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梔子のなみだ  作者: 水無月
女王時代
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女王と別れの日





空は高く、目が覚めるような青さが視界いっぱいに広がった。


緑は萌え、ヴェルムンドの一年の中でも暑い季節がやってきていた。


緑の中に色鮮やかに咲く花々は、短い夏を謳歌するかのように咲き乱れた。


イルミナは、青々とした空気を吸い込むと、それをゆっくりと吐き出す。


「お姉さま!」


そんな時、はじけるような声が響いた。


本来であれば、女王になったイルミナをそう呼んではいけない。


家族といえども、イルミナは女王で、リリアナは第二王女でしかないのだから。


しかしそれを気にする彼女ではない。


「・・・リリアナ」


そこには、春を司らんばかりの美しい妹がいた。


空色の瞳に、黄金の髪。


薔薇色の頬に形の良い唇。


神からの贈り物とまでに評される美貌に、イルミナは相貌を少しだけ緩めた。


「お姉さま!

 おめでとうって言いたかったのだけれど、遅くなってごめんなさい・・・」


リリアナはそういいながら、色とりどりの花束をイルミナに差し出した。


「綺麗・・・、ありがとう、リリアナ」


イルミナの感謝の言葉に、リリアナの笑みが深まる。


「お姉さま、絶対エルムストに遊びにいらしてね!」


「・・・えぇ、必ず」







その日は、イルミナを除く王族がエルムストへと向かう日であった。

豪奢な馬車を用意させ、騎士団を一個師団つけるほどの大仰行列となった。


馬車は全てで十。

内一つは、王族を乗せたもの。

これは一番手をかけて作られたものだ。

美しい細工をたくさんつけ、中は長時間座ってもいい様にたくさんのクッション材で柔らかく作られている。

内三つは、彼らのお付きの者たちの馬車だ。

少し窮屈になってしまうが、それでもこちらもなかなかの意匠で作らせたものを用意している。

そして残りは、王族やお付きの者たちの物を乗せたもの。

これは前の四つに比べて簡素な造りだが、それでもしっかりとした造りの物を用意させた。


イルミナは、準備が整うのを執務室で仕事をしながら待っていた。

本来であれば、今の時間に彼らと話をしたりするのがいいのかもしれない。

最後だから、もしかすれば何かあるかもしれない。

しかし、イルミナはそれを選ばなかった。


王や王妃は、きっと自分のことを恨んでいるだろうから。

そして、自分も和解したいとは思えないから。


そんなことを考えながらも、イルミナの書類を裁く手の速度は落ちない。

内容をしっかりと読み、確認し、捺印をする。

そうこうしていると、来訪の声が外からかけられた。


「陛下、ヴェルナーです。

 失礼してもよろしいでしょうか」


「えぇ」


入室を許可すると、ドア前の衛兵が扉を開く。

入ってきたヴェルナーは、正装していた。


「陛下、そろそろお時間です。

 着替えられないのですか?」


ヴェルナーの言葉ももっともな状態だった。

イルミナは簡素なドレスに身を包み、ひたすら書類と格闘していたのだ。

髪だって一つにまとめただけで、女王だといっても信用されないのではないかというほどの簡素な格好だった。


「ん・・・。

 着替えます・・・、ジョアンナを呼んできてもらえますか?」


着替えるとの言葉に、ヴェルナーは心の中でほっと安心した。

流石にあのままの格好で出るとなると変な憶測を呼びかねない。

チリン、とベルを鳴らす。


「はい、陛下。

 お呼びでしょうか」


「あぁ、ジョアンナ。

 陛下がお着替えを」


「かしこまりました」


ジョアンナはすでに準備をしていたのだろうか、すぐに取り掛かり始めた。


「ジョアンナ、そんな大げさなものではないもので・・・」


ジョアンナのあまりの準備の良さに、イルミナは臆してそう声をかける。

しかしジョアンナはそれを許さなかった。


「何を仰られているのですか、陛下!

 せっかくお綺麗なのですから、しっかりと正装なさらないと!

 もったいないですわ!」


その瞬間、イルミナの目が死んだようにヴェルナーは見えた。








「お姉さま!

 待ってたのよ!!」


リリアナが頬を膨らませながら言ってくる。

そんな彼女に、イルミナは苦笑を浮かべた。


「ごめんなさいね、リリアナ。

 仕事がすごく溜っているの」


「・・・お姉さまはいっつもそう!」


その言葉に、何人かの騎士が身を固くする。

一緒にいたヴェルナーでさえ、リリアナは何を言うのかと目を剥きそうだった。


「いつも、お姉さまはお勉強が忙しい、お仕事が忙しいって・・・、

 いつもそればかりで私とお茶もして下さらなかったわ!」


「・・・リリアナ様、」


まずいと思ったのか、リリアナのメイドが前に出ようとする。

しかし、リリアナを止めるには至らなかった。


「みんなが教えてくれたの。

 宰相がいなくなったのは、お姉さまのせいだって・・・。

 ねぇ、お姉さま、本当なの?

 どうして?

 エルムストに行くのだって、お父様がご病気になられたからではないの?

 皆、お姉さまが悪いっていうのよ!!」


イルミナは、一瞬で誰がそれをリリアナに言ったのかを理解した。


「・・・リリアナはどう思ったの?」


幾人かの顔色の悪いメイドや騎士を一瞬目で見ながら、イルミナはリリアナに問うた。


「・・・わからないから、聞いたのに!

 お姉さま、嘘だって言って、お姉さまは、そんな酷いことはなさらないわよね?

 私のこと、嫌いになんて、ならないわよね、お姉さま・・・!」


リリアナの縋るような目に、イルミナは嘲笑しか込み上げてこなかった。

どうして、それを今ここで聞くのだろうか。

どうして、その考えに今の今まで至らなかったのだろうか。


口を開こうとしたその瞬間。


「リリアナ」


低く、愛情が込められた声が後ろから聞こえてきた。


「お父様!お母様も!」


イルミナがゆっくりと振り返ると、そこには元王と、元王妃がいた。

ゆったりとした歩みで、悠然と向かってくる。

その姿に、イルミナは不思議と何も感じなかった。


「・・・みな、王族以外、外せ」


先代の言葉に、誰もが戸惑った。

先代が、自らイルミナを含めた王族で何かをしようとすることが初めてだったのだ。

そのことを知る人々は、その命令を聞くべきかどうかで逡巡しているのがわかる。


「・・・外してください」


イルミナが重ねて言うと、ようやくヴェルナーをはじめ、皆が動き出した。

ちらちらと心配そうに見てくるヴェルナーに、イルミナは一瞬だけ視線をやる。


何も考えてないわけではない。

万が一というのもあって、イルミナは短剣を懐に忍ばせていた。

彼らに信用も信頼も何もしていないのだ。

どちらかというと、恨まれているに等しい立場。

何も策を講じていない方がおかしい。


「・・・イルミナ、リリアナ」


「なぁに、お父様?」


「・・・何でしょうか」


先王は、その二人の言葉を聞いた瞬間、表情を歪ませた。

二人の表情は、恐ろしいほどに正反対だ。

リリアナは笑顔を浮かべ、イルミナは強張った無表情だ。


「・・・イルミナ、今まで悪かったとは、言わない」


先王の、父の言葉にイルミナの体は強張った。


「・・・しかし、私と王妃が過ちを犯したことは事実だと、認めよう」


「え、何を仰っているの、お父様?」


話が見えないリリアナは、一人おろおろとし始めた。

そんな彼女の手を、王妃が握りしめる。

そして柔らかな声音で話し出した。


(わたくし)は、幾度となく私の母に泣かされました。

 リリアナ、貴女の祖母、マリーネアです。

 母は、イルミナにそっくりでした。

 いえ、イルミナが、母にそっくりでしたのね。

 私は、そんなイルミナが怖く、そして憎かった。

 幼いころ、私は勉強が出来なくて何度も怒られたのよ。

 王女としての自覚が足りないと、何度も鞭で手を叩かれたわ。

 陛下と結婚する時も、母は反対をし続けた。

 私は、本来ハルバートの貴族と結婚をする予定だったの。

 それを無視して、駆け落ち同然で私は陛下と結婚したのよ」


王妃は、イルミナが今まで見たことのないほど落ち着いた様子で話し続けた。


「・・・今考えれば、ティンバーのことを気にしていたのでしょうね。

 生まれてくる子供のことも、母は考えていた。

 この国に嫁いで、私はただのお飾りの王妃となったわ。

 勉強が嫌いで、何も覚えてこなかったのですもの・・・当然よね。

 陛下は、そんな私でも愛してくれた。

 でもその分、陛下の仕事は増え、穴は増えていった。

 それを突くように、貴族たちが好き勝手していたことを、私も、陛下も、知らなかった。

 ましてや、ティンバーが裏切っていたなんて・・・」


手を握られたままのリリアナは、自身の母の言葉に驚きを隠せないでいる。

その大きな宝石のような目が、今にも零れ落ちてしまいそうなほど見開かれている。


「・・・・・・、ごめんなさい、イルミナ。

 許してなんて、言えないけれど・・・。

 貴女を、一度も、娘として見なかった・・・」


「・・・」


イルミナは、王妃の言葉に絶句する。

あの、母が。

いつも憎悪に満ちた視線しか向けてこなかった母が。


突然のことに、イルミナの全身が小さく震える。


「・・・どういうこと、お母様・・・?お父様・・・?」


「・・・リリアナにも、済まないことをした。

 甘やかしてばかりで、何もできない娘になってしまった」


「お父様っ?

 ど、どうしてそんなこと仰るの・・・!?」


王の言葉に、イルミナは一歩後ろへと下がった。

今、自分が見ているのは夢なのだろうか。

いったいいつの間に、白昼夢なんてもの見れるようになったのだろうか。

ぐるぐると頭が回り、吐き気すらしそうだ。

今すぐに倒れてしまいたいとすら思う。


「・・・安心するといい、イルミナ。

 私たちは、これからの一生、エルムストに閉じこもろう。

 それが唯一、私たちにできる贖罪だろう」


王も、王妃も。

イルミナには視線をやらない。

それでも、その声音で、わかってしまった。


「お父様、お母様、どういうことなの?

 贖罪って、なに?

 お姉さま、なにが、どうなっているの・・・?」


泣きそうなリリアナに、王妃は苦しそうな表情を向ける。


「・・・貴女には、馬車の中でゆっくり話すわ」


イルミナは、気が付けば壁に当たるほど後退していた。

無意識に、逃げ出したいとでも考えていたのだろうか。

それほどまでに、今の状況は怖かった。


「・・・どういう、風の吹き回しでしょうか」


信じられない、と言外に告げる。

当たり前だ。

何度、二人に傷をつけられたのか、イルミナは思い出せないくらいなのだ。

その二人が、今さらになって邪魔をしない、傷つけない?

だとしても、エルムスト送りには変わらないし、そこで一生を終えてもらうのも変えるつもりはない。

温情を求めているのかと勘繰る。

そんなことはしない、絶対にと考えていると。


イルミナの言葉に、初めて王と王妃が顔をイルミナに向けた。

そして、ぼろりと涙を零した。


「!?」


「・・・本当に、良く見れば、似ていたのにな・・・」


「・・・本当ですわ・・・どうして、見なかったのかしら・・・」


イルミナは逃げ出したくなった。

どうして、と言葉にならない声が、微かに漏れる。

これは、一体誰だ。

私の知る、あの人たちではない。

ガンガンと頭が痛む。

やめてと叫びたくなる。


「・・・イルミナ、我が娘。息災でな」


「、元気で・・・イルミナ」


二人はそういうと、戸惑いを隠せず涙を流すリリアナの肩を抱きながら、ゆっくりと馬車へとその身を進ませた。

礼をする騎士たちの中に、ウィリアムの姿が見える。

その表情は、どこか晴れやかでまるで憑き物が落ちたようにすら見える。

どうして、どうして。


どうして、みんな、そんな表情を浮かべているのだ。


「っ、ぁ・・・」


その小さくなる背たちに、イルミナは何かを言おうとした。

そして言えなかった。


何かを言えるほど、イルミナの過去は、優しくはなかった。

何かを言ってあげたいと思えるほど、イルミナは彼らに思い入れが無かった。

いや、言ってしまうことで全てを終わらせることが、怖かったのだろうか。


そのことに愕然としながら、イルミナは馬車に消えていくその姿を見つめ続ける。

どうして、最後にあんなことを言ってきたのか、わからない。

どうせなら、言わないでほしかった。

それがイルミナの本音だ。


どうせなら、期待させないままでいて欲しかった。

こんな、後味の悪い別れなど、望んでいなかったというのに。


沢山の騎士と、いくつもの馬車がゆっくりと動き出した。

のろのろと、それでも確実に城から遠ざかるそれに、イルミナは何も言えないままじっと立ち尽くしながら見つめ続けた。






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