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梔子のなみだ  作者: 水無月
王女時代
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戴冠式




するりと、絹が肌を滑る。


今までに、ここまで質のいいドレスを着たことが無い。


その軽さや肌触りの良さに、なるほど世の中の女性がこぞって欲しがるわけだと、一人頷く。


ヴェルナーの選んだ生成り色は、光沢を放ち、裾の部分には真っ白で繊細な刺繍が施されている。


光の反射で浮き上がるようなそれは、目を瞠るほど美しい。


後の裾は長くとられており、その部分にも同じように刺繍があった。


腕から広がるレースの袖も、あまりの美しさに感嘆のため息を漏らしそうになる。


その上から、同じ生成り色の刺繍が施された黒い上着を着る。


袖の内側には大きく切れ込みが入っており、下に着ているドレスの袖のレースが美しく見えた。


その黒の上着によって、イルミナの体はよりほっそりとして見える。


真っ黒な髪は、香油を丁寧に塗り込められてから(くしけず)り、結い上げられていることによって細い首筋が露わになっている。


化粧は薄く施され、唇には綺麗な発色の赤い紅が塗られた。


首元には、イルミナの瞳の色に合わせた紫の宝石を使ったネックレス。


大振りのものではないが、繊細な作りのそれはイルミナによく似合っていた。


全ての衣装を整えたイルミナは、メイドたちに退室をお願いした。


メイドたちは、恭しく一礼すると、そのまま部屋を出ていく。



「・・・・・・」



大きな鏡の前に立つ。


鏡に映るのは、望んでいた自分の姿だ。



「・・・・・・」



しかし、鏡の中の彼女は、少しも嬉しそうに見えないのは何故だろうか。


感情の見えない瞳に、唇は真一文字だ。


顔色も、青褪めているようにすら見える。



「・・・・・・」



鏡の中の彼女は、強張った笑みを浮かべる。


あまりにも不格好で、泣けてくる。


トントン、とノックされた。


あぁ、もう、時間なのか。


待ちに待っていた、瞬間だ。


このために、色々なものを犠牲にして来た。


きっと、この時の自分程、幸せな人はいないはずなのだ。





「・・・今行くわ」




どうしてだろうか。


何も感じない。









*****************







四阿に、イルミナの好きな白い花が咲くころに、戴冠式は行われた。




大広間は、かつてないほど質素に、そして荘厳な空気に満ちていた。

本来であればもっと豪奢に彩られているだろうが、今の方がより清廉とした空気が漂っている。

窓という窓は、全て磨かれており日の光が差し込んでくる。

壁に飾られた垂れ幕は、深紅で縁が金糸で彩られている。

ところどころに飾られた花は、甘い香りを漂わせながらその存在を示している。


一番奥に王のいる玉座があり、そこから離れたところに王妃と第二王女が楚々として座っている。

王の背後にあるステンドグラスは、幻想的ですらあった。

そしてその王の前に、沢山の貴族や政務官が整然と並んでいる。

もちろん、ヴェルナーをはじめブランも揃っている。

誰もが、その人の登場を待っていた。


その貴族や政務官の間を割るように、真っ赤な一本の線が、まっすぐと王の元へと続いている。

そこを、イルミナは一人で歩くのだ。


ここまで来るのに手伝ってくれたメイドたちは、すでにいない。

開かれた先を、イルミナは堂々と一人で歩ききらねばならないのだ。



「・・・」



イルミナはゆっくりと目を閉じる。

そして、深呼吸をした。




ごおん、と鐘が鳴らされる。

世代交代のたびに鳴らされるその鐘の音は、祝福してくれているのだろうか。



――――わからない。



その音を合図に、イルミナの目の前の扉はゆっくりと開いていった。










ざわり、と空気がどよめいた。

それは決して悪いものではなく、むしろただただ驚きしか含まれていなかった。


―――誰もが、息を飲んだ。


イルミナの、その美しさに。

ヴェルナーや、アリバルですら例外ではなかった。


静々と歩くその姿。

胸を張り、堂々とした歩みは、どこからどう見ても根暗などの言葉は出てこない。


光沢ある白っぽいドレスを、驚くほどうまく着こなしている。

レースによって子供らしさがでるかと思いきや黒の上着によって、少女と女性の間の何とも言えない色気を醸し出している。

結い上げられた髪は、光に当たるたびに青っぽく見え、見える項に背徳感すら沸き上がる。

切れ長の目は、まっすぐに前だけを見据え、紫紺の瞳が力強く輝いているかのように見えた。

唇にひかれた紅は、薄く微笑んだ彼女の顔を彩っている。


誰もが、驚いた。


何をしているかわからない第一王女。

女王になるために妹を蹴落としたとすら噂される彼女。

しかし、今の彼女を見て膝を折らずにはいられない。



ごくり、と誰かの唾をのむ音が響く。



イルミナは、薄く微笑んだまま、玉座に座る王の元へとゆっくりとした足取りで向かう。

そして、彼女は王の前に立ち、ゆっくりと片膝をおった。






「ヴェルムンド国第一王女、イルミナ」


王の声が、厳かに大広間に響く。


「汝、いついかなる時であろうと、国を敬い、国を救い、そしてそれを総てとせよ。

 国とは民なりて、汝の総てにおいて、これを愛せ」


イルミナは跪いたまま、王に頭を垂れる。


「我、ヴェルムンド国第一王女、イルミナ。

 我が身に置いて、民を敬い、民を救い、民をすべからく愛すべき者となり、

 そして、それを総てと成します」


王は、イルミナの言葉に眉根を寄せる。

そして、脇に置いてあった王冠を手に取った。


代々ヴェルムンドに伝わるその王冠は、感嘆のため息しか出ないほど、美しく、そして重厚に出来ている。

大振りな金剛石は、美しく見える様綺麗にカットされ、それを囲むように色とりどりの宝石が邪魔をしない様綿密な設計のもと、それぞれの美しさを魅せる。


「・・・」


王は少しの間、それを見つめると、ゆっくりとそれをイルミナの頭に載せた。



「―――第一王女、そなたは既に王女にあらず。

 この先ヴェルムンドの女王として、皆を導け」



「―――――有難き、幸せ」



そして、王はその座を退き、イルミナが玉座の前に立った。

傍に置いてあった王笏を持ち、皆に振り返る。

そして女王に相応しい笑みを浮かべた。





「本日より、この私、イルミナ・ヴェルムンドがこの国の女王として、皆を導きましょう」





その瞬間。






大広間が揺れた。







その日、若き女王が擁立された。

黒き髪に、紫紺の瞳を持つ彼女は、後世でも必ず名を上げられる女王の一人となる。








***************








「――――――はぁーーーー、」


戴冠式を無事に終え、その後のお披露目も万事抜かりなく終えたイルミナは、一人四阿へと足を運んでいた。

これで、名実ともに女王となった。

しかし、これが全ての終わりでないことは痛いほどわかっていた。

否、むしろ始まりでしかないことも。


これから自分が女王としての国の体制を整えなくてはならない。

全ての貴族が自分に賛同している訳でもないから、それの掌握もしなければいけない。

やることは、山のようにあった。


「陛下」


深く思案していると、不意に声を掛けられた。


「ヴェルナー、アーサー・・・」


そこには、自分にとっての師がいた。

暗がりで良く確認できないが、二人とも目が少し赤い。


「陛下、おめでとうございます」


アーサーベルトがいいながら、花束を渡してくる。

白い薔薇に、紫のトルコキキョウがアクセントとして入っている。


「ありがとう、アーサー」


「おめでとうございます、陛下」


ヴェルナーは、花を模した髪飾りを渡してきた。

それは、イルミナが好きで、いまだに名を知らないその花を模したものだった。


「・・・とても、綺麗です・・・。

 ありがとう」


イルミナはふわりと心からの笑みを浮かべる。

その表情に、二人はほっとしたように息を吐いた。


「どうかしましたか?」


不思議そうに問うイルミナに、二人は顔を見合わせた。

そしてヴェルナーが口を開く。


「・・・、その、戴冠式の際、陛下があまり嬉しそうには見えなかったので・・・」


ヴェルナーの言葉に、どくりと一瞬心臓が脈打つ。

しかし、ばれるわけにはいかない。


「・・・そうでしたか?

 きっと緊張していたのでしょう」


「あと、グラン殿もお見えになられておりましたから・・・」


アーサーベルトの言葉に、イルミナの心は一瞬にして冷たくなった。

どうして、この人はこうも核心を突くのだろうか。

確かに、グランと挨拶はした。

しかし、あくまでも臣下とのそれでしかなく、個人的な会話は一切しなかった。


「そうでしたね・・・。

 来ると言っていましたから」


イルミナは言葉少なに返す。

そんな彼女に、二人はひとつ頷くと膝をついた。


「陛下、無礼を承知で失礼します」


その物々しい空気に、イルミナは嫌な予感を覚えながらも許可する。


「陛下は、この先どうされるおつもりですか?」


「どうとは?

 抽象的過ぎます」


アーサーベルトの言葉に、ヴェルナーが補足するように言う。


「・・・陛下の婚姻のことです」


「・・・国がある程度安定するまで、それを考えるつもりはありませんが」


それは紛れもないイルミナの本音だった。

この突けば壊れそうな状態で、その様なことに時間を費やしたくはないと言うのが本音だ。

そして、まだ、踏ん切りがつけられていないから。


「・・・ラグゼンファードに、それに国内の貴族から輿入れを要望する書状が届き始めております」


イルミナはやはりそうかと考えた。

そうでなければ、彼らがこのように話してくるはずがない。


「貴族の一部には、陛下のお年のことで疑心を持つ者もいるようです。

 それらを黙らせるためにも、必要なことかと」


「ですが、陛下。

 もし心に決められた方がいらっしゃるのであれば、」


アーサーベルトが言い募る。

彼の勘の良さは知っているが、今ここで言ってほしい言葉ではない。

それは、女王となったイルミナには不必要なものだ。


「・・・わかりました。

 ヴェルナー、今来ている分を整理しておいてください。

 そしてそれぞれの利点と不利益な点を洗い出すように」


「陛下!?」


アーサーベルトが叫ぶ。

ヴェルナーは、アーサーベルトの叫びに眉根を寄せた。


「アーサーベルト、陛下の前だぞ」


「だが・・・!!

 陛下、グラン殿は、グラン殿はどうなされるおつもりで・・・!?」


ヴェルナーは、アーサーベルトの言葉に目を見開く。

どうして、ここでライゼルトの名が出てくるのだろうか。

しかし、イルミナは冷たい視線で、微笑しながら言い放った。


「口を慎みなさい、アーサーベルト。

 彼はライゼルト辺境伯ですよ?

 私の婿にはなれない人でしょう」


その言葉で、アーサーベルトには何がイルミナを苦しめているのか、分かってしまった。

そして、彼女なりに何が一番国の為になるのか、考えているかを。


「・・・今日は疲れました。

 もう休みます。

 明日から忙しくなりますから、二人とも休みなさい」


イルミナは微笑を浮かべた表情のまま、くるりと足を城へと向ける。


「アーサー、ヴェルナー。

 花と髪飾りをありがとうございます。

 ・・・それに、心配してくれて」


イルミナは背を向けたままそれだけ言うと、今度こそその場を立ち去った。











少しずつ、早足になっていく自分がいる。


ゆったりと歩かなければならないとわかっているのに。


なぜか足はどんどん速度を上げていく。


まるで、何かから逃げている様だ。


アーサーから貰った薔薇の花びらが、何枚か落ちていく。


足跡のようなそれを、イルミナは気付かない。


そして、それを追う人物にも。








バタン、とはしたなく音を立てながら扉を閉める。

イルミナは、何故か何かに追われているような気持になり、焦って自室へと戻ってきた。


 急がないと、いけない。


 捕まってしまう、前に。


何に捕まると言うのだろうか。

ここは城だ。

危険なものはほとんどないはず。


ばくばくと耳元に心臓があるかのように音が鳴る。

どうしてだろうか。


戴冠式の時に、ちらりとその人の色を見つけてしまったからだろうか。

挨拶をした際に、どこか傷ついた色の瞳を見てしまったからだろうか。


そんなはずない、イルミナは頭を振る。

だって、あの時。

お別れをしたのは他ならぬ自分なのだから。

勝手にしたとはいえ、あの日から一度も彼へ手紙一つ出さなかったのだから。



全てを気のせいと思いこもうとしたイルミナの背後で。








「やっと、見つけた」





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