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梔子のなみだ  作者: 水無月
王女時代
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第一王女の毒






空気が澄む。

キンとした冷たい空気は、空の星を綺麗に見せてくれる。

紺碧の空に浮かぶ星たちは、太りつつある月に負けないくらいに輝いているようにイルミナには見えた。


こんな日は、部屋でゆっくりと暖かいお茶でも飲みたい。











「殿下!」


夜の執務室に、アーサーベルトの悲痛な声が響き渡る。


「っげほ、っかは・・・」


イルミナの胸元を、真っ赤な血が彩る。


「誰か、誰かフェルベールを!!」


アーサーベルトが居てくれてよかったとイルミナはぼんやりと考えた。

護衛たちもいてはくれるが、どうしてもアーサーベルトより動きが遅い気がしてならない。

抱き起こされる感覚をぼんやりと感じながら、視界の端では護衛の一人が部屋を出ていくのを確認した。


それにしても、久々にこんな酷いものを飲んだ。

食道を駆け上がる血の味は、何度経験しても慣れることはない。

どうやら、どうしてもイルミナに死んでほしい人たちがいるようだ。

しかし馬鹿だなと、思う。


こんなことをして、捕まるとは考えないのだろうか。

短絡的思考で行動を起こしたのだとすれば、逆にすごいな、と考えてすらしまう。

自分なら絶対にありえない。


「・・・っは、っは、えほっ」


眩暈がする、喉を血が逆流し、喉が、灼けたようにひりついた。

手足は痺れて、感覚がほとんどない。

脂汗が額からにじむ。

熱いのか、寒いのか。

それすらもわからなくなる。

それでも、イルミナは生きていた。


「殿下!!」


霞む視界で、人影が分かった。

どうやらフェルベールが来てくれたようだ。


「っ、アーサー!!

 わしが言うもの準備せい!!」


「っは!!」


彼が来たのであれば、大丈夫だろう。

イルミナはそう感じて、ゆっくりと目を閉じた。








*****************







「で?

 どうして連絡が遅れたのですか?」


怒気をまといながら、アリバルはイルミナに詰め寄った。

イルミナが毒を盛られてから、五日後。

五日経ってから、初めてアリバルは知らされたのだ。


「いえ、大したことではなかったので、不要かと」


対してイルミナは、ソファーに体を任せながら書類に目を通す。

大したことではない?

三日間も、ベッドの上で苦しんでいたくせに?

アリバルは、アーサーベルトから詳細を既に聞いていた。

それでいて、イルミナのその言葉。


「っ!!

 貴女は馬鹿ですか!!

 大したことではない!?

 普通の人であれば死んでいてもおかしくなかった!!

 死ななかったのは貴女だったからだ!!

 そもそも毒味はどうしたのです!!」


激昂するアリバルに、イルミナは一瞬きょとんとして、くすりと笑った。


「!!

 何がおかしいのですか!!」


「・・・いえ、貴方がここまで心配してくれるとは思いもしなかったので。

 それと今回の件は私の想定内です」


イルミナのその言葉に、アリバルは瞠目する。

毒を盛られることが、想定内?

この目の前の床の住人はいったい何を言っているのだろうか。


「きっと、彼らは気付いたのでしょう。

 やっと、といってもいいのですがね。

 ・・・それを指揮する私が邪魔になった。

 だから消してしまおうという短絡的思考。

 それが、私は欲しかった。

 正直ここまで簡単に進むとは思いもしませんでしたがね」


アリバルは少しだけ考えて、彼女の考えを推察した。


「まさか・・・っ、

 貴女自身を囮にしたとでもいうのですか・・・!!」


なんてことを、と怒鳴りそうになると、それをイルミナは冷静な目で制した。


「そんなわけないでしょう。

 もちろん、生きるためのありとあらゆる手段を用意していましたから。

 私は、こんなことで死ぬわけにはいきませんからね。

 ・・・ただ、これで口実ができる」


うっすらと笑うイルミナに、アリバルはぞわりと鳥肌を立てた。

麻薬関連のことが、思ったより時間がかかっている事は聞いていた。

本来であれば、既に決着がついていいものだとも。

しかし、相手も想像以上に頑張っているのか、今一歩というところで手が出せずにいた。


可笑しいと思ったのだ。

ヴェルナーほど有名な人間に探させるなんて。

始めは裏方でやっていたようだが、ラグゼンからの手紙以降ヴェルナーが表立って指揮していたと聞いている。

後ろ暗い人間からすれば、さぞかし目障りだっただろう。

それこそ、ヴェルナー・クライスという人物を知る人ほど。


「殿下、貴女は・・・」


「正直、これ以上手ぐすね引いて待っているわけには行かないのです。

 知っているでしょう?アリバル侯爵。

 あれが、広がってしまえば、本当の意味で手遅れになってしまいます。

 それが、万が一民に渡れば、本当にどうしようもなくなってしまいます。

 その前に、どうしても叩き潰してしまいたいのです。

 ・・・ただ、彼らは本当にねずみのようにすばしっこくて・・・。

 他国に逃げられるのも面倒だとは思いませんか?

 なら、こうするのが一番だと思うのですけど」


いつかの日に見た、冷たい笑みがイルミナに浮かぶ。

何も映していない、硝子玉のような紫紺の瞳が、アリバルを射貫く。

彼女の言っていることに、間違いはない。

だが、それでも間違えていると声高に言いそうになる。


「っ!!

 ・・・今後、このような事をする場合は・・・、我々にも一言お願いします・・・」


「・・・善処します」


アリバルはそれだけ言うと、颯爽と踵を返した。

握った拳は震えていた。



―――自分たちが、彼女をああいう風にしてしまったのだろうか。

  あんな、簡単に自分を使ってしまうような、王女を。



もしそうであれば、自分達はこの世で一番罪深いとすらいえる。

そんな恐怖が、ちらりとアリバルの胸中をよぎった。








**********************








「・・・それで、メイドは吐いたのですか?」


「はい、先ほど」


ヴェルナーは、目の下に隈をこさえながらもきびきびとした返答をした。


「それで?」


イルミナはヴェルナーの用意した書類を、さらさらと読む。

そこには、数名の貴族の名前があり、そして彼らの素行調査が記載されていた。

あまりにも想定内の人物たちの名前に、苦笑すら浮かんでくる。

しかし、ようやく繋がりを見つけた。


「ラグゼン公も、お呼びしようかと」


「そうですか。

 悪くない考えですね」


イルミナはすべてに目を通し終えると、それをそのまま暖炉に放り投げた。

内容は、ほとんど頭に入っている。


「ありがとうございます。

 すぐに都合のいい日を確認させていただきますね。

 ・・・大変恐れ入りますが、今日は休ませて頂いてもよろしいですか?

 さすがに少しだけ、疲れました」


草臥れたように笑うヴェルナーに、イルミナも微笑んだ。

もう、昔のような氷の次期宰相の姿は見えない。

しかし、今の方が好ましいとイルミナは思った。


「ご苦労様でした。

 ゆっくり休んでください。

 何か入用の物があれば差し入れます」


「お心遣い、ありがとうございます、殿下。

 今日は寝るだけにしておきます」


「わかりました。

 火急の件でもない限り、起こさないようにしますね」


くすくすと笑うイルミナに一礼し退室するヴェルナーの背に、イルミナは一言声をかけた。


「・・・無事でいてくれてありがとう」





その一言に、ヴェルナーは何とも言えない気持ちになった。


「・・・私こそ、殿下がご無事でよかった」


イルミナが毒を盛られたことは、聞いていた。

仕事の合間にその報告を受け、すぐさま行こうとした。

しかし、ヴェルナーも大量に任された仕事があるため、行くことを断念したのだ。


今までの毒耐性のお陰で、死ぬことが無かったと言われた。

もし、耐性が無ければ、確実に命を落としていただろうとも。

それでも、きっと苦しかっただろう。

怖かっただろう。


しかし、イルミナはそれを微塵も出さなかった。

そんな彼女に、どうして自分が何か言えようか。

苦しかったでしょう、お辛かったでしょうと言葉にするのは簡単だ。

でも、それをヴェルナーはすることが出来ない。

何も言えない、だからこそ行動で示すしかない。


イルミナに毒を盛ったメイドは、すぐに捕まえることが出来た。

もとより、イルミナに毒が盛られるのは想定内だったのだ。

あの案自体、イルミナからヴェルナーは前もって聞いていた。

だからこそ、あんなに大きく動いたのだ。

そうして、彼らはこちらの予想通りに動いてくれた。


そうして捕まえた彼女は、誰に命じられたかを直ぐに吐いてくれた。


―――ベナン伯爵。


初めからマークしていた男だった。

そしてフェルク子爵に、イルバニア男爵も同じように監視している。


彼らは、元から黒い噂が絶えない人物であった。

麻薬をやっているという話を聞いても、どこから手に入れたのか分からない状態ではいずれまた、同じような貴族が生まれるだけだった為、どうしようか手ぐすね引いた状態だったのだ。


それに一投を投げ入れたのが、イルミナだ。


直ぐに、ベナン伯爵は城へと緊急登城を命じられるだろう。

その場に、ラグゼン公がいる事も知らずに。


不意に、イルミナの存在を諸刃の剣のようにヴェルナーは感じた。

その剣には、毒が塗ってあり、じわじわと相手侵していく。


しかし、その毒に自身も侵されたりしないのだろうか・・・?


何故だか不意に、ヴェルナーはどうしようもない不安に駆られた。






イルミナは、ハザを連れてふらりと城内を歩いた。

もちろん、目的はあるが。


辺りは暗く、既に寒さが体の芯を襲い始めていた。

ヴェルムンドに、雪は降らない。

しかし、霜は降りるし身に染みるような寒さは勿論ある。


きっと殆どの人が厭うであろうその季節を、イルミナは好ましく思っていた。


「・・・殿下、どちらに向かわれているのですか?」


向かう先に不安を覚えたのか、ハザは珍しくイルミナに問うた。

その不安に、仕方ないとイルミナも考える。


イルミナが向かう先は、王の寝室だ。

そこにはもちろん、王妃もいるだろう。



あの日。

イルミナが王の心を折った日から、王の存在は希薄となりつつあった。

基本的に部屋から出ることをせず、日々を自身の部屋の中と狭い中で送っている。

もちろん、そうするようにしたのはイルミナだ。

病床にいるという噂に、信憑性を持たせるためだ。


その王の代わりに、イルミナは表立って政策を行う。

そうすることで、王が代わっても大きな混乱を招かないようにするためだ。


もちろん、現段階でイルミナが王に代わって政策を指揮していることに不満を漏らす貴族はいる。

リリアナが女王であればいいという派閥だ。

しかしそのリリアナは、毎日彼女の好きなように生活している。

ウィリアムと逢瀬を交わし、王の容体に涙し、女王としての責務は何一つ行っていない。

そんなリリアナに不満を覚える貴族もいるのは当然のことだろう。


イルミナは、一時でもリリアナが女王でもいいと考えた己を恥じた。

そしてリリアナのことをほとんど知らなかった自分を、いや、知ろうとしなかった自分を恥じた。

何でも持っていると思っていたが、きっとリリアナも何も持っていないのかもしれない、そう考えるようにすらなった。


だからといって、リリアナを女王にしようとは考えない。

たとえ、何と言われようとも。

国の為に、それはしてはいけないことだ。



扉の前に待機していた近衛兵が、イルミナの来訪を告げる。



「こんばんは、陛下、王妃陛下。

 いい夜ですね」


そういってにこりと笑うイルミナを、二人は化け物を見るかのような視線で迎え入れた。

豪華な部屋の内装は、王妃の趣味だろうか。


「何用だ」


堅い言葉に、イルミナは苦笑を浮かべる。


「今後のことを、少しお話しようと思いまして」


ハザは、部屋の外に待機させている。

話の内容は、誰にも聞かれないはずだ。


「・・・今後?

 お前は、何を言っているのですか!?」


ヒステリックに叫ぶ王妃に、そういえば会うのは久々だとイルミナは気付く。

母親のはずなのに、不思議とその存在は遠く感じられた。


「お前は!!

 姉であるにも関わらずリリアナを陥れたのでしょう!!

 そうでなければ、あの子が、あんなことを言うわけないわ!!」


喚く王妃を、イルミナは無感動に見つめる。

前までは、怖かったその人。

同じ色で、生まれていたら愛してくれたかもしれないその人。

愛して欲しいと、願った人。

―――――けれども、今は何も感じられない。


「王妃様・・・。

 リリアナがそう言ったことが信じられないのは結構です。

 しかし、諦めて(・・・・)下さい。

 既に全ては動き出しました。

 それに・・・私は、マリーネア様ではありませんよ」


「!!」


目を見開く王妃に、イルミナは興味を失ったかのように視線を逸らす。

そして、王をその焦点に合わせた。


「陛下・・・。

 もうよろしいでしょう、ご決定を」


「・・・」


黙りこくる王に、イルミナは苦笑を浮かべる他ない。

彼がしているのは駄々っ子の真似だ。

王としては、正直にいって有り得ない。

それでも、イルミナは優しく笑みを浮かべる。

冷たい瞳で。


「・・・わかった・・・」


「陛下!?」


「ご英断です」


項垂れる王に、王妃は悲鳴と共に詰め寄る。

イルミナは、そんな二人を少しだけ見つめて、その一言を零すと部屋を出た。


「・・・殿下」


出た途端、ハザが心配そうに駆け寄ってくる。





「大丈夫よ、

 何もなかったわ(・・・・・・・)




イルミナはそう諦めたように微笑んだ。






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