王女と子息
「・・・本気で、あれに会うつもりですか」
グランは苦虫を百匹は噛潰したかのような表情で、再度イルミナに問う。
「 ・・・どうしても必要なことなのです。
お願いします」
イルミナの滅多に聞けないお願いに、グランは眉間にしわを寄せたままイルミナを案内した。
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「現状の報告をお願いします」
イルミナの執務室には、いつもの顔ぶれが揃っていた。
ヴェルナーとブランを除いて。
「こちらはまずまずです。
少しずつ流しているのが功を奏してますね。
貴族の間では、信ぴょう性有る噂の一つになりつつあります」
アリバルは薫り高い紅茶を楽しみながら言う。
「こちらも同じく。
ヴェルナーの指示のもと、ハザ他数名が動いております。
そのため、何人かの貴族が慌ただしく動き出しているのが確認取れました。
証拠という証拠はあがっていませんが、時間の問題かと」
アーサーベルトの言葉に、イルミナは頷く。
「殿下もよくそこに気付きましたね。
勝手に落ちてくれればいいとは思っていましたが、一気に片付けてしまおうとするとは」
「・・・やはり知っていましたか」
イルミナは苦笑を浮かべながらアリバルを見る。
アリバルと言う男は、貴族の中でも情報を一番取り扱っている。
そして非常に頭も良い。
だからこそ、必要な情報とそうでないものをその時々によって提示できるのだ。
まぁ、その分、彼のいいようになってしまいがちなのは否めない。
仲間となればこれ以上ないくらいに心強い。
もちろん、敵となれば一番恐ろしいだろうが。
「正直・・・。
殿下が手を出さずともいいかとは思うのですがね」
「何故ですか?」
「ラグゼン公が一枚かんでいるでしょう?」
イルミナは、アリバルの情報の速さに恐れすら抱いた。
確かにそう考えてもおかしくはないが、彼の言い方だと確信を持って話しているのが分かる。
「かのお方であれば、自国のことくらい簡単に片づけられるでしょう。
それを殿下に言って、恩でも売るおつもりなのですかね」
ハーヴェイの考えは解せないとばかりに、アリバルは眉間に皺を寄せる。
確かに、イルミナもそれを考えた。
しかし、彼の国の貴族がこちらの貴族と繋がり、更に麻薬を流していたと分かれば、それが他の国にばれる前に片してしまたいと考えているのではないだろうか、とも考えている。
一緒のタイミングで上げられれば問題ないが、そう簡単に行くはずもあるまい。
向こうにとって一番最悪なのは、こちらが先に挙げてしまい、向こうが後手に回ることだろう。
向こうの貴族が関わっていることを、こちらが先に知ってしまう。
それが公になればラグゼンファードの評判は一気に下がってしまうと考えているのかもしれない。
彼の兄王はまだ即位して間もないと聞いている。
できうる限り、不穏な芽を出来る限り水面下で取り除きたいと考えているのだろう。
だからこそ、イルミナに情報を渡したのではないだろうか。
もしそうであれば、助かる。
事を大きくしないで一気に片をつけてしまいたいのは、こちらも一緒だ。
「・・・私が立つときに。
要らないものは整理して捨てておきたいですから」
自分が女王として立つときに、そういった膿になりえそうなものは要らない。
そうなる前に、片付けておきたい。
イルミナのそんな本音を理解したのか、アリバルは苦笑を浮かべた。
利用しているのか、されているのか。
それすらも分からないまま、彼女はただひたすらまっすぐに進もうとする。
それは酷く危なっかしくて、危険なことだとも理解している。
理解しているというのに、どうしてか止めようとは思えない。
本当は分かっていた。
彼女のそのひたむきなまでのその姿勢は、かつて自分も持っていたものだと。
そして、大人になるにつれ失くしていったものだと。
だからだろうか、どうしようもなく惹かれてしまうのだ。
「・・・そうですか。
殿下がお決めになられたのであれば反対はしません。
ただ、あまり危ないことをされないように」
アリバルは、いずれ彼女が名君となったとき。
彼女は歴史に残る一人になるだろうとふいに思った。
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「ライゼルト伯。
ウィリアム殿はどうでしょうか」
グランは、ウィリアムの名を聞いた瞬間嫌そうな表情をした。
前まではここまで酷くなかったと記憶していたが、いったい何があったというのだろうか。
「・・・あれは・・・。
今屋敷に引きこもっているようです」
「・・・え?」
グランは忌々しそうに舌打ちすらしかねない勢いで話す。
「どうやら、第二王女と話した結果、色々なものが打ち砕かれたようでしてね。
理想と現実とやらの違いにようやく気付いたようなのです。
そしてそのまま屋敷から出てこようとしないのですよ」
今にも青筋立てそうな勢いに、イルミナは顔色を悪くする。
グランが怒ったところを見るのは、初めてではない。
しかし、あれはきっと怒っていなかったのだろうと今ならわかる。
だが彼がどんなに合わせたくないと思っていても、どうしても会わねばならない。
「・・・ウィリアム殿には必ず、こちらに来るように伝えてください」
イルミナの頑なな態度に、グランはため息をつく。
「・・・ひとつ、条件があります」
「・・・なんでしょう?」
イルミナは、不意に同じことを言われたことを思い出した。
あの時彼は、ウィリアムとの婚姻が条件だと言った。
懐かしい記憶に、口元が緩む。
「・・・、どうして、私を家名で呼ぶ?
前までは名前だっただろう」
「!
その、けじめ、です」
「なんのけじめだ。
私のことは名前で呼ぶように。
これが条件だ」
それは。
「その、ライゼルト伯、」
その瞬間、グランはイルミナの顎をもった。
必然的に、上向きになる。
イルミナは混乱していた。
どうして、このようなことをするのだろうか。
「次、」
「っ、?」
「次に、家名で呼ぶようなことがあったら・・・、
直接お教えしましょうか、殿下・・・?」
何を、とは聞けなかった。
「――――!!
、っわ、かりました!
グラン!
これでいいでしょうか!!」
呼んだ瞬間、グランの手が緩んだのでイルミナは脱兎のごとく距離を取る。
その顔は真っ赤だ。
どうしても、こうなってしまうのだ。
ヴェルナー達の前では、凛々しくあろうと思って頑張れるのに。
グランの前ではイルミナは年相応になってしまう。
「っふ・・・。
出来る限り早くに連れてきましょう」
グランは薄く、それでも嬉しそうに笑みをこぼすとそのまま執務室を退室した。
「――――っ、
なんで・・・っ」
どうして、そんな貌をするの。
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「お久しぶりですね、ウィリアム殿」
「・・・イルミナ殿下におかれましては、ご機嫌麗しく、」
久々に見る彼は、驚くほどに憔悴していた。
「挨拶は結構です。
どうぞかけてください」
イルミナが椅子を勧める。
ウィリアムは、戸惑いながらも座った。
「グラン、退室を」
「・・・わかりました。
何かあれば呼び鈴を」
言われることが分かっていたのか、何も言わない。
それでも不服そうにグランは隣室へと足を向けた。
これでイルミナの執務室には、イルミナとウィリアム、そして護衛としているハザの三人だ。
「・・・どうされたのですか・・・。
私は、見ての通り使い物になりませんよ」
ウィリアムは自嘲するように笑った。
それはとても苦しそうに見えた。
「そのようなことはどうでもいいのです。
ここ最近のことを聞きたくて呼びました」
イルミナはそう言うと、ウィリアムに次々と質問を投げつけた。
「政策はどうなっていたのですか」
「・・・誰も、私の話を聞いてはくれませんでした。
父上から見放された途端に、誰も・・・僕のことなんて見なくなった」
「そうなると分かっていたのでは?」
「知らなかった、こんなにも、父の力が強かったなんて・・・知っていたら、きっとこうしていなかった・・・。
殿下が、どれだけ努力をしているかすらも、僕は気付かなかった・・・」
「・・・。
リリアナは、どうするのですか」
「・・・もう、わからない・・・。
一緒に頑張ってくれと、伝えたんだ。
そうしたら、女王になんかなりたくない、と・・・。
俺と結婚する為に言われただけだと・・・っ、
女王だぞ!!
この国を、護るたった一人の存在を、そんな、理由で・・・!!」
「・・・その、たった一人になると決めた私を、一時でも崩したのは貴方ですよ」
イルミナの一言に、ウィリアムは愕然とする。
そうして、ようやく気付いた。
どうして、父が第二王女でなく第一王女と決めたのか。
第一王女にあって第二王女にないもの。
なぜ、自分は何も知ろうとしなかったのだろうか。
リリアナと恋に落ちたことを後悔しているわけではない。
でも、自分は手段を間違えた。
父の言っていたとおり、やってはならないことをした。
そして、目の前にいる人を傷つけたのだ。
「・・・たいへん、もうしわけ、ありませんでしたっ・・・」
ウィリアムは椅子から崩れ落ちるように地に伏す。
そうして涙ながらに謝罪した。
どうして、あの時に気付けなかったのだろうか。
こんなにも彼女は、覚悟を決めているのに。
イルミナは、覚悟していた。
女王になると言う意味を、その存在を、理解していた。
リリアナは何もしていなかった。
女王になるという意味を理解せず、ただただ渡されたから手に取っただけ。
父が、どうしてあのようなことを言ってきたのか、今更ながらに理解できる。
父は知っていたのだ。
イルミナの覚悟を。
だからこそ、女王に相応しいと考えたのだ。
それを、自分が。
「っ、っく・・・
ぼ、ぼくはっ、あなたに、ひどいことを・・・っ」
イルミナは、そんなウィリアムの背に手をあてた。
そして、そのままゆっくりと撫でる。
「もう、終わったことです。
過去はどうあがいても、変わることはありません。
・・・ですが、一つ、罰を与えます」
「・・・?」
涙にぬれた顔を、イルミナは見つめる。
その人は、好きな人の息子だ。
どうしても、面立ちが似ている。
でも。
「―――リリアナとの婚姻の破棄は、認めません」
「っ、」
「貴方には、リリアナを封じる役目を担ってもらいます」
イルミナは理解している。
これが如何に酷い命令かを。
「愛を育むのも、何をするのも基本的には許可します。
しかし、子をなすこと、そしてその領地から一歩でも出ることだけは禁止とします。
・・・貴方には酷いことをしますが、それ用の処置もしていただくことになります。
もし、万が一にでもリリアナに子が出来たのであれば、その子はすぐに他所へ出します。
・・・二人には辛いことかもしれません。
ですが、それらを守りさえすれば、命と生活の保障は私がします。
・・・これが最大限できることです」
イルミナは笑みを浮かべないまま、それを言い切った。
これから先、ウィリアムが自分の子を抱き上げる日は来ない。
そして同じように、リリアナも。
しかし、それ以外方法がないのだ。
それを理解してのことか、ウィリアムは涙を零した。
「・・・っ、
ありがとう、ございます・・・!!」
その一言は、イルミナの胸に重くのしかかった。
本当は、自死を望んでいた。
それくらい、辛かった。
生きていることが、恥だとすら思えた。
イルミナに会うことも、父に会うことも、リリアナに会うことも恐ろしくて仕方なかった。
父は自分に一瞥くれただけで、それ以外何も言わなかった。
確かに、人によってはあんまりだという人もいるかもしれない。
だが、少なくとも愛したリリアナと共にいられる。
命を奪われることもない。
きっと、彼女にそんなつもりはないのかもしれない。
それでも。
「ありがとう、ございます・・・っ」
その言葉以外、何を言えば良いのか分からない。
「いいのですか、あれで」
「・・・嫌なことを聞くのですね」
ウィリアムが一人屋敷へと戻った後、グランとイルミナは二人だけのお茶会をしていた。
「・・・本当、嫌な大人になりそうで怖いです」
ふっと諦めに似たような笑みを浮かべるイルミナに、グランは笑った。
「そんなものではなりませんよ」
「・・・ならいいのですが」
本当は分かっている。
今回、ウィリアムを利用したのは、彼がイルミナに罪悪感を持っていたからだ。
そして彼には、縋る何かすらも無い状態だった。
そんな時に、イルミナが優しく贖罪の機会を上げれば、彼はこの先イルミナを裏切れない。
それを理解して、利用した。
好きな人の息子だと分かっていても。
「・・・いいお茶ですね」
「そうですね」
ふわりと、窓から風が入ってくる。
そろそろ本格的な冬が始まりそうな予感に、イルミナはふるりと肩を震わせた。