辺境伯と村の男
がたごとと、馬車は揺れる。
舗装されていない道も通る為か、柔らかい素材を使った椅子でも、時折体を打ち、痛みを覚えた。
それでも男は、腕の中にある存在を手放したりしない。
「・・・」
救出された当初に比べれば、幾分か顔色は良くなっている。
しかし、視線は相変わらず虚ろのままで、まともに自分を映すことがない。
男、グラン・ライゼルト辺境伯はそのことを少しだけ寂しく思った。
イルミナは、そんなグランの思いを知ってか知らずか、ただただぼんやりと窓の外に流れる風景を目に映していた。
イルミナに倣って外を見れば、のどかな風景が一面に広がっている。
まるで自身の領地のようだと感じた。
グランは、アリバルの言葉通りにイルミナをアウベールの村へと連れて行く役を担った。
それは、彼自身が望んだことでもある。
息子の管理を怠ったせいで、このようなことになったとは言わない。
ティンバーの妄執を考えれば、いずれ起こりえたものだろうから。
だが、それ以上にグランはイルミナのことが気になって仕方なかった。
グランは、イルミナの本当の願いというものを、何となくではあるが気づいていた。
それは、彼女の言葉の端々から、言動から。
イルミナは、居場所が欲しい、力が欲しいとしか言っていなかったが、本音はそれではないと気づいたのはいつのことだっただろうか。
―――愛して欲しい。
それに気づいて、そしてその全身からの訴えに、どうして今まで気づかなかったのだろうと不思議に思ってしまうほどだった。
しかし本人ですら気づいていないのだ。
それが意識下のものなのか、それとも無意識なのかは本人にしかわからない。
しかし、アーサーベルトの扱きを受けたイルミナが、ティンバー如きに遅れを取るほどの何かがあったのだろうとグランは考えている。
―――例えば、自分が知りたくなかったこと、とか。
あくまでも予測でしかないが、イルミナはそれを知った。
そして絶望した。
そうして逃げた先に宰相がいた、というより手ぐすね引いて待っていたのだろう。
そして浚うように連れていかれた。
宰相からは事情を確認できていないと、ヴェルナーから報告を受けている。
どうしても口を割ろうとしないと。
故に、全てはグランの憶測でしかない。
薬漬けにされ、マリーネアのように扱われたイルミナは、きっと想像できないほどに傷付いている。
心も身体も、本当にぼろぼろになっているのだろう。
グランは、そんなイルミナを守りたいと考えた。
自分の手の中で、珠玉のように。
誰にも、二度と傷などつけさせたりはしない。
自分が、彼女を慈しんで守りたい、と。
正直、ここまでならなければ、グランが自分の思いに気付くことはなかった。
自分の子よりも下の子に、というのが本音だ。
しかし、グランは気づいてしまった。
正確に言うのであれば、もっと前から気づいていた。
あの夜。
彼女の瞳を覗き込んだ、あの時。
宝石のように輝く彼女のアメジストのような瞳が、今でも忘れられない。
きっとあの時から、グランはイルミナをただ一人の女性として守りたかった。
しかし、そうなればイルミナにはたくさんのものを捨ててもらう必要がある。
王位継承権、政策への関与。
他にもたくさんある。
本来であれば、第一王女という身分から、彼女はラグゼンファードに嫁ぐのが一番だと言われるだろう。
しかし、万が一にでもイルミナがこの状態から回復しなければ、ラグゼンに嫁ぐこともできない。
そうすれば、自分が娶ることに反対するものも少なくなる。
病んだ彼女を誰が引き取りたいと考えるものか。
暗い愉悦が生まれる。
しかしグランだって本当は分かっているのだ。
イルミナは、きっと回復するだろう。
その後に、彼女がどのような道を進もうとするのかは分からない。
しかし、イルミナはきっと自分が望む道だけは選ぶことが無いのだろうことを、グランは何となく知っていた。
「・・・」
不意に気づくと、イルミナは目を閉じていた。
薬を盛られてからというもの、イルミナの睡眠は以前よりさらに浅くなっていた。
グランはその浅い眠りと邪魔しないように真綿に包むように大切に抱き込む。
そしてそっと額に唇を落とした。
**********************
「これはこれは・・・、
まさか辺境伯殿ご本人様がいらっしゃるとは・・・。
お初にお目にかかります。
わしはアウベール村の村長、タジールと申します」
タジールは、ハザから聞いてはいたが本当に辺境伯本人が来たのか、と内心で驚いていた。
少しだけ疲れたように微笑むその人は、自分たちの領地を統治するお方だ。
そして、敬意を払うべき人間だということをタジールは理解していた。
「この度はありがとう、
あなたのことはイルミナから聞いている」
「そうですか・・・、
とりあえず先に殿下を休ませて差し上げませんとな。
グイード、案内して差し上げなさい」
そうタジールが言うと、グイードが家の裏手からやってくる。
しかしなぜか服装が乱れている。
まぁ、想像に難くないとタジールは何も言わずにいた。
出来ることならば、自分だってグイードのように行動したいのだから。
「どうぞ、こちらへ。
荷物は後程部屋にお持ちするんで」
「助かる」
グイードは言葉少なにそういうと歩き出す。
孫の横顔は、憤怒に燃えているわけではなかった。
しかし、それ以上に凍てついた眼をしていることに、タジールは若さゆえだな、と思いながらもいつの間にかやってきたハザに視線をやる。
彼の服も、何かあったのか乱れている。
まぁ、理由なんて知れているが。
タジールは精の付く優しい食べ物を用意してもらうべく、一人家へと戻っていった。
「ここが、殿下の為に用意した家です。
一日中誰かしらいます」
そう言って用意されたのは古いものの、綺麗にされた一軒家だ。
入ると、そこには既に護衛らしき男が二人いた。
「ご苦労、
外を頼む」
「「っは!」」
グランがそう声をかけると男たちは機敏な動きで外へと出ていく。
「イルミナ殿下の部屋は二階です。
先に休ませてやって下さい。
俺はお茶でも淹れているので」
グイードはそういうと台所へと足を向けた。
グランはその背を見て、そしてゆっくりと階段を上がっていった。
「どうぞ」
出されたお茶は、嗅いだことのない香りがした。
グランはその香りを一瞬嗅ぐと、そのままお茶を口にする。
その行為を、グイードは泣きそうな表情で見ていた。
「なんで、なんですか・・・、
なんで、アンタも・・・」
グイードは思わずと言ったように言葉を漏らした。
「っなんで、イルミナはこんな目に、遭っているんだ・・・!
王女様だろう!?
なんで、なんで・・・!
どうして、誰も守ってやらないんだ・・・!!」
血を吐くようなグイードの言葉にグランは冷静に返す。
「守るために出た行動が、裏目に出た。
本来であれば、このようなことになるはずはなかった」
「!!
でも結果イルミナは傷付いているだろう!!
なんでだよ・・・!!
どうして、どうして・・・!!」
その時グランは気づいた。
目の前の少年が、イルミナに対してどのような思いを抱えているのかを。
「君は・・・」
「、そうだよ・・・!!
わかっている!!
八つ当たりだって・・・!!
でも、でも、どうしても納得できないんだ・・・!!
なんで、イルミナが女王じゃないんだ!!」
グイードは涙を零しながら続けた。
「また会いに来るって、言ってた。
でも、俺たちが望んだ再会はこんなんじゃない・・・!!
ジジィだってそうだ、
イルミナがイルミナだから、今回のことだって了承してたのに・・・!!
なんで、アンタはイルミナを救ってやらなかったんだ・・・!!」
ぼろぼろと零れる涙を、グランは綺麗だと思った。
純粋に、流せる涙。
人を想って、流れる涙。
自分にはもうできないだろう。
「・・・すまない。
手助けになればと思った行動が、全て裏目に出てしまった・・・。
しかし、まだ終わらない。
むしろこれからが正念場となるだろう」
そう言いかけたグランに、グイードは絶叫する。
「―――!!!
まだ、イルミナを使うのかよ!!
女の子だぞ・・・!?
もう、休ませてやれよ!!」
その眼には、怒りが宿っている。
グランは、感情を素直に吐き出すことのできるグイードを羨ましく思った。
自分だって、出来るならそうしたかった。
「そうして!
殿下は本当に幸せになれるのか・・・!!
やりかけたこと全てを投げ捨てて、そうして・・・、
本当に彼女が幸せになれると、お前は思うのか・・・!」
グランの低い声に、グイードははっとした。
「私だって、休ませてやりたい。
私が、守ってやりたい、
しかしそれをして、イルミナは自分を責めたりしないのか?」
「!!」
「私の知るイルミナは、きっと自分を責めるだろう。
そうならない為にも、出来る限りのことをする」
「・・・アンタ・・・」
グイードは呆然と呟いた。
その目には先ほどまでの怒りはなく、反対に信じられないものを見たような視線をグランに向けた。
「アンタ・・・イルミナのことが、好きなのか」
その言葉は、驚くほど素直にグランの胸の内に入って行った。
そうではないかと考えてはいたが、実際に言葉にしたことはなかった好意。
それを、グイードはあっさりと口にし、それをグランは受け入れた。
「・・・馬鹿だと笑うか。
愛する者を傷つける私を」
自嘲気味な笑みを浮かべるグランに、グイードは悔しそうに唇を噛みしめた。
それはまるで、自分は勝てないとでも言っているような。
「・・・、
先ほどの暴言は申し訳ありませんでした・・・。
今日はゆっくり休んでください。
明日、朝食を持ってきます・・・」
先程とは打って変わってしょげた雰囲気のグイードに、グランは首を傾げそうになる。
しかしその言葉は有りがたい。
出来る限りの時間を、イルミナの傍にいてやりたいのだ。
彼女は、声も上げずに泣き出すから。
「・・・よろしく頼む」
グイードはグランのその言葉を背に受け、無言のまま家を後にした。
「グイード、
何かあったのか?
殿下は・・・」
ハザは肩を落とすグイードを見つけ、声をかけた。
彼であれば言い返しそうものだが、珍しく何も言ってこない。
「?
本当にどうした・・・?
グイード、お前・・・」
グイードは目と鼻を赤くしており、泣いていたことが直ぐにハザにはわかった。
「・・・なんで、俺には力が無いんだろう・・・。
あの人のように、力があれば・・・!」
その言葉で、ハザは気づいた。
友人という親しい間柄ではないが、ハザはグイードのことを戦友あるいは悪友のように思っていた。
以前に、彼と真正面から話し合ってからハザはグイードという村人を認めたのだ。
その認めた彼が、きっと一番弱った姿を見せたくないだろう自分の前で、その姿を晒す。
「・・・手に入れるしかないだろう。
だからこそ、これを成功させるんだ。
そうすれば、きっと望むものが近くなる」
ハザはそれだけ言った。
そして踵を返してその場を立ち去った。
残されたグイードの目に、夕焼けが眩しく映る。
こんなにも、綺麗な色をしていただろうか。
こんなにも、切なくなる色をしていただろうか。
そしてグイードは気づいた。
「・・・すきだ、
・・・いるみな・・・」
零れそうになる涙を、必死に止める。
いつか伝えたいと思う。
それでも、今は駄目だ。
だが、いつか―――。