表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
梔子のなみだ  作者: 水無月
女王時代

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

82/180

女王陛下のなみだ





「陛下、これからどうするおつもりでしょうか」


―――ヴェルムンドを、良くするのです


「どうやって、政策は?」


―――前々から進めているはずでしょう、どうしたのですか


「跡継ぎに関して、どのようにお考えなのですかな」


―――時間が欲しいと言ったはずですよ


「陛下」

「陛下」

「陛下」「陛下」「陛下」「陛下」「陛下」


「どうして、貴女が陛下なのでしょうか」


「―――!!!!」


イルミナはその言葉に身体を跳ね上がらせ、そして荒く息をついた。


「――はぁっ、はぁっ、はっ・・・」


手に感じるのは、真っ白いシーツの生地。

そこで、ようやく先程のがただの夢であることにイルミナは気付いた。


「・・・ゆ、め」


あまりにも、生々しい夢だった。

汗が背を伝うのが分かるのに、手はまるで氷のように冷たい。

もう、眠れそうにないとイルミナは考えた。

のそりとベッドから抜け出し、素足のまま柔らかい絨毯を歩く。

カーテン少しだけずらし外を見ると、まだ暗かった。


「ほんとうに、いやになる・・・」


一体何度目なのだろうか。

ヴェルナーに注意を受けるギリギリまで、仕事で疲れ果てさせているはずなのに。

夢すら見ないようにと極限まで疲れさせているはずなのに、いざ眠りにつくと悪夢ばかりで目が覚めてしまう。


イルミナは一つため息をつくと、簡単なドレスに着替え、ローブを羽織って部屋から抜け出した。






***********






ちらりちらりと橙色の明かりが揺れている。

その道を、イルミナはゆっくりと、それでも滑るように歩いていた。

衛兵たちと時折すれ違うが、四阿に行くだけだと一言伝えて歩を進める。

一人であれば確実に止められただろうが、自分の後ろには護衛をつれているから何も言われない。

もう、この城の中にイルミナ一人で出歩ける場所などないのだ。


そうして着いたのは慣れ親しんだ場所だった。

護衛にはひと言、見えない所にいて欲しいと告げると、その護衛は沈黙を保ったまま頭を一つ下げ闇に溶けるように消えていった。

護衛、ヘンリーはアーサーベルトから推薦されてイルミナの護衛になった一人だ。

最近ついたばかりのはずの彼は、予想以上にイルミナの先を読んで動いてくれるので重宝していた。

今とて、一人になりたいと言えばこちらの意を組んで何も言わずに一人にしてくれる。

それは今のイルミナにとってありがたいことだった。


―――夢で見たことは、いつ現実に起こってもおかしくないようなことばかりだ。

だからこそ、実績を残さなくてはならない。

でも、急きすぎで失敗することの方が怖い。

でも。


ぐるぐると同じ考えが回り続ける。

イルミナは四阿の二人掛けの椅子にゆっくりとその体を横たわらせた。

視線をちらりと逸らせば、深い紺色の空に白っぽく光っている星々が見える。

そうしてぼんやりとしていると。


「―――イルミナ」


イルミナは慌てて体を起こした。

いくらなんでもこのようなはしたない姿は誰であろうとみられていいものではない。

そもそもこんな時間にいったい誰だ。

そう思って起き上がった先、視線の先に居たのは思いもよらない人だった。


「―――グラン・・・?」


うすぼんやりと月明かりによってその姿が浮かび上がる。

本来見るはずのないその姿に、イルミナは戸惑いを隠せなかった。


「・・・どうして、ここに」


「・・・護衛のヘンリーは、私の領地出身でな。

 何かあれば連絡するように言ってあった」


だから彼がグランを止めずにいたのだとイルミナは気付いた。


「・・・何用でしょうか?

 このような時間帯に、何か問題でもありましたか?」


イルミナは乱れる鼓動を隠すように冷静に問うた。

今の自分は不安定だと自覚している。

少しでも優しくされたら彼に縋ってしまうだろうとわかっていた。


「何もない。

 あるのはイルミナだろう?」


護衛の彼は包み隠さずすべてをグランに伝えてくれたらしい。

そのことに、イルミナはほの暗い喜びを覚えてしまった。

自分に何があったのかを知って、心配してわざわざ来てくれたのだ。

好きな相手にそのような行動をとってもらえて喜ばない人はいないだろう。


もし、イルミナ(じぶん)が奔放な性格であれば、あるいは、自分の感情に素直であれば、きっとそれを見せることが出来たのかもしれない。

しかし、今のイルミナにそれを選択できる余地はなかった。


「・・・その様子だと、既に聞かれているようですね」


「ラグゼン大公だろう、聞いている。

 ・・・それで、どのように考えているのだ?」


「公は・・・私に責任をとって欲しいようです。

 その方法は問わないと言われていましたが・・・本音では望んでいることは一つでしょう」


「婚姻か」


「・・・そのようですね。

 ですが、こちらとしても唯々諾々と頷くわけにもいきません、それだけはしてならないことです。

 ですから、ヴェルナーや他の人たちと話し合いをしてからになるでしょう」


今のイルミナの頭を一番悩ませる存在、それがハーヴェイ・ラグゼン。


彼の部屋を辞した後、ヴェルナーとアーサーベルトはイルミナのところに来た。

そして先ほどの話をすると、ヴェルナーはその端整な顔を渋面に染めた。

アーサーベルトは行き所の無い怒りを身の内で持て余しているようだった。

結果として、その場で答えを出すことはしなかった。


今のイルミナの立場から考えるに、簡単に了承していいものではない。

それに、万が一それを理由にして婚姻を交わした場合、その時点でイルミナはハーヴェイに対して負い目を感じたうえでのものとなってしまう。

それは今後の国家間としてもあまりよくないことだろうと考えていた。


イルミナは疲れたようにため息を吐く。

きっと夢見が悪いのもその所為もあるのだろう。




グランは、目の前の椅子に腰かけ疲れたように息を吐くイルミナをじっと見た。

目の下にはうっすらと隈があり、少し頬もこけているようにみえる。

ヘンリーから定期的にイルミナの様子は聞いていたが、正直にいってここまで酷いとは思っていなかった。


今夜も、たまたま城の近くにいて、ヘンリーから手紙をもらったので来たのだが、来てよかったと内心で思う。

そしてここまでイルミナを弱らせるハーヴェイに、苛つきすらも覚えた。

婚姻を迫る相手を弱らせてどうしようというのだ。

いや、本当は分かっている。

弱らせた相手こそ、手玉に取りやすいことなんて。

実際に今まで自分が使ってきた手と、何ら変わらない。


しかしそれでも、グランには許せることではなかった。

自分のことを棚に上げても構わない。

それでも、自分以外の男に、目の前の彼女が心を憂う要因になることそのものがよくなかった。


「イルミナ」


「?なんでしょう」


グランが声を掛けると、イルミナの瞳が微かに輝くことを、彼女は知っているのだろうか。

それを自分が知って、どれくらい喜んでいるのか。


「まだ、言うつもりはなかったんだが、状況が変わった」


「・・・?」


「今、私は各貴族たちにに会いに行っていてな。

 アリバルと一緒に」


「はい」


「イルミナとの婚姻を、皆に承諾させている」


「・・・え!?」


イルミナはグランの言葉にぽかんと口を開いた。


「全部とまではいかなくとも、結構な貴族が私が君に婚姻を申し込むことを承諾し、後押しをしてくれるという話になっている。

 もちろん、ブランとアリバルが筆頭だが」


「そ、れは・・・」


「分かっている。

 君の意志も何も確認しない状態で話を進めて悪いとも思っている。

 だが、外堀から埋めなければ、イルミナは選べないだろう?

 国の為にとそれだけを思って、君は自分ですらも犠牲にしてしまえるだろう?

 もし君が私に対してなんの思いも無ければ、こうはしなかった。

 しかし、イルミナ」


グランはそこで言葉を切ると、対面の席から移動してイルミナの隣に腰かけた。

そして座っていたイルミナを抱き寄せる。


「!!」


体を固くするイルミナを、グランは強く抱き込んだ。

まるで何ものからも守るように。


「私は、君が好きだといった。

 そして君も、私を好きだと言ってくれた。

 なら、私は何にも遠慮はしない。

 ラグゼン?

 そんなもの、知らない。

 あれではイルミナを幸せにすることなんてできないだろう?

 そしてそれを君たち二人とも理解している。

 ・・・イルミナ、私を選べ。

 私が、幸せにする」


「!!」


グランはイルミナをさらに強く抱き込んだ。


「愛している」


「―――っ」


イルミナの頬に、熱がこもる。

一気に上がってゆく体温に、イルミナはくらくらとした。


「イルミナ、他の誰でもない。

 女王としての君でもなく。

 ただ、一人の女性として、愛しているんだ」


「わ、わたし、は」


グランの熱い吐息が耳にかかる。

吹き込まれるようにして紡がれる言葉に、イルミナは望んでもいいのだろうかと思った。


両親からの愛を感じられず、腫物のように扱われていた。

国を良くするという名分で、誰からも必要とされたいと己が望みの為に女王となった。


そんな、じぶんが


「考えるな、イルミナ。

 お前(・・)は、何を望む」


「わ、私は―――」


イルミナの紫紺の瞳からほろりと雫が零れ落ちる。

冷たいそれは、雫となってイルミナの頬を伝った。


「し、しあわせに・・・」


「あぁ」


「しあわせに、なりたいっ・・・!

 グランと、あなたと、しあわせにっ・・・!」


グランは泣きながら喘ぐイルミナの頬を撫でた。

ほろほろと止まることなく流れ出る涙は、グランの手を濡らす。


「あぁ、私もだ」


「っいい、の・・・?

 わたし、しあわせになっても、いいの・・・?」



イルミナはずっとずっと、怖かった。

幸せになることが。

幸せを知って、それを失うことが。

一度知ってしまったそれが、ずっと傍に存在してくれる未来が想像できなかったのだ。

自分の両親を、妹を。

愛する人の息子を、たくさんの人を、イルミナは不幸にしたと思っている。


そんな自分が、幸せになっていいのか。

女性としての幸せを、求めてしまっていいのか。


でも。

本音では。


あいされたかった


たった一人の人に。

この先、女王としてしか認められないであろう自分が、唯一本当の自分を見せられる人に。

グランに。


みんなから愛されたいなんて嘘だ。

人から必要としてほしいなんて嘘だ。

本当は、自分の好きな人たちに、人に、必要とされたかった。


「グラン・・・っ、

 わたしは、しあわせになりたい・・・!

 もう、ひとりは、いや・・・!」


イルミナは頬に触れているグランの手を握った。

ぎゅう、と、力強く。


「あぁ、いいんだ。

 イルミナ、幸せになっていいんだ」


グランはイルミナの言葉を力強く肯定する。

もう、怖がらなくてもいいというように。


「っひ、っく、

 く・・・うぅぅ――――っ」


イルミナはグランの首元にかじりつくように腕を回し、顔を埋めた。

ぼろぼろと流れる涙は、止まることを知らないかのように次々に溢れてくる。

グランは、そんな様子のイルミナをたまらないとばかりに全身を使って抱きしめた。





もう、恐い夢を見たくなかった。

いつだって、飛び起きる朝に、いつしか眠ることすらも怖くて。

でも、誰にもそんな姿は見せられない。


自分は女王だ。

女王である自分が、精神的に弱いなんて知られていいはずのことではない。

だから、昼の少しの時間に寝て何とかしのいでいた。

日に日に酷くなる隈を、化粧でなんとかごまかし。

細くなる食を、吐き気を堪えながらごまかした。


そんな自分を心配してくれている人がたくさんいたのは知っている。

ヴェルナーも、アーサーも、ジョアンナだって、いつも心配そうな表情で自分を見ていた。


分かっている。

分かっているのだ。

心配をかけていることなんて。


でも、どうしようもなかった。

イルミナのまだ幼い感情が、心の一部が、泣き叫ぶのだ。

怖い、悲しい、苦しいと。


冷静な自分はそんなのでは駄目だといくら考えても、それを上回る感情がイルミナの理性を襲うのだ。

イルミナの中の幼い自分は、いつだって不満と泣き言を言っている。


―――どうして、自分だけがこうなの

―――どうして、自分だけ愛されないの

―――どうして、どうして、どうして




そんなの、冷静なイルミナだって問いたかった。




でも、もういいのだ。

もう、独りで悲しまなくてもいいのだ。

きっと大変だというのは、今からでもわかる。

それでも。



「――――すき、です」



この言葉を彼に届けられることに。

受け止めてくれるそのことに。



これ以上の幸せはきっと、ない。






評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ