始まりの日
「皆、今日はよく集まってくれた・・・。
今回、集めたのには私から発表したいことがあってだ」
その日、大広間には数え切れないほどの人で溢れかえりそうだった。
沢山の貴族や、政務官たちが静かに王の言葉を待つ。
王の隣には、誰もいなかった。
いつもであれば一緒のはずの王妃も、近くにいる第二王女の姿も無い。
しかし、代わりに第一王女が少し離れたところで、凛とした佇まいで立っていた。
そのことに今回呼び出された内容に気付くものは、ようやくかと胸を撫で下ろす。
そうして。
「この度、私に病が発症したことがわかった」
ざわり、と空気が揺れる。
それを噂で知っているものと、そうでないもの。
そして王の突然の告白に、戸惑いを隠せないものが大勢いた。
「そして私は、遠方にて療養することにした。
そのため、次期女王の戴冠式を早めることを宣言する。
・・・イルミナ」
王はイルミナに一瞥もくれないまま、呼んだ。
その呼びかけに、イルミナも何も言わない。
しかしするすると流れるように王の近くへと歩を進めた。
その堂々とした姿に、少なくない数の貴族たちが目を剥く。
「第二王女であるリリアナは、私の病のことを知って、心を痛めた。
そんな王女に、女王の責務は重いと私は判断する。
代わりに、今回ベナン始める、薬物を取り扱っていた一部の貴族を更迭した功績を見て、第一王女イルミナを女王にすることにする」
その瞬間、大広間はざわめきとどよめきに揺れた。
そんななか、ブランとアリバルは沈黙を保ったまま、冷静に王を見つめていた。
しかし、そんな王に幾人かの貴族が慌てたように言い募る。
「陛下、どうしていきなりそのようなことを・・・!」
「そうです、リリアナ殿下は我々がお支え致します・・・!」
彼らにとって、リリアナのほうが都合がいいのだろう。
いや、むしろリリアナでないと困るのかもしれない。
しかし、王はその貴族たちの表情を見て、眉間に皺を寄せる。
「・・・心を痛めているリリアナに、責務を果たさせよと、そなたらは言うのだな?」
王の言葉に、びくりと肩を震わせる。
「いや・・・その、そういうわけでは・・・」
「よいか、これは決定事項だ。
二週間後、第一王女の女王戴冠式を行う。
その後、私と王妃、そしてリリアナは領地へ向かう。
反論は聞かん、よいな」
王はそう言い切ると、そのまま大広間を後にした。
ざわざわと揺れる大広間に、イルミナはするりと王の立っていた場所に立ち、低めの声で言葉を発した。
「陛下の宣言通り、二週間後、私の戴冠式を行います。
決定事項ですので、覆ることはありません」
「しかし、第一王女殿下・・・」
まだ何かを言おうとする貴族を前に、ブランとアリバルがイルミナの前に出た。
彼らのその行動に、誰しもが息を呑む。
「第一王女殿下、イルミナ・ヴェルムンド様。
私、ジェフェリー・ブランは貴女に忠誠を誓いましょう」
「私、リチャード・アリバル。
ブラン公爵に同じく、貴女に忠誠を」
二人のその言葉に、大広間は水を打ったかのように静まる。
それほど、ありえないことであった。
二人は、現王にすら忠誠を誓っていない。
その彼らが、第一王女に忠誠を誓う。
それが、どれほどのことか。
「ここにはいないが、グラン・ライゼルトも誓うだろう」
ブランの面白げな言葉に、何人もの貴族が悲鳴を飲む。
ライゼルト辺境伯、貴族の中でも三本指に入るほどの実力と、恐怖を体現する男。
その男すら、第一王女を認めている。
ひとり、またひとりと。
貴族たちはイルミナに対して膝をついた。
それは、イルミナを認めてのものではないことぐらい、本人も分かっていた。
それでも、彼女に膝を折るということが必要だったのだ。
「・・・皆で、この国を良くしましょう。
これで解散とします」
イルミナは膝を折った大勢の人間を背に、毅然とその場を去った。
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「本当に、グランは来ませんでしたね」
「・・・あぁ」
大広間には、先程までの沢山の貴族の姿はなく、今はブランとアリバルだけが残っていた。
各々、帰って領地でやらねばならない事があるのだろう。
リリアナであれば、気づかれないだろうと思っていたことも、イルミナであれば一切許してくれない。
そもそも、ブランやアリバルがついていて見逃すということはありえない。
それ故に、すぐさま自分の領地の状態を正確に把握し、後ろ暗いことを整理せねばならなくなったのだ。
「彼も何をしているのでしょうか・・・。
ライゼルト領から出てきた貴族の屋敷を転々としているのは、確認できたのですが・・・」
「奴にも奴の考えというのがあるんだろう。
我々がとやかく言ってもどうにもならんだろう」
「まぁ、それはそうなのですがね・・・。
・・・そういえば、イルミナ殿下は決められたのでしょうかねぇ」
アリバルは、不意に話題を変えた。
「何の話だ」
「婚姻ですよ。
イルミナ殿下のお相手の話です」
「・・・あぁ」
ブランはそこでようやく思い出した。
「ラグゼンがいるだろう?」
「それはそうなのですがね・・・。
ただ、懸念も生まれる婚姻になりそうなので」
「何の懸念だ?」
アリバルは、ブランの言葉に呆れたような視線を向ける。
そしてそのまま大広間を後にしようと歩き出した。
「おい」
「こればかりは、私の口からは何とも。
イルミナ殿下がご自身で気付いて頂かなければなりませんからね」
アリバルは、ラグゼンとイルミナの婚姻を正直に言うと、推奨してはいない。
あくまで個人的には、だが。
国としては、それが一番だ。
貴族として、この国に住まうものとして。
ラグゼンファードという大国との繋がりは欲しい。
かの国と出来る繋がりはどれだけの恩恵をこの国に齎してくれるのか。
だが、子を持つ父親としては、勧めたくない。
もし、ラグゼンと結婚したら。
イルミナは女王として、彼と一生を誓うだろう。
だが、ただのイルミナは?
まだ十六歳でしかないイルミナは、どうなるのだろうか。
常に女王であることを求められる彼女は、一体どこに安らぎを見つけるというのだろうか。
四六時中安らぎを得ることなく、ただひたすら女王として在ろうとすれば。
そして万が一、それによって歪みが生まれてしまえば。
アリバルは考えることも恐ろしいと考える。
イルミナは、努力家だ。
それは、ブランも認めている。
その彼女が、もし、間違えた方向に努力を始めてしまったら。
・・・もし、国土を広げることが国の為になると思い込でもしたら。
―――一体、誰が彼女を止めることことが出来るのだろうか。
もちろん、そのようなことにならないようにはする。
だが、忠誠を誓った以上、女王であるイルミナの言葉には従わなくてはならない。
従わないという選択肢を選ぶ場合、それはイルミナの女王としての命が終わる時でしかありえないだろう。
だから、グランが本当であれば望ましかった。
イルミナが、唯一と言っていいほど、素を見せる相手。
それがグランであることなんて、一目瞭然だ。
しかし、グランはライゼルトの当主。
簡単にその地位を手放すことなどできないだろう。
「はぁ・・・。
本当、ままならない世の中ですねぇ・・・」
アリバルはため息を一つ、大きくついた。
「・・・これで満足か」
「はい、これでやっと、国の為に大きく動けるようになります」
「・・・化け物め」
イルミナは、薄い笑みを浮かべながら王と対峙していた。
王は、イルミナのその笑みに、恐怖すら感じる。
本当に、これはあの娘なのだろうか、いつも、何かに怯えて意見すらまともにしなかった、あの。
初めて見るもう一人の娘の表情に、王は表情を強張らせながらも問う。
「・・・これで、私達とリリアナは守られるのだろうな?」
その為だけに、自分の言葉を撤回してあの場で発言したのだ。
イルミナはふわりと微笑む。
「もちろんです、陛下。
これからはエルムスト地方でゆっくりと養生なさっていただいて構いませんよ」
エルムスト地方とは、王都から南東に馬車で十日前後ほど離れたところにある地域だ。
基本的には温かく、農業も盛んで裕福な地域とすら呼べる場所。
しかし、そこは。
「ライゼルトの治める地域だと・・・!?
貴様、私たちを封じ込めるつもりか!?」
イルミナは、王の言葉に笑みを深くした。
この人は、一体何を言っているのだろうと言わんばかりに。
「邪推ですよ、陛下。
ただ、リリアナの婚約者であるウィリアム殿が治める予定の地域だっただけの話です。
そこであれば、ライゼルトの庇護下にもなりますでしょう?
気候もいい場所ですし、療養にはとてもいい場所だと思うのですが?」
「邪推だと!?
どう見ても私を閉じ込める為のものだろうが!!
お前は家族への情というものはないのか!?
私はお前の父だぞ!?」
その瞬間、イルミナの笑みが抜け落ちるように消えた。
その変わりようは、舌鋒に尽くしがたいほど。
瞳からは光が消え、弧を描いていた唇は真一文字に結ばれた。
まるで人形のような無表情に、王がたじろぐ。
「・・・ちち・・・?
何ですか、それは?
では、娘である私は貴方にこう言いましょう。
『娘を愛せないと言っていたのに、何を言っているの?』」
「―――っ!!」
言葉を詰まらせた王を見て、イルミナは能面のような表情から一転、張り付いた仮面のような笑みを浮かべる。
それでも、王にはわかってしまった。
娘は、一切、いや、今まで一度として自分の前で笑みを浮かべていなかったことを。
「大丈夫ですよ、陛下。
しっかりと、守りますから」
そしてイルミナは王の下から去った。
イルミナの姿が見えなくなった瞬間、王は膝から崩れ落ちる。
あの時。
あの、無表情で言い放った言葉。
あれが、きっとイルミナの本心なのだろう。
そして、あのように言わせたのは、きっと自分だということに少なからず気付いていた。
それでも。
「・・・ばけもの」
「リリアナ」
「お姉さま!!」
久々に見るリリアナは、変わらなさ過ぎてイルミナは内心で嗤わざるを得なかった。
周りはこんなにもざわついているというのに、リリアナは恐ろしいほどに変わらない。
まるで、一人で絵本の中に暮らしているかのようだ。
「お姉さま!
お父様とお母様と、ウィルとエルムストに行けるって本当!?」
きっとウィリアムが先に話していたのだろう。
そうすれば、リリアナを溺愛する両陛下を簡単にあの地方に連れていけると考えて。
「そうよ、
最近色々あって疲れているでしょう?
ここは私に任せて、あちらでゆっくりと暮らしなさい」
色々あったのは本当だが、リリアナはきっとほとんど知らないだろう。
彼女は、いつだって真綿にくるまれた状態で守られているのだから。
「お姉さまはいらっしゃらないの?」
「そうしたら、ここに王族が誰もいなくなってしまうでしょう?
それにね、リリアナ。
今日は朗報があるのよ」
何だろうと瞳を輝かせるリリアナに、イルミナは殊更優しく言った。
「リリアナ、貴女は女王にならなくてもウィリアム殿と結婚できるのよ」
「っ本当に!?」
「えぇ、そして陛下達と一緒に、エルムストで暮らしていけるの」
喜び跳ねるリリアナに、イルミナは冷めた目を一瞬だけ向けた。
きっと、リリアナはこの言葉の意味を、理解できていないのだろう。
そうでなければ、このように喜ぶことなどできまい。
「リリアナについていたメイドや、騎士たちも一緒よ。
嬉しい?リリアナ」
「えぇ!!
さすがお姉さまね!!」
くるくると回るリリアナを見ていると、メイドや騎士たちが顔色を悪くしている。
当然だ。
ある意味左遷なのだから。
「リリアナ。
私はこれから仕事だから、失礼するわね。
大体一か月後を予定しているから、そのようにしてね」
「ありがとう!
お姉さま!!」
弾けるような笑顔に、イルミナは一瞬、目を細めた。
幾度、彼女のその美貌を羨んだのだろうか。
幾度、彼女のその色を妬んだだろうか。
幾度、彼女が当然の様に受けとっている愛情を、憎く思ったか。
それでも。
「リリアナ・・・私の可愛い妹。
また来るわ」
イルミナは、一度として本気でリリアナを嫌ったことはない。
彼女を妬んだことや羨んだことは数知れないが、それでも心の底から憎んだことはない。
全ては、リリアナがイルミナを大切な姉として慕ってくれていたからだ。
リリアナだけが、イルミナを家族として見てくれていた。
確かに、リリアナは自分しか溺愛されていないということを、知っていて知らないのだろう。
彼女からすれば、それが当たり前だったのだから。
だから、姉が冷遇されているなんて思いもしないのだ。
彼女が生まれたときから、イルミナという姉は冷遇されていたのだから。
だから、冷遇そのものが理解できていないのだろ。
しかし、全ては終わったことだ。
いまさら愛されたいなどと、思うはずもない。
「本当に、馬鹿だけど・・・、可愛い、私の、妹」
そうして、イルミナは自分の執務室に向かうべく足を動かした。




