彼女と彼の対立
夜も深い時間帯、城は昼間の喧騒とは打って変わって静かにその存在を示していた。
かがり火に照らされた城壁は、オレンジ色に染まりながらその陰影をゆらゆらと変える。
本格的な冬ではないが、それでも芯にくるような寒さが足元からひたひたと感じられた。
そんな場内を、イルミナはアーサーベルトを連れて歩く。
「ごめんなさい、アーサー。
疲れているところ、付き合わせてしまって」
「いいえ、陛下。
お一人で行かれるよりずっとましですから」
イルミナは質素なドレスの上から黒いローブを頭からすっぽりかぶって歩く。
その少し後ろを、同じくローブは纏っていないものの簡素な服装をしたアーサーベルトが着いていった。
歩いて十分ほどだろうか、イルミナが目的地に着いたのか歩みを止める。
「・・・本当に、行かれるのですか、陛下」
「・・・少なくとも、彼のお蔭で助かったのに礼をしないのは私の主義に反しますから」
そこは、ハーヴェイ・ラグゼンの為に用意した部屋の前だった。
襲撃から五日。
まだイルミナの周りはざわついているものの、ほんの少しだけマシになっていた。
今のイルミナの元には優秀なものが集まっている。
彼らが寝る時間を返上して働いてくれたおかげで、たった五日という短期間でイルミナは行動できるようにになった。
ヴェルナーは現在勤務している全ての人の身元を調査するように手配し、アーサーベルトは城の警備体制を見直した。
もちろん、今回夜遅くにハーヴェイを見舞うことは反対されている。
いくら確認しているとはいえ、絶対に安全というわけではないのだ。
しかしイルミナも引くことをしなかった。
ハーヴェイは、ラグゼンファードから来ている正式な大使だ。
その彼を怪我させておいて、何もしないというのはこの先、かの国との何からの遺恨になりかねないとイルミナは判断したのだ。
ヴェルナーもそれは理解している。
しかし、今のヴェルムンドにはイルミナの代わりを出来る人がいない。
何かあってからでは遅いのだと必死に説得した。
しかし、イルミナはヴェルナーの言葉に首を縦に振ることは無かった。
結果、アーサーベルトがイルミナを護衛するのであればと仕方なしに許可を出したのだ。
時前に、ハーヴェイには訪ねる旨を伝えてある。
もちろん、彼の容体が悪いのであれば行かないつもりであったが、その当人からぜひ来てほしいと言われたのだ。
「・・・」
イルミナは扉の前に一つ、深呼吸をする。
そして小さなノック音が、静かな廊下に響いた。
「―――どうぞ」
扉を開いたのは、ハーヴェイの侍従だ。
襲撃の時にも一緒にいた彼は、イルミナを見るなり微かに目を瞠った。
まるで本当に来たのか、と言わんばかりの彼の表情にイルミナはそう考えるのも仕方ないだろうと思った。
イルミナの立場であれば、いきなり来なくなる、なんてこともあり得るだろうと考えていたのだろう。
しかしそこはハーヴェイの従者だ。
一瞬感情が浮かんだ瞳は直ぐに落ち着き払っていた。
「・・・女王陛下、主がお待ちです。
こちらへどうぞ」
イルミナはそれに無言で頷いて部屋に入る。
それにアーサーベルトが続こうとすると。
「申し訳ありません、騎士団長殿。
我が主は陛下のみ、来訪を許可されております」
「なに?
いくら大公閣下といえども、それは聞けない」
アーサーベルトはじろりと侍従を睨んだ。
侍従はびくりと震えるが、それでも同じことを繰り返した。
「っ、ここはヴェルムンドだぞっ、
しかも陛下の御身はいまだに危険に晒される可能性があるのだ。
大公閣下には悪いが、それは聞けない・・・!」
唸るように言うアーサーベルトに、侍従は逡巡し、そして諦めたように頷いた。
「申し訳ございません・・・仰ることも御尤もです・・・。
失礼いたしました、騎士団長殿、どうぞこちらへ」
部屋の中で待っていたイルミナは、アーサーベルトの姿が見えて一瞬だけ顔を緩める。
前であれば、自分一人でも行くと言っていただろうが、今の状態で一人で行動するのは良くないということを知っている。
万が一、アーサーベルトが入室できないのであれば今夜は失礼しようと考えるくらいには、イルミナは自分の立場というものを理解していた。
「お待たせして申し訳ございません、
主はこちらに居ます、どうぞお入りください」
侍従の先導の元、イルミナとアーサーベルトは室内を歩く。
そして開かれた扉の先に居たのは、白い布で腕を吊ったハーヴェイが一人、紅茶を嗜んでいるところだった。
痛々しそうに見えないのは、彼が飄々とした表情でいるからだろうか。
「夜遅くに失礼します、ラグゼン公」
「こちらこそ、わざわざ来て頂いて申し訳ない」
にこやかに会話をしているが、二人の間に流れる空気は何故か冷たい。
「・・・此度の件、大変申し訳ありませんでした。
我が国のことだというのに、大公に怪我をさせてしまって・・・」
「いや、気にしなくてもいい。
そこまで深い傷ではないからな。
まぁ、もう少し色々と考えた方が良いのではとは、思ったがな」
ハーヴェイの含みのある言い方に、アーサーベルトが訝しげに彼を見る。
その視線に気づいたのか、ハーヴェイはカラリと笑った。
「・・・責任は、どう取られるつもりですかな。
イルミナ・ヴェルムンド女王陛下」
「!!」
ハーヴェイの言葉に、アーサーベルトの身が強張る。
イルミナは薄々勘付いていたのか、動揺は見られない。
「・・・もちろん、慰謝料をお支払いいたします。
ラグゼンファード王にも、手紙で申し訳ないのですが謝罪の文を送らせていただきました」
「そうですか。
・・・なぁ、イルミナ。
俺が言いたいこと、本当は分かっているのだろう?」
「・・・」
「大公閣下・・・?」
がらりと変わったハーヴェイに、嫌な予感しかしないアーサーベルトはつい口をはさんでしまう。
こういう時、ヴェルナーが居てくれればと考える。
ヴェルナーならば、口下手な自分よりももっと上手くこの場を切り抜けられるだろうに、と。
「・・・何を、言いたいのですか。
ハーヴェイ・ラグゼン。
その傷で、私に責任を取れと、そう仰るのですか。
もちろん、取らせて頂きます。
完治するまで、この城に滞在なさってください。
全ての費用は、私個人から。
貴方の望みは、出来るだけ叶うように手配いたします」
イルミナは冷めた目で淡々と言う。
そんな彼女に、ハーヴェイは苦笑を零した。
「イルミナ、本当は分かっているのだろう?
それとも、俺から言った方が良いのだろうか?」
「・・・それをこの場で口にすることは、良策とは思えませんが」
「こうでもしないと、貴女は考えてはくれないのだろう?」
ハーヴェイの言葉に、イルミナは黙り込んだ。
感情の浮かばない瞳に、アーサーベルトはどうしていいかわからず自身に腹をたてた。
まるで諦めすら浮かんでいるように見えるのは、自分の気のせいなのだろうか。
「この世では、傷を負ったものは、傷を負わせた、或いは原因となったものに責任を取ってもらうことが非常に多い。
・・・婚姻、というのも、その一つだな」
「!!」
その言葉に、イルミナはギシリと奥歯を噛みしめた。
ここに来るまでに、考えられなくもない話だと思っていたが、本当にそれを出してくるとは。
いきなりの話に、アーサーベルトは絶句して二の句が継げなくなっている。
「ま、待ってください、大公閣下!?
あ、貴方はそんな傷で、陛下に責任を取らせようと言うのですか!?」
アーサーベルトからすれば、ハーヴェイの傷は軽傷でしかなく、むしろイルミナを守ったことでできた傷なので名誉の負傷だとすら思っていたというのに。
それを、婚姻する為に利用するなんて信じられなかった。
「そんな傷?
アーサーベルト団長、お前は確かに騎士団という場に居るからそう考えるのだろうがな。
俺はラグゼンファードの国王、サイモンの弟だぞ?
その王弟に、傷を負わせたというだけでも国家問題に発展しかねない」
「!!」
アーサーベルトはハーヴェイの言葉にようやくそのことに気が付いたのか、呼吸が一瞬止まった。
イルミナは眉間に皺を寄せながらハーヴェイを見つめる。
「・・・その件に関しても、考慮しておきましょう。
しかし即日に答えることは不可能です」
「ああ、色々と確認を取らないとならないのだろう?
まぁ、もちろん婚姻という形以外でも構わない。
貴女が一番納得する責任の取り方が禍根が残らないだろう。
・・・イイ返事を待っている」
にやりと笑うハーヴェイに、イルミナは背を向ける。
もう用はないと言わんばかりの背に、ハーヴェイはうっすらと面白そうに笑みを零した。
そんなハーヴェイに、イルミナはぽつりと零したのを、アーサーベルトは聞いた。
「・・・そこまでして、引きずり込みたいの」
「・・・」
聞こえたであろう男は、イルミナの零した一言には何も言わなかった。
それはアーサーベルトも同じで、彼の場合はその言葉の意味が分からなかっただけなのだが。
イルミナはローブのフードを深くかぶると、そのままハーヴェイの部屋から出て行った。
*********
「陛下!
あれは幾らなんでも酷いです!
確かに陛下をお守りできなかった我が国の衛兵たちが悪いのですが・・・!
それにしたっていくら何でも・・・!!
これでは、どう考えても・・・!」
「アーサー」
イルミナはアーサーベルトが続けて言いそうなことを止めた。
それは、言ってはいけない一言だから。
アーサーベルトは執務室に戻ると、必死になってイルミナに言い募った。
アーサーベルトは、イルミナには本当に好きな人と結婚してほしいと思っている。
出来ることであれば、グランと。
しかしあのハーヴェイの言い方では、イルミナに選択肢を与えてるようで与えていない。
あのような、まるで真綿で責めるような、あまりにも酷い言い方。
「・・・ヴェルナーを、呼んでもらえますか」
イルミナはアーサーベルトの言葉には返さず、ただ一言アーサーベルトに背を向けながら言った。
その小さく震える背に、何も言えなくなったアーサーベルトは、了承の意を伝えるとそのままイルミナの執務室から退出した。
「くそ、くそっ!!」
暗がりでアーサーベルトが人る憤然としながら駆けて行く。
行く先はヴェルナーのところだ。
普通であれば寝ているだろうが、今日のことを知っている彼ならば、まだ起きているはずだ。
アーサーベルトはノックもせずに彼の部屋の扉を開いた。
「ヴェルナー!!」
「アーサー、どうした」
あまりの剣幕のアーサーベルトに、ヴェルナーは一瞬で何かあったのだと判断する。
そしてそれが、自分たちにとって朗報でないことも。
「・・・っ、大公閣下は、責任を問われている」
「それで」
「陛下との、婚姻すらもそれの一つとして、考えていると」
ヴェルナーは舌打ちした。
可能性として考えていないわけではなかったが、本当にそれを望んでいるとは。
言っては悪いが、あんな些細な怪我で自国の女王と婚姻をしようとする男の考えが理解できない。
反対であれば、まだ理解は及ぶ。
女性側が怪我をして、その責任を男性側がとるという形で婚姻を結ぶことは少なくない。
だが、今回は。
「・・・それを、大公閣下が?」
「あぁ、俺もその場にいて聞いている」
「・・・可能性はあるとみていたが、本当にそうくるとはな・・・」
男二人はそろって天を仰ぐように見た。
そしてヴェルナーはアーサーベルトに視線を向けると、躊躇いながらもそれを口にした。
「―――ラグゼン大公の、良いようになろうとしていると、考えてしまうのも仕方ないな」
それは、先程アーサーベルトがイルミナに言おうとしたことだった。
いくらなんでも、おかしいと思わざるを得ない状況なのだ。
イルミナはハーヴェイとの婚約をあまり考えていない様子だった。
しかし、ハーヴェイはイルミナの婿に入ることを望んでいた。
そうして起こった今回の事件は、ハーヴェイにとって僥倖とでもいうのだろうか。
「・・・とりあえず陛下のところへ」
ヴェルナーとアーサーベルトは、かなりの早歩きでイルミナの待つ執務室へと向かった。