終わりのはじまり
久しぶりに来る四阿は、何一つ変わっていなかった。
こじんまりとした造りも、人気が無く、どこか寂しさを感じるところも。
夜で、月明かりに照らされているせいもあるのだろう。
そして、以前より綺麗に保たれているのはわかった。
きっと、ヴェルナーかアーサーベルトが手を入れてくれているのだろう。
好きな花は、自分が療養を兼て城を空けている間にその盛りを終えてしまった。
そのことを、イルミナは残念に思った。
ハーヴェイから貰った香水も悪くはないが、一番は生花の香りなのだから。
空にかかっている月は、今はその姿を弓なりに反らせている。
まるで、笑っているかのようなそれに、イルミナは少しだけ身震いをした。
「イルミナ」
背後から呼ばれる。
その声を、イルミナは好ましく思っていた。
いつだって、優しく響くその声。
できるなら、ずっと聞いていたいと心の中で思った。
―――未だに、私はその花の名前を知らない。
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「ブラン公爵、アリバル侯爵。
この度はご迷惑をお掛けしました」
イルミナは、二人に会って開口一番、そう口にした。
「殿下。
上に立つ者がそう簡単に頭を下げる必要はありませんよ」
アリバルは彼女の生真面目さを知りながらもそう口にする。
「いいえ、今回の件は、私の弱さが招いたことだというのも理解しています。
中立の立場であったのに、私のせいでそれを崩させたこと、謝罪します」
「殿下、およしください。
我々は我々の為にしただけにすぎません。
そのようなお言葉自体、不要です」
ブランはそう冷たく言った。
しかし、それは彼なりの優しさだと気付かないイルミナではない。
「・・・そうですか。
ではこれ以上言うのはよしましょう。
今回のことの顛末と、そしてこれからのことをすり合わせたくお二人をお呼びしました。
・・・私は、リリアナが女王になることに不安を覚えています」
「わかっています。
このままリリアナ殿下が女王になるにはあまりにも危険すぎます」
アリバルはイルミナの言葉に肯定した。
中立であった彼らが危惧するほど、リリアナを女王にするのは危険なのだとイルミナは改めて実感する。
彼女が悪いわけではないのは分かっている。
リリアナをそのようにしたのは、彼女を取り巻く環境だ。
だからといって、それを甘く見て事を進めるのには、あまりにも立場が重すぎる。
「しかし、それを覆すには王の許可が必要です。
・・・でもどうすればいいか・・・」
アリバルの言葉に、イルミナは考え込んだ。
どうすれば、リリアナが女王に向いていないことを王に話すか。
「・・・リリアナは女王になりたくないと言っています。
なのでリリアナを連れてそのまま伝えるか、あるいは貴族の反対を使うかです。
ただ、二つ目の場合だときっと一部の貴族は私がなることに反対するでしょう。
公的にはリリアナが最初に女王に指名されたのですから、王の意向に反するのかとでも言いそうです。
なのでここにいる人だけで、どうにかしなければなりません」
イルミナは考えながら言った。
実際、ここにいる三人は貴族の中でも相当な力を持っている。
場合によっては一つ目より、簡単に事が進むかもしれない。
しかし、そうなるとリリアナの評判は地に落ちる。
そして彼女を指名した王も。
王が指名したリリアナは、自国の貴族に認められぬほど不出来だ、という評判が立ってしまうのだ。
それは他国に知られたら醜聞でしかない。
もし、これで既にリリアナが女王となっているのであれば、それは醜聞でなく国を救うためだということも可能だ。
ある意味、クーデターでもある。
そうすれば、醜聞が立つのはリリアナだけだ。
彼女とウィリアムを、どこかの辺境に送れば話は簡単に済む。
ただ、もしこれを民が知ればなんと酷い姉だろうかと言われることだろう。
それでも、そうするほかないのだ。
それくらい受けられないで、女王になろうなど、失笑しかない。
王は既に発表してしまい、一部の貴族はリリアナが女王になると言いふらしてしまっている。
せめて、発表する前であったのであれば、どうにかできた問題だ。
あるいは、城の中だけで留めておいておければ。
しかし、全ては起こってしまいすべては後手となっている。
だからと言って、イルミナは諦めるつもりなどなかった。
リリアナが、女王になればいいと思ったことがあったのは本当だ。
リリアナが、女王教育を意欲的に取り組んでさえいれば、どうにかなった。
しかし、今の彼女を見てそうは思えない。
むしろ、彼女が王になれば、それによって生まれる歪みを受けるのは、民たちだ。
イルミナは、どうしてもそれを許容できない。
アリバルは黙り込んで思考に耽るイルミナを見ながら言った。
「・・・。
兎も角、王に会わなければなりませんね。
話してからでないと、動くことも出来ませんから」
アリバルはため息を零す。
王も少しは考える頭を持ってくれていれば、こんなことにはならなかったのにと内心で愚痴を言いながら。
そもそも第一王女が療養からもどってきて既にひと月経つというのに、未だに言葉の一つもないのがあり得ない。
少なくとも自身の娘にする対応ではないだろうとアリバルは思う。
「では、謁見を申請しておきます。
殿下だと断る可能性がありますから、私とブランの名前で。
予定は一週間後にしますが、宜しいですか?」
アリバルの言葉に、イルミナは神妙な面持ちで頷いた。
一週間後、場合によってはその日に全ての決着がつく日になるのかもしれない。
それが良い手段なのか、どうなのか、イルミナには判断がつかないことが一つだけあった。
混乱したあの場では気づけなかったこと。
しかし落ち着いてみて、気づいてしまったこと。
――――――イルミナは、誰にも話していないことが一つだけあった。
もし、上手くいけば誰も傷つくことなく、世代交代ができる手段。
しかし、そのためにはどうしても折らなければならない。
それをできるのかどうか、イルミナにはまだわからない。
「イルミナ、
少しいいだろうか」
アリバルもブランも部屋を去ったあと、グランはイルミナに切り出した。
わかっていたのだろうか、イルミナは何も言わずに一つだけ頷く。
そして執務室にあるソファーへとグランを促した。
―――初めて会って、話をしたのもここだったな。
グランは一瞬感慨深くなる。
あれから三年とたっていない事実に、驚きを隠せない。
なのに、ここまで色々と変わった。
「・・・話とは」
イルミナは短く問うた。
聞かれる内容を知っていて、それでいて、聞きたくないかのように。
「分かっているのだろう。
・・・・・・女王に、なるのか」
その一言は、イルミナの心に重くのしかかった。
一度は諦めたそれ。
なくても出来ることがあると知ったのに。
グイードに、言ったのに。
それなのに。
「・・・答えは分かっているんでしょう?」
イルミナは泣きそうな表情で言った。
「あぁ・・・。
わかっていて、その道を選ぶのか」
グランの言葉には、沢山の意味が含まれていた。
イルミナが女王となる時。
それは、彼女の家族を失うことと同じことだった。
リリアナを指名した王は、それを貴族によって棄却される。
信頼を失った王に、城での居場所はないだろう。
王妃も同じく、だ。
そして、もう一人の被害者であり加害者であるリリアナも。
城に居ることはできないだろう。
もし、王がリリアナを指名する前であれば、このような遠回りをする必要はなかった。
しかし、王はリリアナを貴族たちの前で指名し、それを他国の者も知ってしまっている。
一番丸く収まるのは、リリアナが女王として立ち、それをイルミナが補佐するというものだ。
しかし、グラン達には王への信頼はもうない。
そして彼らは、自身の領地へと戻ることも宣言している。
そんな状態が長く続けば、国は緩やかな終焉へと向かうだけであろう。
「・・・それで、いいのか」
グランは問うた。
沢山の意味を込めて。
「・・・それしか、ないでしょう。
この国が、残るためには」
「そこに君の意思はないだろう。
私は、君に聞いている」
グランの言葉に、イルミナの顔がくしゃりと歪んだ。
紫紺の瞳には、今にも零れそうなほどの涙が溜まっていく。
その表情を見て、そうさせたのは自分のはずなのに酷く後悔の念が押し寄せてくる。
「・・・、私は、幼いあの日に誓ったのです。
女王になって、居場所を見つけるって・・・。
グラン、貴方の言う通りですよ・・・。
私は、家族から愛されたくて、女王になると決めた。
・・・でも、今は違います」
イルミナの独白を、グランは黙って聞いた。
「確かに、不純な動機から始めたことです。
でも・・・。
ヴェルナーが、アーサーが私を成長させてくれ、アウベールの皆が、私に優しさと希望を。
ブランやアリバルが、信頼をくれました。
・・・そしてグラン、貴方が、私に愛を教えてくれた」
「・・・」
「あなたたちがいなければ、私はきっと壊れていたことでしょう。
きっと、何一つ自分で決めることなく使われていたと簡単に想像つきます・・・。
本当に、感謝しています・・・。
だからこそ、その気持ちに答えたいと思うのです。
私には、何もないから。
・・・だから女王になって国を良くして、
―――皆を幸せにすることを、目標にするくらいしか、私にはできない」
グランはイルミナの言葉に目を瞠った。
彼女は、自分が何を言っているのか、わかっているのだろうか。
そんなことを、一人で考えたのだろうか。
グランは、イルミナの異質さを感じた。
王という地位を、最終的な目標としていたあの頃とは全く違う。
確かに、王になる前であればそれを目標とするのは当然だ。
しかし実際には、それが始まりでしかないと気付けるものはそうそういない。
王位に就き、それによって苦悩と共に本当の目標は国の繁栄だと気付くものがほとんどだ。
少なくとも、十六歳の娘が―――王位に就く前の彼女が―――気付けるものではない。
「ふふ、グランのそんな驚いた顔、初めて見ました・・・。
分かっています、途方もないことだって。
でも、それを目指そうと思うくらいには、皆に幸せをもらえたと思っています。
だからこそ、私に出来ることであれば、頑張ろうと思えるのです」
イルミナは静かに微笑んだ。
先ほどまであった涙は、もうない。
グランはイルミナのその微笑みに、心臓を撃ち抜かれた気分になった。
―――彼女は、ここまで大人になってしまったのか。
清も濁も全てを飲み込んでしまえる、その笑顔。
ヴェルナーが教えたものとは全く違うものになっている、それ。
そしてその笑顔を浮かべざるを得ない程に、彼女の周りは彼女を甘やかさなかったのだ。
「・・・そう、か・・・。
君がそれを決めたのであれば、私は何も言わない。
しかし覚えていてくれ。
私は、いつまでも君のことを・・・。
イルミナのことを想っていることを」
グランは諦めと共に、引かざるを得ないことを悟った。
イルミナは、決めてしまった。
そしてそれは、自分の手を取らない道だ。
グランは、それ以上話すことが出来ず、一言だけ退室を願うと振り向くことのないまま、執務室を後にした。
バタリ、と扉が閉まる音が大きく執務室に響いた。
その瞬間―――
「――――っ」
ぼろり、とイルミナの目から涙が零れ落ちる。
―――本当は、行かないでと言ってしまいたかった
度重なるグランの優しさと強さに、イルミナは惹かれていた。
年上すぎるのは分かっている。
しかし政略結婚ではよくある年の差であった。
グランが、当主でなければと何度考えたことか。
当主でさえなければ、自分のこの想いを伝えることも考えただろう。
しかし、イルミナには言えなかった。
ライゼルトを、自分の為にすててほしい、なんて。
「っ、―――っく、」
嗚咽が喉を焼く。
心が引き裂かれそうというのは、こういうときのことを指すのだろうか。
苦しくて、苦しくて。
言いたい言葉はあるのに、伝えたい想いがあるのに、何一つとして出来ない。
―――それが、こんなにも
苦しく辛いことだなんて
想いを告げられた。
嬉しかった。
なのに、それに自分は答えられない。
答えたい、出来るなら。
でも。
それをすることは許されない。
イルミナの涙を、拭う人は誰もいなかった。