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梔子のなみだ  作者: 水無月
女王時代

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【閑話】ある人の後悔






どうして、今まで頑なだったのだろうか。


どうして、見てあげようと思わなかったのだろうか。


あんなにも、求めていたのに。


あんなにも、必死だったのに。



それを、知っていたというのに。








「イルミナ、姉なのだから我慢しなさい。

 リリアナは体が弱いのよ。

 我儘言って困らせないで。

 わかるわね、イルミナ」


最愛の人の声は、冷たく響いているように聞こえた。

それを言われている、幼い我が子は、どのような表情をしているのか想像に難くはない。


「あぁ、陛下。

 リリアナの目が覚めたそうですわ。

 あとで顔を見に行ってあげて下さいまし」


「・・・あぁ、わかった」


美しい王妃。

愛する王妃に似た、我が娘。

腹心の宰相はいつでも心の支えだった。


その背後で、涙を堪えるもう一人の娘のことなど、考えもしなかったのだ。


そもそも、王はイルミナのことを好きでも嫌いでもなかった。

王妃は、自分の母に似ていることから憎んでいたようだが、王にそれは関係なかった。


かの国の王妃と会ったのはたった数度。

そんな少ない機会でどう好きになり、嫌えというのだろうか。

しかし、王妃はそれを許さなかった。


「陛下、陛下・・・、

 わたくしは母が怖いのです、憎いのです・・・、

 貴方と出会う前まで、私は国の駒の一つでしかなかった。

 貴方と出会わなければ、私はきっとこの命を絶つまでに絶望していたわ」


王妃は、自分と同じような意見を持つことを強要してきた。

そして王は、それに対して疑問を持たなかった。

それが、一つ目の間違い。



一度だけ、王はイルミナを抱き上げたことがある。

転んでしまったイルミナを抱き上げ、そしてそのまま一緒に図書館に行ったのだ。


自分とも、王妃とも似ていないその色。

それでも、愛する人が生んだ娘は愛らしかった。

小さな手に、ふくりとした頬。

一生懸命に慕ってくる、無心な瞳。

何もかもが、愛らしく王の目に映った。


「おとー、しゃ、ま」


舌足らずに自分を呼ぶ、この小さな娘が愛おしいと思ったことは確かにあったのだ。

自分の知らぬうちに、自分を父と呼べるようになったこの娘を。





「陛下、どうして、リリアナにお見舞いにいらして下さらなかったのですか」





王妃は、知っていた。

自分が、イルミナを抱き上げて図書室に行き、本を読んでやったことを。

王妃は、責めこそしなかったが、その視線はどうしてと言わんばかりだった。

そうして、更にイルミナから足が遠のいていく。

それが、二つ目の間違い。


「・・・陛下、第一王女様ですが・・・、」


「放っておけ。

 あれは何も問題を起こさないだろう」


「、・・・かしこまりました」


何人か、心ある官吏が煮え切らない態度で言ってきたことがある。

そのころには、既にイルミナは城の中で浮いた存在となっていた。


「姉君なのですから、妹君にお譲りされる心をお持ちください」

「第一王女なのですから、しっかりして下さい」

「リリアナ様の具合が悪いので、後程伺います」

「姉君なのですから、少しの我慢は覚えられたほうがよろしいと」


全てが、イルミナを後回しにしたものだった。

そして、それを率先して行っているのが、王妃だった。

あの、小さくか弱い、自分の娘を、王妃は蔑ろにすることで心の安寧を保っていた。

・・・彼女は、心が弱い人だった。

王妃がそうすることで、城の誰しもがイルミナから距離をおくようになった。

考えなくても、当然のことだ。


それは、王族としても、親としても、人としてもしてはならないことだと、誰もが分かっていた。

それでも、誰も止める事が出来なかった。

これが、三つ目の間違い。


そうして、イルミナはただただ独り孤独に城で生きていた。







「・・・なに?

 アーサーベルトが?」


ある日、宰相がそう報告してきた。

どうやら、騎士団長であるアーサーベルトが、イルミナに剣術を教えているらしい、と。

その頃には、既に王の中にイルミナへの感情は無いに等しかった。


下手にイルミナに構えば、王妃が壊れるという心配りから。

そうして気づけばいつの間にか、自分と王妃にそっくりな顔立ちをしているリリアナだけを、見るようになってしまっていた。


だから、この時も好きにさせれば良い、と答えていた。

きっと、宰相は止めるように言ってほしかったのだろうと気付いたのは、もっと後になってからだったが。


イルミナの誕生日などすっかり忘れ、リリアナの誕生日は盛大に行った。

それに対して、勘定方が酷く変な顔をしていたが、だからどうしたと思うようになっていた。

この頃には、王妃の感情が伝染し、イルミナに対して良い感情を持つことが少なくなった。


そうして気付けば、第一王女は宰相候補と名高いヴェルナーから教育を受けるようになっていた。

自分への当てつけかと、あの当時は考えてしまったが。


「へ、陛下!!」


「、何事だ」


「い、イルミナ様が!!」


ある夜。

官吏が一人、執務室に飛び込んできた。

そして話す内容は、到底信じがたいもの。


宰相候補の指示の元、イルミナに毒耐性を付けるための訓練が始まったと言ったのだ。


「・・・馬鹿な。

 宰相候補如きが、王族にそのような真似をするものか。

 きっと狂言だろう。

 放っておけ」


「陛下!!」


何度も何度も本当だと言う官吏を追い出し、そのことを聞かなかったことにした。

それが本当であったと知るのは、あるメイドがイルミナの部屋から血まみれたシーツを片付けたと証言するときである。




そうして、いつの間にか第一王女であるイルミナが政策に参加するようになっていた。

その頃にも、目障りではあるものの放っておいた。

この時には、すでに王の中で第一王女は自分の娘であるということを完全に忘れていた。


ライゼルトからの結婚の打診や、リリアナの婚姻。

そして女王をリリアナにすると決定したことで、イルミナの心は折れたと思っていた。

もう、二度と煩わされることはないと、思っていたのに。

もう、期待されることなどないと思っていたのに。


宰相の裏切りに、一部の貴族の更迭。

全てが、恐ろしいほどの速さで進んでいった。


気付けば。

自分は王ではなく先代となっていた。

そして娘であるにも拘らず、何一つ彼女のことを知らない第一王女(イルミナ)が、女王として擁立されていた。


憎かった。

娘であるにも拘らず、父である自分にこんなことをするイルミナが。

でも、少しでも冷静に考えれば、親子の関係性など何一つ築いてこなかったのは自分だということに気付けたのに。

―――そのことに気づかなかったのは、いったいいくつめの問題だろうか。


言い表せぬ思いを抱きながら日々を過ごしていると。





「陛下。

 グラン・ライゼルトです。

 お目通り叶いますか」




グラン・ライゼルト。

愛娘、リリアナの婚約者、ウィリアムの父親。

ライゼルト辺境伯として、貴族の中でも有数の権力を持つ男。

そして、イルミナを推す側の、人間。


嫌々に会うことを許可すると。

グランという男は、以前とは違ったような印象でその姿を現した。


「陛下、ご無沙汰しております。

 最後はいつお会いしたでしょうか」


「・・・なんだ、わざわざ嫌みでもいいに来たのか。

 暇なのだな、貴様も」


苛立ちをぶつけるように吐くと、男は肩をすくめるだけだった。


「・・・陛下、いえ、先代。

 イルミナ陛下をご覧になられましたか?」


その言葉に、さらに苛立ちを覚える。

つい先日、戴冠式を行ったばかりだというのに、何を言うのだ、この男は。

グランの言葉に返さずにいると、それに対してなのか苦笑を零した。


「・・・本当に、イルミナ陛下は似られましたね」


「・・・なんだと?」


一瞬、何を言われたのか理解ができなかった。

似ている?

誰が、何に?


「切りあがった目と、薄い唇は先代に。

 鼻筋と耳の形は、先王妃にとても良く似ておられる」


その言葉は、想像以上の衝撃をもっていた。

まるで、全身を雷で撃たれたかのような、そんな衝撃。

考えなくても、当たり前なのだ。

二人の娘なのだから。


そうして気付いてしまう。


自分たちは、彼女がマリーネアにそっくりだと思い込んでいたが、顔立ちは違っていたということに。

しかし言われなければ気づけないほど、イルミナという個の色ばかりを見ていて、娘として顔を見ていなかったということに。


「―――あぁぁ・・・」


脳裏に浮かぶ表情は、いつだって強張ったものばかり。

一体いつから、笑顔を見せなくなった。

一体いつから、自分を陛下としか呼ばなくなった。

一体いつから・・・。


「―――っ、」


わからなかった。


距離を取ったことで、相手からも距離を取られるなんてそんな当たり前のことに、何故気がつかなかったのだろうか。

蔑ろにされていると知って、誰が近づくだろうか。


「・・・私はお会いしたことが無いので分かりませんが、きっと幼いころは愛らしかったのでしょうね」


そうだ、とても、あいらしかった。


あの小さな体を抱き上げた時、その軽さに保護欲すら沸き上がったというのに。

舌足らずに自分を呼ぶあの子を、愛しいと感じたことが確かにあったはずなのに。

その誕生を、心から喜んでいたというのに。


どうして、こうなったのだろうか。

どうして、正せなかったのだろうか。


自分は、あの子(イルミナ)の父だというのに。



どうして。



「―――あぁ、その表情を見れば、わかります。

 とても、可愛かったのですね」


グランは薄く微笑みながら言った。

皮肉にも聞こえるそれは、今の自分の心を確実に抉って来る。

そしてグランは続けた。


「先代、私は、彼女と共にこの先も在りたいと、その隣にいたいと考えています。

 その為であれば、私は何も惜しくはないほどには」


「・・・あれと、婚姻を結ぶつもりか・・・?」


グランはその言葉には笑みを深めるだけで返さなかった。

しかし、それだけで分かってしまった。


「・・・。

 ―――出来る事があれば、言うと良い」


グランはその言葉を聞くと、一礼してその場から立ち去った。








すべて、手遅れなのだろうか。

もう、どうしようもないのだろうか。


分からない。


それでも、この胸中に走る苦味だけは。

言葉に出来ない苦しさだけは。

そして、あの子(イルミナ)の心を想像した時に感じる絶望だけは。



   生涯忘れられないだろうと感じた。





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