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梔子のなみだ  作者: 水無月
王女時代
53/180

第一王女とイルミナ





脚が、震えている。


背筋を、汗が走る。


歯が、カチカチと音を立てている。


みっともないことは分かっている。


正直、自分でもここまでだとは思わなかった。


その人を、目に映すだけで。


その人の、声が聞こえただけで。


どろりとした感情が自分を埋め尽くそうとするのが分かる。


―――こわい。


怖くて怖くて、どうしようもない。











「・・・なんだ」


王は冷めた目で、謁見室に来た二人を見据えた。

やつれているように二人の目には映ったが、だからといって、彼のその美しさが損なわれることは無い。

むしろ、鋭利になったぶん、さらに美しくなっているようにすら見える。

冴えわたらんばかりの美しき王、それがヴェルムンドの今代の王だった。


「陛下。

 此度の件は聞かれておりますか」


アリバルは、いきなり核心を突いた。

まどろっこしいことは全て省く。

そうしないと、この話はきっと進まないと考えたためだ。


「・・・どれのことだ」


王は気怠そうに聞き返す。


「宰相の件です」


「・・・あぁ・・・、あの、ウォーカー・・・!!

 この、私を裏切った、裏切り者・・・!」


宰相の事を口にした途端、王は劇的に変化した。

鋭い眦を吊り上げ、怒りにだろうか、拳が震えている。


「・・・陛下は、どうお考えなのですか。

 イルミナ殿下のことも、リリアナ殿下のことも」


ブランが問う。

しかし、王がその問いに答えることは無かった。


「あんなにも!!

 一緒にいたというのに、この私を裏切って!!

 しかもあの女に懸想していただと・・・!!

 王妃を泣かせた、あの女を・・・!!」


あまりの怒り具合に、アリバルはもちろんブランですら絶句する。

どうしてそこまで、かの人を厭うのか、二人には理解できない。


「陛下!!

 今はそのようなことを言っている場合では・・・!!」


「黙れ!!

 貴様に何が分かるのだ!!

 やはりあの女の呪いだ・・・同じ色をしたイルミナなど・・・生まれなければ・・・!!」


「陛下!!」


ブランの怒声に、王はぎろりと睨んだ。

その目には、狂気しか宿っていない。

その瞳に、一瞬だけブランは怯んだ。

自国の王は、このような目をする人だっただろうか。


「陛下、不敬ながらも言わせていただきます。

 リリアナ殿下は女王として不足しています。

 私たちは、イルミナ殿下を次期女王にすべきと思います」


アリバルは冷静に言った。


「・・・何故だ」


王は狂気に満ちたままの表情で低い声で問うた。

そんな王に、アリバルは冷静に微笑みながら返す。


「何故?

 それこそ我らの伺いたいことですよ、陛下。

 リリアナ殿下は女王になると言われてから、何かなさいましたか?

 されておりませんよね、どうしてですか?

 ウィリアムも、いったい何をさせているおつもりで?

 そもそも、陛下も指名をされておきながらお二人とまともにお会いしていないそうではないですか。

 どうされたというのです?

 お二人に、本気で国を任せるおつもりだったのですか、陛下」


畳みかけるようなアリバルの言葉に、王は言葉に詰まる。

その反応で、王がそれを知っていながらも行動していないことを知る。


「リリアナ殿下は、女王になりたくないと仰っておられますよ。

 陛下、どうするおつもりなのですか?」


「リリアナが!?

 アリバル、貴様何を言った!!」


その冷静とはかけ離れた姿に、アリバルはどうしようもない気持ちになる。

どうして、これが王で今まで国が成り立っていたのか、不思議なほどだ。

ため息を吐きたくなる。


「陛下。

 我らは、リリアナ殿下を女王とすることに反対します。

 第二王女殿下では、国を任せられない」


アリバルはそう言い、そして扉へと歩を向けた。

ずしりと重い扉が、アリバルのノックを皮切りにゆっくりと開かれていく。


その向こうにいる誰か(・・)を、認知したとき、王の目は見開かれた。




「代わりに私たちが推薦するのは、

       ――――――――イルミナ第一王女殿下」




紫紺の瞳に、流れるような黒い髪。

細く長い四肢は、女性にしては長く、そして身長も高い。

少し吊り上がった目は、きつめの印象を人に与えてしまうかも知れない。

薄めの唇も、愛嬌はないのかもしれない。

リリアナのように、誰からも愛される容姿ではない。


そもそも、イルミナとリリアナは比べる土台が違うということに気付いたのはいつだったか。

リリアナが太陽の下、花畑が似合うのであれば、イルミナは月だった。

月明かりの元、白く咲き誇るあの花の傍にいるのが似合う。

その清廉とし、凛とした空気を持つ彼女は、誰もがおいそれと近づこうとしないだけなのかもしれない。


誰もが、イルミナは暗く陰気だと言うが、そうは思わない。

きっと、前を向いた彼女を見て、そう蔭口を叩く者も口を噤むだろう。

その、宝石のような輝きをもつ紫紺色(アメジスト)の瞳を見れば。




「・・・お久しぶりです、陛下」




ヴェルムンド国第一王女、イルミナは、美しい微笑みを父である王に向けた。




「・・・なぜ、お前がここにいる」


王と王女(おやこ)の久々の言葉は冷たく、情など一切感じさせないものだった。

しかしイルミナはその笑みを崩さない。

隣には、ヴェルナーやアーサーベルト、そしてグランもいた。


「貴様たちも何用だ。

 私は許可した覚えはないぞ」


王は笑みを浮かべることなく言い放つ。

昔のイルミナであれば、きっと顔を真っ青にし、退室の許可を願い出ていたであろう。

しかし、その表情は一切変わらず、そのままの笑みを浮かべている。。


しかし、知っているものが見れば、イルミナが無理をしているのはすぐわかった。

化粧で誤魔化しているが顔はうっすらと青白く、握りしめられた手は震えている。

それでも、十六歳の少女は前を向いて微笑みを浮かべた。


「私も王族です。

 今回はブラン公爵とアリバル侯爵にお願いしましたが・・・。

 そうでもしないと私とはお会いになって下さらないでしょう?」


「なぜ私がお前と会わねばならん」


「陛下。

 もう存じているはずでしょう、宰相は既に捕らえられています。

 陛下のお決めになられた、私の婚約者になるはずだった方です」


イルミナの言葉に、王は眉間に皺を寄せる。

そのような皮肉を言われるとは思わなかった言わんばかりの表情をする王に、イルミナは続けた。


「あぁ、私が言うのが予想外という表情ですね。

 そうですよね、私は今まで、はいとしか言ったことがありませんでしたからね・・。

 でも陛下、私もそろそろいいかと思うのです」


イルミナはうっそりと笑う。

弓なりにそった目尻、にんまりと弧を描く口元に、狂気すら見えるのは気のせいだろうか。

まるで、父である王の狂気が乗り移ったと言わんばかりのその笑み。

隣にいるヴェルナーとアーサーベルトは、その笑みに驚愕した。

そんな、笑い方をする方ではないはずだと言わんばかりに。


「陛下。

 以前、お伺いしました。

 私が、マリーネア様に似ているゆえに、愛せぬ・・・と。

 陛下。

 私は、頑張ってきたのです。

 皆に認めてもらえるように、必死になっておりました。

 でも、陛下。

 どう頑張っても、イルミナ(わたし)を見てはくださらないのでしょう・・・?」


「・・・っ」


イルミナの責めるような言葉に、王の表情は苛立ったものへと変化し始めた。

それに気づいてはいるが、イルミナは言葉を続ける。


「最初は、リリアナでもいいと思っていました、

 でも、あの子は女王になりたくないと泣いていたのを、ご存知でしたか?

 結婚の為に、女王になる?

 愛のために、その座を手に入れる?

 笑わせないで下さい、陛下。

 それを選べるのは、全てを終えてからですよ?

 女王・・・王とは、その身全てを使って国のために・・・。

 国のためだけ(・・・・・・)に存在すべきものです。

 そんな立場の人間が、民の幸せよりも先に自身の幸せを手に入れる?

 あまつさえ、それを優先させる?

 そんなこと、あってはならないことです。

 女王となれば自身の個人の幸せなど選んでいいはずがないのです」


「・・・黙れ」


「リリアナが女王になれば・・・。

 本当は分かっておられるのでしょう?

 だから、私を宰相と結婚させ、国に残らせようとしたのですよね。

 そして、私を使い勝手のいい人形に変えようとなさったのですよね。

 本当は、そのことを理解されていたから」


「黙れ」


イルミナの言葉に、謁見室にいる人間は狂気染みたものを感じた。

自分達が知る彼女であれば、その様な言い方はしなかった。


「もちろん、それも本音でしょうけれども・・・でも、別の考えもおありでしたよね、陛下。

 本当は、愛する王妃を傷つけたマリーネア様が、幸せになる姿を見たくなかったのですよね?

 それで、マリーネア様に似た私が幸せになる姿を、見たくなかったのですよね?

 リリアナを手元に置きたいと思いながらも、私が不幸せである姿も、ご覧になられたかったのですよね?」


「黙れ!!」


感情露わに、王は叫んだ。

怒りで肩が震えている。

その様子を見たイルミナは、微笑んだ。


「・・・それはどうでもいいとしましょう。

 私の幸せ、不幸せなど、民の前には無駄なものでしかありませんからね・・・。

 でも陛下。

 リリアナが女王になって、国は良くなるのですか?

 ここにいる爵位持ちの人たちは、領地に帰ってしまわれるのに?

 民は、本当に幸せになれるのですか?

 ・・・陛下」


イルミナは言葉を切った。

そして、壮絶なまでに冷たい笑みを浮かべた。

紫紺の瞳が、感情の無い硝子玉のように光る。


「陛下。

 ・・・お父様。

 ・・・貴方は、全てにおいて失格ですよ」


「イルミナ!!

 貴様誰に向かって言っている!!!!」


イルミナのあまりの直接的な言い方に、王はいてもたってもいられずに玉座から立ち上がった。

そして近くに置いてあった剣を取る。


「陛下!!」


アーサーベルトが鋭く声を上げる。

しかし、王にの言葉は届かない。

そして剣を片手に王は、まっすぐイルミナの元へと走った。


―――そうだ、この娘が生まれてから、全てが狂った。

  こやつさえいなければ、王妃が怯えることも、リリアナがあんなことを言うこともなかったというのに!!


    すべては、こいつのせいで―――!!



「貴様など!!

 生まれて来なければよかったのだ!!」



振り被られる剣に、イルミナは微笑みを浮かべた。

そして、全てを諦めたように笑った。




「おとうさま、


 わたしも、


 おなじいろでうまれていたら・・・、


 あいしてくれた・・・?」




ぽつりと漏らした言葉は、王にしか聞こえなかった。





振り被られた剣が、イルミナに落とされることはなかった。

カラン、と謁見室に剣が転がる音が響く。


駆け寄ろうとしたアーサーベルトやヴェルナー、そしてグランは何が起こったのかよくわからないまま、呆然と座り込んだ王を見る。

イルミナは、その王を見下ろしているが、その表情は黒い髪に遮られ伺うことは出来ない。


「・・・殿下」


アリバルが、ぽつりと言う。

それは、小さい声にも関わらず大きく響いた。


「・・・陛下。

 もう一度言います。

 お考え直し頂けないでしょうか。

 リリアナは、女王になること望んでいません。

 そんなあの子に、陛下は女王という重荷を背負わせるおつもりですか?」


淡々と、しかししっかりとイルミナは言った。

それは、今までの彼女からは考えられないほど、はっきりとした態度を王に見せた。


「・・・今さら、何と言えというのだ。

 既に発表した後なのだぞ」


王は疲れ果てた老人のように座り込みながら問う。


「・・・こちらで考えておきましょう。

 ですから、私が女王になることをお決めください」


イルミナは、顔を見せないまま、王に言った。

―――グランは、イルミナが泣いているのではないかと思った。


「・・・。

 じかん、を・・・」


その言葉に、ヴェルナーとアーサーベルトは心の中で叫んだ。

ようやく、ようやく。

イルミナの本当の価値が皆に分かってもらえるのだ、と。


しかし、イルミナは冷静に言葉を返した。


「・・・わかりました。

 しかしそんなに時間は作れません。

 そのあたりは分かられていると思いますが」


王は、その言葉には返さず、ゆっくりと体を起こす。

そしてそのまま謁見室を後にしようとした。

しかし、何かを思い出したのか、振り返ってイルミナを見据えた。

そして化け物を見るかのような目で、イルミナに言った。


「―――恐ろしい、やつだ。

 まるで、あのひとのようだ」



その言葉に、イルミナ以外の全員が息を呑む。

そこまで、言うのだろうか。

父親が、娘に向かって。



「・・・さようなら、

 ・・・お父様、二度と、

 っ・・・と会うことはないでしょう」



王は、このイルミナの一言を正確に理解できなかった。

しかし、これを最後に、イルミナという王の娘はいなくなる。

愛を欲しがった彼女は、それを諦めた。

イルミナという憐れな娘は、全てを諦めた。

そして、ただただ、第一王女としてこの国で生きることを決意してしまった。


怖くて、どうしようもなかった感情は、不完全燃焼のまま、イルミナの中に残る。

会うことをあんなにも恐れていた父は、酷く小さい存在として、一生彼女の目に残り続けた。





そして、それ以降。

イルミナは父として、王を見ることはなかった。






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