第一王女の見つめる場所
即位まで残すところ三日となった。
急な戴冠式の為、大掛かりなものはできなかったものの、それでもたくさんの人がその日の為に色々と尽力してくれた。
町や村の人に通達し、国内の貴族には鷹を送った。
近隣の国の人には、大変申し訳なかったが使者を立てるだけにした。
もちろん、ヴェルムンドに来ることは構わないと告げて。
予定では、戴冠式当日から三日間はヴェルムンド城下にて祭りを行う。
屋台などを準備させて、近隣の村や町から来る人も楽しめるように配慮している。
勿論、その為に色々な店や商人、商業関係の人には声をかけ済だ。
そして戴冠式から四カ月後、他国の貴賓を招いた食事会を城で行う。
四カ月という期間は、隣国といっても三十日はゆうにかかるだろうことを考えてのものだ。
使者はすでに国をたっているため、そこまでギリギリな日数ではないだろう。
だからといって、何もしないわけにもいかない。
イルミナは、その四カ月の間で自分の地位を確固たるものにして貴賓を迎えたいと考えている。
今の段階で招くことは出来るだけ避けたいのだ。
「殿下。
こちらの書類も後程で構いませんので確認をお願いします」
「わかりました、ありがとう」
書類を持ってきた文官は、名をリヒトといい、イルミナが本格的に政治に関わるようになってからよく見る顔の一つとなっていた。
淡々としながらも、的確に仕事を振り分ける彼のことをイルミナは重宝している。
出来るのであれば、ヴェルナーの第一補佐にでもなってもらいたいものだ。
「この後の予定ですが、ドレスの進捗状況を報告したいとメイドが来ております。
微調整を行なって頂き、出来るだけ短時間で終えて頂く予定です。
そのあとに、当日の流れを確認するために、陛下の所へ行きます」
次々に言われる内容に、イルミナは自分の微笑みが引きつっていないか心配になった。
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「殿下!!」
執務室で書類を読んでいると、メイドのジョアンナが飛び込むようにしてやってきた。
以前、イルミナに謝罪を一番にしたメイドだ。
彼女は三十一という歳で今でも城に仕えている古参の一人だ。
「・・・ジョアンナ、はしたないですよ」
冷静に返すイルミナに、ジョアンナは慌てて取り繕ったかのように恭しく一礼をした。
「も、申し訳ございません」
「私しかいない時は構いませんがね・・・。
それで、どうかしたのですか?」
イルミナのその言葉に、ジョアンナは瞳を輝かせた。
そのあまりの変わりように、イルミナの笑みが一瞬固まる。
「殿下!
お召し物の型がほぼできたのです!!
それを念のため確認をしていただきたいのと、あとは微々たる部分の調整をさせて頂きたいのですが!」
以前に直した分が終わったということだろうか。
であれば、微調整も大したことではないだろうとイルミナは考えた。
「も、もちろん、構いませんが・・・」
「それはようございますわ、殿下!
さぁ早速参りましょう!」
イルミナは、ぐいぐい押してくるジョアンナの剣幕に押されまくりだった。
本人はいまいちわかっていなかったが、そもそもイルミナは基本的に男性としか関わりが無かった。
同性で、まともに会話をしたのがアイリーンが初めてですらある。
そのアイリーンも、このように距離をいきなり縮めたりはしなかった。
そしてよく見る女性というのがリリアナのメイドたちであり、彼女たちはいつでも澄ましていた。
だから、このような反応をする女性への免疫が全くと言っていいほどないのだ。
それゆえに、女性とどう接していいのか分からないということを、イルミナは気付いていなかった。
「じょ、ジョアンナ、そんなに時間は取れませんよ・・!?
報告だけとしか聞いていませんからっ、それに私にはまだ執務が・・・!」
「駄目ですよ殿下!
そういって毎日執務をされているでしょう!
それに殿下の晴れ着なのですから!
殿下がいなくてお直しなど、私どもにはできません!」
意気揚々と話すジョアンナに、イルミナは呆然とするしかなかった。
「きゃあああああっ!!
殿下、お似合いですわぁあああ!!」
その黄色い声に、イルミナははっとして意識を取り戻した。
自分は今まで何をしていたのだろうか・・・。
何故か、ジョアンナに連れられた後の記憶が無い。
「殿下、とても美しいですわ」
ジョアンナが涙ぐみながらそう零す。
「えぇ、神秘的な黒髪に、濃い紫の瞳をさらに引き立てるドレスですわ!!」
「本当ですね、でもここはもう少しレースを足しても良いのでは?」
「そうだとすると、殿下の雰囲気に合わないのでは?」
「いえ、あえて足すことによって美しさを表現するのです・・・!」
その言葉にイルミナは苦笑を浮かべた。
彼女たちは一生懸命に褒めてくれるが、イルミナはそうは思えなかった。
確かに、ドレスは美しい。
しかし、リリアナであれば、きっと女神のごとき美しさであっただろうと。
自分は、皆が言うほど美しくはないだろうと思った。
だが、それを口にすることはない。
「ありがとう・・・、お針子たちにも無理をさせてしまいましたね・・・。
今度私から何かを差し入れるようにしておきます」
その言葉に、その場にいたお針子たちは滂沱たる涙を流し始めた。
イルミナは、どうしていいかわからず思わず気を失いたくなる。
「あらあら・・・。
そんなに泣いては殿下が困ってしまうわよ」
そんなイルミナに救いの手を差し伸べたのはジョアンナであった。
お針子やイルミナですら、ジョアンナを神のように見た。
「・・・殿下、この子たちは、王族専門のお針子でしてね」
「!」
イルミナが微かに目を見開いたことで、そこにいるお針子とメイドたちはイルミナがそれに気づいたことを悟った。
王族専門。
それはつまり、リリアナや王妃のドレスを作っていたということだ。
それ自体は、非常に名誉なことである。
お針子をしている街の者は、一度はその仕事をしたいと夢見る程。
しかし、現実は酷かった。
言われたとおりに作ったはずなのにも関わらず、違う、こんなのはリリアナに似合わないと王妃に怒鳴られることなんてほとんど毎日だった。
必死になって作ったドレスは、どれも扱き下ろされ、お針子としての自信を無くしたものは一人二人では済まなかった。
縫っても縫っても、終わりの来ない毎日。
どんなに傑作ができたとしても、一度として労れたことはおろか、褒められたことなどない。
仕事を辞めたくとも、そうすれば故郷への仕送りが出来なくなってしまう。
色んなものに板挟みにされ、精神を病みそうにすらなっていく日々。
そうして気付けば、女王になる為のドレスを縫うようにと言われ。
シンプルなデザインのそれに、イルミナが女王になることを知った。
きっと、シンプルなつくりといっても何度もやり直しをさせられるのだろうと思っていれば、メイド長のジョアンナが一番にやる気を出していた。
それならばと思い、徹夜して仕上げたものは自分たちにとっても納得がいくものだった。
しかし今までの王族を考えれば、きっと何か言われるだろうと覚悟をしていたというのに。
実際に会ったその人は。
「殿下、殿下・・・、あたしたちは、貴女の為であればどんなドレスでも、縫って見せます・・・!!」
ずっと、言いたかったその言葉。
ただ一人の為に、その人に似合うドレスを、縫う。
それが、お針子の役目。
お針子たちは泣いたまま、満面の笑みを浮かべた。
「・・・はぁ・・・。
流石に、少しは疲れましたね・・・」
イルミナはつい独り言を漏らした。
仕事をしていたはずが、いつの間にか仕立ての微調整になり、そのまま拘束されたのだ。
別にそれは構わないのだが、さすがにずっと立ちっぱなしでいるのは辛かった。
数時間で我慢できなくなり、何とか解放されようとした結果、イルミナは惨敗しつい先ほど部屋を出た。
そして疲れた体を引きずりながらふらふらと歩く。
余りの疲労に、頭が熱を持っているかのような気すらおこる。
これだけ疲れているのであれば、きっとよく眠れるはずだと考える。
そしてたどり着いたのは、いつもの場所。
イルミナにとって始まりの場所ともいえる四阿だ。
はぁ、と息を吐くと、真っ白になる。
今体を壊すわけにはいかないので、しっかりと着込んでからきた。
あれから幾度、あの花が落ちる所を見たのか、イルミナは正確には覚えていない。
ラグゼンファードでは有名な花らしいが、調べる時間も余裕もないのでわからないままだ。
しかし、ハーヴェイを婿としてとれば、その疑問も直ぐに溶けるのだろう。
「・・・」
深く、深く深呼吸をする。
ハーヴェイとの婚姻は、きっと国に利益をもたらすだろう。
少なくとも、ヴェルムンドはラグゼンファードという大国と縁続きになるのだから。
その利益がどういったものなのか、そして彼を婿とした場合に起こる弊害も考えなくてはならない。
冷静な目で。
そこに、自分の意思はあってはならない。
この国の統率者として。
この国のことだけを考えなくてはならない。
そうでないと、何のために女王になったのか。
イルミナは自分の立場というものを理解していた。
既にイルミナは、妹を蹴落として女王の座を得たと一部の貴族の間では噂になっている。
その噂を消すことはできない。
ならば、それ以上の成果を出すことによって上塗りするほかないのだ。
その為に、イルミナは女王であることを求められる。
十六歳の小娘と侮られない為にも、皆が認める女王である必要がある。
その意味は、少女らしく悩んだりすることは赦されない、ということだ。
ハーヴェイを婿としたとき、イルミナはきっと彼にも女王として接するだろう。
あまりにも長い道のりだとイルミナは思った。
これから、死ぬまで。
イルミナは女王として、髪の毛一筋から血の一滴まで存在しなくてはならない。
「っ・・・・」
途方もないそれに、イルミナの肌がぞわりと鳥肌を立てる。
まるで空洞のようにぽかりと開かれたそこには、ただただすべてを飲み込むような闇しかないような。
この先、イルミナはただのイルミナとして弱音を吐くことは許されない。
幾夜も、きっと眠れぬ夜を孤独に過ごさなくてはならない。
・・・自分で決めた道なのに。
見慣れている四阿が、酷く余所余所しく見える。
あの頃は、こんな感情を知らなかった。
独りで立ち続けることに、恐怖なんて抱いていなかった。
でも。
イルミナは唇を思いっきり噛みしめた。
(・・・・・・知らなければ、良かった・・・)
人を想う気持ちなんて、知らなければよかった。
そうすれば、こんな気持ちだって知らずに済んだだろう。
ただ一つの目的の為に、猛進出来ただろう。
(・・・・・・知りたくなんて、なかった・・・)
好きな人に、好きといえない気持ちなんて、知らなければよかった。
好意を寄せられて、嬉しいと思う気持ちなんて、知らなければよかった。
不思議と、イルミナの周りには政略結婚をした夫婦がいなかった。
王も、アリバルも、ライゼルトですら。
みな、恋愛結婚をしていたのだから。
―――だから、政略結婚というのがどういうものなのか、分からなかったと言えば言い訳になるのだろうか。
それを、羨ましいとは思わない。
思っては、ならない。
イルミナは、固く目を瞑った。
何かを振り切るように。
何も見ないように。
自分は、女王になると、決めた。
その為に、何でもすると、あの幼き日に決めた。
そして、自分の居場所を作ると、決めたのだ。
それが女王で、何が不満だと自分は言うのだろうか。
この国で、一番の存在。
国の為に身を粉にすれば、きっとみんながイルミナを認めてくれる。
―――一人の人としてではなくても。
イルミナは肺に溜まった空気を一気に吐き出した。
そして、ゆっくりと目を見開く。
いつもと変わらない風景。
自分にとって、始まりの場所ですらあるそこ。
きっと、イルミナはこれから先幾度となく、ここに一人で来ることになるだろう。
自分の在り方を、再確認する為に。
イルミナはじっと、目を閉じたまま立ち尽くす。
そしてゆっくりと目を開くと、そのまま踵を返し自室へとその足を進めた。