女王陛下と王弟の違い
「この度はご即位、誠におめでとうございます、イルミナ陛下。
これからも良き隣人として、お祝い申し上げます」
「ありがとう、ラグゼン大公」
ハーヴェイはいくつか気になる箇所を回った後、王宮へとやってきた。
食事会まで二ヵ月という時期で、城内が慌ただしくなり始めたころでもあった。
時期を同じくして、イルミナの誕生日も近いことからその祝いの品も少しずつではあるが届き始めている。
「キリク・マルベールにも礼を。
色々と連れまわしてしまいましたからね」
「気にしないでください。
それが彼の仕事のうちですから」
謁見室の空気は、どこか緊張感に満ちている。
それはイルミナが醸し出しているようにも感じるし、周りの護衛達が出しているようにも感じられた。
しかし、ハーヴェイにそれを気にする様子は見受けられなかった。
「食事会まで、まだ二ヵ月ほどありますがそれまでは如何されますか?
このまま城に滞在することもできますが」
「そうですか・・・、ぜひそうさせて頂きたい」
イルミナはハーヴェイの言葉に一つ頷くと、近くにいたメイドのナンシーに目配せをする。
それを直ぐに理解したナンシーは、一つお辞儀をするとそのまま部屋を出て行った。
「今、部屋の用意をさせます。
何かあれば、メイドをつけますのでその者に言ってください」
「心遣い、感謝します、陛下。
後日、よろしければお茶でもしませんか?」
「そうですね・・・、時間が出来れば。
その際は先ぶれを出しておきます」
「ぜひ」
イルミナの言葉に、ハーヴェイはにこりと微笑むとその場を辞した。
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「明日、ラグゼン公とお茶をします。
メリルローズ、手紙を書くからお願いできますか?」
「かしこまりました、陛下」
ハーヴェイが城に滞在して三日、イルミナはようやく時間が取れそうなのでその旨をハーヴェイに知らせた。
口約束のだけかもしれないが、相手は王弟だ。
守ろうとしたという形だけでも取って置いて損はないだろう。
しかし、ハーヴェイは即座に了承の返事を寄越してきた。
先日アーサーベルトが城に戻り、騎士団の訓練をしている。
それに参加もしたようだが、それだけでは彼の暇な時間は潰せないのだろう。
こちらとしてはいい迷惑だが。
「ジョアンナ、明日、執務室の隣の部屋でラグゼン公とお茶をします。
準備をお願い出来ますか?」
「もちろんです陛下。
腕によりをかけて、準備に当たらせて頂きます」
ジョアンナは大きく頷くと、イルミナに退出を願いそのまま部屋を後にする。
幾らなんでも早過ぎはしないだろうか。
イルミナは一瞬そう思ったが、彼女が頑張りたいと言うのであればそれを尊重しようと考え直した。
そんなイルミナの胸中を読んだのか、ナンシーは去るジョアンナに苦笑を零しながらイルミナに言った。
「陛下、ジョアンナメイド長はきっと頼られたことを嬉しく思っているのです。
ですから、あそこまで熱くなってしまわれているのです」
「・・・そう、でしたか。
ジョアンナであれば平素から頼っていると思っていたのですがね。
やる気があるのは良いことですが適度な休息も必要です、何かあれば連絡するように」
「かしこまりました、陛下」
ナンシーは目の前の女王を、何とも言えない気持ちで見つめた。
女王陛下の表情を見る限り、彼女がそれを本気で言っているのがわかる。
しかし、全然頼られている気がしないのだ。
朝起きるのも、服を着替えるのも、大抵のことを一人で済ませてしまうその人。
イルミナという少女は、幼少期より一人で何でも出来るようになっていた。
出来るようになった、ではない。
誰も傍にいないから、ならざるを得なかった、が正しい。
頼ることをしないのではない、頼るということをそもそも知らないのだ。
そしてそれを知る間もなく、女王となった。
ジョアンナたちがそれを教えるのは不可能だ。
相手はこの国で一番の存在、唯一の人なのだ。
むしろ、そんな人が今の今まで傅かれることを知らずにいたこと自体がおかしい。
しかしそれを指摘していい人物は、この城にはいない。
そうしたのは、彼ら彼女らなのだから。
願わくば。
ナンシーは願う。
たった一人の主に、唯一の人が出来ることを。
その唯一の人が、国よりも主を大切にしてくれる人であることを。
「とてもいい香りのするお茶だ。
これはアウベールの?」
「えぇ、よくお気づきに。
個人的に気に入ったので定期的に送ってもらっているのです」
ハーヴェイは久々に飲むそのお茶に舌鼓を打った。
時間をかけて丁寧に作られた紅茶も嫌いではないが、こういった村や町の大雑把な味を気に入っていた。
鼻に抜ける爽快感が良い。
部屋は、イルミナの執務室の隣にある応接室で行われた。
そこまで華美ではなく、控えめな調度品がイルミナの性格そのものを表しているようにハーヴェイには感じ取れた。
「アウベールにあるリリンという木のものです。
紅茶とは違った爽快感が眠気を覚ましてくれることもあるので、重宝しています」
「いいな、是非個人的にも欲しい」
「今度頼んでおきます」
そうして二人はしばしの間お茶を楽しむ。
それは、まるで何かの前触れの様にすらジョアンナには感じられた。
「・・・そろそろ、答えが欲しいのだが」
「・・・何のでしょう?」
しらばっくれるイルミナに、ハーヴェイは笑みを浮かべる。
彼女のその見せようとしない必死さが、可愛らしい。
それに乗るのも悪くはないが、正直そこまでの時間的余裕はない。
「イルミナ女王陛下、俺は言葉遊びをした方が良いのだろうか?」
「!!いくら大公殿下と申しましても!
我が国の女王陛下に対して無礼ですよ!!」
ハーヴェイの物言いに、ジョアンナが口を挟む。
しかしそれほどまでにハーヴェイの言葉は失礼過ぎた。
「おっと、すまない。
しかし女王陛下、そろそろ決めた方が良いのではないのか?」
ジョアンナの剣幕を気にすることなくハーヴェイは続ける。
「何度言えば、よろしいのでしょうか。
私はまだ決めないと、以前にも伝えたはずですよ」
「それは貴女の気持ちだろう。
しかし、この国の重鎮たちはどう思っている?
まだ若い貴女に、一日も早く伴侶を得て欲しいと考えているのだろう?」
ハーヴェイの言っていることは正しい。
それで何度もせっつかれているのはイルミナ自身なのだ。
だからと言って、他国の貴族にそれを指摘されていい気分はしない。
「・・・貴方が、どれほどのネズミを私の城に放っているか知りませんが、あまりにも無遠慮が過ぎませんか、ハーヴェイ・ラグゼン大公。
貴方がいくら王弟だとしても、ここはヴェルムンドで、私はその国の女王であることを理解しての発言ですか」
イルミナは冷たい笑みを浮かべる。
その表情に、ハーヴェイはぞくりと一瞬背筋を凍らせる。
彼女は、このように笑う少女だっただろうか、と一瞬困惑する。
「・・・失礼いたしました、女王陛下。
しかし、私の言うことも視野に入れて頂きたい。
貴国とはうまくやれると私は確信しています。
我が兄、サイモンも同様の考え故に、私をここに送っている」
「ラグゼンファード王には感謝しています。
信頼の証をこのような形で見せて頂けるとは思ってもいませんでしたから。
しかし、私の婚姻の話に関しては割り込まないで頂きたい。
確かに、貴方と結んでも問題はないのでしょう。
しかし、我が国には我が国の事情があります。
それを勝手に調べるのは結構ですが、立ち入られるのには不愉快さえ覚えますよ」
イルミナは冷たい笑みを浮かべたまま、お茶を手にする。
ハーヴェイは正直に言って驚いた。
彼女は、自分と同類だと思っていたのに。
国の為であれば、全てを犠牲にする側の人だと思っていたのに。
彼女であれば、自分と婚姻を結ぶことの利益を考えて即決すると思っていたからこそ、ハーヴェイは勝手に期待して、勝手に落胆した。
「・・・イルミナ女王陛下、俺は貴女をこちら側の人間だと思っていたのだがな」
「こちら側、とは?」
「国の為に全身を使うことの出来る人間」
イルミナはハーヴェイの言葉に眉根を寄せた。
その言い方ではまるで、イルミナが使っていないような言い方だ。
「・・・それだと、違うと言っているようにすら聞こえますね」
「少し前までは、貴女はこちら側の人間だと思っていた。
女王になるために家族を切り捨て、無能な貴族を排除し、ただ独りでこの国を導くべく歩みを止めぬ人。
その道がいかなるものであろうと、貴女なら独りで歩ききると思っていた」
「今は違うと言いたいのですか?」
「悪いが、実際にそう感じている。
俺が、何も考えないで貴女の婿になると思っているのか?
ラグゼンファードとヴェルムンドの未来を考えれば、俺を取るべきだ。
ライゼルトではなく、な。
そうだというのに、貴女はいまだに決めかねている。
俺が知らないとでも思ったか?
イルミナ女王陛下、貴女はグラン・ライゼルトに懸想しているだろう」
イルミナはハーヴェイの言葉を聞きながらお茶で喉を潤した。
「ラグゼン大公閣下、貴方は、我が国の女王陛下に対してあまりにも無礼ではありませんか・・・!!」
ジョアンナは、震える手を握りしめながら堪えきれずに話に割り込む。
それくらい、酷い言葉だとジョアンナは感じた。
いくら王弟だろうとも、自国の女王をそのように言われるのだけは我慢ならなかった。
ハーヴェイはジョアンナをちらりと横目で見ると歪んだ笑みを浮かべた。
「・・・貴女のところのメイドは素晴らしい。
この先のことも考えて発言しているのだろうと思うと、余計に」
イルミナは嘆息しながら、ジョアンナを見ずに彼女に言う。
「・・・ジョアンナ、発言を慎みなさい」
「っ、陛下!!」
「ジョアンナ。
貴女は、ラグゼン公に意見するほどの立場を持っているのですか」
「!!
・・・たいへん、しつれい、いたしました」
ジョアンナは雷に打たれたかのように身を戦慄かせると、一つお辞儀をして部屋の隅へと下がった。
イルミナは彼女に申し訳ない気持ちになりながらも、そう言わせたハーヴェイに微かな怒りを覚える。
「ラグゼン公、貴方は、他国の女王に対しての物言いというものを少しお考えになられた方がよろしいかと思います。
貴方が私をどのように見ているのか知りませんが、貴方は私の婿にはなり得ない」
「!!」
はっきりと言うイルミナに、ハーヴェイは信じられないものを見るような視線を向ける。
考える、ではなく成り得ない。
「・・・イルミナ、貴女は俺と同類のはずだ。
国の為ならばその血の一滴すらも使うのが王族だろう。
今の発言は取り消した方が賢明だぞ」
「・・・貴方は何か勘違いされているようですね。
ハーヴェイ・ラグゼン大公。
私は、イルミナ・ヴェルムンドで、この国の女王です。
私の血は、ヴェルムンドの為に存在するのであって、貴方の為でも、ましてや貴国の為でもない。
・・・貴方は、生きられるのですか?」
「何をだ」
「私の婿となるということは、貴方の血はラグゼンファードではなくヴェルムンドの為に使われるという事に。
貴方の敬愛する兄の為でなく、この国に住まう全てのものに捧げることは出来るのですか?」
「・・・」
ハーヴェイは黙り込んだ。
正直、そこにイルミナが気づくとは考えていなかったかような表情だ。
イルミナを侮っていたとしか思いようがないハーヴェイに、イルミナは口端を歪める。
「貴方が私のことをお調べの様に、私とて貴方のことを調べましたよ。
貴方は自分が王の器でないことを知っている、それでも邪推する貴族は多い、それを黙らせたいが良い手が見つからない。
そんな時に私のことを知ったようですね。
とても有名な話でしたよ」
「だから、何だという。
俺であれば、ヴェルムンドはラグゼンファードと強固な絆を結べるだろう。
イルミナ、何故お前は理解しない?
我々王族に愛などというものは必要ない。
確かに兄上とアナスタシア義姉上には恋愛感情がある。
しかしそれも最初は政略結婚だった、それをあの二人が恋愛に昇華できただけの話だろう。
愛で国は治められない、必要なのは不屈の精神と孤独に耐えきれる強さだ」
ハーヴェイは苛々しながら言葉を放つ。
同類だと思っていたのに、まるで裏切りられたと言わんばかりのハーヴェイを見て、イルミナは落胆を隠しきれなかった。
正直、自分も彼に対して思うことはあった。
似たような立場で、捨てた人間と捨てられた人間、分かり合えずとも、通じるものはあると感じたのだ。
だからこそ、彼とグランを最終候補としていたのだ。
しかし、今の彼を見て自分の考えが違ったことをイルミナは悟った。
男は、ハーヴェイは子供だ。
自分より年上の男に対して何をと思うだろうが、実際そうとしか言いようがないのだ。
だって、彼が言っているのは同類がいなくなることに対して駄々をこねているのと一緒なのだから。
自分は独りだ、なら同類であるイルミナも同じように独りであるべきだ。
そう言っているのとほぼ同義語だ。
「・・・ラグゼン公、少し頭を冷やされた方が良いでしょう。
ここまでの不敬は水に流しておきます」
イルミナはそこで一度言葉を切った。
彼には、王としての言葉よりも効く言葉はこれだろうと考えて。
「ハーヴェイ殿、貴方と私の立場は異なります。
私には、私の幸せと国の未来を一緒に考えてくれる人々がいます。
私は、その人たちに恥じない女王になると決めているのです」
イルミナはハーヴェイの瞳をしっかりと見据えながら言う。
その強気な瞳に、ハーヴェイの方が逆にたじろいだ。
そのようなことを言うとは考えもしなかったようなその表情に、イルミナは苦笑を零す。
彼の、自分自身への認識はあながち間違えていない。
ハーヴェイという男は、王たる器ではない。
全ての感情において、女王という立場からそうイルミナは判断する。
そして、彼が自身の婿には向いていないだろうことも。
確かに、紙面上で見れば一番いい婿だろう。
しかし、実物の彼と、これから先も一緒にいられるかと問われれば否と答えるだろう。
そもそも、一緒の方向すら見ていないだろう相手と、どのように過ごせというのだ。
離れて歩けば、必ず違いが生まれる。
イルミナはヴェルムンドを第一とするが、本当に彼はラグゼンファードではなくヴェルムンドを第一としてくれるのだろうか。
それすらも不安に思うというのに、どうして婿にできようか。
「そこの庭まで、ご一緒します。
そちらで少し、心を癒されてみては如何でしょうか」
イルミナはいつも通りの薄い笑みを浮かべながら、ハーヴェイを部屋から連れ出した。




