王弟の見解
「すまないな、早めに来てしまって」
「いいえ、いつでもいいとお伝えしたのは我々ですから。
我が国を宜しければご覧になって下さい」
「そうさせてもらおう。
そういえば、あの村の村長が王都に来ていると聞いたが」
「・・・よく、ご存知ですね。
何か御用でしょうか?」
「いや、以前少し世話になったのでな。
挨拶をしたいと思っていたのだが」
「さようですか。
申し訳ございませんが、只今立て込んでおるようでして・・・。
時間が取れ次第、こちらに来るように伝えておきましょう」
「いいや、そこまでしてもらわなくても構わない。
時間があればの話だからな、気にするな、クライス宰相」
「そんなわけにはまいりませんよ、ラグゼン大公閣下」
表面的には穏やかな会話が成されている。
しかし、その場にいたメイドや文官たちは、間に流れている冷たい空気に身震いさせた。
ラグゼン大公閣下は終始笑みを浮かべ、それでも瞳は笑っておらず。
敬愛する宰相閣下の絶対零度の笑みが室内の気温をさらに下げているような気がしてならない。
それでも、彼らは自身の仕事を徹底した。
**********
「・・・ラグゼン公が?」
「はい、先ほど鷹にて知らせがありました。
近日中・・・恐らく、二~三日中にはこちらに到着するようです」
ヴェルナーの言葉に、イルミナは舌打ちしそうになった。
いつでも来てくれて構わないと伝えたが、いくらなんでも早すぎる。
ほんの少しの余裕を見つけてやってきたのだろうとは思うが、それにしてはタイミングが良すぎる。
誰かが、彼に情報を提供しているとしか考えられない。
・・・一回は浚った方が良いのかもしれない、とイルミナは考えた。
「・・・そうですか。
食事会自体はまだ二か月以上先の話だけれど、何か言っていましたか?」
「いいえ、特には。
しかし国を見てみたいと仰られておるようです」
それを言葉通りに取る人は、一体どれくらいいるのだろうか。
少なくとも、この場にはいて欲しくない。
「・・・、はぁ。
出来れば来てほしくない時期に来てくれましたね・・・」
つい、本音が零れてしまう。
しかしここにはヴェルナーしかいないので構わない。
「全く、空気を読んでほしいところです。
せめてもっと早い段階で連絡をくれてもいいかとは思うのですがね。
というより、国同士でこれはいけないと思うますが」
本来、国の重鎮や役職持ちが他国に訪れる際、前もって連絡を必要する。
最低でも、半月前。
可能であれば二カ月前が好ましい。
連絡無く来ることなど、基本的にあってはならない。
それをハーヴェイは当然のように無視しているのだ。
以前の薬の件で、ある程度お互いに貸しがあるのは理解している。
それでも、今この時期と言うのは辛いものがある。
「・・・誰か、彼につけられそうな人は?」
「・・・ぎりぎり、キリクですかね。
文官は無理です、仕事が滞ります」
ヴェルナーの言葉に、イルミナはさらにため息をつきそうになる。
幾ら借りがあるとはいえ、もう少し考えて行動してほしい。
もし本人が目の前に居たら、うっかり毒を吐きそうだ。
「・・・仕方ありません。
キリクをお願いします。
その間、ハザを副官に隊長格の一人に指揮権を移行しておいてください」
「いいのですか?
ハザはまだ隊長ですらありませんが」
ヴェルムンドの騎士団は、実に簡単に組織化されている。
騎士団長であるアーサーベルトを頂点に、副団長のキリク。
そしてその下に五人の隊長格がいて、さらにその下に団員を抱えているという図だ。
これだけ見れば、アーサーベルトが如何に凄い人間なのか理解できる。
しかし、実際は書類などの整理は基本的にキリクがしているらしく、アーサーベルトは肉体派らしい。
まぁ、そうでなければイルミナに教えることなどできなかったであろう。
「アーサーが認めるほどの人物でしょう、きっと直ぐに頭角を現します。
さくっと投入してしまいましょう、指揮権を移行する隊長の人選はキリクに任せます」
「わかりました、ではそのように手配致します」
ヴェルナーが執務室を出ると、変わるようにドルイッドが入ってきた。
その手には沢山の書類が握られている。
「失礼いたします、陛下。
申し訳ありませんが、学び舎に関してのことで」
「わかりました、報告を」
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「相変わらず、ここはいいところだ」
「お褒めに預かり、光栄です」
キリクは目の前の大公に礼をしながら、内心で冷や汗をかいていた。
キリク・マルベール。
マルベール男爵家の三男坊である彼は、早々に家から出て騎士で身を立てることを決めた。
昔はもう少し野心があり、いずれは団長となってやろうと考えているくらいには、彼には力があった。
アーサーベルトという、人外ともいうべき男に会うまでは。
少し天狗になっていたキリクの鼻は、アーサーベルトによって瞬時に叩き折られた。
叩き折られたと言うか、粉砕されたというか。
とりあえず自分が如何に井の中の蛙であったかを知らしめた存在だった。
初めは、その男が大嫌いであった。
貴族でもない彼が、自分を負かすなどあってはならないとすら考えていた。
嫌いで嫌いで、ずっと避けるようにしていた。
今考えてみれば、自分の中にあった貴族としてのちっぽけなプライドのせいだろう。
しかし、あることをきっかけに、アーサーベルトと言う男をしっかりと見るようにした。
そして、彼の力は彼の努力の賜物であることを知った。
自分は、なんて愚かだったのだろうとキリクは気付いてしまった。
貴族だの、平民だの、そのようなことを気にしている自分では、いつまでたっても本物の騎士になれないと。
そこから、キリクは死にもの狂いで頑張った。
みっともないと、汚らしいと言われても、必死になって頑張った。
泥だらけになり、傷だらけになっても、それでも諦めることだけはしなかった。
目の前を走る人外とまではいかずとも、それを目指すことは必要だろうと。
そして気づけば、いつの間にか副団長の座にいたのだ。
今となっては、少しだけ頑張りすぎたかなと後悔している。
それもそのはず。
一介の貴族の、騎士団副団長が、まさか。
他国の王弟をエスコートすることになるとは。
「キリク・マルベールといったな。
アーサーベルト団長の下はどうだ?
やはり大変なのか?」
「いいえ、団長は素晴らしい方です。
大変なことはどこでもあるでしょう、それでも、付いていきたいと考えております」
「そうか。
いい部下を持ったものだな、是非とも我が国にも欲しいものだ。
国を見てもそれが見て取れる。
とても平和で、穏やかな空気の流れる国だ」
「そのように言って頂けて光栄にございます」
キリクは慇懃無礼に取られない程度にお辞儀をする。
そんな彼をみて、ハーヴェイはにたりとあくどい笑みを浮かべた。
「・・・あぁ、マルベールよ。
お前の目から見て、陛下とはどのように映る?」
キリクは内心で、きた!と思ってしまった。
最初から、このようなことは聞かれるだろうとクライス宰相に言われていたのだ。
キリクは、自分の胃がしくしく痛むような気がした。
アーサーベルトのことは尊敬しているが、彼が仕事を放置することが多いせいでキリクに良く回ってくるのだ。
言えばやってくれるが、アーサーベルトは良くも悪くも直感型で肉体派の人だった。
結果、そこそこにしか勉強していなかったはずのキリクがその部分を担うことになっているのだ。
今では胃薬が欠かせない。
そして今すぐにでも胃薬を飲みたいとキリクは思った。
「・・・陛下は、お若いのに大変素晴らしい考えを持たれる方と感じております」
「ほう?」
まだ続けねばならないのか。
「・・・それに、とてもお美しいと思います」
「我が剣を捧げても、か?」
にやりと笑うハーヴェイに、キリクはだからお貴族様は嫌なんだと逃げたくなった。
自身も貴族の末席である事を棚に上げて。
騎士団に入ってからというもの、腹の探り合いなんてまどろっこしいことはほぼしてこなかった。
団長が拳で語るを地で行く人だから、なおのことだ。
正直、今回自分にこれを命じた宰相を恨みたくなった。
「・・・そうですね。
わが身は、王家に捧げられたも同然ですから」
ハーヴェイは、キリクの無難な答えに目を丸くすると、面白そうに笑った。
「とても面白いな。
クライスが、君を私に付けた理由がわかる。
・・・さぁ、今度はどこに行こうか」
キリクは、漏れ出そうになるため息を必死に堪えると引きつる口角を必死に上げた。
ハーヴェイは、目の前の男が不格好な笑みを浮かべるのを、大笑いしたい気持ちで見ていた。
クライスは、良い人選をしたと本当に思う。
拙いながらも駆け引きを出来る、キリク・マルベールという人間。
彼は、きっと貴族の汚い世界を知ってはいるのだろう。
ただ、そこに身を落としたことが無いだけで。
ハーヴェイ・ラグゼンという男は、国の為だけに生きる男だ。
自身の兄が王になった時、それを誓った。
一部の貴族たちは、自分を王にしようとしていたが、その器では無いことは自身が一番よく知っている。
兄であるサイモン・ラグゼンファードの方が、よっぽど王としての資質があるというのに、どうして気付かないのかハーヴェイには分からない。
しかし、継承権を放棄したというにも関わらず、邪推する輩は多い。
そんな時、イルミナという王女の話を聞いたのだ。
渡りに船だと思った。
彼女と婚姻を結べば、大国ではないものの、ミスリルなどを発掘している国との繋がりが出来る。
いくらイルミナの血がしっかりとしているからといって、ラグゼンファードには既に兄とその妻が認められている。
そして彼女は自国でもいい噂が流れていない姫、そんな姫を王妃に、国母にしようなんて考えないだろうと。
最初は、そう思っていた。
しかし、実際に会ってみて、素直に面白い王女だと感じた。
ハーヴェイは、いろんな国に自分の間諜を送っている。
いわゆるスパイだ。
本来であれば、国管轄の機関がそういった事をするのだが兄王はそれを嫌った。
清廉潔白で生きたいというわけではないが、下手な火種を作りたくないという考えもあるのだろう。
だからこそ、その暗い部分をハーヴェイが担った。
自分であれば、切り捨てられることも厭わなかったから。
そこでイルミナという少女のことを知ったのだ。
哀れな少女だと、最初は思った。
城中から蔑ろにされ、あまつさえ女王になる権限すら奪われる。
美しいだけの妹に全てを奪われる、姉。
自分たちとは大違いだと、書類を見たときに思ったものだ。
なりたくても奪われ続ける姉と、なりたくなくて全てを捧げる自分。
どうしようか、そんなことを考えているなか、自国の貴族の黒い噂を耳にした。
相手は非常に狡猾で、確固たる証拠が中々手に入らない。
調べに調べ、そうしてようやく他国すらも関係していることに気づいた。
相手が、ヴェルムンドの貴族であることも。
それを知って、イルミナと言う王女を利用しようと思った。
情報を渡して、こちらが有利になるようにし、婚姻すらも進めてしまおうと。
しかし、情報を渡してからイルミナへの見方が変わった。
情報を渡された彼女は、それを利用して返り咲いた。
粛々と従うだけのお飾りかと思いきや、ちゃんと国を考える少女だった。
そして彼女の考えている国の未来というものを、見てみたくもなった。
国の為だけの婚姻だが、彼女となら楽しくやっていけるかもしれないと考えられた。
彼女は気づいていないかもしれないが、同類だということはすぐに分かったのだ。
国の為だけに生き、国の為だけに死ぬ。
それが、彼女と自分の存在意義であると思ったのだ。
しかし、そんなハーヴェイを邪魔するものがいた。
ヴェルムンドの貴族、グラン・ライゼルト。
国の為だけを考える彼女を、唯一揺らがすことのできる存在。
イルミナが、グラン・ライゼルトを特別に思っていることなんて、直ぐに分かった。
アウベール村での状態が良い証拠だ。
しかし、彼女はそれを認められないだろう。
国の為だけに生きると決めた彼女であれば。
ハーヴェイは、婚姻に愛だのなんだのは必要ないとすら考えている。
親愛などであればいいが、恋愛など国を傾ける要素の一つになりうるものは、むしろ邪魔だとすら考えている。
自分の兄は、アナスタシアという伴侶を得て、平和的な統治を目指すようになったのはいいことだとは思う。
ただ、それを自分に当てはめようとは思わない。
自分に、それは必要ない。
その相手に、イルミナ・ヴェルムンドという存在はぴったりだと思ったのだ。
互いに愛を求めることはない。
ただただ、同じ方向に向かって離れて歩ける存在。
そんな女性を見つけることは、不可能に等しいと思っていた。
だからこそ、逃がすわけにはいかない。
たとえ、彼女をこの先独りで歩かせるような真似だとしても。
それでも、自分の国の為に必要だと、ハーヴェイは考えるのだ。




