宰相の真実
あの日、あの方を見て
こんなにも美しい人がこの世にいるのかと
息をも出来ぬほどの美しさとは、こういうことをいうのかと知った
――――マリーネア、昔話をしましょうか・・・。
私と貴女が出会った頃の話ですよ・・・。
ティンバー・ウォーカー。
貴族、ウォーカー家の三男坊として、その生を受けた。
しかし、三男ともなれば家にいることはできない。
唯一よかったことは、彼は頭が非常に良く、それを発揮できる国の宰相をいう地位を欲することができた。
当時十八歳の彼は、自身の知識欲を満たすために国外へと出る決意をしたばかりであった。
貴族である家の力を総動員して、ようやく勉学の為に一時ではあるが、隣国ハルバートでの在住が許されたのだ。
初めて来る国に、ティンバーの心は踊りっぱなしであった。
知らない計算方法、知識、歴史。
それら全てがティンバーを魅了した。
常に監視するためとはいえ、城に滞在させてもらったのは僥倖であった。
閲覧禁止部分はさすがに無理だが、蔵書に関しては間違いなく城が一番だったのだ。
下手に城下に滞在させることはないと知ってはいたけれど。
それすらも見越した自身の慧眼に、ティンバーは薄く笑った。
ティンバーには城の中でお気に入りの場所があった。
そこは庭の一角で、昼間だと日当たりのよいところであった。
そのお気に入りの場所で、温まりながら日々本を読むのが日課の一つとなっていた。
そんなある日、出会いが突然訪れた。
「貴方が、ヴェルムンドからの・・・?
始めまして、私はマリーネア、侯爵家の娘よ」
――――覚えていますか・・・。
あの時の貴女は、綻びたての薔薇のように若く美しく、そして香しかった・・・。
ティンバーは確かに貴族ではあったが、そこまで家名は高くなかった。
しかし、マリーネアはそんなことは気にせず、ひたすらヴェルムンドのことを聞きたがった。
「そうなの、
私たちの国とは違うのね・・・。
他には何か違いはあるのかしら?」
マリーネアは聡明であった。
それは勉学の為に来ていたティンバーですら舌を巻くほどに。
その理由を問うと。
「私はいずれ、この国の王妃になるの。
王を支え、国を反映させるためには必要な知識だわ」
それは、ティンバーのいるヴェルムンドでは理解されがたい考えであった。
女性が勉強をすることは問題ない。
むしろ貴族であれば当然だった。
しかし、あくまでもそれは形だ。
それを使って国政に携わるなど有りえなかったのだ。
しかし、その考えにティンバーは感激した。
王族とはこうでなくては、と考えさせられたのだ。
しかし。
ある日マリーネアは泣いていた。
ティンバーは彼女がそのように泣くとは思いもせず、慌ててしまう。
――――覚えておいでですか、
貴女が初めて私の前で泣かれた時のことを・・・。
・・・あの時の僕は若造で、貴女をどう慰めればいいのかわからなかった。
「王妃になる為の勉強は仕方ないわ・・・。
でも、偶に本当に辛いの・・・。
夫となる殿下には余りお会いできないし・・・、
王妃様もとても厳しいの、
私の為だとは分かっているけれど、どうしても・・・」
涙を零すマリーネアは、女神のごとく美しくティンバーの目に映った。
それから、稀にではあるがマリーネアはティンバーの前で弱音を吐いた。
それは、慰めてほしいとかからではなく、同じ高みを目指すものとして吐露していただけに過ぎなかったのだと、ティンバーは気付けなかった。
「マリー、僕と共に逃げないか」
「・・・何を、言っているの、ティンバー・・・?」
ある日、ティンバーはマリーネアの手をしっかりと握りしめながら言った。
一世一代の告白のつもりだった。
「僕は、君がこれ以上泣くのを見てはいられない・・・。
僕なら、君を守ってあげられる、
どうか、僕と一緒に逃げてくれ」
熱に浮かされたように言うティンバーに、マリーネアは困惑した表情を浮かべた。
マリーネアからすれば、同じ高みを目指す同志として見ていただけだというのに、一体いつ、ティンバーは自分に対して男女の情を抱いたのだろうと思ったことだろう。
「ティンバー・・・、
それは出来ないわ」
「っ、どうして!!」
「だって、私はこの国の王妃になるために、今まで頑張ってきたの。
それに逃げてどうなるの・・・?
私の家族は?
殿下は、
・・・国民はどうなるの?」
ティンバーはこの後に及んで優しい彼女に苛立ちすら覚えた。
どうして、自分のことだけを考えない。
どうして、何も言わず頷いて自分の手を取らないのだ。
こんなにも、自分は、彼女のことを思っているというのに。
「どうして!!
君はいつも泣かされているだろう!!
王子だって、君を助けてくれないのに!!
家族だってそうだろ!!」
激昂して怒るティンバーに、マリーネアは首を緩く振った。
「違うわ、ティンバー。
お父様も、お母様も、皆、私を応援して下さっているわ。
殿下も、いつも気にかけて下さっているのよ。
王妃様だって、私の為を想ってして下さっているの・・・。
貴方に泣きついたのは申し訳なかったわ・・・、
同じ気持ちの立場の貴方なら、どうしようもない気持ちを吐いて許されると思った私を赦して・・・。
ティンバー・・・私の初めての同志・・・。
もう、二度と会わないわ・・・。
・・・っ、ごめんなさい」
マリーネアはそういうと、ティンバーの手を優しく離してその場を立ち去った。
この瞬間、マリーネアはたった一人の同志をなくした気持ちになり、ティンバーは最愛の人をなくした気持ちになった。
「・・・うそだ。
そんなはず、ない・・・。
マリーが、マリーネアが、僕を裏切るなんて・・・。
そうだ、きっと、言わされているんだ・・・!!」
しかし、それ以降二度と、マリーネアとティンバーが会うことはなかった。
そうして、マリーネアは王太子と結婚し、王妃となり子供を授かった。
王妃教育で受けた知識を、常に国と王の為に使った彼女は賢妃として国民に愛される。
若くして、その命を落とした後も。
――――マリーネア、君は一度死んでしまったけれど、
僕の為に戻ってきてくれたんだろう・・・?
大丈夫、今度こそ、大丈夫。
僕が一生ここで守ってあげるからね・・・。
ティンバーは今でも覚えている。
マリーネアの娘が嫁いできた日も。
愛しのマリーネアがこの世から去った日も。
そして、第一子のイルミナが生まれた日も。
生まれ変わりだと、思った。
黒い髪に、紫の瞳。
マリーネアと同じ色。
あの時添い遂げられなかったことを、彼女も悔いていたのだと。
だから、こうして自分の下に戻ってきたのだと。
その日から、ティンバーの人生はイルミナを手に入れる為だけに回り始める。
***********************
アリバルは、一枚の紙をを手にし、内容を読み上げた。
それは、マリーネアが唯一、ティンバーに関して記した手記であった。
「どうしてお前がそのようなものを?」
アリバルは苦笑しながら話した。
「マリーネア様に長年ついていたメイド、それが私の妻なのですよ。
そして先先々代のハルバート王の、落とし種でもあります」
「!?」
グランも、ハーヴェイもそのことは知らなかった。
しかし、ブランは知っていたのかやはり表情を変えない。
「わ、私は聞いていないぞ・・・!!」
王はガタガタと震えながら言う。
本来、貴族同志、更には国を越えた婚姻は王族に報告しなければならないことである。
しかし、アリバルはそれをしていなかった。
いや、そもそも一体どこで知り合うのというのだ。
「言っておりませんでしたから。
妻の母と先先々代のハルバート王の関係は、一夜のみだったそうで。
まさかその一度で身籠ると思っていなかった彼女の母は、娘が王家のいざこざに巻き込まれるのを防ぐため、その出自を偽るよう強く言っていたみたいでしてね。
メイドとして生涯を終えようとしていたところに、私と運命的な出会いをしたということです。
あぁ、ご安心ください、すでにカバー用の身分は手に入れておりますし、今更探されても見つからないようにしてありますので」
そういう問題ではないと、誰もが思った。
しかしにこやかに、しかしきっぱりと話すアリバルに、誰一人として突っ込むことはできなかった。
さらに言うのであれば、今更突いて面倒を起こされるのも面倒だ、という本音も入り混じっていた。
「ま、まぁいい・・・。
しかし奥方もよく今更になって渡したのだな」
ハーヴェイの言葉に、アリバルは悲しげに微笑む。
その表情を見たブランも、眉間に皺を寄せた。
「色々とあったのですよ・・・。
妻は、マリーネア様の苦悩をすぐ傍で見ていた。
そして一切の手助けができなかったことを今でも悔いているんです。
妻は、本当であれば、私にも言うつもりはなかったようです。
この先もずっと、一人でこの手記を抱えて生きていこうと思っていたようです。
しかし、イルミナ殿下のことを考えて、渡すことにした、と」
アリバルはそれ以上は言わないとばかりに手記をしまうと、真剣な表情をした。
「さて、これからどうするのです?
イルミナ殿下を探されますか?」
その言葉に、即座に頷いたのはグランとハーヴェイだ。
「私の妻となる予定のイルミナを放っておくことなど出来ん」
「大公、
殿下は私の元に来るのです」
「おい、言い合いは後にしておけ。
今、俺の所の影に探索させている。
もうじき戻ってくるだろう」
ブランはそれだけ言うとさっさと謁見室をあとにする。
そんな彼に、アリバルは苦笑を零した。
「そう言えば・・・、
ブランとアリバルはなぜ?」
グランは不思議そうに問うた。
彼らは、てっきり傍観を決め込むかと思っていたから。
「・・・妻に頼まれましたからね。
それに、リリアナ殿下よりイルミナ殿下の方がいい国になりそうでしょう。
そうすれば我々貴族も、もっと領地に気を配る事もできますし・・・。
なにより、我が子が安心して暮らせるよう領地にもそろそろ特産が欲しいのでね」
そう言って、男たちは自国の王に禄に挨拶もしないまま颯爽と姿を謁見室から姿を消した。
「・・・・・・、わたしが、まちがったのか・・・?」
一人残された王は、項垂れながら一言零した。