第一王女と騎士団団長
イルミナは、一度だって、不満をもったことはなかった。
全てを、仕方ないの一言で終わらせることが、彼女にとっての処世術だったから。
リリアナには専属のメイドがいて、イルミナにいないのも。
リリアナには専属の騎士が居て、イルミナにいないのも。
全ては仕方のないことだった。
だって、リリアナはか弱いから。
リリアナは、あまりにも美しいから。
だからすべては、仕方のないこと。
両親が、リリアナに愛情を傾けることも。
城の皆が、リリアナを常に気にしているこも。
全部全部、仕方のないこと。
リリアナに悪い所なんて一つもない。
愛想笑い一つできない、不出来な姉を慕ってくれる。
そんな彼女を、どうやって嫌えばいいのか。
だから、仕方のないことなのだ。
自分が、もっと頑張らなくてはいけないだけ。
姉として、長子として。
せめて、少しでも立派な王家の一人になる。
それがイルミナの望みであり、希望であった。
その為なら、何でもできる。
その為なら、何でもする。
その為なら、何でもできないと、いけないのだ。
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「騎士団長殿」
ヴェルムンド国騎士団長であるアーサーベルトは、背後からかけられる若い声に、おやと思った。
アーサーベルトは、齢三十という若さで国の防衛の要となる重要な人物であった。
国防を司り、なおかつ本人も国内一と言われるほどの実力の持ち主。
しかし、そんな彼は悲しいほどに女性には縁がなかった。
理由は誰の目から見ても明白な事だった。
見た目が怖い。
それだけに尽きた。
三白眼の目に、鍛えられ隆々とした筋肉。
丸太のような太い腕に、鍛え上げられた厚い胸。
短い黒髪から除く額から左の眼尻にかけて、切り傷の跡がある。
優男という言葉から一番ほど遠い場所にいる存在と言っても、言い過ぎということはなかった。
「これは、イルミナ殿下・・・如何されました?」
そんな彼に声を掛けてきたのは、この国の第一王女殿下であるイルミナであった。
まだ十歳の彼女は、その年にしては身長が高めだが、それでも幼い顔立ちをしている。
そして感情のあまり見えないその表情に、アーサーベルトは眉根を寄せそうになった。
アーサーベルトは、彼女を見ると、胸中に苦い思いが走る。
なぜ走るかなんて、考えなくてもわかる。
彼女は、この城で蔑ろにされている存在だということを知っているのだから。
「騎士団長殿、おねがいがあるのです」
イルミナは、唇を真横に結んだままにこりともせずに言った。
その言葉に、アーサーベルトは驚いた。
アーサーベルトは、イルミナ、さらにはリリアナと殆どといっていいほど接触したことはない。
しかし、噂だけは聞いていた。
イルミナがいつもお願いされる立場であることを。
そして、我慢をするように周りから固められていたことを。
それもこれも、第二王女殿下のために。
だからといってはなんだが、目の前の少女が望むことを可能な限り叶えたいと思ってしまった。
自分のような怖がられる人間にしか、言えないことなのかもしれないとも思った。
自分に出来ることなんて限られているだろうが。
「この私に出来る事であれば、なんなりとどうぞ」
別に、第二王女殿下が嫌いというわけではない。
むしろ彼女の愛らしさが人をそうさせてしまうのも頷ける。
しかし、だからといって第一王女を蔑ろにしていい理由ではないとアーサーベルトは考えている。
この城に、彼女のことを知っているものはどれほどいるのだろうか。
きっと、誰も目の前の少女が何が好きで嫌いかを答えられる人など、いないのだ。
もちろん、アーサーベルトを含めて。
だからといって、自分から近づこうとは思わなかったのはアーサーベルトだ。
アーサーベルトは騎士団長だが、その生まれは平民だ。
それゆえに、おいそれを彼女に近づいてはいけないとアーサーベルトは考えていた。
そんな彼女が自ら近づいてお願いを言ってきてくれたのだ。
聞かないなどと考えるはずもない。
「わたしに、剣を教えて下さい」
「・・・は?」
その言葉の意味が理解できなかった。
彼女は、何を言ったのだろうか。
「な、なぜ・・・?」
アーサーベルトは、困惑を隠せずにイルミナに問うた。
王女という身分で、なぜ剣など習おうというのか。
騎士が彼女に付くはずではないのか。
「リリアナに、騎士がつくことになりました。
だから、剣を教えて下さい」
「!!」
それは、有りえないことであった。
第一王女に騎士が付かないまま、第二王女に騎士が付く。
それは、本来であればあってはならない事だった。
リリアナはまだ十にもなっていない、そんな彼女に騎士が付くこと自体、異例でもあった。
「、陛下には・・・」
国王陛下が知らないはずはない。
それでも、つい言葉に出してしまう。
なぜ、イルミナに付けないでリリアナに付けようとしているのだろうか。
「陛下が、決めました。
リリアナは体がよわいから、先につけると」
イルミナのその言葉に、アーサーベルトはぐぅと唸る。
そうだとしても、それでも第一王女殿下にする対応ではない。
せめて一緒に付けることは出来ないのか。
国王は何を考えているのだろうか・・・。
「べつに、強くなりたいわけではないのです。
ただ、自分の身くらい守れるようになりたいのです」
そうじゃないと、リリアナも守ってあげられないから、と続ける彼女に。
アーサーベルトは心が痛む。
本来、王女殿下という身分の彼女であれば、そのようなことは考えなくてもいいと言わなくてはならない。
その身分ゆえに、彼女は守られるべきなのだから。
しかし、アーサーベルトにはどうしてもそれを言うことが出来なかった。
もし、彼女がこのまま蔑ろにされ続けたら?
騎士がいつまでたっても付かなかったら?
いったい誰が彼女を守るのだろうか。
だからと言っては何だが。
「本当に、よろしいのですか」
別に強くするつもりはない。
それでも、訓練をするという事は辛い思いをしなければならない。
生半可に教えるという選択肢はない。
「お願いできますか」
ひた向きな彼女の表情は、一切の笑顔を見せない。
というより、殆ど表情が動いていないような気すらする。
「わかりました、時間はあまり取れないかもしれませんが、出来うる限りお力になりましょう」
そう言うと、イルミナはほっとしたように息をついた。
「ありがとうございます、騎士団長殿」
それが、唯一彼女の感情らしい感情に見えたアーサーベルトは少しだけ安心して微笑みを浮かべた。