女王としての選択
それは、とても熱かった。
それは、驚くほどの熱を持って、私を奪っていった。
息を、思考を、心を。
私の持つものすべてを、奪っていった。
途切れる合間に、自分の名を呼ぶその人。
私の全てを奪っていく人。
―――心を、捧げたいと思ってしまった、人。
私は、泣き叫ぶ自分の心に、そっと蓋をした。
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「では、これからのことについて話し合いをしたいと思います。
クライス、出席者の確認を」
「は、
ブラン公爵、アリバル侯爵、ベネディート伯爵、ロイズ子爵、セバーク男爵。
政務官、ドルイッド、スベニア、レネット、シルヴァン。
そして辺境伯代理、ヴァン・ライゼルト。
十名にございます」
王専用の執務室で、十二人が円卓のテーブルにて顔を合わせる。
「では、貴族を代表して、イルミナ陛下。
御即位、誠におめでとうございます」
ブランが立ち上がり、一礼しながら言う。
それに続くように他の貴族も頭を下げた。
「政務官を代表して、同じく。
御即位おめでとうございます、陛下」
ドルイッドが代表してイルミナに一礼する。
「ありがとう。
これからも皆の力を合わせて国を良くしていきましょう。
早速ですが、ここにいるヴェルナー・クライスを正式に宰相にしようと思います。
何か異論がある方は?」
イルミナはゆったりと椅子に座りながら言う。
一切の雑談をしない彼女に、貴族だけではなく政務官ですら戸惑う。
「い、いえ、我等政務官はありません」
「貴族側もとくにはない。
クライスであれば、安心して任せられるだろう」
二人の言葉に、イルミナは安心したように一つ頷く。
そしてヴェルナーに視線を投げた。
「この度、宰相を務めさせていただきます、ヴェルナー・クライスです。
イルミナ陛下の御世を素晴らしいものにするべく、尽力させて頂きます」
まるではじめから決まっていたかのように滑らかに挨拶をする。
そのことに、誰もが気付きながら何も言わなかった。
「さて、空席だった宰相が埋まりました。
今後の話をしましょう、報告を」
イルミナの言葉に挙手したのは、アリバルであった。
その表情は珍しく困惑気だ。
挙手しておきながら、なかなか話し出そうとしないアリバルに、イルミナが痺れを切らす。
「アリバル、どうしました?」
そうしてようやく、アリバルは口を開いた。
「・・・ライゼルトは、どうしたのですか」
その言葉に、誰もがヴァンに視線をやる。
本当は誰もが気になっていて言えなかったのだ。
ライゼルト当主の、グランはいったいどうしたのだろうか、と。
視線を集めたヴァンは、一つ瞬きをすると話し始めた。
「・・・我が兄、グランは当主の座を降ります。
正式にはまだ発表しておりませんが、私が当主としてライゼルトに貢献することとなるでしょう」
ざわり、と空気が揺れる。
それほどまでに衝撃的な内容だった。
しかし、それにイルミナは動じない。
だが、情報を扱うアリバルは予想外のヴァンの言葉に驚きを隠せないでいた。
「っ、グランが、当主を・・・!?
私はそのような話を聞いておりませんが・・・」
「陛下の戴冠準備期間中に、無理やり押し通したようなものですからね。
アリバル侯爵であれば、ご存知でしょう。
我が兄がずっと貴族たちの屋敷を駆け巡っていたことを」
ヴァンの言葉に、アリバルは眉根を寄せる。
確かに、グランが転々と移動していることは知っていた。
自身の領地の者が王都付近にいるから会いに行っているだけかと考えていたのだ。
よくよく考えれば、そんなことあり得るはずがないというのに。
彼らの領地の代表がグランなのだ。
彼らが会いに行く事こそあっても、グランが自ら赴くなどおかしい。
当主の座を退くためにしているとは、全く知らなかった。
その事実に、舌打ちをしそうにすらなる。
「その件に関しては、後日、正式に陛下にお伝えいたします。
詳細に関しましても。
それでよろしいでしょうか」
ヴァンはそう言うと、これ以上話すことはないと言わんばかりに口を噤んだ。
「・・・わかりました。
グラン・ライゼルトの件に関しては後日で構いません。
ヴァン・ライゼルトは後程でいいので日程をヴェルナーに」
イルミナはそう締めくくると、次の話へと進むべく続けた。
「さて、皆さん知っての通り。
四カ月後には隣国の貴賓を招いての食事会を行います。
それまでには、ある程度我が国の状態を安定させたいと思います。
まず、学び舎の件ですが、今、アウベールの村長たちが王都に来ています。
レネット、貴方に任せようと思いますがいいですか?」
「っは!!」
レネットは、先代の時から政務官として手腕を奮っていた猛者の一人だ。
御年四十九になるが、いまだ精力的に執務を手伝ってくれている。
彼であれば間違いはないだろう。
「彼らから進捗状況を確認し、出来る限り早めに開始できるようにして欲しいと伝えて下さい。
それと治水の件ですが、これはベネディートと、アウベールにいるジョンに。
ジョンには話を通しておくようアリバルにお願いします。
最終的に、治水の技術に儲けが出るようにしたいと考えているので。
その件も含めて、一度アウベールに足を運んでほしいのですがいいですか?」
「かしこまりました」
ベネディートは、四十六あたりだっただろうか。
ベナンの陰に隠れていたが、彼の悪政を上手くかわし、自身の領に一切の損害を与えずにいた。
その手腕には舌を巻かざるを得ない。
常に公平を見続けるベネディートなら、私欲を肥やそうなどと思わずに、国を良くするためにその知識を存分に使ってくれるだろう。
「それと近日中には、王族が王都を出発します。
騎士団を一個師団つけますが、それによって何か不具合が生じますか?」
「・・・、いえ、長はどなたが?」
「もちろん、アーサーベルトです。
彼であれば間違いなく、彼らをエルムストへ送ってくれますから」
淡々と話すイルミナに、誰もが苦い思いを抱いた。
彼女が話しているのは、彼女の家族と呼ぶべき人たちのことのはずなのに。
それなのに、イルミナは淡々と事務的に話す。
王として、その態度は間違えていない。
むしろ、完全に自身を制している分安心できるだろう。
しかし、イルミナはまだ十六なのだ。
十六の少女が、ここまで自分を律しきれるものなのだろうか。
「王都には副団長のキリク・マルベールがいるからいいでしょう。
他に何か急ぎで確認したいことはありますか?」
特にはないと言わんばかりに落ちた沈黙に、イルミナは心の中で安堵のため息を吐く。
それでは終わりにしましょう、と言おうとしたその時。
「陛下の婚姻はどうされるのですかな」
びくり、とイルミナの肩が震える。
そして声の発信元を見る。
「・・・ブラン公爵」
「急ぐ必要が無いのは分かっていますがね。
ですが、陛下の所にはたくさんの書状がきているでしょう?
どうされるおつもりなのですか?」
痛いところを突くブランに、イルミナは必死に表情に困惑が出ないように律した。
いつも、的確にこちらが痛い所を突いてくる彼は、皆が聞きたいこと代表して聞いているのだと分かっている。
いずれ考えなくてはならないことだとわかっていても、この場で出さなくてもいいではないかと正直思ってしまう。
「・・・急ぎでないというのは、分かっているのでしょう。
ここではっきりと言っておきますが、当分の間、その件に関して話し合う予定はありません」
きっぱりと言うイルミナに、ブランは面白そうにする。
その表情ですら、今のイルミナの気に障った。
「・・・そうですか。
では、陛下の御心のままに」
そうして、イルミナが即位してから初めての会議は終了した。
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「お疲れ様です、陛下」
退室したイルミナの後を、ヴェルナーが追いながら言う。
「ヴェルナーこそ、今日はありがとう。
急な任命でごめんなさい」
そう言いながら自室の執務室を開く。
女王となってから、イルミナは女王用の執務室とは別に、自分専用の執務室を近くに用意していた。
そこはこじんまりとしていて、今までイルミナが使っていた部屋と、広さはそう変わらない。
「いいえ、陛下の為であれば。
・・・それより、グラン殿はどうして?」
「・・・どうして、私に聞くのでしょう?」
ヴェルナーの態度に、イルミナは確信を持って聞いていると感じた。
「陛下、私は陛下が殿下の時からのお付き合いです。
あの時、一切動じておられなかったでしょう」
ヴェルナーは薄く微笑みながら言う。
そしてそのままベルをチリン、と鳴らした。
少し待つと、トントン、と扉が叩かれる。
「御用でしょうか、陛下」
メイドのジョアンナが、やってきた。
ヴェルナーが入室を許可すると、彼がいるとは思わなかったのか、驚きで目を見開いている。
しかし、すぐに一礼をした。
「すまないが、私と陛下にお茶をお願いしたい。
甘いお菓子付きで」
「かしこまりました」
イルミナは、ヴェルナーの言葉に珍しいことがあるものだと思う。
甘いものを一緒に所望するなんて。
そうして運ばれたのは、薫り高い紅茶と、小さなケーキの盛り合わせが用意されてきた。
ベリーがのったものや、チョコレート色のクリームなど。
目にも楽しい。
「どうぞ、陛下。
甘いものを食べて、糖分を。
疲れにもいいと聞きますから」
そうしてようやく、ヴェルナーはイルミナの為に甘いものをお願いしたのだということに気付いた。
「・・・ありがとう、ヴェルナー」
礼を言われたヴェルナーは、にこりと笑顔を返すと、淹れられた紅茶に舌鼓を打った。
「それで。
陛下は何をご存知なのですか?」
「・・・私の婚姻と、関係すると言えば、貴方ならすぐにわかるでしょう」
イルミナの言葉に、ヴェルナーは少しだけ考え込むと、はっとしたように気付いた。
その彼の様子に、イルミナも一つ頷く。
「・・・グラン殿は、本気で殿下の婿に・・・?」
驚きのあまり、陛下から殿下呼びに戻るほど。
彼でもそのように驚くのだと、イルミナは苦笑を浮かべた。
「・・・そのように、話はされました」
「で、殿下はなんと!?」
ヴェルナーのあまりの慌てように、くすくすと笑いを零す。
そんなイルミナの様子に、ヴェルナーは受けられたのかと、そう思った。
「保留です」
「っな、なぜ!!」
アーサーベルトに聞いていた。
イルミナがグランに想いを寄せているということを。
―――それを知って、何故か胸がきゅうと痛んだが―――。
そして、グランであれば、婿として問題ないとすら思っていたのに。
まさか、今日あの場で言わなかったのは。
「前にも言ったでしょう?
書状の選別をお願いします、と。
ラグゼンだって、候補の一人として見ています」
そう言い、琥珀色の紅茶に口を付ける。
そのあまりにも落ち着いた様子に、ヴェルナーのほうが戸惑ってしまうほどだ。
「陛下、それは・・・」
「ヴェルナー・クライス。
私の婚姻に関しては、先程も言った通りです。
決めるのは、早くても四カ月以上先の話。
そして相手は、国の利益に繋がる人が好ましいです。
それを踏まえたうえで、選別してもらえますか?」
「・・・それで、よろしいのですか・・・」
どうして、ヴェルナーがそのような悲痛な表情をするのだろうか。
わからないし、わかりたくもない。
「・・・構いません。
お願いできますか?」
「っ・・・かしこまり、ました」
「―――、」
何かを言おうとして、そしてそれをイルミナはやめた。
申し訳ないと言うのは、何か違う。
そしてそれを言うことが、正しいとは、思えなかった。
ヴェルナーは、項垂れたまま執務室を後にした。
きっと、彼は自身に力が無いことを悔やんでいるのだろう。
そして、宰相と言う立場から考えれば何が最善かを分かってしまっているから、だからなおの事、痛感してしまっているのだろう。
当然のことだと言うのに。
「・・・ごめんなさい、」
辛い事を判断させる自分が、何よりも嫌いになりそうだった。