その人たちの始動
その姿を、もう二度と追うことはないとわかった。
追えないということが、わかった。
あれだけ。
あれだけ欲していたのに。
しかし、手に入らないということを知ってしまった。
―――なら、諦めるしかないでしょう。
そうしないと、生きていけないから。
・・・希望を持ったまま生きるには、持ち続けて生きるには、あまりにも辛いことだから。
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「それで、殿下?
これからどうなさるおつもりですか?」
謁見室から離れ、イルミナの執務室に移動した後、アリバルは切り出した。
その場にいるのは、ブラン、アリバル、ヴェルナー、アーサーベルト、そしてグランといういつもの顔ぶれだ。
アリバルの言葉に、イルミナは思案気な表情で応える。
「・・・そう、ですね・・・。
病気にての療養など、どうでしょう?
王がリリアナを溺愛しているのは誰もが知っていることです。
王が病気になったら、リリアナの心は安らかではいられません。
そんな王の傍についていたいと言い出しても、おかしくないのでは?」
「無難な選択ですが、しかし、それだといつか表に出てくるのではないでしょうか?」
ヴェルナーの言葉ももっともだ。
それは懸念材料となりうる。
「いえ。
もし、イルミナ殿下が女王として即位されていれば、それもどうにかできるでしょう」
アリバルはそう考える。
いくら王たちが何かを言ったとしても、イルミナが即位しているのであれば、彼は過去の遺物扱いでしかない。
そもそも頭の良いものであれば、今回の一件が仕組まれたものだと勘付くだろう。
それに、ここにいるものは皆、イルミナに付いて行くことを決めたものたちばかり。
正直、それだけで王たちを抑え込めるだろうとアリバルは判断している。
「今回の一件は、城内で大きな噂となってしまいました。
これで王が表に出ることなく、療養に出られれば邪推を生み、禍根となりましょう。
しかし、これを本人に事前に言って頂くことによって、自身で決定したといいうのを見せてさえいただければ、そうそう簡単に崩されたりはしないでしょう。
ただ、長引けば長引くほど、私が脅していると言われる可能性も捨てきれないので、早いご決断が必要になりますがね」
「・・・そのためには、今の内に王に決めてもらわねばならない、ということだな」
ブランもアリバルと同じ意見なのか、そう発言する。
「だから、時間はあまりあげられないと・・・。
殿下はいつからそのようなことを考えられていたのですか?」
アーサーベルトは疑問を口にする。
確かに、始めの段階ではリリアナを連れてくることすら考えていた。
しかし、実際はリリアナを出す必要はなかった。
全ては、王がイルミナに剣を振り上げた時に、決まったような気がするのは自分だけだろうか。
アーサーベルトはそう考えていた。
「・・・確かに、私もそれは気になりますね。
殿下、いつからお考えだったのですか?
私にすら気付かせないとは」
アリバルも不思議に思っていたらしく、そう続ける。
どうやら、周りの反応を見る限り、皆同じように考えているようだ。
イルミナは考えた。
そして言った。
「秘密です」
「「「「「・・・は?」」」」」
男五人は、全く同じ反応をした。
「教えてしまったら、面白くないでしょう。
それに、結果的にうまくいったのですからいいのではないですか」
イルミナは先程のまでの冷たい笑顔ではなく、いつもの笑顔に戻っていた。
「・・・殿下、
そのような戯れは結構です。
で、いつからですか?」
ブランは、しかめっ面のまま問う。
そんなブランを見たイルミナは、ふぅ、と小さくため息をつくと仕方ないと言わんばかりに話した。
「あの時ですよ」
「・・・あの時、とは?」
「ですから、王が私に剣を向けた時です」
「・・・あなたは・・!!
そんな土壇場で決めたというのですか!?
いったい何をしたというのですか!!」
ブランですら何と言っていいかわからず、絶句する。
それは他の皆も同じであったが。
「何もしていませんよ?
・・・ただ、少しだけ気付いてもらっただけです」
イルミナは言いたくないことを、無理やり言わされているような気持ちになりながら話した。
否、実際話したくはないのだ。
気付いてもらったと言ったが、実際は心を折ったに等しいことをした。
その自覚はある。
イルミナには分かっていた。
いや、わかってしまった。
あの時の、王の表情は見覚えがありすぎたのだから。
「この話はもういいでしょう。
それより、時間はあまりないのですから、直ぐに色々と始めないと」
イルミナは、空気を変えるように手を一つ叩くと宣言した。
「ヴェルナー、アーサー、
貴方たちはこれから重要な仕事を任せます」
「「っは!!」」
「ティンバー・ウォーカーに面会し、ある情報を入手してきてほしいのです」
イルミナは二人に指示し、そしてブランとアリバルを見る。
「お二人には、他の貴族にある噂を流して頂きたい」
「・・・どのような?」
ブランは少しだけ納得いかないような表情を見せながらも、素直にイルミナの言葉に応じる。
「・・・王が、病床に着いた、と。
あくまでも、噂でしかない、というものでお願いします」
「・・・まぁ、間違えていないですね。
その判断はいいでしょう」
そして最後に、イルミナはグランを見た。
「ライゼルト伯。
貴方にはご子息と私を対面するよう時間を作ってほしいのです」
「・・・あの、愚息と?」
グランは気が向かないのか、顔を嫌そうに歪ませる。
あの日以来、グランはまともにウィリアムと顔を合わせていないのだ。
「はい。
一度でいいので。
それでは、早速取り掛かって頂きたいのですが」
指示された五人は、早速取り掛かるかと言わんばかりに席を立つ。
イルミナは、ヴェルナーとアーサーに渡すべく必要な情報を紙に書き込み始める。
「これを。
確認したらすぐに燃やすように」
「わかりました」
受け取ったヴェルナーは、すぐさま確認すると、暖炉に向かいその紙を燃やした。
「・・・ヴェルナー。
私はまだ見ていないぞ」
「私が覚えたのだから問題ない。
行きがてら説明する、さっさと行くぞ」
二人はそのまま颯爽と部屋を退室した。
「さて、我々も行きましょうか、ジェフェリー」
「あぁ。
では殿下、また近いうちに」
ブランとアリバルも、ゆったりとした歩みで執務室を出る。
そうして、部屋に残ったのはイルミナとグランだった。
一言も言葉を発しないグランに、イルミナは不安を覚える。
「・・・ライゼルト伯・・・?」
その瞬間、グランはイルミナに詰め寄るように体を寄せた。
本当は、グランに傍にいてほしくない。
それがイルミナの気持だった。
彼は、イルミナの心に入り込む。
そうされてしまうと、イルミナは縋りたくなるのだ。
苦しいと、悲しいと。
泣き言を言いたくなってしまうのだ。
しかし、女王になる決意をした今、それはしてはならないことだとイルミナは頑なに考えている。
これからは、独りで国を守るほどの決意をしなければ、立つことも出来なくなってしまいそうだから。
イルミナは不意に思い出した。
ヴェルナーと初めて会った頃、彼は言った。
私の歩く道は、茨の道を裸足で歩くようなものだと。
彼は実に上手いことを言ったものだ。
その道を、独りで歩くことが出来ない女王など、イルミナは赦せない。
そんなことを決意できない女王など、許容できない。
だからこそ、グランの存在は今のイルミナには恐ろしいものだった。
彼がいると、心の柔らかい部分が泣き出すのだ。
愛して欲しいと、みっともなく言ってしまいそうになるのだ。
「っ、
ライゼルト伯っ、離して下さい・・・!」
包まれる温もりが、イルミナの頑なな心を溶かそうとしている。
そう感じてしまうほどに、彼の腕の中は心地よかった。
「・・・イルミナ。
ずっと気になっていた」
グランはイルミナの言葉を無視し、そのまま彼女の小さな耳に吹き込むように話を始めた。
「王に、
生まれなければ良かったと言われた時・・・。
お前は何かを王に言っていただろう。
・・・何を、言った」
それは、問いかけですらなかった。
言うことを、強要するような、そんな声音。
しかしそれは不思議と圧迫感は無く、ただただイルミナを想っての言葉だということが理解できてしまった。
「っ・・・!!
言うほどのことは、・・・言っていませんっ・・・」
いやいやと頭を振るイルミナに、グランは愛おしそうに眼を向ける。
彼女が、こんな風になるのは自分の前だけだと思うと、優越感が生まれる。
怖がっているのが、分かってしまうのだ。
そして、なぜ怖がっているかも、分かってしまうのだ。
―――イルミナは、自分に心を許している。
だからこそ、暴かれることに恐怖を覚えるのだ、と。
それほどまでに、彼女の心に入り込んでいるのが自分だと思うと、不思議と気分が良かった。
イルミナが、愚息と会う算段をつけろと言ってきたとき。
少しだけ殺意を愚息に覚えた。
まだ、イルミナに覚えてもらっているのか、と。
しかし、今の状況を考えれば些細な出来事だ。
「イルミナ、私に隠し事はなしだ。
ともに国を良くすると決めただろう?
万が一、今回のことが君の心に蟠りを残し、いずれ崩れてしまう要因の一端になる恐れがあるのであれば、私はどうしても聞かなくてはならない」
「っ・・・」
グランの言葉に、イルミナの体が強張った。
つまり、そうなる自覚をする言葉を言った、ということだ。
「イルミナ」
グランは優しい声音で、それでいて強く言った。
「・・・っ、
お・・・」
イルミナは恐々と口を開く。
「お、なじ・・・いろで、あれば・・・」
「同じ色であれば・・・"愛してくれた"・・・か?」
グランが想像を元にそれを口にすると、イルミナはどうしてと言わんばかりに目を見開いた。
「・・・どうし、て・・・」
茫然と疑問を口にするイルミナに、グランは苦笑を零した。
「私たちは、そんなに浅い仲だとは思っていないのだが?」
そう。
それだけ、彼女を見てきたのだ。
彼女の望みを、そしてその望みが叶えられないところを、見てきたのだ。
「イルミナ、言いなさい。
胸の内に溜めておいていいことはないだろう・・・?」
「・・・それを、言ったとき・・・」
イルミナは、グランの優しい声についに落ちた。
「王が、驚いたのがわかった・・・。
そして、知りたくなかったことを知って、絶望したのもわかった・・・」
王は、その時はじめて気づいてしまったのだと思う。
イルミナが、自分たちの娘であるということを。
いや、もとから娘だが、彼女が自分たちと同じ色を望んでいるという事実は、彼にとって受け止めがたいものだった。
イルミナは、好きでこの色に生まれたわけではない。
本当は、リリアナのような色で生まれたかった。
そうすれば、きっと愛してもらえた。
そうすれば、王たちはきっとイルミナを見てくれた。
そう、あの一言に詰まっていることに、王は気付いてしまったのだ。
そして、目の前の女が、マリーネアではなく、自分の娘だということに。
「だから、あの人、は・・・最後にあんなことを言ったのです」
あの人のようだと、そう言わなければ。
今まで自分たちがしてきたのはただの虐待だと、認めてしまうような気がした。
そして王はそれを、認めることが出来なかった。
そうでもしないと、きっと病んでしまうことを分かっていたのだろう。
そしてイルミナは、それを許容した。
恐ろしいと言われても、それにたいして何も返さないことが、イルミナにできる精一杯のことだった。
「もう、わたしは・・・っ
あの人のむすめではない。
わたしは、ただの第一王女、
それ以上でも、それ以下でも、ない」
そしてイルミナは、自身の家族というものを捨てる覚悟をつけた。
もう二度と、父と、母と呼ばないと。
そうでもしないと、今度はイルミナの心が壊れてしまうから。
未だに涙の一つも零さないイルミナを、グランは大切そうに抱き込んだ。
きっと、彼女は泣けないだろう。
今の自分に、その資格が無いとでも思っているのだろう。
「・・・私が、ずっと傍にいると、約束しただろう・・・」
強く抱き寄せられる腕に、イルミナは抱き返すことはしない。
そこまで、甘えることを、イルミナは赦せない。
イルミナは、その言葉に返す言葉を見つけられないまま、そっと目を閉じた。