第一王女の矜持
ないて、ないて、ないて
それでも枯れることのないなみだに
わたしはそっとわらいをこぼした
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「――――」
瞼は腫れ、頭は酷くぼんやりとした。
イルミナは四阿の周りをぼんやりとしたまま見渡す。
月明かりの中、庭にある草木は青白いその姿を幻想的に見せていた。
今は咲いていないが、四阿のまわりにはイルミナが一番好んでいる花がある。
薫り高く、白い花をつけるそれは、かつての王が王妃を思って贈ったと言われている。
しかし、イルミナはその花の名前が分からなかった。
現実逃避の様に色々なことを考えるが、本当はやらなくてはならない事が山積みなのにも気づいている。
ウィリアムに政策をこと細かに説明しなくてはならないし、同じようにリリアナにもしなければならない。
辺境伯にも話さなければならないし、あぁそうだ。
アウベールにも行くはずだったのだ。
それも、行けるかわからなくなってしまったけれど。
つらつらと考え付くが、それのどれ一つも、正直に言うとやりたくなかった。
自分が作った、縁なのに。
そう誰かを詰ってしまいたくなる。
だが、それをしても、きっと誰も幸せにならないから、イルミナはそれを選べない。
することによって自分は一時は楽になるかもしれないが、それでも。
アーサーベルトやヴェルナーはこれからどうするのだろう、と考えて。
無駄な心配かと自嘲する。
アーサーベルトは騎士団長として、リリアナとウィリアムを支えるだろう。
ヴェルナーは次期宰相のまま、仕事をすればいい。
グランだって、子息は王家の姫と結婚するのだから政策に力を貸すことに否を申すことはないだろう。
彼らであれば、例え何があっても民の為に尽力してくれるだろう。
そうして、イルミナは何で今まで頑張ってきたのだろうと考える。
自分の居場所を作るために、必死になってきたことは、たった一言で潰えた。
それほどまでに、自分というのは軽いのだろうか。
「―――・・・」
出来ることなら、考えたくない。
このままゆっくりと休みたい。
しかし、それは赦されることではないとも、知っている。
だから。
「・・・ヴェルナー、
そこにいますか」
彼なら、きっといるだろう。
アーサーベルトと共に。
「はっ、
お呼びですか、殿下」
「アーサーもいますね」
「は!」
イルミナは二人に四阿に来るように言う。
男二人は、目を真っ赤に腫らしたイルミナを見てなんと声をかけて良いのか狼狽える。
しかし、そんな場合ではないのだ。
「グラン殿には?」
「先ほど鷹を」
「返事は」
「来ておりませんが、かのお方であればすでに馬上でしょう」
グランが来るまでに、情報を集めないといけない。
今のイルミナは、正直全てが後手に回っていてどうすれば正解なのか分からない状態だ。
グランも何も言ってこなかったことから、彼も予想外である可能性はある。
イルミナは決めなくてはならない。
これからの自分を。
女王になるのは、本当なら自分だった。
しかし、王である父がそれに否というのであれば、自分は反論できない。
それが、君主制だ。
それで捻くれるのは簡単だ。
しかしそれをすることを、王族の一人であるイルミナは赦さない。
仮にも女王を目指した身。
その為に、今まで生きてきたのだ。
なら。
「そうですか、
なら今より、今回の件に関する情報すべてを集めるように指示します。
噂、宰相の考え、そして貴族たちの意思を出来るだけ集めてきてください」
イルミナは二人に命ずる。
「殿下はどうなさるのですか」
アーサーベルトが問う。
ヴェルナーも気になっている様でちらちらと見てくる。
「私は・・・、
これからの周りの動向にもよりますが、政策を止めるわけにはいきません。
そのために準備をします」
「殿下!?」
いくらなんでもそれは都合の良すぎる存在となるのではと二人は危惧からか声を上げる。
しかしイルミナはそれに冷静に返した。
「だって、逃げていても仕方のないことでしょう。
泣いてどうにかなるのであれば、とっくの昔にどうにかなっています」
ふふ、と乾いた笑いに、イルミナ自身が驚く。
こんな笑い方も、出来たのか。
「殿下、こんなことで諦めてしまわれるのですか・・・!
あなたが頑張ってきたこと全てが、横取りされるのですよ・・・!」
「そうです殿下!
いくら陛下と言えどもあまりに横暴です!
抗議すべきではないのですか!!」
二人の言葉に、イルミナは乾いた笑いがこみあげて、そしてそのまま笑った。
カラカラと笑うイルミナを、アーサーベルトとヴェルナーは凍り付いた表情で凝視する。
「・・・だから?
民からすれば、私だろうがリリアナだろうが関係ないでしょう。
横取り?
まだ何も成功していないのに?」
虚ろな目で話すイルミナに、二人は言葉をかけることが出来ない。
「・・・わたしがっ、
・・・わたしがっなにもっ・・・!!」
悲鳴のような声は、一瞬だった。
一瞬瞳に浮かんだ感情は、すぐに抑え込まれ元の感情を感じさせない色へと変化する。
「・・・、先ほどのは聞かなかったことにします。
不敬罪で捕らえられてしまう可能性がありますから、無闇に言わないように」
そういうと、イルミナはしっかりとした足取りで四阿を後にした。
その姿を、二人は呆然と見送る。
「・・・俺たちは、馬鹿だ・・・」
「・・・えぇ、どうしようもない、がつくほどには」
二人は、イルミナを傷つけたことをはっきりと理解した。
考えなくても分かることなのに。
今回の事で一番傷付いているのは彼女なのに。
自分たちよりもずっと若い彼女が、歯を食いしばって我慢しているところに、自分たちは土足で踏みにじるように入り込んだ。
大人というべき程年を重ねたはずの二人は、イルミナに気を使われたのだ。
それは、大人としても、男としてもしてはならないことだった。
「・・・どうすれば、よかったんだ・・・」
「・・・わからない・・・」
いくら次期宰相とちやほやされても。
騎士団長と称えられても。
女の子一人、救う事の出来ない事実は、二人を打ちのめした。
そして気づく。
かつて自分たちはグランに鼻を叩き折られていたはずなのに、いつの間にこんなに自意識過剰になっていたのだろうと。
自分たちであれば、女王になるイルミナの一番の理解者になれるだろうと。
どこかで、だからお前たちは未熟なんだと男が嗤ったような気がした。
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光の灯らない自室は、酷く暗く感じた。
イルミナはベッドに座りながら考える。
これからの自分の価値を。
正直、この国にこのままいて良いのかと考えることすらあった。
頑張っても頑張っても。
父も母も私を見てくれない。
どうやって、これから頑張れるというのだろうか。
イルミナは、自身の心が折れる音を聞いてしまった。
大切に大切にしてきた何かが、そこから零れてしまう音も聞いてしまった。
そんな中で、どうやって頑張ればいいのだろうか。
先程は二人に、政策を止めないようにすると言ったが、本当にそれも出来るのかわからない。
もし、貴族たちがイルミナが出しゃばるのを良しとしなければ、何も出来ないだろう。
一部の貴族からすれば、イルミナは目の上のたん瘤どころか目障りな存在なのだから。
王は自分に良縁を整えると言っていたが、それも信用できないまでに感情を持てなくなってしまった。
だからといって、どうしていいのかもわからない。
つらつらと考えても、睡魔は押し寄せてこない。
月は空高く昇り、その頂点を過ぎていた。
ぼんやりとしていると、不意に窓が叩かれているような音がした。
「―――?」
イルミナは、閉じる事のない目を、窓に向ける。
暗殺者であれば、そのような阿呆な真似はしないだろうと考え、そっと身を窓際へと移す。
そして見えた姿に、イルミナは絶句した。
「・・・殿下」
「・・・、まさか、グランどの・・・?」
慌てて窓を開くと、バルコニーにはグランが一人立っていた。
その姿は慌ててきたのだろう、着の身着のままという状態だ。
いつもの綺麗な恰好からは想像もつかない。
「な、如何されたのです・・・。
しかもこんな夜更けに・・・」
グランはその問いには答えず、イルミナの目じりに手を寄せた。
「・・・すまない」
グランは一言だけ言った。
イルミナは、目を見開く。
意味は、理解したくない。
「・・・また、明日に」
グランはそれだけ言うとひらりと身を翻して二階にあるイルミナのバルコニーからその身を宙に躍らせた。
イルミナは、ひとつだけ、涙を零した。