リリアナののぞみ
「リリアナ・・・」
イルミナは呆然としながら、縋り付いてくる美貌の妹を見る。
驚きを隠せなかった。
何も変わっていないリリアナを見て。
女王になると言われているのだから、少しは成長しているかと思ったのに、彼女は何も変わっていない。
ただただ、美しくなっただけだ。
「おねえさま、おねえさま、おねえさま!!
どうして最近お会いして下さらないのっ?
ウィルもお父様も・・・!
誰も私の傍にいてくれないの・・・!
宰相もいないし・・・、私女王になんてなりたくないわ・・・!
なるってお父様が宣言してから、みんな冷たいのよ・・・!」
さめざめと泣き続ける妹に、イルミナは恐怖する。
自分が、なりたくてなりたくて。
そのために努力をしてきたことを。
彼女はそんなくだらない理由でやりたくないというのか。
「リリアナ」
イルミナは厳しい声でリリアナを呼んだ。
部屋にいる者たちは、イルミナのその厳しい声に息を飲む。
イルミナは、いつだってリリアナに優しく接してきた。
どんなことでも、優しく諫めていた。
リリアナのせいで自身の望みが潰えたときですら、リリアナを責めなかった。
その、イルミナが。
「・・・おねえさま・・・?」
そのことに気付かないながらにも、姉の厳しい声にリリアナは戸惑う。
「リリアナ、いい加減にしなさい」
「っ・・・!!
お、おねえ、さま・・・?
ど、どうなさったの・・・?」
「貴女、自分が何を言っているのか分かっているの?」
リリアナは、怖い顔をする姉が嫌で、誰か助けてくれないかと周りを見回す。
しかし、誰もが厳しい表情のままだ。
どうしてそんな表情を浮かべられているのか分からないリリアナは、その目を更に潤ませた。
「貴女は、私から女王になるという目標を奪った」
「っ!!
でも!
それはウィルと結婚する為って・・・!!」
「だから?
ウィリアム殿と婚約をするのは私だった。
それも、女王になるためだけに、そこにいるライゼルト辺境伯と話をして。
愛はなくとも、国の為に一緒に頑張ってくれると思っていた。
・・・それを、貴女は奪った・・・。
それでもかまわなかったのよ、リリアナ。
貴女が女王教育をしていると聞いて、私は少なからず安心したわ。
少なくとも、勉強はしているのだと。
ウィリアム殿と協力して、国を良くするために頑張ってくれるのだと。
でも、貴女は何もしなかったし、今もしていない。
・・・ねぇ、リリアナ。
ウィリアム殿と結婚する為に、女王になるのでは話にならないのよ」
リリアナは、初めて聞く姉の厳しい言葉に涙を零した。
いつもであれば、心痛む光景だが、今のイルミナには何も届かない。
「リリアナ・・・。
女王というのは、民の為に存在するの。
民の為に心を尽くし、時間を尽くし、身に持つすべてを尽くすのよ。
それが、出来て当たり前なのよ」
「でも!!
お父様もお母様も、何もしなくていいって・・・!
お姉さまが宰相と結婚したら、国に残ってくれるって・・・!」
ばきり、とグランの手の中から不穏な音がする。
「・・・リリアナ、どうして貴女は考えないの。
どうして、私が宰相と結婚しなくてはならないの?
どうして、それをおかしいとは思わないの?
宰相は、陛下より年上なのよ?」
「え、だって・・・、
お父様とお母様がそうするって仰って・・・」
イルミナは、これ見よがしにため息をついた。
そして気づいた。
リリアナは、あの二人にとってお人形なのだと。
何も知らせない、何もやらせない、綺麗なだけのお人形。
そんな存在を、女王にするなど破滅以外有り得ないということに、なぜ気付かないのか。
「・・・。
リリアナ、貴女・・・」
何かを言いたくて、でも何も言えない。
ある意味リリアナも犠牲者なのかと気付く。
本来であれば王女として育てられるはずの彼女は、王たちの我儘のせいでこうなってしまったのだと。
だが、それとこれは話が別だ。
イルミナがリリアナを憐れんでいると、リリアナは何かに気付いたようにグランを見た。
「・・・お義父様、ですよね?」
呼ばれたグランは、信じられないものを見るような視線をリリアナに向ける。
否、グランだけではない。
ヴェルナーやアーサーベルトですらそうだ。
「あの、ウィルはどこですか・・・?
会いたいのに、会えないのです。
ウィルは、お義父様と喧嘩をしたと言っていたけれど・・・。
もう許してあげてください」
「――――っ、」
イルミナは、リリアナが恐ろしくなった。
どうして、この状況でその話が出来るのだ。
なぜ、グランがリリアナに一度も会っていないのか、考えることはしないのか。
「・・・第二王女殿下。
私を義父と呼ぶのはお止め下さい。
私とあれは、今や繋がりはございません」
グランは硬い表情のまま返す。
そんなグランにリリアナは言い返した。
「どうして!?
どうして、ウィルのお父様なのにそんなひどいことを仰るの・・・?
ウィルは頑張っているのに、なんで・・・」
グランがぐっと、何かを堪えた瞬間、扉が叩かれた。
「リリアナ殿下!
こちらにおいでですか!!」
慌てたような声は、リリアナの護衛だろうか。
イルミナは素早くアーサーベルトに目配せをした。
それに気づいたアーサーベルトは、颯爽と扉に近寄り護衛の身元確認を行った。
「リリアナ殿下!!
みな心配して探しております!!
さぁ、戻りましょう!」
確認が取れたので、護衛を室内へと入る許可をイルミナが出す。
しかしリリアナは少しも悪びれた様子が無い。
「今大切な話をしているの!!
後にして!!」
「リリアナ様!!」
その光景に耐えきれなかったイルミナは、低い声で二人に言い放った。
「二人とも、今すぐ退室を。
これ以上、私の部屋でのみっともない争いは結構です」
姉姫の冷たい物言いに、護衛はじろりと彼女を睨んだ。
「お姉さま!
どうしてそんなひどいことを仰るの?
まだ話したいことがあるのに・・・!」
しかし、アーサーベルトはイルミナの意を酌んで二人に退室するよう促した。
またも泣き始めるリリアナを、護衛は必死に慰めている。
その涙を見ても、イルミナの心は動かされることは無かった。
リリアナの涙は、確かに美しい。
しかし、何もないのだ。
悲しみからあふれ出ているようにも、感動からこぼれ出たようにも感じない。
ガラス玉の瞳から零れ落ちているだけ、そんな印象をイルミナは持ってしまった。
どうして、こうなってしまったのだろうか。
どうして、こうも上手くいかないのだろうか。
なにが悪いのか、なにも悪くないのか。
イルミナは振り切るように頭を振った。
今それを考えてどうしようと言うのだろうか。
考えなくてはならないことは、他にもたくさんあるのだから。
イルミナは一回深呼吸をすると、前を見た。
目の前にはグランがいて、ヴェルナーがいて、アーサーベルトがいる。
他にも、自分を見てくれる人はいるのだ。
アウベールの村の皆や、アリバル、ブランだっている。
今までの様に一回否定されたからと悲観しなくてもいいのだ。
リリアナの悲痛な鳴き声が、扉の向こうで響いている。
それでも、イルミナは迷うことなく背筋を伸ばして前をみた。
「・・・さて、今後の話をしましょう」
イルミナは過去を振り切るかのように力強く言った。
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ぼろぼろと涙がこぼれる。
どうして、お姉さまはあんなひどいことを仰るのかしら。
護衛やメイドが一生懸命色々してくるけど、何一つとして心は晴れない。
ウィリアムに会いたいと、リリアナは切実に思った。
そして同時に、どうして彼のお父様はあんなにも冷たいのだろうとも考えた。
リリアナは気付かない。
父であるグランは冷たいのではなく、当然の措置を取っているだけなのだということを。
そもそも、そのような措置を取られるような行動をしたウィリアムに問題があるということを。
そして貴族たちは、それでもグランの措置を優しいと思っていることを。
「おとうさまぁ、おかあさまぁ・・・」
リリアナはベッドに伏して涙を零す。
父も、母も。
最近は前の様に一緒にいてくれない。
なんで、どうしてと泣く。
本当は女王になんて、なりたくない。
姉と話す切欠になればいいと思ったけれど、実際はそのせいで姉にも嫌われてしまっている。
姉からもらった紙は、一度読んだけれどすごく難しくて、直ぐに読むのを止めてしまった。
女王になったら、あんなのを毎日読まなければならないなんて、できないとリリアナは考える。
ウィリアム、彼は今どこにいるのだろうか。
城に登城しているのは知っている。
しかし、朝に一度顔を出しただけでその後は一回も来てくれないのだ。
そんなの、会っているなんて言えない。
リリアナはひたすら涙をほろほろ零す。
まるで、前に呼んだ本の悲劇のお姫様みたいだ。
自分でそう思ってしまうくらい、リリアナは悲しみに満ちていた。
———そんなはずないでしょう、あなただけではない。
そう言ってくれる人は、リリアナの周りには誰もいない。
その事に、リリアナは気付けない。
それがいかに、憐れなことかを。
「リリアナ様」
泣き伏していると、外のメイドから声をかけられる。
その問いかけに、リリアナは答えなかった。
しかしメイドは再度声をかけてくる。
「リリアナ様、
ウィリアム様がお見えになっておりますが」
「っウィルが!?」
先ほどまでの欝々とした気持ちが一気に吹き飛ぶ。
彼がこの時間帯に訪れてくれるなんて久しぶりだ。
リリアナは弾む気持ちで扉に駆け寄った。
「ウィル!!」
「リリー、」
久しぶりに見るウィリアムは、やつれているように見えた。
けれど、きっと自分とお話ししたら元気になるだろう。
だって自分がそうなのだから。
「ウィル!
会いたかったわ、
今日ね、お姉さまと・・・」
「リリアナ、
一緒に政策を手伝ってくれないか」
「・・・え?」
ウィリアムは疲れたようにため息をつきながらリリアナに再度話す。
「リリー、君が女王になるのに、僕だけが頑張っても仕方ないだろう?
一緒に頑張ろうって話をしたじゃないか。
イルミナ殿下に貰った分があるだろう?
それだけでも一緒にしてくれないか。
もう僕一人じゃ誰も動いてくれないんだ・・・」
リリアナは信じられなった。
ウィリアムが、こんなことを言うなんて。
「ウィル、私には無理よ。
だって、私・・・女王になりたくないもの・・・」
リリアナの言葉に、信じられないといったように目を見開いたのはウィリアムだ。
「リリアナ!?
君は何を言っているんだ・・・?
僕と婚約する為に女王になると決めたんじゃないのか!?」
リリアナは首をかしげる。
そして本当に不思議そうに言った。
「宰相が言ったからよ。
私からなりたいなんて、言ったことないわ。
ウィルと結婚する為に必要だって聞いて、宰相が私も女王になれるって・・・。
でも私にはよくわからなかったわ。
それでお父様とお母様に話してこうなったの」
ウィリアムは愕然とした。
そんなことがあっていいわけない。
そんな、なら自分は何の為に。
ウィリアムは目の前の少女が恐ろしくなった。
無垢で、無慈悲なヴェルムンドの至宝。
それが、目の前の彼女だと言うのか。
ウィリアムは初めて、自分の犯した罪と言うものが現実になって見えたような気がした。