザの中でもあったことだった。
ヴェルナーも、アーサーベルトも同様に感じたことがあると聞いたことがある。
しかし、調べても不審な人物は見つからず、難儀していたのだ。
「はっきり言って、私はあの方はいろんな国に間諜を飛ばしていると思っています。
そして、知ったのです。
私の政策を。
・・・そして、私のことを。
確証はありませんが、時期的には合致しています。
それまで、彼は一度として私に婚姻を申し込んでいませんから、それも含めて。
きっと、私の婿となれば、ヴェルムンドを内側からラグゼンファードの良いよう・・・とまではいきませんが不利なことをしないようにできるだろうと。
私のほうが立場的に上でも、経験などでは圧倒的に彼に負けています。
場合によっては、彼の言葉をそのまま反映させてしまう可能性だってあり得るのです。
それに、政策自体は夢物語のようですが、成功すれば後世に名を残すことが出来ますからね。
彼は、兄の為に、ラグゼンファードの為に話を持ち掛けてきたのだと私は考えているのです」
ハザは、イルミナが話す内容があまりにも信憑性の高いように思えた。
言われなければ気づけないが、それでも一度聞いてしまえばなるほどと理解できてしまう。
「陛下は、その、いつそのことに?」
「・・・いつでしょうか。
彼の手のものがいる、そう考えたのはだいぶ前のことです。
ただ、彼がどうして私を選ぶのか・・・その理由を、彼の言葉そのまま鵜呑みにしていた時もあります」
イルミナは、ハザの質問を考えた。
確かに初めてハーヴェイに会ったとき、イルミナは彼の言葉をそのままに受け取っていた。
彼の言う、面倒な人たちからさっさと離れたいという言葉に嘘を感じなかったためだ。
確かに、彼の言ったことに嘘はないだろう。
それも理由の一部なのだから。
ただ、自分に選択肢が少ないと思っていたあの頃は、何故ヴェルムンドなのかという疑問すら出なかった。
彼の申し出は、イルミナにとっても良いものだったからだ。
しかし、グランの想いを受け止め、そして自分にも選択肢がたくさんあることを知り、そして疑問に思った。
―――どうして、ヴェルムンドなのか。
不意に気になったそれを考えれば考えるほど、疑問しか生まれなかった。
庇ってもらった件もあったが、どうしてそこまでヴェルムンドに・・・イルミナに固執する?
そこで思い至ったのが、自身の掲げる政策だった。
他国でも聞かない、新しい政策。
それが唯一、イルミナの持つ武器だった。
もし、彼がそれを欲しがっていたとしたら?
それを、自分の国ラグゼンファードにも持ち込みたいと考えていたとしたら?
しかし、イルミナには確固たる証拠も何もなかった。
だからカマをかけたのだ。
「・・・最近、思ったことです。
ですが、話したおかげで少しだけ確証が持てました」
イルミナの言葉に、ハザは首を傾げた。
その彼の様子に、イルミナは補足の言葉を付け加える。
「私が、婿になる人にも政策を手伝わせるような都合のいいことはしないと言ったのを覚えていますか?」
「はい」
「その瞬間、公の表情が一瞬強張りました。
予想外のことを言われた、と言わんばかりに」
「・・・陛下はそれで確証を持たれたのですか?
失礼ながら、気のせいとかではなく?」
イルミナはハザの疑問も最もだと思いながら頷いた。
「はい。
相手は、大国の王弟で、それでいて経験も私の数倍ある方です。
だから私は一挙一動見逃さないように見ていました。
ヴェルナーの教えの賜物です」
ヴェルナーの教えは、本当に役立つものばかりだ。
笑みを浮かべることも、食えない貴族を相手にする際相手の動向を見逃さずにいることも。
全てが今のイルミナを助けてくれる。
「ヴェルナーたちがいると、彼もこちらの思惑を読み取る可能性がありました。
そもそも彼らがいると、何かあると思わせてしまいます。
私一人であれば、公も油断してくれるかと思ったのです。
正直うまくいくかはわかりませんでしたが、結果的にはいいものを得られました」
ジョアンナには悪いことをしたと思っている。
心配から声をあげてくれたことも。
しかし、どこに彼の手のものがいるかわからない。
だからイルミナは自分の心の中だけに押しとどめ、今に至ったのだ。
「・・・陛下は、本当に言葉に出来ぬほどに凄い方なのですね」
心底感服したという風に言ってくるハザに、イルミナは苦笑を浮かべた。
「いいえ、私がこう在れるのは皆のおかげですよ」
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ハーヴェイは、苛立ちを隠せないまま、用意された部屋に戻った。
正直に言って、予想外だった。
弱り切ったところを攻めれば、落ちると思ったのに。
いつの間にか彼女は立ち直っていた。
「・・・面倒になってきたな」
つい、そう零してしまう。
それくらい、ハーヴェイにとって今の状況というのは望んだものからほど遠かった。
出来れば情報が欲しいが、いつもいる侍従―――アルマはこの場にいない。
「ハーヴェイ様・・・?」
不安げにこちらを見てくる二人の侍従も、正直に言ってうっとおしい。
「・・・悪いが、一人にしてくれないか」
ハーヴェイがそう言うと、侍従の二人は困惑気な表情を浮かべながらも一礼して控えの間へと去っていった。
―――今思えば、観察されていた。
ハーヴェイはそのことに気づいた。
そうでなければ、あのようなことを突発的に言わないだろう。
はっきり言って、予想外すぎて一瞬だけ動揺を見せてしまったのは失敗だった。
ハーヴェイは、イルミナのことを侮っていた。
年若く、大して経験のない彼女に揺さぶられるようなことはないと思い込んでいた。
しかし、今回の一件でそれが間違いだと気づいた。
そしてようやく理解したのだ。
相手が、自分の兄と同じで一国の主であるということを。
「・・・っち」
つい、舌打ちが出てしまう。
しかし、それくらい今のハーヴェイには心の余裕がなかった。
苛立ちが隠せず、テーブルの上にあったグラスを薙ぎ払う。
床に落ちたそれは、柔らかな絨毯に落ちたおかげで割れることはなかったが、入っていた中の液体は絨毯にシミをつくった。
「・・・本当に、面倒だ」
イルミナのあの様子からして、自分の思惑がバレていたと考えるのが妥当だろう。
それでいて、敢えて確信をつかずに牽制するだけに留めた、そうハーヴェイはみた。
正直に言って、不愉快極まりない。
イルミナの行動は、ハーヴェイの自尊心を酷く傷つけた。
年下で、全てにおいて下に見ていたものに手を噛まれたという気分だった。
それはひどく傲慢な考えであることに気づいているが、それでもやはりその考えは拭えない。
アルマが自分の傍から離れていることにも、苛立ちを感じた。
離れる前に、別件で動いてきますと言った彼は、一体いつ戻ってくるのだろうか。
他国で長期間離れられるのは困る、そこから突き崩されかねないからだ。
食事会まで三週間を切り、イルミナは自分を婿とするつもりがないとも宣言してきた。
こらからどうするか、とハーヴェイは椅子に深く座り込みながら腕を組む。
ここで、自分が怪我をしたことを盾にイルミナに責任を取らせようと声をあげることはできない。
そんなことをすれば、自分の器がたかがしれていると周りに宣言するようなものだ。
それは、後々兄にも面倒がかかるだろう。
「・・・」
いっそのこと、こちらの令嬢と婚約するというのも出来る。
しかし、それでは国の中枢に入り込むことはできない。
というより、ハーヴェイのメリットがないに等しい。
「・・・まったく、どうしたものか」
ハーヴェイは意固地になり始めていた。
今までの経験やら何やらが、彼から引き返すという選択肢を奪っていることに、本人は気付かない。
自分より年下の、それも女性にしてやられたということは、ハーヴェイの中では許しがたいものとなっていた。
だからこそ、ハーヴェイは引こうとすら考えなくなっていたのだ。
それは、少なくとも間違えであり、間違えではなかった。
人は引くべきときと、引いてはいけないときがある。
ただ、総じてその瞬間を見極めなくてはならない。
ハーヴェイは、引くことを選ばなかった。
それが間違えか、そうでないのか。
それはまだ分からない。
「・・・兄上、全ては、ラグゼンファードのために・・・」
ハーヴェイは窓から見える空を見あげ、故郷の空を想った。




