辺境伯の怒り
「そういえばグラン殿、
ご子息には会われていないのですか?」
アーサーベルトの一言に、グランの持っていたカップが悲痛な音を立て割れた。
「・・・」
「・・・」
それを見たアーサーベルトとヴェルナーは、顔色を真っ青にする。
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「殿下」
「グラン殿・・・」
イルミナは、昼間に見たはずのグランの顔を夜も見ていた。
「グラン殿、
私が言うのもなんですが、夜に淑女の部屋に訪れるのは・・・外聞があまり宜しくないのでは・・・」
部屋と言っても執務室ではあるが。
しかし未婚のイルミナと独身となったグランが同じ部屋に夜、一緒にいるのは良くない。
例え、イルミナが子供だとしても。
むしろゴシップ好きからしたら格好の的だろう。
しかし、それを無視してでもグランはイルミナのもとに通った。
本来であれば、別のものに任せたほうが良いというのは理解している。
それでも、グランはその考えを黙殺した。
「どうせ、今夜も仕事をするおつもりでしょう。
貴女はまだ子供なのだから、寝ていればいいものを」
そうは言いながらも、強制はしない。
グランにだってわかっているのだ。
イルミナは不眠症になりつつある。
心底疲れるか、徹夜を数日してからでないと眠れなくなっている。
それは、彼女の顔色からして伺えてしまうほどだった。
ヴェルナーもアーサーベルトも、イルミナがあまりにも普通の態度を取ろうとするので手を出しかねているのだろう。
特に、ヴェルナーの表情は見ものであったとグランは思う。
彼の指示のもと、イルミナは毒耐性を付けた。
それが今は仇となっているのだ。
イルミナは、睡眠薬が効かない体質になっていた。
しかし、それをイルミナが口に出すことは無かった。
だから最初は誰も彼女が不眠症だということに気付かなかった。
それに気づいたのがグランだ。
彼は、定期的にイルミナの寝室を確認するよう自分の手のものに指示を出していた。
外から、彼女の部屋に光が灯っていないか、確認させていたのだ。
寝室は暗いです、という報告に安心していたのだが、ある日慌てた様子で報告が上がってきた。
彼女の執務室に光があり、それがいつからなのか分からない、という内容を。
そして気付いたのだ。
「そう、ですね・・・。
そろそろ寝ようと思います」
そういいながらも、イルミナは手元の資料から目を離そうとしない。
そんな彼女に、グランはため息をついた。
「・・・殿下。
どうせ考えていることがあるのでしょう。
私も確認しますから話してください」
寝る気配のないイルミナに、グランは仕方ないとでもいうようにソファーに深く腰掛けた。
王族の前でその態度は不敬だが、何度も同じやり取りをしていればそういった態度も取りたくなる。
そして、グランは不意にヴェルナーの苦々しい表情を思い出した。
イルミナの不眠症のことをヴェルナー達に話したのは、他ならないグランだ。
その時のヴェルナーの表情は非常に彼を愉快にさせた。
まるで、悔しくて悔しくて仕方ないと言わんばかりの、その表情。
きっと、ヴェルナー自身そのことに気付いていないのだろう。
だからこそ、面白かった。
「・・・グラン殿、
貴方こそいつ寝られているのですか。
屋敷に戻られなくてもよろしいのですか」
イルミナは顔を顰めながらグランを見る。
彼は、あの日から、こうして夜にやってくることが増えた。
自分を心配してのことだと理解しているが、それ以上にグランは非常に危うげな状態だとイルミナは思った。
主に襲われそう、という意味で。
ここ連日の気苦労と、イルミナへの心配りのせいで彼は疲れ切っているように見える。
その為、気だるげな空気が彼をいつも包み、平素の時とは違った魅力を醸し出しているのだ。
一度、ヴェルナーが深刻な表情でイルミナに相談しに来たので間違いない。
いわく、メイドたちが異常なまでに色めき立っていると。
ただでさえ城に来ることが少ない、ナイスミドルな辺境伯として人気があるグラン。
息子のしでかした尻拭いをしていると言われているようだが、そうでないことをイルミナは知っている。
だって、彼は一度として息子の話題をその口に上らせないのだから。
しかし、周りはそうは見ない。
あの第一王女にまで気を配る、優しい御方。
そんな彼が連日城に詰めていて、なおかつ隙の多くなったその姿に女性たちは騒いでいる。
疲労の為なのか、微妙な色気がいいと拳を握って熱く語る女たちが絶えないらしい。
もし、彼があまりの疲れに前後不覚となった日には、既成事実と言わんばかりに襲われるに違いないとイルミナは見ている。
「私は大丈夫です、
軟な鍛え方をしていないですし、休む時は休んでおりますから」
「・・・そうですか」
そこまで言われてしまえば、イルミナは成す術などない。
仕方なく諦めて今確認している事案をグランに話し始めた。
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「なぜだ、ウィリアム」
グランはこみ上げる怒りを静かに沈めながら、目の前に立つ息子に言った。
「・・・父上の言う通りにしなかったのは申し訳ありません・・・。
でも、私はリリアナ様を、心の底から愛しているのです」
その見当はずれな答えに、グランは呻きそうになった。
自分の息子は、こんなにも馬鹿だっただろうか。
「・・・本気で、私が聞いていることの意味を理解していないのか?」
「・・・」
「今回、呼び出したことも?」
「・・・それは、私が父上の意に添わなかったから・・・」
グランは今度こそ呻いた。
この成人しているはずの息子は、親の言うことを聞かなかったから怒られるとでも思っているのだろうか。
それどころの話ではないというのに。
しかも悪いことをしたと自覚しているのがタチが悪いとグランは思った。
感情を大切にするライゼルトだが、それと道徳は別だ。
感情のみで突っ走って道徳を無視するものに、上に立つ資格はない。
本来であれば、幼いころから知る感情を、今更知った結果がこれなのか。
感情を知ったことで有頂天になり、道徳をすっ飛ばしたのか。
悪いことだと認識していながらも。
なら、どうして一言言ってくれなかったのか。
グランは息子を哀れに思った。
ウィリアムが、他人に興味を持てないことに対して引け目を持っていたことは知っていた。
それに対するフォローをしなかったから、こうなったとでもいうのだろうか。
「・・・ウィリアム・ライゼルト」
「、はい」
「今回、なぜ私がお前と第一王女との婚約を勧めたのか。
その理由を知っているのか」
「・・・それは、イルミナ殿下が女王になられると思われたからでは・・・」
そこから認識が違っていたのか。
どうして、イルミナとリリアナ両方と話して違いに気付けなかったのか。
「・・・私は最初にお前に言ったな。
イルミナ殿下に力を貸す。
そのためにお前との婚姻が条件だと」
「・・・聞いております」
「私が、第一王女に力を貸すと、言ったのだぞ。
第二王女ではなく、だ。
私は、第二王女ではなく、第一王女に女王になってもらうために、話を進めるつもりでいたのだ。
そして打診しに、城まで赴いた。
それを、お前は踏みにじったという自覚はあるのか」
「!!
そ、そのようなことは、決して・・・!」
はじめてその考えに至ったのか、ウィリアムは顔色を真っ青にさせる。
その彼の表情を見て、グランは失望を隠せなかった。
「父として、息子として。
お前に愛する人が出来たのは喜ばしいことだ。
しかし、なぜおまえはそれを私に報告しなかった?
報告をしていれば、私は陛下に打診しに行くことも無かった。
他の道を、探した。
・・・イルミナ殿下があのように傷つくことも無かった」
「・・・イルミナ殿下が?」
その、疑わしげな表情に。
グランは一瞬殺意を抱いた。
「・・・お前は、何を見てきたのだ。
いや、答えなくていい・・・」
「ちちうえ・・・?」
「殿下は、女王になる為、その為だけに色々なものを犠牲にしてきたのだ。
おかしいとは思わなかったのか?
お前より年下である彼女を、私が認めているのだぞ。
お前には追々話そうとしていたのだがな。
殿下はその一つの目的の為に体を鍛え、毒を飲み、誕生日ですら仕事に打ち込んでいた。
女王になるという、ただ一つの目標を奪われて傷つかない・・・?
お前は、本気でそう思えるのか?」
父の言葉に、ウィリアムは衝撃を受けたのか、絶句していた。
イルミナが、そのようなことをしていたなんて知らなかったとでも言うような表情に、どうしてこんなことになってしまったのだろうとグランは思った。
どうして、考えなかったのだと。
そういう可能性を。
「・・・っ、で、殿下は、そのようなことは、ひとことも・・っ!」
言い訳のようなか細い声に、グランは一瞬で見切りをつけた。
「・・・そうか、お前はそう考えるのか」
思った以上に冷たい声音だったのか、ウィリアムがびくりと固まる。
しかし、それに対する優しい言葉など、グランは持ち合わせていなかった。
他人のことを思いやれない人間が、思いやってもらおうとするなど。
グランは、ウィリアムを息子としてではなく、一人の男としてみた。
「・・・ウィリアム。
今後、政策の指揮を執る事になるだろうが私は一切関与しない。
ライゼルトの名は出してもいい。
しかし私の名を出すことは赦さん」
「そ、そんな、父上!?」
グランは話は終わったとばかりにダニエルに声をかける。
「ダニエル、私は出かける。
後は頼んだぞ」
「かしこまりました、旦那様」
「ま、待ってください、父上!!」
グランは縋るような息子の声に、振り向くことは無かった。
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「―――と、考えているのですが・・・」
一生懸命話すイルミナを前に、不意にウィリアムと最後に会った時のことを思い出す。
息子に言い渡した言葉に、後悔はない。
彼は、踏むべき手順を踏まなかった。
これがまだ分別つかぬ幼子であれば叱って終わりだろう。
しかし、成人している彼にそれはすべきではない。
グランは今までにもウィリアムに貴族というもの、辺境伯というものを教えてきた。
イルミナのことが無ければ彼は次の辺境伯になる予定だったのだから。
その人のことを思いやれ。
どんな人間でも苦労と絶望をしている、だから決して、その人生を軽んじるな、と。
しかし、それもなくなった。
それを悲しくも思うが、安堵もある。
ウィリアムに、辺境を任せることはできない。
息子を愛していないわけはない。
しかし、それとこれは話が異なった。
それが父として、ライゼルトとしての総意だ。
そんな息子を、一時とはいえイルミナの伴侶にしようとしたことが悔やまれる。
きっと、幸せな家庭になる事はなかっただろう。
「・・・殿下、甘いものはお好きですか?」
「?・・・好きですが、話を聞いてくださっていましたか?」
不安げな表情を浮かべる彼女は、年相応に見える。
「っふ、聞いていますよ。
いや、明日の茶請けに城下で人気の菓子でも買って来ましょう」
その言葉に、イルミナの表情が明るくなる。
そしてすぐに恥ずかし気に落ち着かせようとする。
「そ、そうですか・・・。
でしたら美味しいお茶を用意しておきます」
―――――――本当に、良かった。
ウィリアムに、彼女は勿体無い。
グランはそう薄く笑った。