大公閣下の見えない影
食事会まで残すところ三週間となった。
しかし、いまだにハーヴェイの自作自演かもしれないという何かは見つからずに、ヴェルナーたちは焦り始めていた。
「まだ見つからないのか・・・!?」
「申し訳ありません!!
しかし、確かな情報筋でなければ、調べようがありません!!」
「そうです!
相手はラグゼンファードの王弟です!
下手な勘繰りは国同士の問題に発展しかねません!!
クライス宰相、どうか、どうか考え直してください!!」
ヴェルナーの部下たちは、ヴェルナーのことを信じているが、それとこれとは違うと思い進言してくる。
それは良い職務体系だと思うが、それでもヴェルナーは引けない。
「あの男が陛下を尊敬していたのはわかっている、そしてある時を境にそれが薄れているのも・・・。
その、その切欠の人物がいるはずだ!!
どうして見つからない・・・!?」
苛立ちを隠さないで言うヴェルナーに、リヒトを始める文官たちが肩をすぼめる。
「し、しかし宰相!
そういった人物がいるかもしれないと聞いていても、誰も見ていないのです!
聞き込みをしても、誰もそのような人物は見ていないというのです!
そんな人物、どうやって見つければいいのか・・・八方ふさがりです!」
文官の叫ぶような言葉に、ヴェルナーは下唇を噛んだ。
どうして見つからないのか。
人目につく場所で会っていないからなのか、そもそも手紙でしかやりとりをしていないからか。
そうだとしても、男がそれを信じようと思ったのはなぜなのか。
何も、何もわからなかった。
「っ!!
もう、そんなに時間は取れないというのに・・・!!」
ヴェルナーの吐き捨てるような一言は、文官たちを震え上がらせた。
「・・・やはり、見つかりませんか」
「クライス宰相が全力をあげておりますが、確固たる何かはあがっておりません」
イルミナはハザの言葉を残念に思いながらも、仕方ないと諦めにも似た気持ちで頷いた。
見つかるに越したことはないと思うが、正直見つからないだろうとも考えているのだ。
相手は大国の王弟、ましてや兄の為に全てをかけられる男だ。
場数だって違うだろうその男が、そうそう見つかるような何かを残すとは考えづらい。
確かに、グランの言うことには一理ある。
怪我の件に関しても、ハーヴェイ自身が納得して慰謝料を受け取り、穏便に済ませたほうが遺恨が残らないだろうとも思う。
しかし、本当にあの男は済ませようとしてくれるのだろうか、それがイルミナの考えだ。
万が一自作自演の証拠が見つかったとしても、もし切り捨てでもあったら?
むしろ、こちらの動きが逐一ばれていて、売ってきたとしたら?
「・・・その件に関して、私は何も触れません。
私が触れてしまうと国家同士の問題に発展してしまいますから。
ただ、定期的によろしくお願いします」
「かしこまりました」
ハザが一礼するのと同時に、執務室の扉がノックされた。
「陛下、よろしいでしょうか?」
「どうぞ」
そうして入ってきたのは政務官と財務官だった。
「では私はこれで」
「ありがとう、ハザ」
入れ違いにハザが出ていく。
「陛下、学び舎の件に関してと治水の件で・・・」
「私は国庫の件と公費の件に関しての報告を」
「わかりました、まず学び舎に関してからお願いします」
******************
「・・・」
男は、世闇に紛れながらゆるりと腕を伸ばした。
すると、ばさりと羽音がして、真っ黒な鳥がその腕に止まる。
男は、鳥の頭を撫でながら、その足に括りつけられている小さな筒を取り外した。
「・・・」
短いそれは、男の主からの要望だった。
暗号のようなそれを、一瞬で解読し暗記するとその紙を飲み込む。
何一つとして証拠は残してはならないと教えられているからだ。
燃やせば煤が残るだろうと教えてくれた師匠とも呼ぶべき人は、いつも飲み込むように言ってきた。
いくら薄く作られているからといって、その味が美味しいと思うことはないが。
伝書鳩宜しく持ってきてくれた鳥を労わるように撫で、そして用意してきた餌を与える。
鳥はとても大人しく、鳴き声をあげることはない。
そういうふうに、男が育ててきたのだ。
「・・・かしこまりました、我が主」
男は、主がいるだろう方向に一度だけ礼をした。
バサリ、と鳥は男の腕から離れそしてその姿を宵闇に溶け込ませた。
******************
「・・・ラグゼン公に会います。
先ぶれを」
「!!
・・・かしこまりました」
イルミナは、書類から目を離さないままジョアンナに告げた。
告げられたジョアンナは、一瞬だけ目を見開いたものの、静かに了承の意を示し、衛兵に伝えてくるよう手配した。
「その、陛下」
「なんですか?」
「宰相様たちにお伝えしなくてよろしいのですか?」
ジョアンナは恐る恐る伺う。
イルミナの行動は、全てヴェルナーたちに伝えられていた。
心配をかけないためにも、常にそうしていたのだ。
しかし、今回その言葉はない。
「ええ、伝えなくて結構です」
「ですが・・・」
「ジョアンナ、
今回は私が気になることを聞きに行くだけです。
ヴェルナーたちがいると、彼らはラグゼン公を敵視しすぎているので話し辛いのです。
わかってもらえますか」
疑問形ですらないそれに、ジョアンナは渋々ながらにも了承した。
女王がそう決めたのであれば、自分が口を出すわけにはいかない。
イルミナはジョアンナの不満を感じ取ると苦笑を浮かべた。
ジョアンナは自分が思っている以上にハーヴェイ・ラグゼンのことが嫌いらしい。
まぁ、仕方のないことかもしれないと思いながら。
「大丈夫ですよ、ジョアンナ。
ハザは連れて行きますから」
「それはもちろんにございます、陛下」
そうして話していると、ハーヴェイの部屋に使い走りをした衛兵が戻ってきた。
「陛下、ラグゼン大公閣下にお伝えしてきました。
問題ないとのことです。
どちらになさいますか?」
「そうですね・・・。
寒いですから、温室にします。
ジョアンナ、リリアナのサロンはどうなっていますか?」
「はい、清掃も手入れも怠ってはおりませんので、直ぐに使えます。
・・・恐れながら陛下、何か別称で呼ばれたほうがよろしいかと思います」
ジョアンナに指摘されて、ようやくイルミナはそのことを思い出した。
リリアナはもういない。
そして戻ってくることもない。
そうしたのはイルミナなのだから。
「そう、ですね・・・。
あそこは何の花が一番多いか、知っていますか?」
「たしか薔薇だったと」
「では、仮称で薔薇の間、としておきます。
もう一度で悪いのですが、三十分後に連れてきてもらえますか?」
「かしこまりました」
そして同様に、イルミナはハザを呼ぶよう別の衛兵に頼んだ。
「女王陛下、私に会いたいと言ってくれたようだが、決まったのか?」
ハーヴェイは来るなり、そう軽口を叩きながら椅子に腰かけた。
その傍には、いつか見た侍従ではなく別の侍従が傍にいる。
「いいえ、ただ、私のせいで怪我をされたのですから気にするのは当然のことです。
フェルベールから経過を聞いていますが、何か不自由はされていませんか?」
「あぁ、大丈夫だ。
そもそも大した怪我ではないからな。
痕が残るのは仕方のないことだが」
「そうですか、何かあればすぐに言ってください。
出来うる限りのことはさせていただきますので」
そうして二人は、メイドのメリルローズが淹れた紅茶で喉を潤した。
ジョアンナが来ると言ってきかなかったが、前回のこともあったためイルミナはメリルローズを指名した。
「・・・ありがとう、メリルローズ。
もう下がってもらって構いません」
「・・・よろしいのですか?」
メリルローズはジョアンナから話を聞いているのか、少しだけ不安そうな表情でイルミナを見る。
しかしイルミナは頷いた。
「大丈夫です、さぁ」
退室を促すイルミナの言葉に、メリルローズは後ろ髪を引かれる思いでその場を辞した。
「・・・それで、話とはなんだろうか」
サロンには五人の人物がいた。
イルミナ、ハーヴェイ、ハザ、そしてハーヴェイの侍従の二人だ。
「そう焦らせないでください。
せっかく料理長が作った軽食もあるのです。
つまみながら話しませんか?」
ハーヴェイは、イルミナのその余裕にも見える動作に一瞬だけ眉根を寄せる。
本来であれば、この場を制しているのは自分のはずなのに、と言わんばかりの表情に、イルミナは苦笑を浮かべた。
紅茶を口にし、その美味しさに少しだけ吐息を漏らす。
そしてイルミナは、カップを置くとハーヴェイを見た。
「・・・ハーヴェイ・ラグゼン公。
前回仰っていた責任の取り方ですが、婚姻以外の方法になります」
「・・・なぜ、と聞いても?」
イルミナは一瞬にして威圧的になったハーヴェイを冷静に見ながら続ける。
「確かに、女王の婿として貴方ほど相応しい人物もいないでしょう」
「わかっているのなら」
「ですが」
イルミナはハーヴェイの言葉を遮って続けた。
「それは、女王としての、です。
私の婿として、貴方ほど選びづらい人物もいません」
「・・・それは、ラグゼンファードに喧嘩を売っていると受け取るが」
その瞬間、サロンの空気は凍り付いた。
ハザは冷や汗を流し、ハーヴェイの侍従はその表情を強張らせている。
「いいえ、先ほどもお伝えしましたが、女王の婿としてなら最高だと言いました」
「言葉遊びでもしているのか?
ヴェルムンドの女王陛下はとても高尚なご趣味があるようだ」
苛立ちを隠さないハーヴェイに、イルミナは観察するような目を向けながらも話した。
「ラグゼン公、
確かに、貴方という力と立場を持つ人であれば、ヴェルムンドとラグゼンファードの繋がりは強固となり隣国にも脅威、あるいは牽制をかけることが出来るでしょう。
しかし、ご存知の通り、我が国の一部の貴族が更迭・・・さらに王族が王都から離れ私一人になったことに国民は不安を覚えています。
・・・ラグゼン公、貴方は、その国民の不安を受け止めることが出来ますか?
ラグゼンファードから来た婿、初めの頃はいいでしょう。
大国の後ろ盾ができたと、喜ぶものも非常に多いと思います。
しかし国民はどうでしょうか?
自国のことを知らない人が、女王の婿となったことに不安を覚える者もいましょう。
そういったなかで、貴方はラグゼンファードよりヴェルムンドを唯一としなければ、いつか貴方は他国の人間なのだからと言われることだってあり得てしまうのですよ」
「それがどうしたと?
私が婿になればそんなことは想定内だ。
国を出ることでもうラグゼンファードの国民でいるつもりもない。
それでも傍に居たいと言っているつもりだが、伝わらなかったのか?」
ハーヴェイは馬鹿にされたと思ったのか、怒りをその瞳にともしながら言った。
そんなハーヴェイに、イルミナは努めて冷静に言う。
独断ともいえるその考えを。
「・・・私の政策は、そう簡単に他国には流すつもりはありません」
そして紅茶を一口飲む。
ハーヴェイは、イルミナの言葉に一瞬だけ固まった。
イルミナには、それで十分だった。
「なんの、ことだ?
政策を流す?
何を言っているのか理解できないな」
一瞬で持ち直したハーヴェイに、イルミナは流石だと心の中で称賛した。
自分とて、こうなると分かって観察していなければ分からないほどの、小さな動揺。
「そうですか。
いえ、公は我が国の事情を良く知っているようでしたので、そのことも知っているのかと。
知らないのであれば結構です。
そうです、国の政策を他国に流すなんてこと、ありえませんよね」
「・・・何が言いたい?」
「いいえ。
ただ、たとえ婿となっても私の案を手伝ってもらう、なんて都合のいいことはしないと決意したばかりでして。
王配と言えども、そういったことをしてもらうのは違うでしょう?
我が国には政務官たちがいるのですから。
ですが、知らないと仰られるラグゼン公には失礼でしたね」
イルミナはそう言って微笑む。
しかし、その目は笑っていなかった。
「・・・それは当然のことだろう。
そんなことをすれば、情報を駄々漏れさせ、場合によっては戦争すらもありえるからな・・・」
ハーヴェイは、表情をなくしそう言った。
「話が反れましたね。
ですから、この国の事情の関係で貴方を婿として受け入れることは非常に難しいということをお伝えしたかったのです。
今の不安定な状態では、私自身婚姻も考えられませんから。
もちろん、全ての話をラグゼンファード王に伝え、ご理解いただけるよう努めますので」
「・・・そうか。
ヴェルムンド女王陛下、申し訳ないが、少し体調が優れない。
これにて失礼してもよろしいか?」
「あぁ、長々と失礼しました。
ゆっくり休まれてください」
ハーヴェイは無表情のまま一礼すると、そのまま侍従を連れてサロンから退室した。