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「本当にいいのか?
もう少し休むことも出来るんだぞ?」
ガタゴトと馬車が揺れる。
行きとそんなに変わらない風景が窓の外には広がっていた。
「大丈夫です、
このままでいるわけにもいきませんし、
時間もそこまでは許してはくれないでしょう」
リリアナが直ぐに即位するということは無いだろうが、今回の宰相の件を王がどこまで重要視し、理解しているのかが問題になってくる。
グランから聞いた限りでは宰相が裏切っていた、ということは知っているはずだが、それとリリアナの関連性をどこまで理解してくれているのか。
そしてリリアナの即位を思いとどまるようにも進言しなければならない。
そうでなければ、リリアナも被害者となってしまう。
リリアナが女王になることに意欲的でないことは知っている。
その彼女に、宰相の言葉だけで判断を下し女王となることを課したのは王だ。
確かに、ウィリアムとの婚姻の為に女王になると決めたのかもしれないが、そんな理由で国の頂点に立つのは間違っている。
だからと言って、自分を女王にしろというわけでもない。
そこから、話し合いをしなければならないだろう。
それによってこれからの自分がどうなるのか、上手く想像は出来ない。
それでも、しなければこの国の衰退が決まるのだ。
たとえ自分が、どんなに嫌われたとしても。
決意を新たに考え込んでいると。
「イルミナ」
グランがしかめっ面でイルミナを呼んだ。
「どうしました?」
不思議そうにするイルミナに、グランはやれやれと言わんばかりにため息をついた。
「寝なさい。
どうせ、まだ夢を見ているのだろう」
何で、と思った。
表面的には、イルミナは驚異的な速さで回復したと思われている。
しかし、実際は違う。
解毒剤の量こそ減ったものの、本当は未だに手放せずにいる。
夜だって寝付けないことだってまだある。
以前の様に叫び出すということは無いが、それでも見る夢が怖くてなかなか寝付けず、寝てもすぐに起きてしまうのだ。
それでも、イルミナは優しさのぬるま湯から出て、その身を嵐の中に飛び込ませることを決めたのだ。
薬を飲んでいるから、グランは気付いてもおかしくはないが、どうして夢まで。
イルミナが意識を取り戻してからは、グランは夜に寝室で待機することはなくなったはずなのに。
しかしイルミナは気付いていなかった。
自身の顔色があまりよくないことと、隈ができていることに。
そして、微かなそれをグランが常に気にしていて、彼女の部屋の前にいたことを。
「・・・いいから、少しでも休んでおきなさい。
先はまだ長いが、君の場合は休めるときに休んでおかないと、あとで後悔することになるぞ」
アウベールから王都まで四日はかかる。
グラン一人であれば単騎で飛ばすことは可能だが、イルミナは本調子ではない。
そんな彼女に無理はさせられない。
故に、途中にある村々で休みと取りながら向かう予定なのだ。
「・・・そうですね。
少し休みます、なにかあれば起こしてください」
握りしめていた手を緩め、クッションを背中にあて目を瞑る。
がたがたと揺れるため、安眠は出来ないだろうが目を瞑っているだけでも十分な休息にはなるだろう。
そう思っていると。
「それでは休み辛いだろう。
おいで」
グランはイルミナの肩を掴むと自分の方へと引き寄せた。
力強いそれに負け、イルミナの体は傾ぐ。
そしてそのままグランの膝の上へとイルミナの頭は収まった。
「・・・!?
ぐらん!?
あの、その・・・」
グランのいきなりの行動に、イルミナは目を丸くしながらも体を起こそうとした。
しかし、そんなイルミナをグランは上手く制する。
「私もこのまま休むから、動くな」
「っ、・・・わかりました・・・」
さっさと目を瞑ったグランに、イルミナは渋々従い自身も目を閉じた。
数分もすると、イルミナの唇から寝息が漏れ始める。
それを確認したグランはそっと目を開いて、ひざ掛けをイルミナの肩にかけた。
少しだけ開かれた窓からは、少しだけ冷たいながらも良い風が入ってくる。
そろそろ本格的な冬になるだろう。
その前には色々と準備をしなければ、と考えるグランの鼻孔に甘い香りが漂った。
イルミナからかすかに香るそれは、ラグゼンから贈られた香水だ。
少量しかつけていないのだろうか、微かにしか香らない。
イルミナにとても似合っているという気持ちと、それを他の男が渡した気にくわない気持ちが、胸中をぐるぐるとまわる。
しゃらり、とイルミナの首元から銀の鎖が零れ落ちた。
――――自分の瞳の色を入れた装飾品を、贈ることになるとは。
自分の分かりやすい贈り物に、イルミナはきっと気付いていないだろう。
それの意図することを。
首飾りは、執着の表れ。
自分の色を入れるのは、自分のものだと公言する為。
そのことをラグゼンに指摘されたとき、グランは柄にもなく笑いそうになった。
イルミナに送った首飾りは、特注品だ。
ジョンを介しながら何回も図案を考え直し、そして作らせたもの。
イルミナはまだ気づいていないようだが、後ろの留め金のところにはライゼルトの紋章が彫ってある。
それぐらい、出来ることなら彼女を手放したくはなかった。
城に戻れば、きっとイルミナは苦しむことになるだろう。
今はまだ、村での思い出で一杯だからそこまで理解していないに違いない。
彼女がこれから会わねばならないのは、王だ。
彼女を、あそこまで追い詰めた張本人。
王さえ、あのようなことを言わなければ、イルミナは宰相に浚われることもなかっただろう。
その彼に会い、彼の溺愛するリリアナが女王に向いてはいないということを進言する。
それを王に言うだけで、彼はどれくらい憤慨し、イルミナを貶すだろうか。
どれほど彼女を傷つけることになるか、正直分からない。
それでも。
「・・・すまない」
グイードに言った言葉は本音だ。
ここで逃げたとして、きっとイルミナはいつか自分を責めるだろう。
だからといって、彼女を傷つけたいわけではないのだ。
出来るのであれば、王にも王妃にも。
妹や自分の息子にさえ会わないようにし、彼女を傷つける全てのものから守ってやりたい。
しかし、それは自分のエゴだ。
わかっているから。
わかっているから、せめて。
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城への道のりは、結果的に六日間も要した。
途中の村々で無理せず休息をとってのものだったため、イルミナも大きく体調を崩す事は無かった。
そうして凡そ二ヶ月ぶりに戻ってきた城は、何も変わっていないように見えたが、どこか余所余所しくも感じられた。
「・・・?
ヴェルナーとアーサーを」
イルミナはグランを背後に従えて自室までの慣れた道を歩く。
「・・・?」
そしてイルミナは気付いた。
城が、おかしいことに。
どういうことだろうか、具体的に何かが変わったわけではない。
しかし、重苦しい空気が流れているのだ。
イルミナはよくわからないまま、とりあえず自室を目指した。
「おかえりなさいませ、殿下」
「戻りました。
ヴェルナー、アーサー。
今回は迷惑をかけました」
彼らは、既にイルミナの執務室にいた。
きっとグランが鷹で知らせてくれていたのだろう。
久々に見る彼らは、多忙だったためか頬は削げ、隈が目の下を陣取っている。
しかし、その瞳は燃えるような色彩を放っていた。
「いいえ、
この度は我らの失態、誠に申し訳なく・・・」
今にも膝を着きそうなアーサーベルトに、イルミナは苦笑する。
「それは違います、
あれは私のうかつさが招いたことです。
それより、あれからの話をしたいのですが、いいでしょうか?」
イルミナの言葉にヴェルナーとアーサーは唇を引き締める。
そしてヴェルナーは懐から何枚かの用紙を出した。
「では、失礼して私から。
・・・殿下の教育関係の政策は予定通りにほぼ進んでおります、
学び舎の建物も完成してます、こちらはアウベールでご確認はされてますね?
教育者ですが、退役されている文官に声をかけています。
既に十人ほど確認が取れている状態です。
教育者の居住に関しても、アウベールのものと考えていますが、現段階では新たに宿舎を建設予定です。
教える分類、教材に関してですが、アウベールから上がっている報告書の元、作成中です。
近日中には試作段階のものが上がってきます」
「ありがとう、ヴェルナー。
そのままお願いします」
「かしこまりました」
「アーサーからは何かありますか?」
「はっ!
最近城内で不穏な空気が流れており、王に対する不満の声が少しずつではありますが出てきております」
「不穏な空気・・・?」
「宰相が雲隠れをし、そのまま退官されたことが発端のようです。
それによって、一部の貴族たちがリリアナ殿下が女王で良いのかという不信感を抱き始め、それが少しずつ伝染しているように見受けられました」
イルミナは首を傾げた。
どうしてそのような話が出てくるのだ?
「リリアナとウィリアム殿は何を?
予定では女王になるのだから政策に何かしら関与はしているはずでしょう?
どうして貴族が不信感を?」
イルミナのもっともな疑問に、ヴェルナーは言いずらそうにしながらも話した。
「・・・殿下、
実はお二人とも政策に一切関与していません」
「・・・!?
どうしてっ」
「・・・リリアナ殿下は、女王になる意志がないようでして・・・基本的にお部屋から出て来られません。
ウィリアム殿は、リリアナ殿下の婚約者として勉強中のようです。
そのため、政策に関わる時間がないと仰られていますが・・・実際はグラン殿から見限られたため、一部の貴族から反発を受けている状態です。
リリアナ殿下も、ウィリアム殿に会えないことから、女王になることへの意志が薄れているように私には感じられました」
イルミナは愕然としながら怒りを胸中にとどまらせようとした。
リリアナには、前もって政策の概要を書いた紙を渡していたのに、彼女の為に分かりやすく書いたというのに。
ウィリアムだって、こうなることを予測できなかったのだろうか。
グランを見ると、彼は表情を変えずに無言のまま話を聞いている。
イルミナは父王にも怒りを抱いた。
自分ではなく、リリアナを指名しておきながら何もしていないのだろうか。
「・・・陛下に面会を。
いったいどうなっているのか確認しなければ・・・」
そう言いかけたところで。
「お姉さま!!!!」
ヴェルムンドの至宝が、頬を涙で濡らしながら転がるように飛び込んできた。