第一王女と棘の道
あのパーティーの日を境に、ヴェルナーはイルミナに時間を作っては講義をしてくれた。
今までのような王女教育の一環で行われるものではなく、女王として即位した際に必要とされるものだ。
王女としてではなく、女王として。
これからこの国に必要となるもの、隣国との付き合い方、各地方の貴族のことだけでなく、話し方、手の振り方、話の運び方などもだ。
学ぶことは非常に多かった。
そしてアーサーベルトと同じく、ヴェルナーも厳しかった。
「殿下、ではこの地で採れるものは?」
「・・・、鉱石?」
「鉱石でも色々とあります。
我が国でも比較的有名なものですが、ご存知ないのですか?」
「・・・はい」
「今まで何を勉強していたのですか。
お茶やダンスなど、政治では有利になる要素とはなりませんよ」
ヴェルナーは、優しさなど一切見せずにイルミナへ講義を行った。
間違いを容赦なく攻め、勉強の足りなさを恥じるように言った。
それは臣下としての立場を超えていたが、それに対してイルミナが何かを言うことは無かった。
厳しければ厳しいほど、ヴェルナーが真剣に自分に教えてくれるのが分かったからだ。
「殿下、常に微笑みなさい。
感情を誰彼かまわず見せるのは愚行です。
そこから付け入れられる可能性しかありませんよ」
「今度、マナー教育に厳しいマルガリッテ女史を招いています。
十日間で仕上げていただく様に伝えてありますので」
イルミナは正直、こんなにも学ぶことが多いのかと目を回しそうだった。
しかし一度でも弱音を吐けば、ヴェルナーの絶対零度の視線が待っている。
そして彼は無言で見切りをつけるだろうと。
ゆえに、イルミナは必至で食らいついた。
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「殿下、まぁまぁの出来です」
その日、初めてヴェルナーがイルミナを褒めた。
正確には、褒めていないのかもしれないが、彼から肯定的な言葉が出るのは初めてだったのだ。
「・・・あり、がとうございます」
しかし実際に驚いたのはヴェルナーであった。
あれから半年、時間の許す限り彼女に講義を行い宿題を出した。
それに、イルミナは一度も弱音を吐かず自分が及第点を上げるまでに成長したのだ。
だが、まだ終わりではない。
「そろそろ、次の段階に進みます」
「次、ですか?」
これ以上に何をするのか皆目見当が付かないのだろうイルミナは、微かに目を見開いている。
すると、イルミナの私室の扉がノックされた。
しかしこんな時間に、誰だろうと首を傾げるイルミナだが、ヴェルナーは来訪者を招いた側なので、イルミナに代わって入室を許可した。
「・・・フェルベール医師?」
そこにいたのは、真っ白な髭と髪を蓄えフェルベールと呼ばれた医師だった。
彼は王家に仕える医師の一人で、イルミナが風邪をひいた時に面倒をかけた人物だ。
ここ最近ではほとんど会うこともなかった彼だが、なぜここに?
「お久しぶりですな、イルミナ殿下」
フェルベールは、好々爺然の笑顔で部屋にするりと入ってくる。
腰は曲がっているものの、その動きは滑らかだ。
「この度はありがとうございます、フェルベール老」
ヴェルナーのその言葉で、彼がフェルベールを招いたことがわかった。
しかし、何のために?
「イルミナ殿下」
考えていると、ヴェルナーが真剣な表情でイルミナを呼ぶ。
いつだって笑顔一つない彼だが、その表情はどことなく強張っているように見える。
彼がそのような表情をするのを、イルミナは初めて見た。
「何でしょうか、クライス殿」
「今から、あなたには毒に耐性を付けて頂きます」
「・・・ど、く?」
「はい」
ヴェルナーは、強張った表情のまま、説明を続けた。
この先、イルミナが公務をすることになる。
そして、朝議にでることにもなるだろう。
それはイルミナも知っていることであった。
そしてそこで、今まで考えていた政策を提案する予定でもある。
「殿下、貴族というものは非常に厄介だということを、学ばれましたね?」
「はい」
そしてようやく、イルミナはヴェルナーが言いたいことに気付いた。
「・・・邪魔、になるのですね」
「そうです。
貴族とは総じて矜持が高い者が多いです。
そんな中、殿下のような若造かつ女性に意見されると腹を立てる者が多い。
更に悪いのは、邪魔だから退場してもらおうとする輩です」
「だから、毒」
そしてフェルベールがここにいる意味も理解した。
彼は、王族医師の一人ではあるものの、基本的にイルミナしか診ない。
リリアナには別で専属がいるからだ。
その彼を、万が一の時の為に、ここに呼んだ。
「話をお分かりいただけて上々です。
弱いものから順に、慣らしていきます」
決定事項の様に言うヴェルナーに、フェルベールが待ったをかけた。
「ヴェルナーよ、殿下からの要望では無いようじゃな。
それでわしに処方せよ、ということか?
そんな中途半端な状況を、わしが快諾すると思っておるのか?」
言葉こそ荒げていないが、フェルベールがヴェルナーに対して怒りを覚えているのが肩の震えからわかった。
話しから推察するに、フェルベールは今回の内容は知っていた。
しかし当然イルミナが許可をしているものと思っていたのだろう。
だが、実際は知らされてすらいなかった。
だからこそ、彼は怒りに震えているのだろう。
「フェルベール老、黙って下さい」
そんなフェルベールに、ヴェルナーは絶対零度の視線を向ける。
イルミナは、そんな二人をどうしていいのかわからず戸惑う。
「殿下」
「、く、クライスどの・・・?」
気付けば、イルミナの目の前にヴェルナーが跪いている。
彼がそのようなことをするとは、夢にも思わなかった。
だからと言ってはなんだろうか、イルミナの思考は一瞬停止した。
そんなイルミナの心情を知らずか、ヴェルナーは片膝をついてイルミナに真摯な目を向けている。
「殿下、黙っていたのは申し訳ありません。
ただ、もし引き返すならここが最後です」
ヴェルナーはきっぱりと言った。
「これから、あなたを想像を絶する苦痛が襲うことになるでしょう。
下手をすれば、死にたいと願うほどの。
あなたは、それに耐えてまで望みますか」
そしてイルミナは気付いた。
これは、ヴェルナーの優しさなのだと。
やれと言えばいいのに。
彼はそれをしない。
嫌なら嫌だと言っていいと。
そう視線は言っている。
「・・・やります」
二人は、イルミナのその言葉に目を瞠る。
「イルミナ殿下、本当に、本当によろしいのですかな」
フェルベールは考え直してくれないかと問うように言う。
「いいえ、私は、やると決めたのです。
そのために、アーサーベルト殿や、クライス殿のお時間を頂いてここまで面倒を見て頂いているのです。
・・・それに、ここでやめたら・・・」
「・・・やめたら?」
イルミナは、今までのことを思い出すかのように目を伏せた。
そして、覚悟を決めたようにゆっくりと目を開いた。
「私の欲しいものが、手に入らなくなって、しまうかもしれないでしょう?」
そう、なんでもやると。
あの日決めたのだから。