女王と村の人
「――――はぁーーー」
ようやくひと段落付き、イルミナは深くソファに腰かけた。
机の上にはまだ処理できていない書類があるが、これ以上やってもまともな判断は望めないだろうから手を出すことはしない。
何時間に渡って書類を確認し、そしてさらに採寸もしなくてはならない。
食事会の為だと分かっていても、今のイルミナは多忙を極めていた。
書類処理があまりにも忙しかったので、戴冠式のドレスを手直しするだけでは駄目なのかと言おうとした瞬間のジョアンナのあの視線は、怖かった。
言っていたら、きっと今頃灰になっていたかもしれない。
もう、指一本動かすのだって怠い。
イルミナはだらりとソファに沈み込む。
こんな姿、ヴェルナーに見られたら更に怒られる。
何てはしたない恰好をしているのかと。
既に外は暗く、夜の帳が降りてきている。
昼間は暑いが夜になればひんやりとした空気が流れるようになった。
秋が近付いているのが、肌でわかるようになってきた。
窓から見える紺色の空は澄んでいて、光り輝く星々がその存在を主張している。
リリアナの十四の誕生日会は行わなかった。
国の上が騒がしい状態ですべきではないとの判断のことだ。
そして、もう間もなく自分の十七の誕生日が来る。
それまでには、なんとかなっているのだろうか。
いや、何とかしなければならない。
仕事のし過ぎであることは分かっていた。
イルミナはある程度の知識はあるが、あくまでそれだけだ。
いくら手伝いをしていたからといって実権を手にしていたわけではない。
実際に今の政務官や勘定方であるドルイッドやシルヴァン、ヴェルナーたちがいなければ何もできない。
自分一人では、知識が足りなさすぎる故に、何一つ即決を下すことはできないのだ。
教えてもらいながら、そのまま処理をするという同時進行な今の状態は、本来であれば好ましくはない。
しかし、そうでもしないと何もできない。
だからこそ、今、頑張らなくてはならない。
どんなに辛くとも、どんなに苦しくとも。
ここで音を上げるわけにはいかないのだ。
イルミナは、のそりとソファから身を起こす。
つい先ほど、苦虫を噛み潰したようなヴェルナーから渡された書類がテーブルの上に乱雑に置かれていた。
それは、今後のイルミナにとって最重要と言ってもいいもの。
イルミナは、書類の一枚目を見る。
そこには、幾人かの名前が書かれてあった。
ハーヴェイ・ラグゼン
ネイサン・ロナード
オーウェン・バルバラ
ずらりと書かれた一番最後には。
グラン・ライゼルト
「・・・」
それは、現在イルミナに婿入りを希望している人のリストであった。
削りに削って、総勢十名。
居なかった頃には考えもしなかった状況だ。
そしてその一覧の後には、それぞれのことが記載された用紙がこれまたずらりと用意されている。
これも、女王の仕事の一つだ。
イルミナは歪みそうになる顔を何とか押しとどめながら、それらを流し読みする。
今はただ、簡単に確認するだけなのだと言い聞かせながら。
イルミナには、女王として国を治める他に、一番重要な仕事がある。
それは、次代を生むこと。
他の誰にもできない仕事、それが血を残すこと。
ヴェルムンドは世襲制だ。
なので、必ず王族が次代へと繋がらなければならない。
しかし今回、イルミナはリリアナに子を産むことを禁じた。
本人には知られていなくとも、夫となるウィリアムがそれを了承している。
それを確かめる為に、城から派遣した医師に月一で調べさせる予定だ。
万が一生まれたとしても、その子供は本当の親を知ることなく一生を終えることになるだろう。
そうなると、イルミナは必ず子を授からなくてはならない。
今のヴェルムンドに王家の血の流れをくむ貴族はいない。
いたとしても何代も前とかで既にその血は薄れているだろう。
「はぁ、一番有力なのは変わらない、か」
一番手は、大国ラグゼンファードのハーヴェイ。
二番手は、グラン・ライゼルト。
どちらも非常に有能で、きっと女王になったイルミナの手助けをしてくれるだろう。
もし、イルミナが恋を知らない状態であれば、どちらでも構わないと言っただろう。
どちらでも、自分気持ちには何一つ変わりは生まれないのだから、と。
しかし、今となっては違うのだ。
それをわかっているからこそ、選べない。
イルミナは、目を通したそれをぽい、と投げながら疲れ果てている目をそっと閉じた。
***************
「・・・アリバル侯爵に、手紙を。
できれば明日、アウベールの村長たちを城に連れてくるように伝えてもらえますか?」
イルミナは書類から目を離さないまま、ヴェルナーに言った。
「会われるのですか?」
ヴェルナーは気づいていた。
なぜか、イルミナが彼らに会いたがっていないということに。
その理由は分からない。
それでも、それを彼女が望んだのであれば従うのが家臣だ。
それに、ヴェルナーはイルミナが逃げ続けるわけがないと信じていた。
だからこそ、アリバル侯爵が自分をせっついてもイルミナに何も言わなかったのだ。
「えぇ。
そろそろ学び舎に関しても確認したいところでしたから。
それに、少しですが抱えている分の仕事も落ち着きましたからね」
ヴェルナーはその言葉を聞き、席を立つ。
今タジールたちは、アリバルの持つ王都近郊の屋敷に滞在している。
距離はそんなにないので、今から急いで誰かにもっていってもらえばいいだろう。
「わかりました、ではそのように手配いたします」
「ありがとう、ヴェルナー」
イルミナはヴェルナーを一瞬だけ見やり、張り付いたような笑みを浮かべるとすぐさま書類へと視線を落とした。
***
「・・・お久しぶりですな、陛下」
「なかなか時間が取れなくて申し訳ありません、タジール村長。
王都はどうですか?」
「老体には堪えますなぁ。
しかし勉強になる滞在じゃったよ」
「それは良かったです。
グイードも久しぶりですね。
元気でしたか?」
「・・・、あぁ、元気だよ。
い・・・陛下こそ、少し痩せたようだが、元気そうで」
本来の謁見室であれば、二人がイルミナにこのような口の利き方をするのは許されない。
しかし彼らとは打ち解けた話し合いがしたいと考えたイルミナは、二人を自分の執務室へと案内させた。
あらかじめ、近衛たちには二人のことを説明してあるので、咎める人はいない。
「本当に、時間がかかりましたね、陛下。
会うつもりがないのかと思いましたよ」
アリバルは、そんなイルミナを皮肉る。
それも仕方ないと、イルミナは苦笑を浮かべながら思った。
何度も会うように言われていたのに、自分の精神的な面を曝け出すのが怖くて会うことを避けていたのだから。
「申し訳ありません、アリバル侯爵。
立て込んでいたのですよ、私も。
さぁ、どうぞかけてください。
今、紅茶を用意させますから」
「―――それで、教育者は決定を?」
「はい、既に七名が村に入ってます」
「実際に開始するのは?」
「早くて一か月後を予定してますね」
「レネットとの連携は?」
「今のところ大きな問題はないです」
イルミナは渡された用紙を見ながら矢継ぎ早に質問を重ねていく。
定期的にアリバルから連絡は貰っていたものの、やはり実際に話を聞くとではだいぶ異なるのだ。
というより、話の進み具合の速度が違う。
「時間はどのような割り振りを?」
「いきなり長時間やるのは難しいからのぅ、
最初は様子見で二時間というところかの」
「教科はどのように選択を?」
「とりあえず三日やって二日休み、そんでまた三日やって二日休みって体制で行こうと考えている。
教科は全部で五つの予定だ、文字・農業・建築・薬学・医学の予定だ。
必須なのは文字の習得ってところだな」
「なるほど。
期間はどれくらいを見込んでいるのでしょう?」
「短くて一年、長くて三年あたり」
「そんな期間で出来るものなのですか?
それに対象者の年齢は?」
「十歳前後からを予定している」
これにはジョンやレネット、そして教師たちと話し合った結果だった。
幼すぎてもダメ、大きすぎてもダメ。
柔軟に物事を考えられる年齢、それが十歳前後だったのだ。
ちなみにそれはアウベールの子供たちが学ぶ年齢から算出している。
もちろん、それより小さい子も大きい子もいるが、全体的に多かったのはその年ごろの年齢の子だったのだ。
「そうですか、向こう三年は国から全額の支給をします。
これに関しては公費が浮くので、その分を使う方面で勘定方と話をしています。
それに対する見積もりを出来るだけ早くお願いします。
そして半年に一回、必ず明細を提出するように。
勘定方のドルイッドに部下を一人送れるか、確認しておきます。
アウベールは、確かぎりぎりライゼルト領でしたね、定期的に結果を送るように手配して下さい。
場合によっては、彼らの援助を受けられる可能性もあるかもしれません。
最終的には国と貴族からの支援で成り立たせる方向にします」
イルミナは言いながらどんどん書類を作成していく。
金銭面に関してはだいぶ前から考えていたことだった。
イルミナを除く王族は、エルムストへと居住を移している。
今までに行っていた舞踏会などの数を減らし、エルムストにも必要最低限だけ使用することで公費を浮かせることで、教育やその他にあてるのだ。
「それと治水の件はどうなっていますか?」
「それでしたら、近々我々貴族の集会の際に彼らに来てもらう予定です」
「そうですか、タジール殿、グイード、ここが正念場となります。
アリバルがいるからそこまで酷い事にはならないでしょうが、頑張ってください。
そこで認められれば、一つの技術として利益が生まれます。
将来的にはその技術の利益の一部も学び舎に回せるよう、頼みました」
「かしこまりました」
「ちなみに新技術はどうでしょう?」
「今はジョン指導のもと、村で検証している。
俺の親父もそこでやってる」
「そうですか。
結果は?」
「まだじゃの。
さすがに短期間では出せんよ、陛下」
「すみません、そうですよね。
ではそちらに関しても定期的に連絡をお願いします」
「かしこまりました」
そうしてある程度話が終わったところで、四人は少し遅めの昼食をとる事にした。
ちなみにアリバルは別の用事があるとだけ言ってすぐにその場を離れている。
「それにしても、立派になられましたなぁ、陛下」
「そうでしょうか・・・?」
タジールの言葉に、イルミナは不安げな表情をした。
「あぁ、正直ここまでやれるなんて思ってもみなかったからな。
陛下が派遣してくれたジョンとか本当、有能すぎて勉強になる」
グイードもそう続ける。
そう言ってくれるのであれば、イルミナは救われる。
自分がした何かが、他の誰かの為になること程嬉しいことは無い。
それだけで、自分は未だ頑張れると思う。
「そうですか、良かった。
落ち着くまでには少し時間が掛かりますが、一緒に頑張りましょうね」
イルミナは微笑みを浮かべながらそう返した。
「陛下」
「グイード?」
「少し、時間をもらえるか」
「?もちろんです」
離れていく二人を、タジールとヴェルナーは黙って見送る。
いや、ヴェルナーは黙らされているのだが。
後ろから羽交い絞めのようにされているヴェルナーに、イルミナは苦笑を浮かべるとそのままグイードの後を着いて行く。
「っ、タジール殿!
何を!
いくらグイード殿だからといって陛下と二人きりにするわけには!」
「落ち着きなされ、宰相殿。
悪いことは起こらん、そして、わしも孫は可愛い。
せめて少しくらいチャンスがあってもいいと思うんじゃ」
「チャンス!?
なんのですか!」
「ほっほ、とりあえず宰相殿はわしと一緒にあっちに、の?
なぁに、すこーーしの時間でいいんじゃよぅ」
「まっ、
っく!?何だこの力強さは・・・!?
へ、陛下ーー!」
「・・・知りませんでしたが、あの二人、仲がいいのですね?」
イルミナはタジールに引きずられていくヴェルナーを見る。
なぜだろうか、どうしても面白い絵面にしか見えない。
ヴェルナーが自分に助けを求めていても。
「話の後、ちゃんとジジィたちのトコ戻るから。
だから今だけ、俺に少し時間をくれ」
グイードは気にした様子もなくイルミナを呼ぶ。
「それは構いませんが・・・?
それでは、そうですね・・・執務室でもいいですか?」
「どこでもいいよ」
そうしてイルミナはグイードを連れ、自分の執務室へと足を向けた。
「タジール殿!いったい何をなさるんですか!」
「落ち着くんじゃ、宰相殿。
らしくないぞ?」
「当たり前です!未婚である陛下が、男と二人きりになるなど・・・!
それにチャンスとは何のことです?
まさか、グイードは陛下に懸想をしているとでも!?」
「ほっほっほ、気付かれたかのぅ。
しかし安心しなされ、あれも頭は悪くない。
じゃがせめて伝えることで終わらせんといかんときもあるじゃろうて」
「!!
伝えて、断って、傷つくのがグイードだけだとでも言うつもりですか!?
陛下だって、あの方だってきっと傷つく・・・!」
「わかっておる、わかっておるよ、宰相殿。
しかし、陛下にはそれが必要じゃ。
慕う何かを切り捨てることも、これからのあのお方には必要なことじゃろう」
「!?
そ、そのために孫すらも使うというのですか・・・!?」
「流石にわしとてそこまで鬼畜ではないぞ。
じゃがな、そういうことを知って一つ大人になるという事もあるんじゃよ。
宰相殿にはまだわからんか・・・?」
「!!
・・・っ、陛下が苦しまれたら、グイードはシメますよ・・・」
「ほっほっほ、過保護じゃのう。
まぁ、それを陛下が望むならいいじゃろう」
ぎりぎりと今にも追いかけそうになるヴェルナーを横目に、タジールは笑いながらその場を後にした。
もちろん、ヴェルナーの腕は離さないままで。